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選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子 単行本 – 2018/7/17
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その女性は、出生前診断をうけて、「異常なし」と
医師から伝えられたが、生まれてきた子はダウン症だった。
函館で医者と医院を提訴した彼女に会わなければならない。
裁判の過程で見えてきたのは、そもそも
現在の母体保護法では、障害を理由にした中絶は
認められていないことだった。
ダウン症の子と共に生きる家族、
ダウン症でありながら大学に行った女性、
家族に委ねられた選別に苦しむ助産師。
多くの当事者の声に耳を傾けながら
選ぶことの是非を考える。
プロローグ 誰を殺すべきか?
その女性は出生前診断を受けて、「異常なし」と医師から伝えられたが、生まれてきた子は ダウン症だったという。函館で医師を提訴した彼女に私は会わなければならない。
第一章望まれた子
「胎児の首の後ろにむくみがある」。ダウン症の疑いがあるということだ。四十一歳の光は悩 んだ末に羊水検査を受ける。結果は「異常なし」。望まれたその子を「天聖」と名づける。
第二章誤診発覚
「二十一トリソミー。いわゆるダウン症です」。小児科医の発した言葉に、光は衝撃をうける。 遠藤医師は、検査結果の二枚目を見落としていた。天聖は様々な合併症に苦しんでいた。
第三章 ママ、もうぼくがんばれないや
ついに力尽きた天聖を光はわが家に連れて帰る。「ここがお兄ちゃん、お姉ちゃんと一緒に 寝る寝室だよ」。絵本を読み聞かせ、子守唄を歌い、家族は最初で最後の一夜を過ごす。
第四章 障害者団体を敵に回す覚悟はあるのですか?
天聖が亡くなると遠藤医師はとたんに冷たくなったように夫妻は感じた。弁護士を探すが、 ことごとく断られる。医師から天聖への謝罪はなく、慰謝料の提示は二〇〇万円だった。
第五章 提訴
それは日本で初めての「ロングフルライフ訴訟」となった。両親の慰謝料だけでなく、誤診 によって望まぬ生を受け苦痛に苦しんだ天聖に対する損害賠償を求めるものだった。
第六章 母体保護法の壁
母体保護法ではそもそも障害を理由にした中絶を認めていない。したがって提訴は失当。被 告側の論理に光は、母体保護法が成立するまでの、障害者をめぐる苦闘の歴史を知る。
第七章 ずるさの意味
光の裁判を知って、「ずるい」と言った女性がいた。彼女は、羊水検査を受けられなかった のでダウン症の子を生んでしまった、と提訴したが、その子は今も生きている。
第八章 二十年後の家族
京都で二十年以上前にあったダウン症児の出産をめぐる裁判。「羊水検査でわかっていたら 中絶していた」と訴えた家族を訪ねた。その時の子どもは二十三歳になっているという。
第九章 証人尋問
裁判では、「中絶権」そのものが争われた。「中絶権」を侵害され、子どもは望まぬ生を生き たというが、そもそも「中絶する権利」などない。そう医師側は書面で主張した。
第十章 無脳症の男児を出産
苦しむだけの生であれば、生そのものが損害なのかを光の裁判は問いかけた。一方、この女 性は、子どもが無脳症であるとわかりながら、中絶をせずにあえて出産していた。
第十一章 医師と助産師の立場から
病院は赤ちゃんの生存の決定を家族に委ねるようになっている。障害をもって生まれた子は、 何もしなければ死ぬ子も多い。だが現場の助産師は、そうした中疲弊している。
第十二章 判決
判決は被告に一〇〇〇万円の支払いを命ずる原告側の勝訴。しかし、それは、「心の準備が できなかった」夫妻への慰謝料だった。光は「天聖に謝って欲しかった」と肩をふるわす。
第十三章 NIPTと強制不妊
優生保護法下で、強制的に不妊手術を受けた人たちが、国家賠償訴訟を始めて、全国的な広 がりとなった。私は最初に提訴した宮城県の原告の女性を訪ねる。
第十四章 私が殺される
「なぜダウン症がここまで標的になるのか」。NIPTによってスクリーニングされることに 「私が殺される」という思いで傷ついている人たちがいる。
第十五章 そしてダウン症の子は
ダウン症でありながらも日本で初めて大学を卒業した岩元綾は言った。「赤ちゃんがかわい そう。そして一番かわいそうなのは、赤ちゃんを亡くしたお母さんです」。
エピローグ 善悪の先にあるもの
「どうして私のことをかわいそうって言ったのでしょう……」。ダウン症当事者の岩元の言葉 を伝えると、光は涙をためながら言った。
医師から伝えられたが、生まれてきた子はダウン症だった。
函館で医者と医院を提訴した彼女に会わなければならない。
裁判の過程で見えてきたのは、そもそも
現在の母体保護法では、障害を理由にした中絶は
認められていないことだった。
ダウン症の子と共に生きる家族、
ダウン症でありながら大学に行った女性、
家族に委ねられた選別に苦しむ助産師。
多くの当事者の声に耳を傾けながら
選ぶことの是非を考える。
プロローグ 誰を殺すべきか?
その女性は出生前診断を受けて、「異常なし」と医師から伝えられたが、生まれてきた子は ダウン症だったという。函館で医師を提訴した彼女に私は会わなければならない。
第一章望まれた子
「胎児の首の後ろにむくみがある」。ダウン症の疑いがあるということだ。四十一歳の光は悩 んだ末に羊水検査を受ける。結果は「異常なし」。望まれたその子を「天聖」と名づける。
第二章誤診発覚
「二十一トリソミー。いわゆるダウン症です」。小児科医の発した言葉に、光は衝撃をうける。 遠藤医師は、検査結果の二枚目を見落としていた。天聖は様々な合併症に苦しんでいた。
第三章 ママ、もうぼくがんばれないや
ついに力尽きた天聖を光はわが家に連れて帰る。「ここがお兄ちゃん、お姉ちゃんと一緒に 寝る寝室だよ」。絵本を読み聞かせ、子守唄を歌い、家族は最初で最後の一夜を過ごす。
第四章 障害者団体を敵に回す覚悟はあるのですか?
天聖が亡くなると遠藤医師はとたんに冷たくなったように夫妻は感じた。弁護士を探すが、 ことごとく断られる。医師から天聖への謝罪はなく、慰謝料の提示は二〇〇万円だった。
第五章 提訴
それは日本で初めての「ロングフルライフ訴訟」となった。両親の慰謝料だけでなく、誤診 によって望まぬ生を受け苦痛に苦しんだ天聖に対する損害賠償を求めるものだった。
第六章 母体保護法の壁
母体保護法ではそもそも障害を理由にした中絶を認めていない。したがって提訴は失当。被 告側の論理に光は、母体保護法が成立するまでの、障害者をめぐる苦闘の歴史を知る。
第七章 ずるさの意味
光の裁判を知って、「ずるい」と言った女性がいた。彼女は、羊水検査を受けられなかった のでダウン症の子を生んでしまった、と提訴したが、その子は今も生きている。
第八章 二十年後の家族
京都で二十年以上前にあったダウン症児の出産をめぐる裁判。「羊水検査でわかっていたら 中絶していた」と訴えた家族を訪ねた。その時の子どもは二十三歳になっているという。
第九章 証人尋問
裁判では、「中絶権」そのものが争われた。「中絶権」を侵害され、子どもは望まぬ生を生き たというが、そもそも「中絶する権利」などない。そう医師側は書面で主張した。
第十章 無脳症の男児を出産
苦しむだけの生であれば、生そのものが損害なのかを光の裁判は問いかけた。一方、この女 性は、子どもが無脳症であるとわかりながら、中絶をせずにあえて出産していた。
第十一章 医師と助産師の立場から
病院は赤ちゃんの生存の決定を家族に委ねるようになっている。障害をもって生まれた子は、 何もしなければ死ぬ子も多い。だが現場の助産師は、そうした中疲弊している。
第十二章 判決
判決は被告に一〇〇〇万円の支払いを命ずる原告側の勝訴。しかし、それは、「心の準備が できなかった」夫妻への慰謝料だった。光は「天聖に謝って欲しかった」と肩をふるわす。
第十三章 NIPTと強制不妊
優生保護法下で、強制的に不妊手術を受けた人たちが、国家賠償訴訟を始めて、全国的な広 がりとなった。私は最初に提訴した宮城県の原告の女性を訪ねる。
第十四章 私が殺される
「なぜダウン症がここまで標的になるのか」。NIPTによってスクリーニングされることに 「私が殺される」という思いで傷ついている人たちがいる。
第十五章 そしてダウン症の子は
ダウン症でありながらも日本で初めて大学を卒業した岩元綾は言った。「赤ちゃんがかわい そう。そして一番かわいそうなのは、赤ちゃんを亡くしたお母さんです」。
エピローグ 善悪の先にあるもの
「どうして私のことをかわいそうって言ったのでしょう……」。ダウン症当事者の岩元の言葉 を伝えると、光は涙をためながら言った。
- 本の長さ245ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2018/7/17
- ISBN-104163908676
- ISBN-13978-4163908670
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
その女性は、出生前診断を受けて、「異常なし」と医師から伝えられたが、生まれてきた子はダウン症だった。函館で医師と医院を提訴した彼女に会わなければならない。裁判の過程で見えてきたのは、そもそも現在の母体保護法では、障害を理由にした中絶は認められていないことだった。ダウン症の子と共に生きる家族、ダウン症でありながら大学に行った女性、家族に委ねられた選別に苦しむ助産師。多くの当事者の声に耳を傾けながら選ぶことの是非を考える。出生前診断をめぐる様々な当事者たちの声からつむぐノンフィクション。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
河合/香織
1974年生れ。ノンフィクション作家。神戸市外国語大学外国語学部ロシア学科卒業。2004年に出版した『セックスボランティア』で、障害者の性と愛の問題を取り上げ、話題を呼ぶ。2009年『ウスケボーイズ―日本ワインの革命児たち―』で小学館ノンフィクション大賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1974年生れ。ノンフィクション作家。神戸市外国語大学外国語学部ロシア学科卒業。2004年に出版した『セックスボランティア』で、障害者の性と愛の問題を取り上げ、話題を呼ぶ。2009年『ウスケボーイズ―日本ワインの革命児たち―』で小学館ノンフィクション大賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2018/7/17)
- 発売日 : 2018/7/17
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 245ページ
- ISBN-10 : 4163908676
- ISBN-13 : 978-4163908670
- Amazon 売れ筋ランキング: - 269,340位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 3位民事裁判関連
- - 17位障害児教育ノンフィクション
- - 197位妊娠・出産(一般)関連書籍
- カスタマーレビュー:
著者について
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2019年1月12日に日本でレビュー済み
違反を報告する
Amazonで購入
私の親族で36歳で妊娠し医師から「調べますか?」と聞かれた人がいる。夫婦で話し合いどんな子でも私たちの初めての子なのだからと検査をしなかったと聞いた。やはり医師にとって「言いたくはないけど何故あの時に検査をするようすすめなかったのか」と後で問題になっているのだろうと感じたそうだ。高齢出産が珍しくない現在では仕方ない事なのだろう。高収入で両方の両親も元気で、都会で障害者の子供の養育や教育が充分受けられる家庭ばかりではない。母親がつきっきりで育てる事ができる家庭ばかりではない。綺麗事だけでは済まされない。「きょうだい」たちへの負担もある。親も選択できる。実際に男女の産み分けはできるし産み分けについては誰も責めたりしてないのだから。「子供が親を選んでここなら大丈夫と思って産まれて来たんだよ」「天使のようなニコ二コして愛される子供がダウン症に多い」と言う風潮(後付のような言い訳)は私は嫌いです。
206人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2021年5月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ノンフィクションとしての完成度が高いと思った。NHKのニュースのように、あるテーマに対して異なる見方をする人に取材を行って読者の考えを問う、というオーソドックスながらも深く考えさせられる構成で、時間を忘れて読み耽った。作者の力量に感心する傑作だと思う。
しかし私は、ロングフルバース訴訟の原告である光さんの考えは最後まで理解できなかったし、気に入らなかった。
被告となる医師は「法律なんて関係ない。私はピュアに謝罪したいと思っているのです。お子さんを一緒に育てていきたい」と申し出たが、光さんの子どもが亡くなったら、手のひらを返したように冷たくなったとの記述があった。
私が医師だったとしても、できる支援は尽くしたと考え、冷たくはしないまでも光さんに割く時間は削ると思う。なぜなら、光さんは高い可能性で死産を望んでいたのだから。
光さんは医師の態度に業を煮やし、原告となって訴訟を起こす。最終的に一部認容となる。
そのときのコメントが「天聖に対する賠償金は認められませんでした。天聖に謝ってもらえなかったのが残念でした。裁判は天聖のために戦ってきたつもりでしたので、私たちへの賠償金がたとえ低くても、天聖の苦しみに対して謝罪してもらいたかった。」
医師がミスをしなければ、光さんは自分で天聖くんを殺す判断をしただろう。しかし、生かすという判断をしても、光さんの選択によって天聖くんは苦しみ抜いて死ぬことになった。
いずれの選択にも救いはないが、どちらの選択を光さんがしたとしても、天聖くんは苦しむ。
さらに十中八九死産を望んでいたはずなのに、産まれたら「まっさらな気持ちで、我が子として抱っこしたい。いたわってあげたい、撫でてあげたい。本当にいたんです。あの子は実在していたんです。抱っこできたのは一回だけ。それでも触れられた。どんなに重い障害を持っていても、生きているからあの子はあたたかかった。」と手のひら返し。
子どもが産まれたら愛しかったという気持ちは分かるけれども、もう意味不明。
後になってこう言えるのは、天聖くんが亡くなって、ダウン症を育てるという長く苦しい気持ちから解放されたからだと邪推せざるを得ない。
命の選択を責めるつもりはないが、命を区別して命の選択をしようとした人が、命の結果に対して謝罪を求めることが気に入らない。
しかし私は、ロングフルバース訴訟の原告である光さんの考えは最後まで理解できなかったし、気に入らなかった。
被告となる医師は「法律なんて関係ない。私はピュアに謝罪したいと思っているのです。お子さんを一緒に育てていきたい」と申し出たが、光さんの子どもが亡くなったら、手のひらを返したように冷たくなったとの記述があった。
私が医師だったとしても、できる支援は尽くしたと考え、冷たくはしないまでも光さんに割く時間は削ると思う。なぜなら、光さんは高い可能性で死産を望んでいたのだから。
光さんは医師の態度に業を煮やし、原告となって訴訟を起こす。最終的に一部認容となる。
そのときのコメントが「天聖に対する賠償金は認められませんでした。天聖に謝ってもらえなかったのが残念でした。裁判は天聖のために戦ってきたつもりでしたので、私たちへの賠償金がたとえ低くても、天聖の苦しみに対して謝罪してもらいたかった。」
医師がミスをしなければ、光さんは自分で天聖くんを殺す判断をしただろう。しかし、生かすという判断をしても、光さんの選択によって天聖くんは苦しみ抜いて死ぬことになった。
いずれの選択にも救いはないが、どちらの選択を光さんがしたとしても、天聖くんは苦しむ。
さらに十中八九死産を望んでいたはずなのに、産まれたら「まっさらな気持ちで、我が子として抱っこしたい。いたわってあげたい、撫でてあげたい。本当にいたんです。あの子は実在していたんです。抱っこできたのは一回だけ。それでも触れられた。どんなに重い障害を持っていても、生きているからあの子はあたたかかった。」と手のひら返し。
子どもが産まれたら愛しかったという気持ちは分かるけれども、もう意味不明。
後になってこう言えるのは、天聖くんが亡くなって、ダウン症を育てるという長く苦しい気持ちから解放されたからだと邪推せざるを得ない。
命の選択を責めるつもりはないが、命を区別して命の選択をしようとした人が、命の結果に対して謝罪を求めることが気に入らない。
2019年11月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
出生前診断の誤診をめぐる訴訟をテーマにした力作です。「お前の誤診のせいで障害のある子を産むことになってしまったではないか」と言う単純な争いではありません。この点は、正しい診断結果を示されていても出産をあきらめていたとは言い切れないとの母親の言葉に表れています。とは言え、ここを言い切らないとどの様な被害(損害)をもとに訴訟しているのかと矛盾も発生します。要は、生まれてしまった我が子の存在自体を否定する訴えともなってしまうのです。一方、誤診のせいで生まれた子は必要のない苦痛(=「生」なのですが)を味わったとの理屈もスッキリしません。
既に成人した二人の子を持つ身としては、自分の時代にはこの様な技術がなくて悩まずに済んだと思います。出生前診断で重い障害がみつかると大半の親が出産をあきらめているとのことですが、この判断は決して批判出来ません。非常に考えさせられる本でした。
既に成人した二人の子を持つ身としては、自分の時代にはこの様な技術がなくて悩まずに済んだと思います。出生前診断で重い障害がみつかると大半の親が出産をあきらめているとのことですが、この判断は決して批判出来ません。非常に考えさせられる本でした。
2020年5月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読む人それぞれの立場によって捉え方の異なる難しい問題です。
仕事で障害児の支援をしていますが、正直なところ生まれる前に身体的な異常が見つかる子より、どんな親にどう育てられてきたかという生育暦や家庭環境の問題がある子のほうが、社会で生きていくことが難しいです。
たから出生前診断の是非を問われると答えが出せません。
ひとつ悲しかったのは、ダウン症の子は「幸せだと言わされている」という一文でした。
自分に置き換えて、障害のある子でも、生まれてきて良かったと思えるような支援がしたいと改めて思いました。
難しい問題に丁寧に向き合った作者に敬意を表したいと思います。
仕事で障害児の支援をしていますが、正直なところ生まれる前に身体的な異常が見つかる子より、どんな親にどう育てられてきたかという生育暦や家庭環境の問題がある子のほうが、社会で生きていくことが難しいです。
たから出生前診断の是非を問われると答えが出せません。
ひとつ悲しかったのは、ダウン症の子は「幸せだと言わされている」という一文でした。
自分に置き換えて、障害のある子でも、生まれてきて良かったと思えるような支援がしたいと改めて思いました。
難しい問題に丁寧に向き合った作者に敬意を表したいと思います。
ベスト500レビュアー
Amazonで購入
取材が尽くされた力作です。事実関係は詳細で、当事者の考えや当時の感情などが仔細に語られます。
主題となる訴訟を軸としながらも、過去、現在にわたる障害に関連した出産や 妊娠をめぐるトラブルも取り上げ、さらに、その当事者にもインタビューがなされています。障害と出産、法律、感情などどれも考えさせられ、すぐに答えを出すことは困難。問題提起の貴重な一冊です。途中、障害者自身が語る言葉が印象的でした。
主題となる訴訟を軸としながらも、過去、現在にわたる障害に関連した出産や 妊娠をめぐるトラブルも取り上げ、さらに、その当事者にもインタビューがなされています。障害と出産、法律、感情などどれも考えさせられ、すぐに答えを出すことは困難。問題提起の貴重な一冊です。途中、障害者自身が語る言葉が印象的でした。
2018年8月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
河合香織さん『選べなかった命 出生前診断の誤診で生れた子』、読了。
河合さんは2004年、
日本における障害者の性的介助の現状、
オランダのNPO活動などに取材した
『セックスボランティア』という本を、
上梓しています。
ノンフィクション作家=第三者としての
記述に徹する立場から、
ひとりの女性として自分は、
障害者の性にたずさわることが
出来るのか?
他人事にせず河合さんはそう、自身に問いかけ
そして「私的ノンフィクション」とでも言うしかな踏み込んでゆくのです――
そして最新作『選べなかった命』。
光さんと呼ばれる女性が置かれることになった過酷な状況、
彼女の起こした訴訟が起こした波紋、
「生きる」ことを巡るさまざまな声が描かれています。
まだ小さな子ども三人を育てながら光さんは、
あたらしい命を授かる。
ただ四十歳を超えている自分の年齢、
将来的に上の三人の子どもたちが追うことになるだろう負担を考え、
出生前診断を行うことを決意。
結果「異常なし」と伝えられていたのに
生まれてきた赤ちゃんはダウン症だった――
出生後すぐに新生児集中治療室(NICU)に入って、
いくつもの合併症に苦しみながら、わずか三カ月半で亡くなった彼は生前から、
「天聖」と名付けられていました。
光さんは誤診を下した医師を提訴します。
出生前前診断で「異常」を告げられていたら、
中絶するつもりだった。
でもわずかな間でもわが子温もりに触れ、
抱きしめた彼女は中絶という選択したか
、どうしても「言い切れない」のです。
優生保護法下で中絶を強要された精神障害者たちの悲しみ。
障害を理由とした中絶を「認めていない」母体保護法と、
出生前診断で「異常あり」と知った母親の大部分が中絶を選んでいる現状の乖離。
診断を告げるけれども、赤ちゃんの生存決定権を家族に委ねるという残酷。
「なぜダウン症がここまで標的になるのか。ただ一つ辿り着ける結論は、
(医学の進歩によって、長く)立派に生きるからです」
日本ダウン症協会理事長は講演で、そう発言したといいます……。
ダーウィンの従兄弟に当たるフランシス・ゴルドンが
提唱した「優生思想」についてまで考えさせられる、
問題提起的な本です。
河合さんは2004年、
日本における障害者の性的介助の現状、
オランダのNPO活動などに取材した
『セックスボランティア』という本を、
上梓しています。
ノンフィクション作家=第三者としての
記述に徹する立場から、
ひとりの女性として自分は、
障害者の性にたずさわることが
出来るのか?
他人事にせず河合さんはそう、自身に問いかけ
そして「私的ノンフィクション」とでも言うしかな踏み込んでゆくのです――
そして最新作『選べなかった命』。
光さんと呼ばれる女性が置かれることになった過酷な状況、
彼女の起こした訴訟が起こした波紋、
「生きる」ことを巡るさまざまな声が描かれています。
まだ小さな子ども三人を育てながら光さんは、
あたらしい命を授かる。
ただ四十歳を超えている自分の年齢、
将来的に上の三人の子どもたちが追うことになるだろう負担を考え、
出生前診断を行うことを決意。
結果「異常なし」と伝えられていたのに
生まれてきた赤ちゃんはダウン症だった――
出生後すぐに新生児集中治療室(NICU)に入って、
いくつもの合併症に苦しみながら、わずか三カ月半で亡くなった彼は生前から、
「天聖」と名付けられていました。
光さんは誤診を下した医師を提訴します。
出生前前診断で「異常」を告げられていたら、
中絶するつもりだった。
でもわずかな間でもわが子温もりに触れ、
抱きしめた彼女は中絶という選択したか
、どうしても「言い切れない」のです。
優生保護法下で中絶を強要された精神障害者たちの悲しみ。
障害を理由とした中絶を「認めていない」母体保護法と、
出生前診断で「異常あり」と知った母親の大部分が中絶を選んでいる現状の乖離。
診断を告げるけれども、赤ちゃんの生存決定権を家族に委ねるという残酷。
「なぜダウン症がここまで標的になるのか。ただ一つ辿り着ける結論は、
(医学の進歩によって、長く)立派に生きるからです」
日本ダウン症協会理事長は講演で、そう発言したといいます……。
ダーウィンの従兄弟に当たるフランシス・ゴルドンが
提唱した「優生思想」についてまで考えさせられる、
問題提起的な本です。