神様なんて信じていない僕らのためにを学生時代に戯曲にしてやりました。ふと思い出して探してみたらあったので購入しました。
少しブラックなところはあると思いますが、個人的には全部の短編が好きですね。
遠藤浩輝短編集(1) (アフタヌーンコミックス) Kindle版
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言語日本語
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出版社講談社
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発売日1998/4/23
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ファイルサイズ100234 KB
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商品の説明
著者について
遠藤 浩輝
1970年、秋田県生まれ。大学在学中の1995年、『カラスと少女とヤクザ』がアフタヌーン四季賞秋のコンテストで四季賞に入賞し、デビュー。続く冬のコンテストで『きっとかわいい女の子だから』で四季大賞を受賞。その後読み切り作品『プラットホーム』『神様なんて信じていない僕らのために』を経て、1997年より同誌にてSF長編『EDEN』の連載を開始。2008年現在まで10年を超える長期連載となる。 --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
1970年、秋田県生まれ。大学在学中の1995年、『カラスと少女とヤクザ』がアフタヌーン四季賞秋のコンテストで四季賞に入賞し、デビュー。続く冬のコンテストで『きっとかわいい女の子だから』で四季大賞を受賞。その後読み切り作品『プラットホーム』『神様なんて信じていない僕らのために』を経て、1997年より同誌にてSF長編『EDEN』の連載を開始。2008年現在まで10年を超える長期連載となる。 --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
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カスタマーレビュー
5つ星のうち4.4
星5つ中の4.4
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年11月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
生きることに痛みを感じている全ての人に
ガツンとくる、合法ドラッグ
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2003年1月13日に日本でレビュー済み
この本には「カラスと少女とヤクザ」、「きっとかわいい女の子だから」、「神様なんて信じていない僕らのために」の三編の中編が収められているが、わたしのイチオシは、最後の「神様なんて信じていない僕らのために」という作品です。
大学の演劇サークルを舞台に、公演の様子と、その前後の関係者のやりとりを交互に綴っていくだけの、ある意味非常に淡白な作品です。
が、登場する一人ひとりの言動、表情の描きようがとても丁寧で好感がもてます。
いかにもそこいらにいそうな若者たちが、ありきたりな関係をゆるやかに結びつつ、ほんのすこし反発しあいながら「会話」していく情景を、端正な構成で切りとって見せていきます。
刺激的でもドラマチックでもありませんが、なぜかわたしはこの作品に登場する普通の人々の日常的な「場」が好きなのです。
大学の演劇サークルを舞台に、公演の様子と、その前後の関係者のやりとりを交互に綴っていくだけの、ある意味非常に淡白な作品です。
が、登場する一人ひとりの言動、表情の描きようがとても丁寧で好感がもてます。
いかにもそこいらにいそうな若者たちが、ありきたりな関係をゆるやかに結びつつ、ほんのすこし反発しあいながら「会話」していく情景を、端正な構成で切りとって見せていきます。
刺激的でもドラマチックでもありませんが、なぜかわたしはこの作品に登場する普通の人々の日常的な「場」が好きなのです。
2006年11月5日に日本でレビュー済み
短編という形式にはマンガにしろ小説にしろ、長編を描く/書くのとは別の力が必要だし、別のジャンルであるとも言えるかもしれない。でも、これだけは言えるのは、短編が巧い作家は長編も巧い、という事だ。これは私個人の経験則。
遠藤浩輝という作家は恐ろしく深い人物である。何が? 登場人物の感情の表現方法、人間を見る目、そして語り手としての巧妙さ。どれも侮りがたい作家で、その人が短編をぱしっと3本書いたのだからこれは読み応えがある。
以下、収録作品。
『カラスと少女とヤクザ』…三者が似ているようで似ていない、けれどどこか共鳴している「辛さ」を持っている。そんな三者が自然の摂理に依って共存している。どうして悲しくならないんだ? たぶん私(たち)が非自然界に生きているからだ。
『きっとかわいい女の子だから』…性と死と家族と。多少特殊な環境に生まれ育ったからといって、特殊に育つわけじゃない。理解は誤解の上に成り立っているのかもしれないけれど、分かり合う/合いたい、と言う事は心を一歩でも心を近づけあう事だ。それが出来なければ、血が繋がっていようがいまいが。
『神様なんて信じていない僕らのために』…大学の演劇サークルを使い、作中作で生・性やら恋愛やら家庭やらを描いている。うーん、詰め込みすぎ。でもまとまってる。
この本の読後、悲しみに似たものを感じる。−−残念ながら世界に救いはあるからだ。希望もある。残念ながら。
遠藤浩輝という作家は恐ろしく深い人物である。何が? 登場人物の感情の表現方法、人間を見る目、そして語り手としての巧妙さ。どれも侮りがたい作家で、その人が短編をぱしっと3本書いたのだからこれは読み応えがある。
以下、収録作品。
『カラスと少女とヤクザ』…三者が似ているようで似ていない、けれどどこか共鳴している「辛さ」を持っている。そんな三者が自然の摂理に依って共存している。どうして悲しくならないんだ? たぶん私(たち)が非自然界に生きているからだ。
『きっとかわいい女の子だから』…性と死と家族と。多少特殊な環境に生まれ育ったからといって、特殊に育つわけじゃない。理解は誤解の上に成り立っているのかもしれないけれど、分かり合う/合いたい、と言う事は心を一歩でも心を近づけあう事だ。それが出来なければ、血が繋がっていようがいまいが。
『神様なんて信じていない僕らのために』…大学の演劇サークルを使い、作中作で生・性やら恋愛やら家庭やらを描いている。うーん、詰め込みすぎ。でもまとまってる。
この本の読後、悲しみに似たものを感じる。−−残念ながら世界に救いはあるからだ。希望もある。残念ながら。
2009年11月15日に日本でレビュー済み
私は遠藤浩輝の本はこれだけしか読んでいません。ですが見事な短編集であると言えるでしょう。すべての短編に流れている通念は「痛み」と「存在」です。人の痛みを知ることと、自己の存在の探求が描かれています。どこか自己の居場所を持て余している、ヤクザや少女や大学生たちが繰り広げる人の痛み、それは凄惨な暴力などではなく、自己の悲鳴にも似たものではないかと思われます。もちろん文句なしに面白いです。個人的に好きなのは「きっとかわいい女の子だから」です。
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