私の実家は浄土真宗の寺院の檀家である。
これまで、仏教に何の興味も関心も知識もなかった。
昨年、母が亡くなり、喪主として、葬儀を主宰し、先祖供養の責任を持つこととなった。僧侶と打ち合わせ的なことをすることも多くなった。しかし、僧侶の話は「母は阿弥陀さんがお迎えに来られて、極楽であんじょう暮らしている」「母は身をもって家族の大切さを教えてくれた」の2点のみ。あとはみんなでお経を読む。意味も分からず。
いったいこれは何なのか?
お坊さんよ、幼稚園じゃないんだよ、もうちょっと中身はないのかよ。
その後、お笑い芸人や漫画家が書いたものなどを含め、結構な数の本に当たったが、魚川裕司氏の「仏教思想のゼロポイント」と本書で1年に及んだ思想的小旅行はゴールのようなところに着いた気がする。
最後の道元の章はほぼ丸々、蛍光マーカーを引きました。
素晴らしい本です。
超越と実存 「無常」をめぐる仏教史 (日本語) 単行本 – 2018/1/26
南直哉
(著)
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本の長さ256ページ
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言語日本語
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出版社新潮社
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発売日2018/1/26
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ISBN-104103021322
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ISBN-13978-4103021322
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
私とは何か。死とは何か。仏教とは―。全身全霊の問いから始まった仏教探求の旅。ブッダから道元まで、その思想的変遷を「恐山の禅僧」が読み解く、仏教史の哲学。
著者について
南直哉(みなみ・じきさい)
禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。著書に『語る禅僧』(ちくま文庫)、『日常生活のなかの禅』「正法眼蔵」を読む』(以上、講談社選書メチエ)、『老師と少年』『『なぜこんなに生きにくいのか』(以上、新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『善の根拠』(講談社現代新書)、『禅僧が教える心がラクになる生き方』(アスコム)など。
禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。著書に『語る禅僧』(ちくま文庫)、『日常生活のなかの禅』「正法眼蔵」を読む』(以上、講談社選書メチエ)、『老師と少年』『『なぜこんなに生きにくいのか』(以上、新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)、『善の根拠』(講談社現代新書)、『禅僧が教える心がラクになる生き方』(アスコム)など。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
南/直哉
禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約二十年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。著書も多数ある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約二十年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。著書も多数ある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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2019年12月22日に日本でレビュー済み
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2018年9月29日に日本でレビュー済み
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仏教を龍樹から串刺しにして観るという南さんの方法に思わずうなずいてしまう。それも永平寺のお坊さんであるところが凄い。禅宗は玄侑さんもそうだが、融通無礙で開かれているのだろう。宗門から査問だのイチャモンなども無さそうだからいい事だ。釈迦の悟りが解らないというのは昔から自分も思ってきた。それでいて初転法輪の場面でかっての修行仲間が法を聞いて即座に悟ってしまう話に、どうゆうことだ。何を、どお、、悟りとはなんなんだと。むかしビートたけしが交通事故後のコメントに即して言えば、串刺しにするとおでんならぬ仏教の一端がよく分かるということだ。どうか南さん仏教の再構築をお願いします。
2020年8月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
(1) 本書はKindle版なのでキーワード「私」でデジタル検索した。232件の検索結果がでた。一人称の内容だ。「独断(と/かつ)偏見」では3件。「串刺し」で3件。このほか「強引」「独りよがり」「野蛮な試み」などが散見される。こうした表現から垣間見られるのは、言語表現上は一見謙遜されつつも、「独断か独創の危うい均衡の綱渡り」を「私(≒没我)」を主体として仏教圏における思索史観を果敢に総括されている。
(2)私達ふつうの読者一般は、その関わり度合は別にしても、どうしても仏教書を読まざるを得ない。膨大な数の仏教書がある。仏教密林に踏み込んで自らの足で歩むのでは往々にして路に迷う。本書の内容を観念地図として携えておればかなり見通しが効くようになるはずだ。
(3)仏教哲学史観ともいうべき見事な哲学書だ。著者に深く敬意を表するとともに、こうした良書に恵まれる読書の有難さにあらためて感謝する。
<了>
(2)私達ふつうの読者一般は、その関わり度合は別にしても、どうしても仏教書を読まざるを得ない。膨大な数の仏教書がある。仏教密林に踏み込んで自らの足で歩むのでは往々にして路に迷う。本書の内容を観念地図として携えておればかなり見通しが効くようになるはずだ。
(3)仏教哲学史観ともいうべき見事な哲学書だ。著者に深く敬意を表するとともに、こうした良書に恵まれる読書の有難さにあらためて感謝する。
<了>
2020年7月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
非常に難解な本であるが、頭で考えた思想ではなく体を張って、体で感じ、考えた骨のある思想・哲学であり、その熱血的な取り組みが伝わってくる。鈍った精神を叱咤激励される思いになる。
2018年5月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
仏教は宗教なのか? そんなことを思うことがある。一つの宗教というにはあまりに多様に見える。「仏に遭えば、仏を殺せ。始祖に遭えば、始祖を殺せ」といった過激な言葉を持つ。開祖や始祖を闇雲に信じるなという。これは宗教なのだろうか。
であるから、仏教の話は、人それぞれ宗派によって、あまりに異なっているようだ。通常は、悟りを目指すのが禅であり、仏教修行だと考える。しかし、すでに誰もが仏であるといった考えもあれば、この世を去って後に、阿弥陀如来に救われるとする考えもある。基本となるところが何もないと言えるほど、バラバラだ。
あまりに考え方が異なっていながらも、それらが漠然と空気のように入り乱れて共存しているのが日本の仏教なのかもしれない。
上座部では輪廻転生しないことを目指すという。それが苦からの解放である。輪廻や転生は仏教ではどの宗派も信じのかといえば、これも違う。輪廻するとも、しないとも、あの世の存在すら否定することもある。
仏教は一つの宗教とはとても思えないほどに、バラバラになっていて、もしかするとそれが仏教のいちばんの魅力かと思うほどに多様だ。
だから、仏教書を読んでいても、もし仮に一つの統一した見解があるものだと思って読んだとすれば、たちどころに混乱してしまう。至るところ、矛盾だらけなのだ。
そんな仏教の世界を「超越」と「実存」という鋭利な切り口でバッサリとやってくれたのが本書だ。一つのテーマでこれだけ広範に仏教をぶった切った本には出会えない。
もちろんだからこそ、一面的に過ぎないといった批判があるのかもしれないけれど、実に楽しく、気持ちよく読めた。
曹洞宗の僧侶でありながら、こんなことまで書いても許されるのかと思うほど、筆の鋭さにドキドキする。このバッサリ感がスゴイ!
仏教の豊かさと広がり、そして日本仏教のユニークさへの見識はとても面白かった。南直哉氏の著作にはいつも新鮮な発見がある。
であるから、仏教の話は、人それぞれ宗派によって、あまりに異なっているようだ。通常は、悟りを目指すのが禅であり、仏教修行だと考える。しかし、すでに誰もが仏であるといった考えもあれば、この世を去って後に、阿弥陀如来に救われるとする考えもある。基本となるところが何もないと言えるほど、バラバラだ。
あまりに考え方が異なっていながらも、それらが漠然と空気のように入り乱れて共存しているのが日本の仏教なのかもしれない。
上座部では輪廻転生しないことを目指すという。それが苦からの解放である。輪廻や転生は仏教ではどの宗派も信じのかといえば、これも違う。輪廻するとも、しないとも、あの世の存在すら否定することもある。
仏教は一つの宗教とはとても思えないほどに、バラバラになっていて、もしかするとそれが仏教のいちばんの魅力かと思うほどに多様だ。
だから、仏教書を読んでいても、もし仮に一つの統一した見解があるものだと思って読んだとすれば、たちどころに混乱してしまう。至るところ、矛盾だらけなのだ。
そんな仏教の世界を「超越」と「実存」という鋭利な切り口でバッサリとやってくれたのが本書だ。一つのテーマでこれだけ広範に仏教をぶった切った本には出会えない。
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曹洞宗の僧侶でありながら、こんなことまで書いても許されるのかと思うほど、筆の鋭さにドキドキする。このバッサリ感がスゴイ!
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