宇宙のように果てしなく広がり続ける想像力
、言葉選びのセンス、最高です。
毎日がつまらない、なんて言ってる人はきっと、自分自身がつまらない人間だからということを思い知らされるでしょう。
赤瀬川さんの著書は初めて読みましたが、この方は人生を鮮やかに彩色し、楽しむ天才ですね。
超芸術トマソン (ちくま文庫) (日本語) 文庫 – 1987/12/1
赤瀬川 原平
(著)
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本の長さ495ページ
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言語日本語
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出版社筑摩書房
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発売日1987/12/1
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ISBN-104480021892
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ISBN-13978-4480021892
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
都市に“トマソン”という幽霊が出る!?街歩きに新しい楽しみを、表現の世界に新しい衝撃を与えた“超芸術トマソン”の全貌が、いまここに明らかにされる。多くの反響を呼んだ話題の本に、その後の「路上観察学」への発展のプロセスと、新発見の珍物件を大幅に増補した決定版。
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1987/12/1)
- 発売日 : 1987/12/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 495ページ
- ISBN-10 : 4480021892
- ISBN-13 : 978-4480021892
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- - 1,593位エッセー・随筆 (本)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
5つ星のうち4.4
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年2月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
スナップ写真が好きなので、赤瀬川原平に興味を持ち、初めて読んだ著作が本書。自分の目が、見えているようで、多くのものを見ていないことに気づかされた。本書を読んでからは、今までと違う視点から街を眺めるようになった。私が立ち止まって写真を撮っていると、道行く人が被写体に興味をもってのぞくが、たいていは小首をかしげながら通り過ぎていく。まだ開眼していない人たち。以前の自分。
先日、妻と歩いていると、「ほら、あそこ」と言われ指の先を見ると、高所扉(詳細は本分参照)があった。トマソン熱は妻にも感染したようだ。
先日、妻と歩いていると、「ほら、あそこ」と言われ指の先を見ると、高所扉(詳細は本分参照)があった。トマソン熱は妻にも感染したようだ。
2020年9月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
写真だけ流し読みしました。
昔の風景が楽しめて良かったです。
昔の風景が楽しめて良かったです。
2008年5月28日に日本でレビュー済み
つまり、ここでいう超芸術とは実体として存在するのではなく、見る人に発見されることによって生じるという、縁起的なもの。そのような「超芸術」たちが、かなり興奮気味に紹介されているため、読む側もある程度テンションを上げておかないと、白けてしまうので要注意!!個人的には、こういう発想は好きなのだが・・・
さて、ここで「超芸術」に関する著者の言葉を引用。
芸術とは芸術家が芸術だと思って作るものですが、この超芸術というものは、超芸術家が超芸術だとも何とも知らずに無意識に作るものであります。だから超芸術にはアシスタントはいても作者はいない。ただそこに超芸術を発見する者だけがいるのです。(抜粋)
この言葉に「超芸術」の本質が隠されているように思う。さらに、冷静に以下の言葉で定義する。
超芸術=不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物(抜粋)
ポイントは、単なる無用の長物ではなく、無用でありながらしっかりと管理されているように見えること。用がないはずなのに、なぜそんなにきっちりと?というギャップが良いのだろう。
ところで、なぜ「トマソン」なのか?実はこれ、1982年にジャイアンツの四番バッターの座にいたトマソン選手が由来とのこと。何とも不名誉なことだが、最後にその由来を引用する。
扇風機というような失礼なアダ名を付けられながら、しかしよく考えたらその通りです。打席に立ってビュンビュンと空振りをつづけながら、いつまでもいつまでも三振を積み重ねている。そこにはちゃんとしたボディがありながら、世の中の役に立つ機能というものがない。それをジャイアンツではちゃんと金をかけてテイネイに保存している。素晴らしいことです。いや皮肉ではない。真面目な話、これはもう生きた超芸術というほかに解釈のしようがないではありませんか。(抜粋)
誠に失礼ながら、この名前の由来を読んで、「超芸術」の本質が直観できてしまった・・・
Amazonで購入
芸術家・作家・画家など多彩な肩書を持つ著者による、街にあふれる芸術を超えた「超芸術」を楽しく紹介する内容。とはいうものの、ものは言いようで、見方を変えれば単なる「無用の長物」紹介。ただ、その「無用さ」がなかなか見事で、赤瀬川氏率いる「超芸術トマソン観測センター」の面々に見出されると、たちまち「超芸術」と化してしまう。
つまり、ここでいう超芸術とは実体として存在するのではなく、見る人に発見されることによって生じるという、縁起的なもの。そのような「超芸術」たちが、かなり興奮気味に紹介されているため、読む側もある程度テンションを上げておかないと、白けてしまうので要注意!!個人的には、こういう発想は好きなのだが・・・
さて、ここで「超芸術」に関する著者の言葉を引用。
芸術とは芸術家が芸術だと思って作るものですが、この超芸術というものは、超芸術家が超芸術だとも何とも知らずに無意識に作るものであります。だから超芸術にはアシスタントはいても作者はいない。ただそこに超芸術を発見する者だけがいるのです。(抜粋)
この言葉に「超芸術」の本質が隠されているように思う。さらに、冷静に以下の言葉で定義する。
超芸術=不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物(抜粋)
ポイントは、単なる無用の長物ではなく、無用でありながらしっかりと管理されているように見えること。用がないはずなのに、なぜそんなにきっちりと?というギャップが良いのだろう。
ところで、なぜ「トマソン」なのか?実はこれ、1982年にジャイアンツの四番バッターの座にいたトマソン選手が由来とのこと。何とも不名誉なことだが、最後にその由来を引用する。
扇風機というような失礼なアダ名を付けられながら、しかしよく考えたらその通りです。打席に立ってビュンビュンと空振りをつづけながら、いつまでもいつまでも三振を積み重ねている。そこにはちゃんとしたボディがありながら、世の中の役に立つ機能というものがない。それをジャイアンツではちゃんと金をかけてテイネイに保存している。素晴らしいことです。いや皮肉ではない。真面目な話、これはもう生きた超芸術というほかに解釈のしようがないではありませんか。(抜粋)
誠に失礼ながら、この名前の由来を読んで、「超芸術」の本質が直観できてしまった・・・
つまり、ここでいう超芸術とは実体として存在するのではなく、見る人に発見されることによって生じるという、縁起的なもの。そのような「超芸術」たちが、かなり興奮気味に紹介されているため、読む側もある程度テンションを上げておかないと、白けてしまうので要注意!!個人的には、こういう発想は好きなのだが・・・
さて、ここで「超芸術」に関する著者の言葉を引用。
芸術とは芸術家が芸術だと思って作るものですが、この超芸術というものは、超芸術家が超芸術だとも何とも知らずに無意識に作るものであります。だから超芸術にはアシスタントはいても作者はいない。ただそこに超芸術を発見する者だけがいるのです。(抜粋)
この言葉に「超芸術」の本質が隠されているように思う。さらに、冷静に以下の言葉で定義する。
超芸術=不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物(抜粋)
ポイントは、単なる無用の長物ではなく、無用でありながらしっかりと管理されているように見えること。用がないはずなのに、なぜそんなにきっちりと?というギャップが良いのだろう。
ところで、なぜ「トマソン」なのか?実はこれ、1982年にジャイアンツの四番バッターの座にいたトマソン選手が由来とのこと。何とも不名誉なことだが、最後にその由来を引用する。
扇風機というような失礼なアダ名を付けられながら、しかしよく考えたらその通りです。打席に立ってビュンビュンと空振りをつづけながら、いつまでもいつまでも三振を積み重ねている。そこにはちゃんとしたボディがありながら、世の中の役に立つ機能というものがない。それをジャイアンツではちゃんと金をかけてテイネイに保存している。素晴らしいことです。いや皮肉ではない。真面目な話、これはもう生きた超芸術というほかに解釈のしようがないではありませんか。(抜粋)
誠に失礼ながら、この名前の由来を読んで、「超芸術」の本質が直観できてしまった・・・

5つ星のうち5.0
無用の長物?
ユーザー名: senninyou、日付: 2008年5月28日
芸術家・作家・画家など多彩な肩書を持つ著者による、街にあふれる芸術を超えた「超芸術」を楽しく紹介する内容。とはいうものの、ものは言いようで、見方を変えれば単なる「無用の長物」紹介。ただ、その「無用さ」がなかなか見事で、赤瀬川氏率いる「超芸術トマソン観測センター」の面々に見出されると、たちまち「超芸術」と化してしまう。ユーザー名: senninyou、日付: 2008年5月28日
つまり、ここでいう超芸術とは実体として存在するのではなく、見る人に発見されることによって生じるという、縁起的なもの。そのような「超芸術」たちが、かなり興奮気味に紹介されているため、読む側もある程度テンションを上げておかないと、白けてしまうので要注意!!個人的には、こういう発想は好きなのだが・・・
さて、ここで「超芸術」に関する著者の言葉を引用。
芸術とは芸術家が芸術だと思って作るものですが、この超芸術というものは、超芸術家が超芸術だとも何とも知らずに無意識に作るものであります。だから超芸術にはアシスタントはいても作者はいない。ただそこに超芸術を発見する者だけがいるのです。(抜粋)
この言葉に「超芸術」の本質が隠されているように思う。さらに、冷静に以下の言葉で定義する。
超芸術=不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物(抜粋)
ポイントは、単なる無用の長物ではなく、無用でありながらしっかりと管理されているように見えること。用がないはずなのに、なぜそんなにきっちりと?というギャップが良いのだろう。
ところで、なぜ「トマソン」なのか?実はこれ、1982年にジャイアンツの四番バッターの座にいたトマソン選手が由来とのこと。何とも不名誉なことだが、最後にその由来を引用する。
扇風機というような失礼なアダ名を付けられながら、しかしよく考えたらその通りです。打席に立ってビュンビュンと空振りをつづけながら、いつまでもいつまでも三振を積み重ねている。そこにはちゃんとしたボディがありながら、世の中の役に立つ機能というものがない。それをジャイアンツではちゃんと金をかけてテイネイに保存している。素晴らしいことです。いや皮肉ではない。真面目な話、これはもう生きた超芸術というほかに解釈のしようがないではありませんか。(抜粋)
誠に失礼ながら、この名前の由来を読んで、「超芸術」の本質が直観できてしまった・・・
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