一見、卒なくコンパクトに纏まっているので、初めて手にする『論語』としては見易い感があるが、簡潔過ぎて真意が掴めない訳文が多く、そのため読者に嫌気と、誤解を与えてしまう恐れがある。本書は各条ごとの「解説」がほとんど無いことも相俟って、その弊を倍加している。ただ、そもそも、漢語・漢文自体に多義的な解釈を許す余地が大きくあることは知っておくべきである。
初学者にはむしろ貝塚茂樹氏責任編集の、平易な訳になる「日本の名著 13『伊藤仁斎』」(中央公論社)所収の『論語古義』を第一に薦める。逐条的に仁斎の懇篤な解説があり、『論語』をしかるべく理解するには恰好である。ただし、これには読み下し文はあるが原文は無い。因みに、白文が読める位なら既に初学者ではない。
返り点付きを望む向きには、著名なところでは、諸橋轍次著『論語の講義』(大修館書店)と下記澁澤榮一講述の著書がある。
高名な儒者、吉川幸次郎氏(昭和55年没)の手になる『論語』上・下(朝日古典選 朝日新聞社)は、近代的価値観を『論語』に投影しようとする傾きがあり(例:八佾篇「子曰、射不主皮、」の条に係る上巻87、88pの解説、季氏篇「孔子曰、天下有道、」の条に係る下巻231pの解説)、他にも、為政篇「為政以徳、」の条に係る45pの首肯しかねる解説などが散見され、かつ纏まった形の対訳があるわけではないので、初学者にとって必須の文献ではない。これには読み下し文と原文はあるが返り点は無い。
ただ、いわゆる新旧両注の紹介が行き届いているので、『論語』の概要を理解した後、次に読むべきものとしてはこれを推奨する。
次に、全く初学者向きではないが、大正14年秋に刊行され平成29年復刊された、漢文および古文の素養を必要とする千頁近い大著、澁澤榮一述『論語講義』(二松學舎大學出版部)は最も優れている。明治から昭和初期にかけて実業界の重鎮であった述者による挿話は、同時代歴史史料としても貴重かつ興味深い。
その一例を紹介すると、渋沢が第一銀行を創立した後、既設の第二(横浜)、第四(新潟)、第五(大阪)の3行をも巻き込んで正貨(金貨)への兌換請求が殺到したため(当時、貿易収支の大幅な入超が続いたため、英貨為替相場が騰貴し、ために金貨現送を必要とする事情があった・・評者注)各行とも経営が窮地に陥ったのだが、その際、「奔りて殿りたる働きをし」、明治9年の国立銀行条例の改正に漕ぎ着けた顛末が語られている(雍也篇「子曰、孟之反不伐、奔而殿、」の条。同書262p)。
上述したように、この書は返り点付きであり、読み下し文に加えて、詳細な解説もある。
いわゆる新注、すなわち朱子学(新儒教)の開祖・朱熹による解釈で一貫させた訳書には、『世界文学大系69』(筑摩書房)所収の『論語』(倉石武四郎訳)がある。ただし、これは訳文のみあって原文と読み下し文は無いが、朱熹『論語集注』の主旨を文中に活かした労作である。なお、この『世界文学大系69』は、「四書」の訳本であり、即ち、『論語』の他に『孟子』(湯浅幸孫訳)、『大學』(金谷治訳)、『中庸』(金谷治訳)の訳文も併せ収録している。
上記のほか『論語』およびその啓蒙書は古今を通して数多あるが、好著・貝塚茂樹氏訳「世界の名著 3『孔子 孟子』」(中央公論社)所収の『論語』(文庫版あり。読み下し文・原文付き、返り点無し)を除き、大同小異である。
なお、『考えるヒント 2』(文春文庫)には、小林秀雄氏による伊藤仁斎、荻生徂徠の古義学、古文辞学に係る味わい深い考察が収録されている。
この金谷治訳注『論語』の使用法としては、「四書」および『荀子』、『春秋左氏伝』等関連する各漢籍の該当箇所参照頁を余白に書き込む等儒学文献に係る検索情報をここに集約したり、ハンディなので常に手元に置いて、己を持するに亀鑑とすべき章句61ヶ条を丸暗記するためのツールとして、私は利用している。
論語 (岩波文庫 青202-1) (日本語) 文庫 – 1999/11/16
金谷 治訳注
(その他)
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ISBN-109784003320211
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ISBN-13978-4003320211
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版改
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出版社岩波書店
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発売日1999/11/16
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言語日本語
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本の長さ406ページ
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
古代中国の大古典「四書」のひとつで、孔子とその弟子たちの言行を集録したもの。人間として守るべきまた行うべき、しごく当り前のことが簡潔な言葉で記されている。長年にわたって親しまれてきた岩波文庫版『論語』がさらに読みやすくなった改訂新版。
登録情報
- ASIN : 4003320212
- 出版社 : 岩波書店; 改版 (1999/11/16)
- 発売日 : 1999/11/16
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 406ページ
- ISBN-10 : 9784003320211
- ISBN-13 : 978-4003320211
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Amazon 売れ筋ランキング:
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2018年9月16日に日本でレビュー済み
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2018年12月6日に日本でレビュー済み
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漢文、訓読文、最新の現代語訳、最小限度の注釈・・・これらが美しくレイアウトされ、鮮明な印刷とあいまって常時手もとに置いておきたい魅力的な冊子となっている。魯、斉、晋など春秋時代の領国略図、孔子略年表も付され、語句索引・人名索引も完備。
ただしこれは『論語』を読みなれた中級者向けだろう。簡便な文庫版を意図していて、注釈が最小限度に抑えられている。だが、何といっても『論語』は今から2500年も前の春秋時代に活躍した孔子(世紀前552-479年)の断片的・アトランダムな言行録だからしかるべき専門家の注釈・解説が欠かせない。なるほど本書には読みやすい現代語訳が載っているのだから初心者でも一読はできる。だが一言半句の記憶が残るだけで深い感動は得られないだろう。孔子は実に多様な人々と対話する。教団の弟子たち、諸国の為政者や隠者とも。弟子にしても各人の性格に応じて異なる発言をする。面談する権力者とのやりとりにしても、彼に対する孔子の人物評価を知らなければ話の核心はつかめない。論語は体系的な著作ではなく、一貫したストーリーもなく、約500の条文がアトランダムに並ぶ。
少し読み進めば孔子は実に真っ当な正論を、時に断固として、しかし全体としては極めて穏やかな口調で説いているのがわかる。だが時代は孔子が理想とする前王朝「周」時代の「礼」や倫理はとうに廃れ、下剋上の権謀術策が横行する春秋時代。彼の主張は為政者にはなかなか受け入れられず、人生の後半14年間諸国を弟子と共に流浪する。時に、自らを「喪家の狗(犬)」と嘆じたり、「道行われず、筏に乗りて海に浮かばん」子路お前は、俺についてくるかと弟子につぶやいたりする。弟子は弟子で「お前は、あのできもしないことを性懲りもなく説く教師の弟子なのか」と嘲笑されたりする。
穏やかな『論語』には表れないが、この時代いかに殺戮と陰謀が横行していたか、それはひとり強国「斉」や「衛」の国のみならず孔子の生国である「魯」をはじめとして、中原の国々の至る所で渦巻いていたかは『春秋左氏伝』が伝えるところである。こうした環境の中からから、人間が善意の動物であることを強調する『論語』の言葉が生まれたということは驚異であり、それが論語の尽きせぬ魅力と言っていい。
我々はこの簡便な文庫本を読む前に、一度は他のより詳しい注釈書をくぐり抜けねばならない。
そうすることで、論語は一生の座右の書となるだろう。
当文庫で詳細な注釈を抑制した金谷治氏には、別の著作「孔子」(講談社学術文庫)があるし、
最近、同じ岩波から井波律子氏が「完訳 論語」を出版された。好評のようだ。
だが、私がなんといっても推すのは、吉川幸次郎博士の『論語』。
その読みの深さ、調べの広さ、格調高く明晰な記述。これを超える著作は今後も出ないだろう。
ただしこれは『論語』を読みなれた中級者向けだろう。簡便な文庫版を意図していて、注釈が最小限度に抑えられている。だが、何といっても『論語』は今から2500年も前の春秋時代に活躍した孔子(世紀前552-479年)の断片的・アトランダムな言行録だからしかるべき専門家の注釈・解説が欠かせない。なるほど本書には読みやすい現代語訳が載っているのだから初心者でも一読はできる。だが一言半句の記憶が残るだけで深い感動は得られないだろう。孔子は実に多様な人々と対話する。教団の弟子たち、諸国の為政者や隠者とも。弟子にしても各人の性格に応じて異なる発言をする。面談する権力者とのやりとりにしても、彼に対する孔子の人物評価を知らなければ話の核心はつかめない。論語は体系的な著作ではなく、一貫したストーリーもなく、約500の条文がアトランダムに並ぶ。
少し読み進めば孔子は実に真っ当な正論を、時に断固として、しかし全体としては極めて穏やかな口調で説いているのがわかる。だが時代は孔子が理想とする前王朝「周」時代の「礼」や倫理はとうに廃れ、下剋上の権謀術策が横行する春秋時代。彼の主張は為政者にはなかなか受け入れられず、人生の後半14年間諸国を弟子と共に流浪する。時に、自らを「喪家の狗(犬)」と嘆じたり、「道行われず、筏に乗りて海に浮かばん」子路お前は、俺についてくるかと弟子につぶやいたりする。弟子は弟子で「お前は、あのできもしないことを性懲りもなく説く教師の弟子なのか」と嘲笑されたりする。
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そうすることで、論語は一生の座右の書となるだろう。
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その読みの深さ、調べの広さ、格調高く明晰な記述。これを超える著作は今後も出ないだろう。