映画監督の押井守がジブリ作品について網羅的に語った書籍です。
対談形式で薄めの内容なので、読みやすく、一時間ほどで読み終わりました。250ページほどですが、文字が大きく行間も広いため、実質的には半分くらいの分量といったところ。雑誌のインタビュー、ラジオやニコ生などで聞いてれば、かなりおもしろいと思ったでしょうが、単行本として読むには少し物足りません。
尊敬できる実績があって話もうまい業界人のオジさんが居酒屋でいい気分になり、同業者の評価について、部下や新人たちに語っているかんじでしょうか。聞く分にはおもしろいけど、活字にして読むほどではないという印象でした。
宮崎駿については、不世出の天才アニメーターであるとしつつも、長編を監督するための構成力や演出力がなく、映画はつねに破綻している。高畑勲については、ジブリ以前は超一流の演出家で、押井自身も影響を受けたと告白しつつも、ジブリ以後は左翼プロパガンダを発信し、理屈と教養だけでつまらない映画をつくっている。
その他のジブリ作品に関しては凡作、駄作。以上が、本書における押井守のおもな評価です。
宮崎作品は構成が破綻していて絵の力強さだけで押しているといった趣旨の発言は、いろんなメディアで押井守がすでに発言しているため、さほど目新しさを感じません。本書のなかでも、その基本的な見解がなんども繰り返されるので、やや単調。
本書の企画の動機や姿勢には疑問でした。押井は本書の動機として、2点挙げています。ひとつめは、スタジオジブリや宮崎駿は公のメディアのなかで批判されにくく賞賛され続けているが、そうした「空気」から距離をとって正当な評価をくだすこと。ふたつめは、スタジオジブリが日本の映画業界に長く君臨し続けた理由を解き明かすこと。
公のメディアにおいてスタジオジブリや宮崎駿を批判する言説がないと言われれば、なるほどそうだと一瞬は納得します。ですが、そもそもジブリに限らず、出版やテレビなど既存のメディアのなかで、映画に対してまっとうな批判は多くありません。まともな映画ジャーナリズム、映画批評が少ないという現状はジブリに対してだけではないでしょう。
さらに本書を読んでも、ジブリ作品がこれほどまで「国民的」人気を維持し続けた理由はよくわかりません。鈴木敏夫が語る具体的な宣伝戦略の方がまだ理解できます。
また押井は「読者の便宜を図りつつ、語る私自身も楽しむために、敢えて評論形式ではなく対談形式」にしたと述べていますが、これも手抜きのための「言い訳」にしか見えません。評論形式にしてしまうと、ジブリ全作品を観直すだけでなく、原作も読み、ディテールの元ネタなども調べ…と、評論のために客観性を担保する裏づけが必要になり、煩雑な作業を強いられるからです。
あえて適度な無関心を装うというのでなければ、本書をつくるにあたって押井はあらためて作品を見直すことはなかったようです。原作がある作品に関しても、原作と映画との差異について憶測にもとづいた解釈をしています。押井自身が宮崎駿や鈴木敏夫と近い位置にいるため、親しい立場ならではの興味深い推理もあるのですが、反面バイアスがかかってもいます。
対談という形式を選択したことで、文字に起こして吟味するという過程をへていないため、言葉の使い方に配慮がないと思いました。たとえば、「監督」「演出(家)」「アニメーター」という頻出する語彙。押井がアニメーションにおいてそれぞれの役割をどうとらえているのか、本書には詳しい説明がありません。
「アニメーター」は芝居をする側でもさせる側でもあるので、「役者」と「演出家」の双方を兼ねるという話をよく耳にします。くわえてアニメーションにおける「監督」は、絵コンテも描くため(高畑は描きませんが)、実写映画における撮影監督や編集の領分まで、宮崎の場合は脚本をつくらず絵コンテから始まるため、脚本家の領分までおよぶでしょう。
したがって、押井がいう「宮崎駿は監督(演出家)として二流以下」というのも、何を指してそう言っているのかがよくわからない。たしかに押井の指摘するように、宮崎作品には整合性や一貫性に難があったり、プロットの瑕疵、動機づけの曖昧さなど、弱点はたくさん挙げられます。でもそれって実写映画を基準にしてみれば、「脚本」の弱さであるようにシロウト目には思えてしまいます。
それこそ庵野秀明なんかは「監督」というのは何もできなくても責任さえとれればいいという趣旨の発言をしていますし、「監督」についての見方は千差万別。押井が本当に「読者の便宜を図」るつもりであれば、門外漢にも伝わるような解説が必要だったはず。
高畑勲に対してははじめから批判する姿勢が強すぎて、むしろ私怨すら疑います。たとえば、高畑の遺作『かぐや姫の物語』に山の非定住民(マイノリティ=被差別民)が登場する理由は、高畑が勉強した知識を見せたかっただけ、と押井は指摘し、作品のテーマやおもしろさに昇華されていないと非難します(ちなみに山の非定住民の元ネタは、柳田國男や宮本常一らによる民俗学研究でしょう)。
しかしながら批評家の大塚英志により、似たような批判はむしろ宮崎作品においてすでになされています。『もののけ姫』において柳田國男や歴史学者の網野善彦の研究がパッチワークのように引用され、マイノリティたちがたくさん登場するが、それがメッセージまで昇華されていない、と大塚は批判しているからです。
押井は宮崎作品にだって同じ視点で批判できたはずなのに、宮崎に対しては「甘がみ」している一方、高畑に対してはジャッジが厳しく、公平さに欠けていると思いました。
立派な動機を掲げてはいるものの、本書だって、村上春樹が新作を出すたび褒める貶す問わず読解本がいろいろ出版されるのと同じように、「ジブリ」というデカい看板を借りて本を出しているわけです。他人の褌で相撲をとろうしていることには変わりありません。
居酒屋談義の延長にあるような「感想」ていどに終わらせず、もう少し誠意と努力を傾けて「批評」に足る内容にすべきだったでしょう。一応「著作」として世に出すのだから、こうした安易なこづかい稼ぎは押井の評価を下げるだけ。
とはいえ、ジブリの主要メンバー、すなわち宮崎駿、高畑勲、プロデューサー鈴木敏夫らの人間関係やエピソード(多少なりとも下世話なものもふくむ)を聞くのが好きな人にはオススメです。とくに本書の裏の主人公、鈴木敏夫がからんだ話は、押井守との関係が深い人物なこともあって、どれも生き生きと語られています。
押井守の類書『勝つために戦え!』は、様々な監督を語る建前で、じつは押井自身の映画監督としての戦略や戦術を語っていました。本書もそういう側面はありつつも、まだそれよりはジブリの作品や監督について正面から語っています。
押井のキャラクターを知っていれば(本書を手にとる人は大抵そうでしょうが)、語っている姿のイメージがわきやすく、よりおもしろく読めると思います。
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誰も語らなかったジブリを語ろう (TOKYO NEWS BOOKS) 単行本 – 2017/10/20
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世界のアニメーションに影響を与えた“スタジオジブリ”を、これまた世界中からリスペクトされる監督・押井守が語り尽くす。スタジオジブリの劇場公開作を振り返りつつ、「これまでのジブリ、これからのアニメーション」まで縦横無尽に語った痛快&ディープなインタビュー。<目次>第一章 矛盾を抱えた天才 宮崎駿/第二章 リアリズムの鬼 高畑勲/第三章 ジブリ第三の監督たち/第四章 小さな巨人――スタジオジブリ カバーイラスト/湯浅政明
- 本の長さ255ページ
- 言語日本語
- 出版社東京ニュース通信社
- 発売日2017/10/20
- ISBN-104198645027
- ISBN-13978-4198645021
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
ジブリ作品が今より10倍面白くなる!?痛快&ディープなインタビュー。スタジオジブリの劇場公開作21本。そして「これまでのジブリ、これからのアニメーション」まで押井守が語り尽くす。
著者について
映画監督。1951年生まれ。東京都出身。1977年、竜の子プロダクション(現:タツノコプロ)に入社。スタジオぴえろ(現:ぴえろ)を経てフリーに。主な監督作品に『うる星やつら オンリー・ユー』(83)、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(84)、『機動警察パトレイバーtheMovie』(89)、『機動警察パトレイバー2theMovie』(93)。『GHOSTINTHESHELL/攻殻機動隊』(95)はアメリカ「ビルボード」誌セル・ビデオ部門で売り上げ1位を記録。『イノセンス』(04)はカンヌ国際映画祭コンペティション部門に、『スカイ・クロラTheSkyCrawlers』(08)はヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に出品された。近作に『THENEXTGENERATIONパトレイバー』シリーズ全7章(14~15)、『THENEXTGENERATIONパトレイバー首都決戦』(15)。最新作は『ガルム・ウォーズ』(16)。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
押井/守
映画監督。1951年生まれ。東京都出身。1977年、竜の子プロダクション(現:タツノコプロ)に入社。スタジオぴえろ(現:ぴえろ)を経てフリーに(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
映画監督。1951年生まれ。東京都出身。1977年、竜の子プロダクション(現:タツノコプロ)に入社。スタジオぴえろ(現:ぴえろ)を経てフリーに(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 東京ニュース通信社 (2017/10/20)
- 発売日 : 2017/10/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 255ページ
- ISBN-10 : 4198645027
- ISBN-13 : 978-4198645021
- Amazon 売れ筋ランキング: - 167,754位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 1,586位漫画・アニメ・BL(イラスト集・オフィシャルブック)
- - 2,056位演劇・舞台 (本)
- - 19,111位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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2019年1月13日に日本でレビュー済み
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55人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2019年1月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
押井守が各ジブリ作品の批評や感想を述べている。
それを読めて楽しめた。
へー、こう思ってんだなぁと。
けれど、誰も知らなかったジブリって内容ではないかなぁ。
コアな宮崎高畑ファンなら大体承知済みな感じです。
それを読めて楽しめた。
へー、こう思ってんだなぁと。
けれど、誰も知らなかったジブリって内容ではないかなぁ。
コアな宮崎高畑ファンなら大体承知済みな感じです。
2019年3月10日に日本でレビュー済み
本書は『TV Bros.』に不定期で掲載された押井守×渡辺麻紀による対談の完全版である。
私は雑誌掲載時からこの対談が気に食わなかった。
映画ライターを自称する渡辺麻紀の見識があまりにも浅すぎるからだ。対談相手としては不適当であるとしか思えない。
このコンビには何冊もの著書があるがどれも驚くほど内容がない。
本書でジブリについて語り合った対談部分は全部で230ページであるが、その中で21作品について作品ごとに語っており、つまり平均すると各作品ごとに10ページ前後しか語っていないことになる。
しかも対談形式だから押井守の発言は当然10ページ分あるわけではない。この渡辺麻紀とかいう無能な映画ライターが無内容な相槌を打っている分だけ押井の発言は削られるのだ。
しかも本の下段部分は全ページに渡り帯状に不必要な注釈部分が占領しており、本書の内容をさらに薄くする役割を果たしている。
230ページ分の対談を時間にすると、分量的には2時間のラジオくらいの内容しかないことになる。2時間のラジオでジブリ21作品を順番に語って実のある話になるわけがない。
これではほとんど何も語っていないも同然であり、単なる雑談の文字起こしである。
500mlのカルピスウォーターを銭湯の湯船に注いでおちょこで飲んだくらいの味の薄さである。
こんなものに金を払うのも馬鹿馬鹿しいが、押井守も渡辺麻紀も東京ニュース通信社も徳間書店もとにかくジブリの名前を使って商売したいという共通の目的があったからこそ発売されたのであろう。事実発売から1年で3刷もされており、これは押井守がこれまで出した本の中では最高の売り上げを示している。
さて、そうやってジブリブランドに寄生した形で作られた本書であるが、最初に書いたように自称映画ライターの渡辺麻紀の無能ぶりがまず目につく。何が無能かというと、『月刊アニメージュ』でアニメ記事やコラムを執筆するアニメライターであり、アラフォーでそれなりにキャリアもあるはずの映画ライターの渡辺麻紀が、ナウシカやトトロを「今回初めて観た」と言っているのである。
そんな人間がアニメライターや映画ライターを名乗っていいのか?
そしてそんな人間が押井守の対談相手であっていいのか?
もちろんいいわけがない。押井守はジブリに対する愛憎が強すぎて、客観的な視点を持つことが出来ず、そして宮崎・高畑・鈴木の三者にあまりに近すぎる立場にいた(というか友達だった)ために、ジブリ公式の関連本などなにも読んでいないであろうから、事実誤認が非常に多い。
押井は、「僕が想像するに―といっても間違ってはいないはずだけど」という無根拠な推測による断定を元に論を展開していくのだが、これらはほとんど間違っている。だがこれはまあいい。全作品をこうやって語るのだから、それを否定したら本書が成立しない。それに映画監督というものはそういうものだ。
だが、作品成立過程の事実関係は公の資料で簡単に確認できるものであるし、映画ライターであるのならば、最低限そのくらいの勉強をしてから対談に臨むものである。
ところがこの渡辺麻紀とかいう人は、ジブリに関して完全に無知であり、それどころか対談が決まるまで作品すら見たことがなかったというのだから驚いた。あー驚いた。本当に驚いた!
押井守が作品成立過程の事実関係に関して明らかに間違ったことを言っていても、渡辺麻紀は無知で無能で不勉強であるから、それを訂正することもできないのである。おかげで、押井のご高説は明白な間違いを土台としてあさっての方向に展開することになり、渡辺麻紀ともどもアホが露呈する形となってしまうのである。こういうことはあってはならないはずである。
押井守の対談相手が叶精二であったならば、こういう愚劣な内容にはならなかったはずである。
なぜ押井守が毎回渡辺麻紀を対談相手にするのかといえば、それは読んで分かる通りに、渡辺麻紀が無知で無能で不勉強で与しやすいからである。反論され論破される恐れが無いからである。つまり渡辺麻紀を完全にナメているからである。
しかし、本書にも良いところはある。湯浅政明の描いた表紙が良い。押井守の顔をあれほど悪意を込めて気持ち悪く描いた表紙絵にはなかなかお目にかかれない。さすが物事の本質を簡潔かつオリジナルな描線でズバリと描くことが出来る天才アニメーターである。押井守の底意地の悪さが良く描けている。
他にも良いところはあったと思ったが、すぐには思い出せないので、思い出したら追記として書くことにする。
押井守の論旨はわりと明快で、オレの作品には構造があるが、ジブリ諸監督の作品にはそれがない。だから映画監督としてはオレのほうが上であり、とくに宮崎駿作品には構造が全くない。あるのはディテールだけだ。だから宮崎駿はアニメーターとしては天才だが監督としてはオレには勝てない。
宮崎駿のクオリティ・技術的な面でのピークは『魔女の宅急便』であり、最高傑作は『千と千尋の神隠し』である。
そしてオレのクオリティ・技術的な面でのピークは『イノセンス』であり、最高傑作は『スカイ・クロラ』である。
『スカイ・クロラ』ほど酷評された押井アニメはないはずだが、本人は「これは自信がある」と断言している。
そして高畑勲は火垂る以降の全作品駄目であり、クソインテリ(本当にこう繰り返し言っている)であり、あんなものは監督ではなくただの文化人崩れである。
押井守が本当に言いたかったことはこのあたりである。
あとはわけのわからない妄言に過ぎない。
曰く「この本が日本初のジブリ批判本である(ジブリの批判本なんてこれまでいくらでもあるんだが・・・)」
曰く「健全な家族の描写がキモチワルイ(それはアンタが2度も結婚に失敗して娘一人育てられなかったからそう思うんであって・・・)」
曰く「ジブリが商業的に成功したのは単にブランド力のおかげであって作品にはその力も価値もない(作品が成功し続けたらこそのブランドであってそれじゃ順番が逆でしょ・・・)」
ジブリアニメがヒットしたのは偶然であって、観客が細密な物量に錯覚しているからであって、鈴木敏夫による宣伝の詐術に騙されいるからだという説は説とは呼べず、何の論考にもなっていない。
それから押井守はもう二度と手描きアニメをやるつもりがないからか、現役アニメーターの仕事をボロクソにこき下ろしていて、ちょっと見苦しいと思ってしまった。
本当に押井守は人間としては気持ちの悪い人間で、人間性も愚劣であり、嫉妬深く、負けを認めず、まさに映画監督としては最高の性格だといえる。こういう人間が映画を作るからこそ面白い映画が生れるのだ。
私は映画監督としての押井守を非常に高く評価している。確かに本人の言うとおり、ジブリの監督とは比較できないくらいの巨大な才能の持ち主である。
天才と呼ばれる監督の中にはごくまれに100点満点の映画を作る人がいる。もちろん生涯に1作品だ。
宮崎駿は『となりのトトロ』を作った。それだけで充分評価に値する(どういうわけか押井守はトトロをいちばん憎悪しているようだが)。
だが押井守は100点満点の映画を3作も作った(BD・劇P・P2)。こういう監督は映画の歴史上他に存在しない。
そういう押井の本は読む価値があるはずだと色々と読んでいるのだが、なかなかいい本に巡り合えない。というかロクな本がない。
まあ、この本はこれはこれでいいし、売れてるみたいだし、無いよりはあったほうがいいから評価はするが、押井守はこの本のリベンジマッチとして、叶精二とジブリの対談本を出すべきである。
押井にはその根性も勇気もないかな?
私は雑誌掲載時からこの対談が気に食わなかった。
映画ライターを自称する渡辺麻紀の見識があまりにも浅すぎるからだ。対談相手としては不適当であるとしか思えない。
このコンビには何冊もの著書があるがどれも驚くほど内容がない。
本書でジブリについて語り合った対談部分は全部で230ページであるが、その中で21作品について作品ごとに語っており、つまり平均すると各作品ごとに10ページ前後しか語っていないことになる。
しかも対談形式だから押井守の発言は当然10ページ分あるわけではない。この渡辺麻紀とかいう無能な映画ライターが無内容な相槌を打っている分だけ押井の発言は削られるのだ。
しかも本の下段部分は全ページに渡り帯状に不必要な注釈部分が占領しており、本書の内容をさらに薄くする役割を果たしている。
230ページ分の対談を時間にすると、分量的には2時間のラジオくらいの内容しかないことになる。2時間のラジオでジブリ21作品を順番に語って実のある話になるわけがない。
これではほとんど何も語っていないも同然であり、単なる雑談の文字起こしである。
500mlのカルピスウォーターを銭湯の湯船に注いでおちょこで飲んだくらいの味の薄さである。
こんなものに金を払うのも馬鹿馬鹿しいが、押井守も渡辺麻紀も東京ニュース通信社も徳間書店もとにかくジブリの名前を使って商売したいという共通の目的があったからこそ発売されたのであろう。事実発売から1年で3刷もされており、これは押井守がこれまで出した本の中では最高の売り上げを示している。
さて、そうやってジブリブランドに寄生した形で作られた本書であるが、最初に書いたように自称映画ライターの渡辺麻紀の無能ぶりがまず目につく。何が無能かというと、『月刊アニメージュ』でアニメ記事やコラムを執筆するアニメライターであり、アラフォーでそれなりにキャリアもあるはずの映画ライターの渡辺麻紀が、ナウシカやトトロを「今回初めて観た」と言っているのである。
そんな人間がアニメライターや映画ライターを名乗っていいのか?
そしてそんな人間が押井守の対談相手であっていいのか?
もちろんいいわけがない。押井守はジブリに対する愛憎が強すぎて、客観的な視点を持つことが出来ず、そして宮崎・高畑・鈴木の三者にあまりに近すぎる立場にいた(というか友達だった)ために、ジブリ公式の関連本などなにも読んでいないであろうから、事実誤認が非常に多い。
押井は、「僕が想像するに―といっても間違ってはいないはずだけど」という無根拠な推測による断定を元に論を展開していくのだが、これらはほとんど間違っている。だがこれはまあいい。全作品をこうやって語るのだから、それを否定したら本書が成立しない。それに映画監督というものはそういうものだ。
だが、作品成立過程の事実関係は公の資料で簡単に確認できるものであるし、映画ライターであるのならば、最低限そのくらいの勉強をしてから対談に臨むものである。
ところがこの渡辺麻紀とかいう人は、ジブリに関して完全に無知であり、それどころか対談が決まるまで作品すら見たことがなかったというのだから驚いた。あー驚いた。本当に驚いた!
押井守が作品成立過程の事実関係に関して明らかに間違ったことを言っていても、渡辺麻紀は無知で無能で不勉強であるから、それを訂正することもできないのである。おかげで、押井のご高説は明白な間違いを土台としてあさっての方向に展開することになり、渡辺麻紀ともどもアホが露呈する形となってしまうのである。こういうことはあってはならないはずである。
押井守の対談相手が叶精二であったならば、こういう愚劣な内容にはならなかったはずである。
なぜ押井守が毎回渡辺麻紀を対談相手にするのかといえば、それは読んで分かる通りに、渡辺麻紀が無知で無能で不勉強で与しやすいからである。反論され論破される恐れが無いからである。つまり渡辺麻紀を完全にナメているからである。
しかし、本書にも良いところはある。湯浅政明の描いた表紙が良い。押井守の顔をあれほど悪意を込めて気持ち悪く描いた表紙絵にはなかなかお目にかかれない。さすが物事の本質を簡潔かつオリジナルな描線でズバリと描くことが出来る天才アニメーターである。押井守の底意地の悪さが良く描けている。
他にも良いところはあったと思ったが、すぐには思い出せないので、思い出したら追記として書くことにする。
押井守の論旨はわりと明快で、オレの作品には構造があるが、ジブリ諸監督の作品にはそれがない。だから映画監督としてはオレのほうが上であり、とくに宮崎駿作品には構造が全くない。あるのはディテールだけだ。だから宮崎駿はアニメーターとしては天才だが監督としてはオレには勝てない。
宮崎駿のクオリティ・技術的な面でのピークは『魔女の宅急便』であり、最高傑作は『千と千尋の神隠し』である。
そしてオレのクオリティ・技術的な面でのピークは『イノセンス』であり、最高傑作は『スカイ・クロラ』である。
『スカイ・クロラ』ほど酷評された押井アニメはないはずだが、本人は「これは自信がある」と断言している。
そして高畑勲は火垂る以降の全作品駄目であり、クソインテリ(本当にこう繰り返し言っている)であり、あんなものは監督ではなくただの文化人崩れである。
押井守が本当に言いたかったことはこのあたりである。
あとはわけのわからない妄言に過ぎない。
曰く「この本が日本初のジブリ批判本である(ジブリの批判本なんてこれまでいくらでもあるんだが・・・)」
曰く「健全な家族の描写がキモチワルイ(それはアンタが2度も結婚に失敗して娘一人育てられなかったからそう思うんであって・・・)」
曰く「ジブリが商業的に成功したのは単にブランド力のおかげであって作品にはその力も価値もない(作品が成功し続けたらこそのブランドであってそれじゃ順番が逆でしょ・・・)」
ジブリアニメがヒットしたのは偶然であって、観客が細密な物量に錯覚しているからであって、鈴木敏夫による宣伝の詐術に騙されいるからだという説は説とは呼べず、何の論考にもなっていない。
それから押井守はもう二度と手描きアニメをやるつもりがないからか、現役アニメーターの仕事をボロクソにこき下ろしていて、ちょっと見苦しいと思ってしまった。
本当に押井守は人間としては気持ちの悪い人間で、人間性も愚劣であり、嫉妬深く、負けを認めず、まさに映画監督としては最高の性格だといえる。こういう人間が映画を作るからこそ面白い映画が生れるのだ。
私は映画監督としての押井守を非常に高く評価している。確かに本人の言うとおり、ジブリの監督とは比較できないくらいの巨大な才能の持ち主である。
天才と呼ばれる監督の中にはごくまれに100点満点の映画を作る人がいる。もちろん生涯に1作品だ。
宮崎駿は『となりのトトロ』を作った。それだけで充分評価に値する(どういうわけか押井守はトトロをいちばん憎悪しているようだが)。
だが押井守は100点満点の映画を3作も作った(BD・劇P・P2)。こういう監督は映画の歴史上他に存在しない。
そういう押井の本は読む価値があるはずだと色々と読んでいるのだが、なかなかいい本に巡り合えない。というかロクな本がない。
まあ、この本はこれはこれでいいし、売れてるみたいだし、無いよりはあったほうがいいから評価はするが、押井守はこの本のリベンジマッチとして、叶精二とジブリの対談本を出すべきである。
押井にはその根性も勇気もないかな?
2018年11月7日に日本でレビュー済み
押井守監督が語るジブリ評。目からウロコの指摘の数々で、積年の謎が色々解けた感じ!しかも、宮崎作品だけでなく、ジブリ全作品について語る、という、たまらない企画です。
押井監督は、本著の意図として①なぜジブリ作品は絶賛されつづけるのかを明らかにする
②ジブリの歴史的背景を検証する、の2つをあげています。②も大変興味深かったですが、本著はやはり「スタジオジブリを批判的にみる」初の試みとして大変意義があリマスター。しかも、宮崎駿、鈴木敏夫、高畑勲全員の性格や仕事ぶり、アニメ界の状況、そしてアニメ映画そのものを深く知る押井監督が語る、ということで面白くないはずがない!まさに、ページを繰る手が止まらない、一気読み必至です!
自分がジブリになぜ惹かれるのか、ちゃんと理解できていない感じは常にありました。とにかく気になる存在なので、ジブリ関連の本は見かけると読んでますが、これだけ愛されてるのに、驚くほどに客観的な文章が少ないな、とは思ってきたのです。目立つのは、鈴木敏夫プロデューサーの著作(想い出話)で、あとは公式設定本だったりで、、、その謎について、本著で答えを見つけることができました。
押井監督は、本著の意図として①なぜジブリ作品は絶賛されつづけるのかを明らかにする
②ジブリの歴史的背景を検証する、の2つをあげています。②も大変興味深かったですが、本著はやはり「スタジオジブリを批判的にみる」初の試みとして大変意義があリマスター。しかも、宮崎駿、鈴木敏夫、高畑勲全員の性格や仕事ぶり、アニメ界の状況、そしてアニメ映画そのものを深く知る押井監督が語る、ということで面白くないはずがない!まさに、ページを繰る手が止まらない、一気読み必至です!
自分がジブリになぜ惹かれるのか、ちゃんと理解できていない感じは常にありました。とにかく気になる存在なので、ジブリ関連の本は見かけると読んでますが、これだけ愛されてるのに、驚くほどに客観的な文章が少ないな、とは思ってきたのです。目立つのは、鈴木敏夫プロデューサーの著作(想い出話)で、あとは公式設定本だったりで、、、その謎について、本著で答えを見つけることができました。