ローマ法の大家である著者が、中高生30人余を相手に、映画、演劇(戯曲)、最高裁判例を材料にして、ギリシャ・ローマ時代の法の生成や発展を講じる連続授業の記録。
扱われた資料は、映画が「近松物語」、「自転車泥棒」、戯曲がプラウトゥス「カシーナ」「ルデンス」、ソフォクレス「アンティゴネー」「フィロクテーテース」、判例は「占有保持請求本訴ならびに建物収去土地明渡請求反訴事件」「自衛隊らによる合祀手続の取消等請求事件」。
「……グルになってる集団を徹底的に解体して、追い詰められた一人の人に徹底的に肩入れするのが、本来の……法です。(p.63)」と著者は述べるが、このように、「法」についての一般的な定義や人々の持っている感覚とかなり離れた(それが原理的ということなのかもしれない)ところで本書の授業が進むせいか、内容的にはかなり難解。本書のキーワードを一つ挙げるとすれば「占有(原理)」なのだろうが、これもまた通常の「占有」に対する感覚とはずれがあるように感じられ、私は混乱した。
また、全体に、ギリシャ・ローマ時代の政治・経済・社会の状況を知らなければ理解が難しいのではないか(というか、私にとって本書が難しかったのは、それらの知識が欠けているからか)と思った。
映画、演劇(戯曲)を扱った回では、これらの古典作品への著者の愛は伝わってくるが、それと法・政治にかかわる議論とはちょっと距離がある印象。ただ、芸術作品を題材にして社会科学を学ぶというスタイルは興味深い。
著者は、同業の他者には辛辣で、
「……法律家も、大学の先生も、そもそも法が何を解体するつもりなのかということをわかっていないんだから。忘れているんだから。問題は何ですかということを理解しないまま、どういう場合にどういうふうにどっちを勝たせるか、みたいなことばっかり勉強させられる。(pp.63-64)」
「……『占有』という概念です。……これは君たちは知らないと思う。私がガーガー言っているんだけれど、日本の大多数の法律家も本当の意味を知らない。(p.121)」
「大体一六〇〇年前後に国際法が出来上がるのだけれど、ジェンティーリとかグローティウスとかが、占有を含むローマ法の概念から国際法を組み立てた。……とはいえ、彼らの占有理解は不十分だったのです。(p.371)」
等々と語る。うーん、他の法律家や大学の先生(やグロティーウス)に反論を聞きたいところである。
「アンティゴネー」と自衛隊合祀拒否訴訟とが、「死者(とその人をかけがえのないものとする)生者に関わる問題」という点で共通することにハッとさせられた。
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