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評伝 ウィリアム・モリス 単行本 – 2016/6/24
蛭川 久康
(著)
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デザイン・詩・社会主義に巨大な功績を残した万能人モリス。その華やかな生涯と多彩な仕事の全てを概観した、本邦初の書き下し評伝。
- 本の長さ547ページ
- 言語日本語
- 出版社平凡社
- 発売日2016/6/24
- ISBN-10458283731X
- ISBN-13978-4582837315
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
ケルムスコット・プレスに代表される近代デザインの父、優れた詩人にして社会主義者。生涯を通じて美と真実とその表現を真摯に求め、絶え間ない前進を続けた輝かしい「知の多面体」ウィリアム・モリスの生涯と作品とを叙述する、本邦初の全編書き下ろし評伝。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
蛭川/久康
1931年東京生まれ。東京大学教養学部イギリス分科卒業。専攻、英文学・英国文化史。現在、武蔵大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1931年東京生まれ。東京大学教養学部イギリス分科卒業。専攻、英文学・英国文化史。現在、武蔵大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2016/6/24)
- 発売日 : 2016/6/24
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 547ページ
- ISBN-10 : 458283731X
- ISBN-13 : 978-4582837315
- Amazon 売れ筋ランキング: - 280,700位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年10月9日に日本でレビュー済み
蛭川久康氏は1931年生まれだという。ということは、現在86歳。その年齢でこの全500ページ超の大著をものした。勤務先だった武蔵大学の『人文学部学会雑誌』に過去に発表したいくつかの小論を大幅に加筆修正した部分があるとはいえ、全体としては書き下ろしである。驚異的なのは、老齢から来るはずの衰えが全く感じられないこと、よくありがちな老人の繰り言もなければ、視野の狭窄もないことだ。飾り気のない堅固な文体、枯淡というのではなく、力強い筆致で、ウィアム・モリスの生涯が綴られていく。相当な労力と年月を要したことは想像できる。蛭川氏をこの著作に駆り立てたのは、ウィリアム・モリスという人間の汲めども尽きぬ豊饒な魅力であった。
建築家であり、画家であり、詩人であり、散文ロマンス作家であり、工芸家であり、出版業者であり、社会主義運動家であったモリス。彼を一言で表そうとすれば、どうなるのか。蛭川氏の「広範な美の領域を自在に行き交った、稀代の工匠」(p.3)は実に適切な表現である。本書を読了した後で、再び「はじめに」を読み返し、「モリスは熱く夢を語りつつ、その実現のためにヴィクトリア朝を全力疾走した、百工に通じた稀有(けう)な美術手工芸家であった」(p.6) という文にたち返ると、震えるほどの感動におそわれる。何気ないように見えるが、本書冒頭のこの表現に至るまでに、蛭川氏は膨大な資料探索と深い思索を重ね、まるでモリスの人生を再び共に歩むかのように、500ページに及ぶ評伝を書き上げていったのだ。モリス自身は「さしたる波乱もないわが人生」(アンドレアス・ショイ宛て書簡)と書いていたその生涯は、文化史という観点から見れば、大波の連続であった。彼はイギリス文化に、いや世界文化に、現代にまで続く永続的な革命を引き起こしたのだから、それだけで、とてつもない波乱ではないか。建築家を志した青年時代からケルムスコット・プレスの印刷事業に至るモリスの軌跡は、転身を繰り返しているように見えながら、実は一本の太い柱に貫かれている。蛭川氏はいみじくもこう総括する。
「しかし、モリスの自分探しの転身[青年期の聖職者から建築家への転身]はこれで終わったわけではない。モリスは生涯に同様の「転身」を繰り返す。しかし、本人は一度だって、それを「転身」とは考えなかっただろう。芸術という広大な領域をそれほど自在に自らの創造の場としたのだった。その核心には、少しのぶれもなく「建築家ウィリアム・モリス」が生涯をつうじて健在だった」(p.57)。
モリスを突き動かしていった力は何だったのか。それは産業革命の結果、醜悪なものに満ちあふれてしまっている世界に、真に美しいものをよみがえらせたいという強烈な欲動である。美しいものは、別に壮麗な宮殿や寺院、偉大な芸術家の絵画・彫刻などに限らない。イングランドの風土そのものに、その日常の中にある「小芸術」lesser artsにこそ、美の無限の可能性があるのだ。モリスはある講演でこのように語る。
「わが国士は狭小、あたかも狭い海の中に閉じ込められたかと思えるほどに、巨大な隆起を生み出す余地はまるでなく、荒涼が支配する広漠たる不毛の地もない。森林の大いなる孤独も、恐ろしいばかりの人跡未踏の屹立する山塊もない。あるのは、計測され、混ざり合い、変化に富む、一つが他にこともなげに融解していく姿、整然とした美しい樹木に飾られる小さな川と小さな町、変化の早い起伏する高地、牧羊地の網目状の石垣がつらなる小さな丘と山、すべてがこぢんまりとしている。だが愚かでも空虚でもない、むしろ生真面目で、求める者には豊かな意味を秘めている。監獄でもなければ、宮殿でもない、が、慎ましやかな心なごむわが家である」(p.184)。
ニコラウス・ペヴスナーはこれを「忘れがたい一文」と述べたというが (p.185)、蛭川氏にとっても同じく「忘れがたい一文」であった。
「モリスの一文は、猛々しくも華々しくもない、代わりに「慎ましやかな」イギリスの風土に心寄せて、その国土を「心なごむわが家」とするモリスの真情を静かに綴った滋味深い文章である。優れた風景の発見者ウィリアム・モリスの深奥部にある基本原理を綴った一文である。この一文を、大袈裟な言い方になるが、モリスと共有し共感できたことが、正直いって、執筆上の不安を鎮め、モリスをいっそう身近な存在としてくれた」(「あとがき」、p.459)。
「小芸術」lesser artsとは「大芸術」と比較して、「劣る」という意味では、決してない。日常生活の中にあるもの、たとえば壁紙とか家具調度とかに息づき、われわれの身近にあるべきものなのだ。「われわれの暮らしに身近なところにあって、われわれの手に触れる一切が、自然と調和して、理に適い、美となる」(p.187)。これはジョン・ボールならぬモリスの夢だ。その夢は「一言で言えば、素朴な手仕事の芸術化、そして芸術の日常化、それを可能にするための社会の仕組みを招来させることの一事につきる」(p.187)。特筆すべきは、モリスがそれを「夢」では終わらせなかったことだ。彼は、日常生活の芸術化、芸術の日常化のために、がむしゃらに突き進み、その夢を実現させていったのである。
モリスの私生活は、必ずしも幸福なものではなかった。本書では、妻のジェイン(ラファエル前派の絵画に永遠にその姿をとどめる神秘的女性像のモデル)のロセッティそしてブラントとの不倫、生涯の畏友であり共同製作者であったバーン=ジョーンズ、その妻のジョージアーナとの微妙なやりとりなどが丁寧に辿られる。本書で意義深いのは、モリスが行った多数の講演・演説にきちんと目配りしていることだろう。「補遺Ⅳ」にそれがまとめられているが、それによると、モリスの講演・演説は一八八〇年代には一年間に70回、80回以上に及ぶ。驚異的である。社会主義者としての活動の表れなのだが、この間に、アーツ・アンド・クラフツ運動や著作の執筆、染色の研究、ステンドグラスやタペストリ製作、ケルムスコット・プレスの創設準備などが進められていた。
モリスが死去したとき、「死因はウィアム・モリスであったこと。それに一日一八時間の労働」と医師は診断した(p.437)。モリスは「ヴィクトリア朝を全力疾走」で駆け抜けた、はかりしれない価値のある遺産を私たちに遺して。
ウィリアム・モリスの「夢」は形ある現実となって、今も生きている。
*本書に不満がないではない。モリスの作品解説では、図版をもっともっとたくさん、適所に配置してほしかった。
*惜しいことだが、誤植あるいは編集上の小さな瑕疵と思われる箇所がいくつかあった。
p. 167 ピーター・フラッドの生年が間違っている。一八一二→一九一一
p. 253 4行目「ありますまいか」→「ありはすまいか」
p. 388 7行目「暗い月曜日」(Black Sunday)→「暗い日曜日」か?
建築家であり、画家であり、詩人であり、散文ロマンス作家であり、工芸家であり、出版業者であり、社会主義運動家であったモリス。彼を一言で表そうとすれば、どうなるのか。蛭川氏の「広範な美の領域を自在に行き交った、稀代の工匠」(p.3)は実に適切な表現である。本書を読了した後で、再び「はじめに」を読み返し、「モリスは熱く夢を語りつつ、その実現のためにヴィクトリア朝を全力疾走した、百工に通じた稀有(けう)な美術手工芸家であった」(p.6) という文にたち返ると、震えるほどの感動におそわれる。何気ないように見えるが、本書冒頭のこの表現に至るまでに、蛭川氏は膨大な資料探索と深い思索を重ね、まるでモリスの人生を再び共に歩むかのように、500ページに及ぶ評伝を書き上げていったのだ。モリス自身は「さしたる波乱もないわが人生」(アンドレアス・ショイ宛て書簡)と書いていたその生涯は、文化史という観点から見れば、大波の連続であった。彼はイギリス文化に、いや世界文化に、現代にまで続く永続的な革命を引き起こしたのだから、それだけで、とてつもない波乱ではないか。建築家を志した青年時代からケルムスコット・プレスの印刷事業に至るモリスの軌跡は、転身を繰り返しているように見えながら、実は一本の太い柱に貫かれている。蛭川氏はいみじくもこう総括する。
「しかし、モリスの自分探しの転身[青年期の聖職者から建築家への転身]はこれで終わったわけではない。モリスは生涯に同様の「転身」を繰り返す。しかし、本人は一度だって、それを「転身」とは考えなかっただろう。芸術という広大な領域をそれほど自在に自らの創造の場としたのだった。その核心には、少しのぶれもなく「建築家ウィリアム・モリス」が生涯をつうじて健在だった」(p.57)。
モリスを突き動かしていった力は何だったのか。それは産業革命の結果、醜悪なものに満ちあふれてしまっている世界に、真に美しいものをよみがえらせたいという強烈な欲動である。美しいものは、別に壮麗な宮殿や寺院、偉大な芸術家の絵画・彫刻などに限らない。イングランドの風土そのものに、その日常の中にある「小芸術」lesser artsにこそ、美の無限の可能性があるのだ。モリスはある講演でこのように語る。
「わが国士は狭小、あたかも狭い海の中に閉じ込められたかと思えるほどに、巨大な隆起を生み出す余地はまるでなく、荒涼が支配する広漠たる不毛の地もない。森林の大いなる孤独も、恐ろしいばかりの人跡未踏の屹立する山塊もない。あるのは、計測され、混ざり合い、変化に富む、一つが他にこともなげに融解していく姿、整然とした美しい樹木に飾られる小さな川と小さな町、変化の早い起伏する高地、牧羊地の網目状の石垣がつらなる小さな丘と山、すべてがこぢんまりとしている。だが愚かでも空虚でもない、むしろ生真面目で、求める者には豊かな意味を秘めている。監獄でもなければ、宮殿でもない、が、慎ましやかな心なごむわが家である」(p.184)。
ニコラウス・ペヴスナーはこれを「忘れがたい一文」と述べたというが (p.185)、蛭川氏にとっても同じく「忘れがたい一文」であった。
「モリスの一文は、猛々しくも華々しくもない、代わりに「慎ましやかな」イギリスの風土に心寄せて、その国土を「心なごむわが家」とするモリスの真情を静かに綴った滋味深い文章である。優れた風景の発見者ウィリアム・モリスの深奥部にある基本原理を綴った一文である。この一文を、大袈裟な言い方になるが、モリスと共有し共感できたことが、正直いって、執筆上の不安を鎮め、モリスをいっそう身近な存在としてくれた」(「あとがき」、p.459)。
「小芸術」lesser artsとは「大芸術」と比較して、「劣る」という意味では、決してない。日常生活の中にあるもの、たとえば壁紙とか家具調度とかに息づき、われわれの身近にあるべきものなのだ。「われわれの暮らしに身近なところにあって、われわれの手に触れる一切が、自然と調和して、理に適い、美となる」(p.187)。これはジョン・ボールならぬモリスの夢だ。その夢は「一言で言えば、素朴な手仕事の芸術化、そして芸術の日常化、それを可能にするための社会の仕組みを招来させることの一事につきる」(p.187)。特筆すべきは、モリスがそれを「夢」では終わらせなかったことだ。彼は、日常生活の芸術化、芸術の日常化のために、がむしゃらに突き進み、その夢を実現させていったのである。
モリスの私生活は、必ずしも幸福なものではなかった。本書では、妻のジェイン(ラファエル前派の絵画に永遠にその姿をとどめる神秘的女性像のモデル)のロセッティそしてブラントとの不倫、生涯の畏友であり共同製作者であったバーン=ジョーンズ、その妻のジョージアーナとの微妙なやりとりなどが丁寧に辿られる。本書で意義深いのは、モリスが行った多数の講演・演説にきちんと目配りしていることだろう。「補遺Ⅳ」にそれがまとめられているが、それによると、モリスの講演・演説は一八八〇年代には一年間に70回、80回以上に及ぶ。驚異的である。社会主義者としての活動の表れなのだが、この間に、アーツ・アンド・クラフツ運動や著作の執筆、染色の研究、ステンドグラスやタペストリ製作、ケルムスコット・プレスの創設準備などが進められていた。
モリスが死去したとき、「死因はウィアム・モリスであったこと。それに一日一八時間の労働」と医師は診断した(p.437)。モリスは「ヴィクトリア朝を全力疾走」で駆け抜けた、はかりしれない価値のある遺産を私たちに遺して。
ウィリアム・モリスの「夢」は形ある現実となって、今も生きている。
*本書に不満がないではない。モリスの作品解説では、図版をもっともっとたくさん、適所に配置してほしかった。
*惜しいことだが、誤植あるいは編集上の小さな瑕疵と思われる箇所がいくつかあった。
p. 167 ピーター・フラッドの生年が間違っている。一八一二→一九一一
p. 253 4行目「ありますまいか」→「ありはすまいか」
p. 388 7行目「暗い月曜日」(Black Sunday)→「暗い日曜日」か?