言語人類学。
例えば、大学等では言語学者(個別言語学・一般言語学)が人類学の枠内で講じている場合が多いのですが、
この学問はとても面白いし、かつ有益だと思います。
ものと名前(ノミナ)の照応性や、観念表象体系(言語システム)の民族固有性、
また適当な変換を施しての構造的普遍性など、フィールドワークのみならず、
第二言語習得など実用的な場面でも、役立つことが多いでしょう。
考えてみれば、各言語体系はそれぞれに固有の自然を写し取っているはずなので、
それは固有値のひとつ、即ち固有の自然と向かい合った民族的態度を示しており、
その等価性を以て言語相対主義が成り立つわけです。
以上をサピア=ウォーフの仮説としておきます。
当方の元々の関心事は、かつてポーランドの眼科医で言語学者であるザメンホーフが、
いわゆる普遍言語を模索した結果、エスペラントを樹立し、一頃その学習がブームを呼んだ点であります。
それは時代の流れとともに、半ば立ち消えたかに思えますが、
そうした人造言語と、トリなどに見られる自然言語(理化学研究所などで研究されている)とは、
いかなる関係にあるでしょうか。
トリなどの場合、単語と文はあまり截然とは区別されていないようですが、
ヒト言語の特徴の一として、単語を文法に沿って並べ、文を組み立ててゆく点にあるようで、
その点単語と文の識別因子はあるようです。
(ただし、観念的競合に際して名詞が膠着的に重合することで人造概念を表す言語は、
同じく名詞を機能詞で次々と連結することで高次の意味を編み出す言語とは、
質的に異なることが考えられ、セマンティックなレベルでの相同性を探るしかないようにも見えます。
即ち、S+V+O+Cという要素が織り成す構造の普遍性が改めて問われるのです)
当方の学生時代、この講義枠の担当者はフィンランド語を専門とする方だったので、
話の中心はフィンランド語にありましたが、それでもなお言語一般へのベクトルというか、
半ば無意識的な固有性を、半ば意識的な普遍性へと高めようとする努力的態度は、
少なくとも端々から窺えた感じです。フィンランドのことばは、地域差も考慮すると、
いくつかの方言に分かれるようですが、
フィン=ウゴル語(他の北欧語とは明瞭に系統が異なる!)の核となる古くからのフィンランド語は、
かなりしっかりとした固有言語のようで、
そのことは民族大叙事詩であるカレワラを暗唱するなどの文化伝統にも色濃く表れています。
(当方はその頃、別の講義で初級ポーランド語を勉強していましたが…)
昨今、グローバリズムと同時に多極的に進んでいるリージョナリズムは、
言語人類学の射程内にある考え方、即ち言語相対主義、
ひいては文化相対主義(レラティビズム)に揺すぶりをかけています。
というのは、この学問が基礎言語学→応用言語学→コミュニケーション論、
と言語学サイドから進んできたこともありますが、
他方で人類学の側からも文化の核がおよそ言語にあることを見据えて、
言語学に歩み寄りを見せた点にも窺えます。そうした動きもあってか近年、
バイリンガルやポリグロットに関する著作が漸増傾向にありますが、
言語現象を自然現象と文化現象のせめぎあいに見る考え方は、
おそらくはこの言語人類学固有の方法だと思うので、
そうした視点から本書などを省みてみられては、と思います。
言語人類学の全貌を手っ取り早く知るのに、おすすめな1冊です。
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