コトバと文化は同じ連続線上に位置しており、コトバだけを文化から切り離して考えてしまう傾向は、
その基本的テーゼに反するでしょう。本書はそうした基本的視座を提供しうる画期的な書です。
「言語人類学」(linguistic anthropology)という学問分野は日本ではあまりなじみがないのかもしれませんが、
アメリカ合衆国ではごく一般的であり、当方もそれに準拠した学習や研究また言語指導を重ねています。
本書で取り上げているディスコース分析やナラティブ分析という手法は、
文化人類学でいうフィールドワークに際しての方法論とも重なるものです。
文化人類学者はフィールドに分け入り、コトバを文化ごと掴み取り、
現地の人たちとの濃密なコミュニケーションの過程で文化を体得してゆきます。
それは母国語や母国文化との軋轢をときに生み出しますが、それもれっきとした文化現象の一つ。
例えば、言語論の中には「言語接触」というのがありますが、それは人類学的混血が進むほどに、
現地文化のクレオール化も進み、コトバもまた一定の混ざり合いや変容を伴います。
語彙しかり、文法しかりですが、仮に当方が現在学習中のビルマ語を例にとっても、
「鶏肉+おかず」でチキンカレーを、「氷+箱」で冷蔵庫を表すなど枚挙にいとまがありません。
本書ではさまざまな言語現象~文化現象が扱われていますが、
どれをとってもまことに興味深いものばかりです。
では最後に本書を貫いている言語・文化思想を紹介しておきましょう。
それは「言語(文化)相対主義」です。それは一言で要約すれば、
「言語や文化は相隣的かつ連接的に規定される全体的動態である」というもので、
クラックホンやタイラーらの古典的定義にも反しませんし、
その提唱者はまさにアメリカの文化人類学者サピアやウォーフです。
彼らはズニ語やホピ語などインディオの言語文化を研究する過程で、
そうした概念に至ったわけで、それは当を得たものだといえるでしょう。
英語がすべてではありません。もっともっと豊かな世界が身の周りに開けています。
そうした向きに本書のご一読をおすすめしておきます。
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