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言葉と物―人文科学の考古学 単行本 – 1974/6/7

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登録情報

  • 単行本: 474ページ
  • 出版社: 新潮社 (1974/6/7)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 410506701X
  • ISBN-13: 978-4105067014
  • 発売日: 1974/6/7
  • 梱包サイズ: 20.6 x 13.2 x 3.4 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.4 14件のカスタマーレビュー
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 ルネサンスにおける知の枠組みは、「類似」であった、古典主義時代においては、表象であった、そして近代において初めて「人間」という概念が登場する、そうフーコーは言う。
 この書を読んで、最も痛快なのは、分析と記述の巧みさであろう。古典主義時代においては、言語学、博物学、経済学という異なった分野を「表象」というエピステーメーが貫いている。そしてそれぞれの分野が表象することの限界に達し、有限性や生命や労働という概念が現れ、近代が始まる。こう言ってしまえば、それまでであって、フーコーの入門書などに書かれている通りなのだが、実際に、この書を読み解いてみれば、一つ一つの概念や学問分野や思想家を検討し、特徴付けていく論述に巻き込まれていく心地良さが訪れる。
 本書において、最大のインパクトを与えたのは、人間という概念の終焉ということらしいが、「人間」という概念は、近代に固有のものであって、それ以前にはなかったのだと言う。
「ルネサンス時代の人間主義も、古典主義時代の人々の合理主義も、世界の秩序の中で人類に特権的場所を与えることは出来たが、人間を思考することはできなかったのである」(P338)
 そして、近代という知の配置が終われば、「人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろう」P409
古典主義時代と、始まりつつある現代の間に挟まれる形にな
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そろそろ文庫版を出版してくれてもいいんじゃないかしら。
私が購入したのは2009年の第43刷。
初版は1974年なので、かれこれ40年近くこの単行本が流通している模様。
図書館で借りて読め!と言われればそれまでですが、名著は手元に置いておきたいじゃないですか。
マーカーとか引きたいじゃないですか。
もうちょっと学部生・院生にも手が届くようなお値段で買えると嬉しいのですが…。
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投稿者 1066-1154 投稿日 2007/4/6
普通は自身の思考は自身につかさどられている、と思っている。全部が自身のコントロールにあるわけではないが、何につけ、「主体」と称するものを前提にしないわけにいかない。この前提にそれとなく疑問を持つことはあっても、そうではない状態をどのように示したらよいか、手が無いのが実情だ。本書はこれをやった。自分で考えていると思っていても、実はそこで司る語彙や観念は、既にあるその時代・社会の「観念の系」とでも称するべき中に位置づけられている。その系の中での思考でしかないことになる。その中にいる限りこの「系」には気付かない。歴史ではなく、「知の考古学」を展開することで、著者は、この点に迫る。絶対王政期には、一般文法、博物学、富の分析があった。語ること、生命、生産といった観念は、無かった。結局「主体」の観念が無い。これは、18世紀のある時期に登場する。その以前と後では、同じ語彙であっても、「系」に占める位置価が異なる。現代は、18世紀のある時期以降の「系」の終盤に来ているのか。そこで登場した「人間」の概念も、波打ち際の砂地の絵のように消えていくのだ、という。この革命的な発想は、ウェーバー、コリングウッドらの歴史哲学に抵触する。本書の意図は、むしろ、人が何かを語るということは、既にその時代の大きな知の枠の中に配置された言語で語ることに他ならない、と言っているようだ。ハーバーマスは、それを語るフーコ...続きを読む ›
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 現在どう受取るかはともかく、上記タイトルに沿って、カントとフーコーの接点を『言葉と物』第2部、7‾9章からの引用で簡略に示してみたい。
 転換点としての「カントの批判哲学は(…)我々の近代性の発端をしるしづけている」。近代性とは、「表象の空間の基礎、起源、限界」のテーマ化が可能になる場であり、また、「生命、意志、言葉 parole の哲学」が成立する場である。

 フーコーが、ベラスケスの不朽の傑作《侍女たち》のうちに見た「本質的な空白」―《王の場所》において、今やテーマ化されることで誕生したのは他ならぬ《人間》だった。
 フーコーは、以上のような近代性の解読の試みを《有限性の分析論》と呼ぶ。

 我々の近代性の発端は(…)《人間》と呼ばれる経験的=超越論的二重体が構成された日に位置づけられる。「人間と〈思考されぬもの〉は、考古学的水準においては、同時期のものである」。この〈思考されぬもの〉は、「人間との関係において《他者》」だからだ。
 こうして、近代の思考の対象は、《他者》=思考されぬものとなる。

 フーコーは、彼自身の近代性の解読を要約するにあたり、先の《経験的=超越論的二重化》という表現を、「経験的=批判的二重化」と言い換える。この二重化は、カントによる《人間とは何か》という「究極
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