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西太后秘録 近代中国の創始者 上 単行本 – 2015/2/11
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世界三大悪女の一人とされ、「残虐非道の女帝」のイメージがつきまとう西太后(慈禧大后)。だが、実は当時の4億人の民を率い、47年にわたって統治を続け、中国近代化の基礎をつくりあげた、辣腕の政治家だった。『ワイルド・スワン』『マオ』で中国の真実を描き続ける、あのユン・チアンが「誤った西太后」像を根本から覆し、「名君・西太后」の真実に迫る。
世界三大悪女の一人とされ、「残虐非道の女帝」のイメージがつきまとう西太后(慈禧大后)。だが、実は当時の4億人の民を率い、47年にわたって統治を続け、中国近代化の基礎をつくりあげた、辣腕の政治家だった。
『ワイルド・スワン』『マオ』で中国の真実を描き続ける、あのユン・チアンが「誤った西太后」像を根本から覆し、「名君・西太后」の真実に迫る。
あらすじ
官僚の家に生まれ、父の失脚後は長女として一家を支えた慈禧(じき)。16歳で清朝第9代皇帝の咸豊帝の側室となり、やがて幼い息子が帝位を継ぐと、後見として政治家の頭角を現していく。しかし、息子は若くして病のために崩御してしまう。
妹の子供を養子に迎えた慈禧は、光緒帝となったその息子の後見として返り咲き、宮廷内の政治に手腕を発揮する。革新派の上級官僚の李鴻章や曾国藩らを重用し、ヨーロッパ技術を取り入れて近代化に邁進する慈禧を、やがて日清戦争での致命的な敗北が襲う!
政変への命がけの画策、宦官との恋、自らへの暗殺計画の阻止、不仲の光緒帝廃位に燃やした執念、日清戦争敗北後の復活……。誰もなしえなかった長期的な統治の秘密を、膨大な記録をもとに明らかにする!
読みどころ
その1: 后の一人を「人豚」にしたなど(これはフィクション)残虐なイメージの強い西太后像をくつがえし、偉大な政治家としての真の姿(辣腕政治家であり、宮中だけでなく外国人にいたるまで細やかな気遣いを見せたなど)が詳細に描かれた唯一の評伝。著名な著者だけに注目度が高い。
その2: 清の近代化推進プロセスや改革派の人材登用、ライバルとも協調関係をとることで目的を遂げるなど、リーダーシップ、マネジメント論としても発見が多い。
その3: 宦官との秘められた恋(発覚して宦官は処刑される)、西太后の肖像画を描いたイギリス人女性との友情など西太后の知られざる人間性もあますところなく描かれる。
世界三大悪女の一人とされ、「残虐非道の女帝」のイメージがつきまとう西太后(慈禧大后)。だが、実は当時の4億人の民を率い、47年にわたって統治を続け、中国近代化の基礎をつくりあげた、辣腕の政治家だった。
『ワイルド・スワン』『マオ』で中国の真実を描き続ける、あのユン・チアンが「誤った西太后」像を根本から覆し、「名君・西太后」の真実に迫る。
あらすじ
官僚の家に生まれ、父の失脚後は長女として一家を支えた慈禧(じき)。16歳で清朝第9代皇帝の咸豊帝の側室となり、やがて幼い息子が帝位を継ぐと、後見として政治家の頭角を現していく。しかし、息子は若くして病のために崩御してしまう。
妹の子供を養子に迎えた慈禧は、光緒帝となったその息子の後見として返り咲き、宮廷内の政治に手腕を発揮する。革新派の上級官僚の李鴻章や曾国藩らを重用し、ヨーロッパ技術を取り入れて近代化に邁進する慈禧を、やがて日清戦争での致命的な敗北が襲う!
政変への命がけの画策、宦官との恋、自らへの暗殺計画の阻止、不仲の光緒帝廃位に燃やした執念、日清戦争敗北後の復活……。誰もなしえなかった長期的な統治の秘密を、膨大な記録をもとに明らかにする!
読みどころ
その1: 后の一人を「人豚」にしたなど(これはフィクション)残虐なイメージの強い西太后像をくつがえし、偉大な政治家としての真の姿(辣腕政治家であり、宮中だけでなく外国人にいたるまで細やかな気遣いを見せたなど)が詳細に描かれた唯一の評伝。著名な著者だけに注目度が高い。
その2: 清の近代化推進プロセスや改革派の人材登用、ライバルとも協調関係をとることで目的を遂げるなど、リーダーシップ、マネジメント論としても発見が多い。
その3: 宦官との秘められた恋(発覚して宦官は処刑される)、西太后の肖像画を描いたイギリス人女性との友情など西太后の知られざる人間性もあますところなく描かれる。
- 本の長さ298ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2015/2/11
- ISBN-104062194023
- ISBN-13978-4062194020
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
十九世紀半ばの清朝中国―西欧列強が権益拡大を虎視眈々と狙う中、夫である皇帝の崩御を機に政権を掌握した慈禧(西太后)。彼女は頑迷な守旧派を抑えつつ、改革派官僚とともに開国に舵を切り、貿易で得た財貨をもとに通信網・鉄道敷設といった数々の改革を断行する。宦官との秘められた恋、帝位を継いだ息子の急逝、新たな皇帝との葛藤…慈禧が権力の座を降ろされた、その間隙を突くように日清戦争が勃発する。
著者について
ユン・チアン
ユン・チアン(張戎) Jung Chang
1952年、中華人民共和国四川省生まれ。文化大革命が吹き荒れた1960年代、14歳で紅衛兵を経験後、農村に下放されて農民として働く。以後は「はだしの医者」、鋳造工、電気工を経て四川大学英文科の学生となり、苦学ののちに講師となる。1978年にイギリスへ留学、ヨーク大学から奨学金を経て勉強を続け、1982年に言語学の博士号を取得。一族の人生を克明に描くことで激動期の中国を活写した『ワイルド・スワン』、数々の新資料から独裁者・毛沢東の生涯に光を当てた『マオ 誰も知らなかった毛沢東』(いずれも講談社刊)など、彼女の著書は世界40ヵ国に翻訳され、累計1500万部の大ベストセラーになっている。なお、上記の2作はいずれも中国国内では出版が禁止されている。
川副 智子
川副智子(かわぞえ・ともこ)
翻訳家。早稲田大学文学部卒。訳書に『私の中のあなた』ジョディ・ピコー(早川書房)、『シージャー 発作』ロビン・クック(扶桑社)など。他多数。
ユン・チアン(張戎) Jung Chang
1952年、中華人民共和国四川省生まれ。文化大革命が吹き荒れた1960年代、14歳で紅衛兵を経験後、農村に下放されて農民として働く。以後は「はだしの医者」、鋳造工、電気工を経て四川大学英文科の学生となり、苦学ののちに講師となる。1978年にイギリスへ留学、ヨーク大学から奨学金を経て勉強を続け、1982年に言語学の博士号を取得。一族の人生を克明に描くことで激動期の中国を活写した『ワイルド・スワン』、数々の新資料から独裁者・毛沢東の生涯に光を当てた『マオ 誰も知らなかった毛沢東』(いずれも講談社刊)など、彼女の著書は世界40ヵ国に翻訳され、累計1500万部の大ベストセラーになっている。なお、上記の2作はいずれも中国国内では出版が禁止されている。
川副 智子
川副智子(かわぞえ・ともこ)
翻訳家。早稲田大学文学部卒。訳書に『私の中のあなた』ジョディ・ピコー(早川書房)、『シージャー 発作』ロビン・クック(扶桑社)など。他多数。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ユン/チアン
張戎。1952年、中華人民共和国四川省生まれ。文化大革命が吹き荒れた1960年代、14歳で紅衛兵を経験後、農村に下放されて農民として働く。以後は「はだしの医者」、鋳造工、電気工を経て四川大学英文科の学生となり、苦学ののちに講師となる。1978年にイギリスへ留学、ヨーク大学から奨学金を得て勉強を続け、1982年に言語学の博士号を取得
川副/智子
翻訳家。早稲田大学文学部卒(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
張戎。1952年、中華人民共和国四川省生まれ。文化大革命が吹き荒れた1960年代、14歳で紅衛兵を経験後、農村に下放されて農民として働く。以後は「はだしの医者」、鋳造工、電気工を経て四川大学英文科の学生となり、苦学ののちに講師となる。1978年にイギリスへ留学、ヨーク大学から奨学金を得て勉強を続け、1982年に言語学の博士号を取得
川副/智子
翻訳家。早稲田大学文学部卒(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2015/2/11)
- 発売日 : 2015/2/11
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 298ページ
- ISBN-10 : 4062194023
- ISBN-13 : 978-4062194020
- Amazon 売れ筋ランキング: - 479,050位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 299位中国のエリアスタディ
- - 615位中国史
- - 50,224位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年12月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ユン・チアン氏の本には、「日本に対する嘘」が、巧妙に練りこまれている。
日本に対する敵意に満ちた資料を使えば、自然に嘘が多くなる。それは、ユン・チアン氏の責任とばかりは、言えない面もあるだろう。しかし、拡散力が強いから、要注意である。
引っかかったら、必ず検証してみることをお勧めする。
たとえばp362の「高陞号」撃沈の記事である。
「7月25日、日本海軍は援軍を輸送中の中国の巡洋艦に奇襲攻撃を仕掛け、うち一隻、「高陞」号を撃沈、約千人の死者を出した。その中には5人の英国人将校もいた。」
ものすごく引っかかるではないか。これが本当なら、卑怯な、と糾弾されているはず。しかし私たちは聞いたことがないし、この本も言いっ放しで、素通りするばかり。
この事件の全体像に関する当時の日英の評価は、検索すればいろいろ出てくる。事実は中国船ではなく英国船だった、と、大きく違っていて、もっとややこしい。
しかし日本側の対応に不備はなかった、ということで決着している事件なのである。「高陞号」を撃沈したのは「浪速」(艦長:東郷平八郎!)。
一つ、当時の資料を引用しておこう。
「高陞号」で検索。あるいは豊島沖海戦(高陞号事件)
国立公文書館アジア歴史資料センター、豊島沖海戦(高陞号事件)のページに、「8 英国商船高陞号撃沈ノ事」、「高陞号事件報告/1894年」などがある。
資料センターサイトのPDF「8 英国商船高陞号撃沈ノ事」を参照。外務省文書。
高陞号沈没の際に生き残った、清国雇いドイツ人「ハンネケン」の、仁川の英国副領事の審問に対する陳述書より
*****
戦争が始まる前に、英国船籍の船に清兵1200人と武器を乗せて朝鮮に向かっていた。しかし戦争がはじまり、途中で日本艦に出会った。
日本艦は空砲を発し、信号で停戦を命じ、砲門を開いて威圧しながら、端艇を寄越した。清の兵士の長は、捕虜になるくらいなら海に沈んだ方が良い、と言う。激高していて、鎮めるのに困難を感じた。
日本仕官は船長室に入り、英国船であることを確認した。そして「日本艦に随行せよ」と命じた。それを伝え聞いた清の兵士たちは大騒ぎし、従うならヨーロッパ人を殺す、と脅した。
そこで談判のため、信号を発して、再度、端艇を来させた。そして私は日本仕官に告げた。「船長は他人に脅迫されて命令に従えない。本船は出発港へ帰航する。」
端艇が日本艦に帰ってしばらくして、次の信号があった。「すぐに船を去れ」。しかし(われわれに)この勧告に応じる機会はなかった。
船長は次の信号を出した。「我らはそれを、許されない」
そうすると日本艦はそれに対し、また「回答を手旗信号で」掲げた。そしてわが船に動いてきて、右舷正面150メートルの所に止まった。
水雷口から水雷が躍り出るのを見た。その後6個の砲門が轟音を発した。水雷は的中し、我らは皆、水中に飛び込んだ。
その後に続く文は、どう読むのだろう。意味が通じない。
「この間発砲引き続き、遊泳試みるも、助命の機会なきを知りたる船上の兵士は、
憤然之に応じて発銃せり。
余は、日本艦より端艇を降ろし、多数の兵士を備え来るを見、
そのわが船の残兵救助のためなるを信じたるに、遺憾にも、その誤りなるを発見せり。
端艇中の兵士は、沈没船上の残兵を射撃せり。
余は実に、その中のものは日本艦および沈没船より狙撃せられたるは、事実なり。
けだし、沈没船の兵士より狙撃したるは、われ死を免れず、
むしろ同胞もまた生け置くべからず、との残忍的観念に基づきたるならん。」
沈没する船から射撃されても、日本艦としては、近寄らなければいいだけである。沈むのを待っていればいいだけだろう。
それを日本は、わざわざ多数の兵士を乗せた端艇を出して、船上の残兵を撃った、と言うのだ。
そしてこのドイツ人は、「沈没船の兵士の方から狙撃したのは、自分が死ぬからには、同胞も生かしては置けない、という残忍さからだろう」と推測する。???
右の兵士中、生き延びたるもの170名。
沈没船兵士の残忍さ、と言うのなら、「沈没船の兵士は同胞を撃っていた」ことになる。そう読むのだろうか?英文ならよくわかるかもしれないが。
史料を読む場合、もちろんこれだけで終わってはいけない。余りにも気になったので引用しただけである。
清政府のお雇いドイツ人の証言である。虚偽や錯誤がないか、検討する必要がある。私も、いろいろ違う内容が出てくるとわかったので、もう少し調べてみたい。
日本に対する敵意に満ちた資料を使えば、自然に嘘が多くなる。それは、ユン・チアン氏の責任とばかりは、言えない面もあるだろう。しかし、拡散力が強いから、要注意である。
引っかかったら、必ず検証してみることをお勧めする。
たとえばp362の「高陞号」撃沈の記事である。
「7月25日、日本海軍は援軍を輸送中の中国の巡洋艦に奇襲攻撃を仕掛け、うち一隻、「高陞」号を撃沈、約千人の死者を出した。その中には5人の英国人将校もいた。」
ものすごく引っかかるではないか。これが本当なら、卑怯な、と糾弾されているはず。しかし私たちは聞いたことがないし、この本も言いっ放しで、素通りするばかり。
この事件の全体像に関する当時の日英の評価は、検索すればいろいろ出てくる。事実は中国船ではなく英国船だった、と、大きく違っていて、もっとややこしい。
しかし日本側の対応に不備はなかった、ということで決着している事件なのである。「高陞号」を撃沈したのは「浪速」(艦長:東郷平八郎!)。
一つ、当時の資料を引用しておこう。
「高陞号」で検索。あるいは豊島沖海戦(高陞号事件)
国立公文書館アジア歴史資料センター、豊島沖海戦(高陞号事件)のページに、「8 英国商船高陞号撃沈ノ事」、「高陞号事件報告/1894年」などがある。
資料センターサイトのPDF「8 英国商船高陞号撃沈ノ事」を参照。外務省文書。
高陞号沈没の際に生き残った、清国雇いドイツ人「ハンネケン」の、仁川の英国副領事の審問に対する陳述書より
*****
戦争が始まる前に、英国船籍の船に清兵1200人と武器を乗せて朝鮮に向かっていた。しかし戦争がはじまり、途中で日本艦に出会った。
日本艦は空砲を発し、信号で停戦を命じ、砲門を開いて威圧しながら、端艇を寄越した。清の兵士の長は、捕虜になるくらいなら海に沈んだ方が良い、と言う。激高していて、鎮めるのに困難を感じた。
日本仕官は船長室に入り、英国船であることを確認した。そして「日本艦に随行せよ」と命じた。それを伝え聞いた清の兵士たちは大騒ぎし、従うならヨーロッパ人を殺す、と脅した。
そこで談判のため、信号を発して、再度、端艇を来させた。そして私は日本仕官に告げた。「船長は他人に脅迫されて命令に従えない。本船は出発港へ帰航する。」
端艇が日本艦に帰ってしばらくして、次の信号があった。「すぐに船を去れ」。しかし(われわれに)この勧告に応じる機会はなかった。
船長は次の信号を出した。「我らはそれを、許されない」
そうすると日本艦はそれに対し、また「回答を手旗信号で」掲げた。そしてわが船に動いてきて、右舷正面150メートルの所に止まった。
水雷口から水雷が躍り出るのを見た。その後6個の砲門が轟音を発した。水雷は的中し、我らは皆、水中に飛び込んだ。
その後に続く文は、どう読むのだろう。意味が通じない。
「この間発砲引き続き、遊泳試みるも、助命の機会なきを知りたる船上の兵士は、
憤然之に応じて発銃せり。
余は、日本艦より端艇を降ろし、多数の兵士を備え来るを見、
そのわが船の残兵救助のためなるを信じたるに、遺憾にも、その誤りなるを発見せり。
端艇中の兵士は、沈没船上の残兵を射撃せり。
余は実に、その中のものは日本艦および沈没船より狙撃せられたるは、事実なり。
けだし、沈没船の兵士より狙撃したるは、われ死を免れず、
むしろ同胞もまた生け置くべからず、との残忍的観念に基づきたるならん。」
沈没する船から射撃されても、日本艦としては、近寄らなければいいだけである。沈むのを待っていればいいだけだろう。
それを日本は、わざわざ多数の兵士を乗せた端艇を出して、船上の残兵を撃った、と言うのだ。
そしてこのドイツ人は、「沈没船の兵士の方から狙撃したのは、自分が死ぬからには、同胞も生かしては置けない、という残忍さからだろう」と推測する。???
右の兵士中、生き延びたるもの170名。
沈没船兵士の残忍さ、と言うのなら、「沈没船の兵士は同胞を撃っていた」ことになる。そう読むのだろうか?英文ならよくわかるかもしれないが。
史料を読む場合、もちろんこれだけで終わってはいけない。余りにも気になったので引用しただけである。
清政府のお雇いドイツ人の証言である。虚偽や錯誤がないか、検討する必要がある。私も、いろいろ違う内容が出てくるとわかったので、もう少し調べてみたい。
2021年9月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
歴史改竄の嵐が吹き荒れて今もまだその影響が強く残っているはずの中国人のユンチアンのがこの本を書いている。歴史を大切にしてきた国ならではの歴史の叙述家が生まれたことを羨ましく思う。
現代に至っても偽書を継ぎ重ねた偽史に塗れた日本という国で。
現代に至っても偽書を継ぎ重ねた偽史に塗れた日本という国で。
2015年7月12日に日本でレビュー済み
文句なしに面白い本である。
特に浅田次郎の「蒼穹の昴」を読んだ読者、又はNHKのテレビドラマを見た読者が本書を読んだら、その面白さは二倍、三倍だろう。
本書の特徴は、今までそういう視点で捉えられことのなかった西太后を、有能な啓蒙専制君主として捉えてその実像に迫ろとしていることだろう。そのために丹念な資料収集を図っており、それによって初めて明らかにされた(と思われる)歴史エピソードも多く書かれている。
こうして描かれた個性豊かな啓蒙専制君主の西太后に比肩できる歴史上のヒロインは、ロシアのエカチェリーナ大帝くらいのものだろう。
このように内容豊かな力作なのに、歴史書としてみるなら大きな欠陥がある。
まず第1は、著者があまりにも西太后に個人的かつ情緒的に惚れ込んでしまったために、人物像の描写が過剰に美化されてしまって、描かれた史実の真偽が反って疑わしくなってしまっていることだ。評伝作家が対象人物に好意を持つことは悪くないし、それは執筆の情熱の源泉にもなることだろう。だが読者を納得させるには、冷静且つ客観的な描写態度が不可欠なことをこの著者は知るべきだ。
第2は、清朝末期の歴史を語るには日本との関係に触れないわけにはいかないのに、本書の著者はどうやら日本と日本人が大嫌いらしく、日本に関して著しく偏向した記述をしている。
自分が日本が嫌いならば、自分が崇敬する西太后もきっと日本嫌いであったに違いないと思い込んだとしか思えない記述が、あちこちに散見される。それが高じて一部史実を捻じ曲げた描写もある。
例えば、西太后は国の近代化を目指して立憲君主制の憲法を作ろうと考え、先進諸国への憲法の勉強研究の調査団を派遣した(1905年)と言う記述がある。これをあたかも西太后の独創案であるかのように書いているが、憲法制定のための海外調査団の派遣というのは、1882年(明治15年)に日本が伊藤博文を団長にして実施したことであって、清国はそれに倣ったに過ぎない。
更に調査団団長の載沢が大量の調査資料をも持ち帰ったと言う記述があるが、載沢が主に調査勉強したのは日本であったと言う事実には全く触れていない。
その伊藤博文に関しても、彼が朝鮮人テロリスト安重根に暗殺されたのを、あたかも当然だと言わんばかりの書き方をしている。
そもそも清朝末期の心ある清の要人たちは、一足先に近代国家の建設に成功した日本には強い関心を持って、その前例から学び取ろうと言う意欲を強く持っていたのであって、李鴻章、張之洞、袁世凱などみな日本とは深い関係を結んでいたし、日本側の知識人や政治家も清朝の内情には大いに関心を持っていた。
ところが本書の著者は「日本は悪の帝国、清は善の帝国」という先入主に凝り固まっていて、なにがしか日本に縁のある者は全て「悪い奴」「狡い奴」としてしか描写しないという書きっぷりである。
中でも目に余るのは康有為に関する記述だ。康有為は日本とは非常に縁が深かったが、毀誉褒貶の多い人物ではあったとはいえ、本書ではこの歴史的有名人を「野狐」という悪意顕わな綽名で呼び続けるというのは異常としか言えない。
著者は巻末に本書を書くために資料収集した先として、英国、米国、中国、台湾、フランス、イタリアの図書館や博物館の名前を挙げているが、日本の図書館も博物館も全く名前が無い。あれほど深い関係があった日本については、実際に日本に来ての調査研究は一切やらないで、自分勝手な思い入れで悪しざまに書いたと言うわけだ。
こうしてみると、所詮本書はまともな歴史書といえる代物ではなく、面白半分に気楽に読むべき際物の書物と言うべきなのだろう。
特に浅田次郎の「蒼穹の昴」を読んだ読者、又はNHKのテレビドラマを見た読者が本書を読んだら、その面白さは二倍、三倍だろう。
本書の特徴は、今までそういう視点で捉えられことのなかった西太后を、有能な啓蒙専制君主として捉えてその実像に迫ろとしていることだろう。そのために丹念な資料収集を図っており、それによって初めて明らかにされた(と思われる)歴史エピソードも多く書かれている。
こうして描かれた個性豊かな啓蒙専制君主の西太后に比肩できる歴史上のヒロインは、ロシアのエカチェリーナ大帝くらいのものだろう。
このように内容豊かな力作なのに、歴史書としてみるなら大きな欠陥がある。
まず第1は、著者があまりにも西太后に個人的かつ情緒的に惚れ込んでしまったために、人物像の描写が過剰に美化されてしまって、描かれた史実の真偽が反って疑わしくなってしまっていることだ。評伝作家が対象人物に好意を持つことは悪くないし、それは執筆の情熱の源泉にもなることだろう。だが読者を納得させるには、冷静且つ客観的な描写態度が不可欠なことをこの著者は知るべきだ。
第2は、清朝末期の歴史を語るには日本との関係に触れないわけにはいかないのに、本書の著者はどうやら日本と日本人が大嫌いらしく、日本に関して著しく偏向した記述をしている。
自分が日本が嫌いならば、自分が崇敬する西太后もきっと日本嫌いであったに違いないと思い込んだとしか思えない記述が、あちこちに散見される。それが高じて一部史実を捻じ曲げた描写もある。
例えば、西太后は国の近代化を目指して立憲君主制の憲法を作ろうと考え、先進諸国への憲法の勉強研究の調査団を派遣した(1905年)と言う記述がある。これをあたかも西太后の独創案であるかのように書いているが、憲法制定のための海外調査団の派遣というのは、1882年(明治15年)に日本が伊藤博文を団長にして実施したことであって、清国はそれに倣ったに過ぎない。
更に調査団団長の載沢が大量の調査資料をも持ち帰ったと言う記述があるが、載沢が主に調査勉強したのは日本であったと言う事実には全く触れていない。
その伊藤博文に関しても、彼が朝鮮人テロリスト安重根に暗殺されたのを、あたかも当然だと言わんばかりの書き方をしている。
そもそも清朝末期の心ある清の要人たちは、一足先に近代国家の建設に成功した日本には強い関心を持って、その前例から学び取ろうと言う意欲を強く持っていたのであって、李鴻章、張之洞、袁世凱などみな日本とは深い関係を結んでいたし、日本側の知識人や政治家も清朝の内情には大いに関心を持っていた。
ところが本書の著者は「日本は悪の帝国、清は善の帝国」という先入主に凝り固まっていて、なにがしか日本に縁のある者は全て「悪い奴」「狡い奴」としてしか描写しないという書きっぷりである。
中でも目に余るのは康有為に関する記述だ。康有為は日本とは非常に縁が深かったが、毀誉褒貶の多い人物ではあったとはいえ、本書ではこの歴史的有名人を「野狐」という悪意顕わな綽名で呼び続けるというのは異常としか言えない。
著者は巻末に本書を書くために資料収集した先として、英国、米国、中国、台湾、フランス、イタリアの図書館や博物館の名前を挙げているが、日本の図書館も博物館も全く名前が無い。あれほど深い関係があった日本については、実際に日本に来ての調査研究は一切やらないで、自分勝手な思い入れで悪しざまに書いたと言うわけだ。
こうしてみると、所詮本書はまともな歴史書といえる代物ではなく、面白半分に気楽に読むべき際物の書物と言うべきなのだろう。
2020年12月15日に日本でレビュー済み
『マオ』の著者による慈禧(西太后)評伝。皇帝の側室から実子を後継に据え権力を手中にした、“中国三大悪女”の一人とされる慈禧の伝説を覆す。実子没後、再び甥を擁立し清朝の改革と延命を模索







