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複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス) 単行本 – 1999/11/5

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商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

20世紀は映像の世紀である。映画や写真などの複製芸術はどんな可能性をはらんでいるのか。巨大な思想家ベンヤミンの刺激あふれる先駆的映像芸術論。

内容(「MARC」データベースより)

20世紀は映像の世紀である。映画や写真などの複製技術は、どんな可能性をはらんでいるのか…。20世紀ドイツを代表する巨大な思想家・ベンヤミンの刺激あふれる先駆的映像芸術論。再刊。


登録情報

  • 単行本: 187ページ
  • 出版社: 晶文社 (1999/11/5)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4794912668
  • ISBN-13: 978-4794912664
  • 発売日: 1999/11/5
  • 商品パッケージの寸法: 18.8 x 12.2 x 2 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 2.8 6件のカスタマーレビュー
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形式: 単行本
20世紀初期のメディア論の代表作とされているベンヤミンの論文。ここでは、有名なアウラという用語が初めて使用されている。ベンヤミンによれば、アウラとは「どんなに近距離にあっても近づくことのできないユニークな現象」 だという。他の言い方をすれば、一つの作品が持つ歴史的証言力、権威、オリジナルの芸術作品が持つアクチュアリティー、それがアウラということになる。この論文でされている主張は、複製技術が発達することになった今、芸術作品に宿っていたアウラは急速に失われている、ということである。
 ベンヤミンはここで、二つの芸術的な価値を基準にして論を展開している。一つは、礼拝的価値であり、もう一方は展示的価値である。
礼拝的価値とは、芸術作品をアウラとの結びつきの弡?さを中心にしたものである。それは、いわば古代において「魔法の道具」として崇められた絶対的存在を感じさせる人工物(たとえば、想像上の神をかたどった石や粘土など)、今でもオリジナルかコピーかでずいぶんその価値や値段に差が出る美術作品などが代表的な例である。
一方で、展示的価値を論ずる場合、アウラとの結びつきの強さは問題とならない。複製技術の発達は、芸術作品をさまざまな文脈で展示、所有することを可能にした。同時に、複製技術は芸術作品の礼拝的価値の基盤であったアウラの基盤を作品からはぎ取る(ウォーホールなどのポッ
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形式: 単行本
まず、よく言われることであるが「複製技術時代の芸術」はベンヤミン読みの専門家からは「出来が悪い」と評されることが多い。ベンヤミンの持つ多面性、隠喩をベースにする記述手法とは異なる面が多いからであろうと思われる。その反面、ストレートな表現が多く、わかりやすくもなっている。その意味で入門書としては最適ではあるが、ベンヤミンの本来もっているアクチュアリティーをうまく表現できていない。よって「複製芸術」を読んで、「なんだこんなもんか」と思われる方もいるかもしれない。その意味でなんともアンビバレントな著作であるが、ベンヤミンのいう「アウラ」の一面を描いた著作であることは間違いないので、そのような位置づけ読むのであれば良書ではないでしょうか。
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投稿者 小谷野敦 投稿日 2014/11/27
形式: 単行本
25年くらい前に表題論文を読んで、何だかよく分からなかったが、演劇とか絵画とかはアウラがあるが、複製のある写真や映画にはないということだろうと思っていたら、写真や映画にもある、と書いてあるという文章を見て、もう一度見たが、要するに書き方が曖昧で不要に晦渋なのである。さらに、映画といってもようやくトーキーになった時代に書かれたもので、今日のような事態をベンヤミンは知らないのである。難解だからとありがたがるのは愚かであって、だいたいフランクフルト学派には概して難解なために教祖になり古典になっている人が多い。いつまでもベンヤミンでもないだろう。現代を生きる人には現代の芸術論があるだろうってものだ。 
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