内田樹氏自身が後書で、文学と言葉・思想に関する最後の総まとめと述べていらっしゃいますが、「生成的な言葉・届く言葉とは何か」というテーマに対し、日本最高峰の文学者(夏目漱石・三島由紀夫・村上春樹)や思想家(吉本隆明)から、ロラン・バルトなどフランスの傑出した思想家たちに至るまで、幅広い切り口でその深淵まで文学と言葉や思想を語った神戸女学院での最終14講義を纏めた傑作です。
最後の解説で内田氏を深く知悉する編集者が、70冊以上ある氏の本の中で自身にとって特別な一冊である周りの少なくない方が意見を同じくすると述懐されていますが、『文学と言葉・思想』を情理を尽くして語った内田氏の言葉とその熱(愛)に深い感銘を受けました。
各講義から特に印象に残る言葉を以下にご紹介します。多くの方(特に文学者や芸術家)に読んで頂きたい、類まれなる優れた本です。
第1講 言葉にとって愛とは何か?
・「書く」ということの本質は「読み手に対する敬意(と愛)」に帰着する。それは実践的に言うと、「情理を尽くして語る(という態度は創造性の実質)」ということになります。
第2講 「言葉の檻」から「鉱脈」へ
・「大人になることの苦しみ」を癒し、支援するために、太古から人類は「アドレッセンス(少年期)の喪失の物語」を(人類学的な仕掛けとして)くりかえし語ってきた。1913年『ル・グラン・モース(アラン・フルニエ)』、1925年『ザ・グレート・ギャッツビー(スコット・フィッツジェラルド)』、1953年『ザ・ロング・グッドバイ(レイモンド・チャンドラー)』、1982年『羊をめぐる冒険(村上春樹)』
第3講 電子書籍と少女マンガリテラシー
・「愛されている本」というか、人々の輿望を担って、満を持して書店に並んでいる本には、何かにじみでるような力がある。僕らはみんな本との宿命的な出会いを求めていて、宿命的に出会う為には偶然の出会いである必要がある。
第4講 ソシュールとアナグラム
・アナグラム(文字を置き換えると別の意味が表出する)というのは、別の主体が、僕たちの知らない言語生成プロセスの深層で行っている営みの表出である、僕はそんなふうに思います。「縁の下のこびとさん」による言語の「下ごしらえ」です。
第5講 ストカスティックなプロセス
・「未来のある時点で、すでに仕事を終えている自分」という前未来的な幻想に同化しないと、「今なすべき仕事」ができない。人間の身体って、そういうふうに出来ているんです。針の穴に糸を通すのも、バイクでコーナリングするのも、どちらも「ストカスティック(=目的志向的に物事が生起すること)なプロセス」です。
第6講 世界性と翻訳について
・吉本隆明や江藤淳は、上の世代にも下の世代にも共有されることのない、彼らに固有の「(大東亜戦争の)トラウマ的体験」を、そのような文脈のうちに置けばその思想的意味を共通の資源にできるのか、という切迫した問いに答えようとしました。僕は、この主題は普遍性を持つチャンスがあったと思います。でも、なかった。それは吉本隆明の側の責任ではありません。本質的には世界的な思想だったけれど、世界各国の地域性がそれを受け容れるだけの成熟に達していなかった。そういう形で「翻訳されない」ということもあるんです。
第7講 エクリチュールと文化資本
・日本では、知的な階層差をつくりたくないという社会的な要請が「レベルの高い学術情報を摂取したい」という要求と同じくらいつよい。知的に非階層的な社会であって欲しいと願っている人が少なからず存在する。これはフランスでは感じられない傾向だと僕は思います。
第8講 エクリチュールと自由
・語法のあり方は社会状況のあり方とぴったり同期しているんです。フランスにおいては、「語法の檻」はただしく「社会の檻」として機能している。バルトにしてもブルデューにしても、そのような階層再生産のシステムを鮮やかに分析していながら、その分析を語る語法は「エリート限定」なんです。たぶん日本人だけだと思います、「むずかしすぎりよこれ」って文句を言うのは。これを本当に読まななければいけない読者にこれじゃ届かないじゃないか、って。いったい誰に宛てて書いているのか。これは非常に重要な問題だと思います。
第9講 「宛て先」について
・「メッセージの解釈の仕方を指示するメッセージ」であるメタ・メッセージのもっとも本質的な様態はそれが宛て先を持っているということです。聖書の創世記、主はアブラハムにメタ・メッセージを送ったのです。アブラハムは(息子を殺して生贄にしろという)主の言葉を理解したのではありません。主の言葉が彼には「届いた」のです。コンテンツは理解できないけど、(自分に宛てたメッセージとして)届いた。それがメタ・メッセージというものの本性だからです。
第10講 「生き延びるためのリテラシー」とテキスト
・移行期的混乱の中で君たちはこれから結婚して家庭をつくっていくことになるわけですけど、これからは「本当に新しいもの」をつくってゆかないと間に合わない。古い制度はもう賞味期限が切れていると思うんです。
第11講 鏡像と共―身体形成
・千里眼とか未来予知とか空中浮揚とか壁抜けとか、僕はそういうことができる人がいることを信じますけれど、ほとんどの人は信じない。でも、「信じられる」というのは、けっこうすごい能力じゃないかと僕は思うんです。ふつうの人は知識では説明できない出来事について聞くと、とりあえずは、「そんなことはありえない」という反応をする。それってちょっとつまらないと思いませんか。まずは「信じる」ところから入っちゃダメですかね。自分には思いがけない潜在能力があるかも知れないと思っていた方が潜在能力がブレークスルーを起こすチャンスが多いと思いませんか?
第12講 意味と身体
・外国語の学習というのは、本来、自分の種族には理解できない概念や、存在しない感情、知らない世界の見方を、他の言語集団から学ぶことなんです。本来、外国語というのは、自己表現のために学ぶものではないんです。自己を豊かにするために学ぶものなんです。自分を外部におしつけるためではなく、外部を自分のうちに取り込むために学ぶものなんです。言語は道具ではありません。金をかき集めたり、自分の地位や威信を押し上げたり、文化資本で身を飾ったりするための手段ではありません。そのような欲望の主体そのものを解体する、力動的で生成的な営みなんです。
第13講 クリシェと転がる檻
・母語の古典を浴びるように読む。それが自分の肉体に食い込んでくるまで読む。そうして身体化した定型は強い。母語の正則的な統辞法や修辞法や韻律の美しさや論理の鮮やかさを深く十分に内面化できた人にはどのような破格も許されるからです。破格や逸脱というのは、規則を熟知している人間にしかできない。悪魔は神学的には天使が堕落したものとされています。神とまったく関係のないところに悪魔が孤立的に生まれることはできません。というのは、神の定めたすべてのルールを完全に内面化していないと、あらゆる場合に神の意思の実現を妨げるという悪魔の仕事が果たせないからです。
・言語の冒涜は定型を十分に内面化できた人間だけに許される。その人がどんな言葉の組み合わせをしても、どんな新語をひねり出しても、どんな文法的破格を試みても、許される。だって「わかる」から。何が言いたいのか、わかる。そのような言葉の使い手になること、それがおそらく生成的な言葉と出会う唯一のチャンスではないか。僕にはそのように思われるのです。
第14講 リーダビリティと地下室
・明治の知識人たちの超人的な知的活動を駆動していたのは、競争優位に立って、「いい思い」をすることではありません。国を救わなければならないという切羽つまった義務感です。夏目漱石は英語、森鴎外はドイツ語、中江兆民はフランス語を短期的に習得して、信じられないくらいのレベルに達しました。でも、彼らはその言語能力を海外の制度文物の消化吸収と翻訳のために、ほとんどそれだけのために活用した。
・夏目漱石という人は東京帝国大学の英文学の教師でしたが、大学で英文学を講じていただけでは「もう間に合わない」と思い切ると、学校を辞めて、朝日新聞の社員になり、『虞美人草』を描き始めます。明治の青年に向かって、「人はいかに生きるべきか」を物語的な迂回を通じてですが、縷々説き聞かせた。『虞美人草』というんは通俗小説のように見えますけれど、驚くほど教訓的な物語です。漱石は『虞美人草』から始めたんだと僕は思います。若い日本人に向かって、君たちが教育を受けたのは、「託された仕事」があるからである。就学機会は贈与されたものなのだから、君たちには反対給付義務がある。それを社会に還元しなければならない。漱石はそう語ったのです。
・メタ・メッセージというのは、頭で作文するものではありません。どこから来るかというと、僕たちの深いところから来るものです。言語の表層ではなく、言語の魂(soul)から来る。「届く言葉」とは言葉にするとすごく簡単なのですが、「魂から出る言葉」「生身から出る言葉」ということです。そのような言葉だけが他者に届く。当たり前じゃないかと言われるかもしれませんが、「魂」というのは辞書的な定義とは随分違うものです。もっと力動的で、もっと生々しい生物的なものだと思います。見知らぬ他者の、死者たちの記憶が皆さんのなかでざわめいている。死者たちの記憶は消えない。ある種の波動のような形で残っていて、それが僕たちの「ソウル」をかたちづくり、そこから他者に届く言葉が不断に生成している。そういうことではないと思うのであります。
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