終戦後も軍隊組織が厳然として残っていたという事実を、迂闊なことに全く
知りませんでした。中国の軍隊に志願して戦った日本人がいたことは聞いた
ことがあり、「何でまた物好きな・・・」程度にしか認識していませんでした。
今回本書を読んでみて、どうやら強制的に残留させられた人間が多数存在し
たことが、どうやら本当らしいと思いました。本人達が知らないうちに除隊
措置がとられていたとすれば、これは大問題だと思います。
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蟻の兵隊―日本兵2600人山西省残留の真相 (新潮文庫) 文庫 – 2010/7/28
昭和二十年八月、日本は無条件降伏した。だが彼らの帰還の道は閉ざされていた! 北支派遣軍第一軍の将兵約二六〇〇人は、敗戦後、山西省の王たる軍閥・閻錫山の部隊に編入され、中国共産党軍と三年八カ月に及ぶ死闘を繰り広げた。上官の命令は天皇の命令、そう叩き込まれた兵に抗うすべはなかったのだ──。闇に埋もれかけた事実が、歳月をかけた取材により白日の下に曝される。
- 本の長さ278ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2010/7/28
- 寸法10.5 x 1.1 x 15 cm
- ISBN-104101329613
- ISBN-13978-4101329611
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
昭和二十年八月、日本は無条件降伏した。だが彼らの帰還の道は閉ざされていた!北支派遣軍第一軍の将兵約二六〇〇人は、敗戦後、山西省の王たる軍閥・閻錫山の部隊に編入され、中国共産党軍と三年八カ月に及ぶ死闘を繰り広げた。上官の命令は天皇の命令、そう叩き込まれた兵に抗うすべはなかったのだ―。闇に埋もれかけた事実が、歳月をかけた取材により白日の下に曝される。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
池谷/薫
1958(昭和33)年、東京生れ。同志社大学卒業後、数々のテレビ・ドキュメンタリーを演出する。’89(平成元)年の天安門事件以降、中国をフィールドの中心に据え、取材を続けている。映画監督デビュー作「延安の娘」はベルリン国際映画祭をはじめ、世界各国で賞賛された。二作目の「蟻の兵隊」で、日本軍将兵の山西省残留問題に初めてスポットライトを当てる。同作は封切前から話題となり、ドキュメンタリーとしては異例のロングラン上映となった(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1958(昭和33)年、東京生れ。同志社大学卒業後、数々のテレビ・ドキュメンタリーを演出する。’89(平成元)年の天安門事件以降、中国をフィールドの中心に据え、取材を続けている。映画監督デビュー作「延安の娘」はベルリン国際映画祭をはじめ、世界各国で賞賛された。二作目の「蟻の兵隊」で、日本軍将兵の山西省残留問題に初めてスポットライトを当てる。同作は封切前から話題となり、ドキュメンタリーとしては異例のロングラン上映となった(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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カスタマーレビュー
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2016年5月4日に日本でレビュー済み
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今回は冒頭から読み始めて、初めて映画が作られた後で書かれた本だということを知りました。「映画版が蟻の目のように地上に位置して主人公を追うのと対照的に、本書で筆者は鳥の目となって事件全体の流れを俯瞰している」と解説にもありますがまさにそういう思いで読み事件のおおよその輪郭が掴めました。映画と本書は相互補完的な関係にあるといってもよく、むしろ本書を読んでから映画を観た方がわかりやすいくらいなので、本書が品切れ絶版状態で新刊書店で手に入らないのが残念です。解説担当の手塚正巳氏も自身の取材体験からかなり衝撃的なエピソードを紹介していて、これも独立して一読の価値があると思います。
2012年8月25日に日本でレビュー済み
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今年、戦後67年の終戦記念日に読んだ、浅田次郎「終わらざる夏」は、フィクションではあったが、戦争は8月15日に終決せず、北は、ソ連(スターリンの捕虜50万人移送と強制労働利用)、オホーツク(千島列島の先端での日ソ軍の戦後の戦闘)から、台湾海峡、中国国内、あるいは東シナ海など(以下に紹介する2つの戦争秘話など)でも、長く続いていたこと、そして、この夏は、今も終わっていないことを、強く感じさせてくれた。事実は小説より…、その後に、思い立って読んだ、本書、奇しくも、自分と同じ歳のジャーナリストが表した「終わらざる夏」は、今までの、自分の勉強不足と日本人の戦争における生き様を思い知らされるものであり(この年になるまで、毎年、この日をどういう思いでむかえてきたのか)、浅田氏が「できるだけの資料を集めて、戦争について記し、若い世代に伝えたい、そのぎりぎりの世代が自分」というのを、この夏、痛感している。さて蟻の兵隊、とは。昭和20年8月、日本の無条件降伏当時、中国山西省にいた北支派遣軍第1軍将兵2600人が、ポツダム宣言に違反して武装解除を受けることなく、山西省の軍閥・閻錫山の部隊に編入され、戦後なお4年間共産党軍と戦い、約550人が戦死、700人以上が捕虜となった。上官の命令は天皇の命令、そう叩き込まれて残留することになったこの「蟻の兵隊」に対し、国は「敵前逃亡」扱いで軍籍を抹消、「自らの意志で残り、勝手に戦争を続けた」とし、彼らが求める戦後補償を拒み続けてきた。戦後60年経って、元残留兵らは軍人恩給の支給を求めて最高裁に上告。この戦争秘話を、池谷氏が、捕虜となり、戦後9年経って帰国した残留兵士の一人、奥村和一氏の“日本軍山西省残留問題”の真相解明のため孤軍奮闘する姿を追ったドキュメンタリー映画であり、破格のロングランとなったもの。国から2度、捨てられた、奥村氏は86歳の昨年、無念のままに亡くなられた。初年兵教育として敵国人の銃剣による刺殺の命令(日本軍は想像を絶する縦社会であった)や閻の農民への恐怖政治などのエピソードは、読んでいてたまらない。手塚氏のあとがきも胸に詰まるものがある。
2014年9月13日に日本でレビュー済み
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「国に2度にわたって棄てられた」兵隊の話は、日本人の無責任な集団心理を象徴。
「受け身体制に終始して米中ソに振り回される歴史」が繰り返さらないことを祈るばかり。
日中戦争集結をめぐる各国の思惑を整理すると以下:
(米国) 共産党は抑えたい。でも矢面には立ちたくない。
(国民党)共産党を抑えたい。強い日本兵を利用したい。
(日本)受け身。あとで責任を問われることは回避したい。
この思惑の中で、(国民党)が(日本)に「残留兵を使いたい」と迫り、
受け身でサラリーマン体制の(日本)は「気持ちは理解。ただし、公式にはできないので
いったん除隊という形をとりたい」と悪知恵を駆使し、米国は「見て見ぬふり」を決め込む。
裁判所の判決=「我が国の敗北を認めたくないなどの意思に基づいて残留を継続したものというべきであるから、
特務団に移った時期にさかのぼって除隊として取り扱われてもやむを得ないものであったと認める」。
回りくどい「言い訳」の羅列。これでは日本のため、国民党のために”戦後”を戦った日本兵は報われない。
国を憂う日本人には必読。
「受け身体制に終始して米中ソに振り回される歴史」が繰り返さらないことを祈るばかり。
日中戦争集結をめぐる各国の思惑を整理すると以下:
(米国) 共産党は抑えたい。でも矢面には立ちたくない。
(国民党)共産党を抑えたい。強い日本兵を利用したい。
(日本)受け身。あとで責任を問われることは回避したい。
この思惑の中で、(国民党)が(日本)に「残留兵を使いたい」と迫り、
受け身でサラリーマン体制の(日本)は「気持ちは理解。ただし、公式にはできないので
いったん除隊という形をとりたい」と悪知恵を駆使し、米国は「見て見ぬふり」を決め込む。
裁判所の判決=「我が国の敗北を認めたくないなどの意思に基づいて残留を継続したものというべきであるから、
特務団に移った時期にさかのぼって除隊として取り扱われてもやむを得ないものであったと認める」。
回りくどい「言い訳」の羅列。これでは日本のため、国民党のために”戦後”を戦った日本兵は報われない。
国を憂う日本人には必読。
2011年10月10日に日本でレビュー済み
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日中戦争と簡単に言ってしまうのは歴史が受験勉強の一つである限り仕方のない見方なのでしょうが、現実は日本対中華民国という簡単な構図ではなく、そこには共産党軍や馬賊、軍閥も割拠しており、日本軍も含めて互いに合従連衡して戦闘していたという事実を知らなければ「蟻の軍隊」の悲惨さは伝わりません。
では何が悪かったのか、誰が悪かったのかと問われれば、どこにも悪意がなかったことは本書を読めば誰にでも分かります。軍や政府が戦後処理(敗戦処理)をしくじったのだとは簡単には言えるでしょうが、そこには「ポツダム宣言の受諾」が重く圧し掛かってきます。
政治やマスコミの世界ではいつも靖国参拝の是非ばかり取り上げられますが、今でも生きて闘い続けている元兵士の方々がいらっしゃることを忘れないで頂きたいし、この「忘れない」ということが現代を生きる我々にとって重要なことであり本書の存在価値だと思います。
では何が悪かったのか、誰が悪かったのかと問われれば、どこにも悪意がなかったことは本書を読めば誰にでも分かります。軍や政府が戦後処理(敗戦処理)をしくじったのだとは簡単には言えるでしょうが、そこには「ポツダム宣言の受諾」が重く圧し掛かってきます。
政治やマスコミの世界ではいつも靖国参拝の是非ばかり取り上げられますが、今でも生きて闘い続けている元兵士の方々がいらっしゃることを忘れないで頂きたいし、この「忘れない」ということが現代を生きる我々にとって重要なことであり本書の存在価値だと思います。
2011年2月4日に日本でレビュー済み
映画はまだ観ていない。ぜひ観たい。
大日本帝国の敗戦後、山西省を支配する軍閥・閻錫山のもとで、戦った兵士がいたことを初めて知った。
当時の中華民国山西省に限らず、帝国陸軍の一部は、終戦後も、アジア各地で現地軍に合流して、その民族の独立戦争のために戦いを継続したという記録は多い。その多くの事例は、「現地軍に請われ、意気に感じて、義勇軍的に自発的に戦いに加わった」と、伝わるものもある。本当にそうだったのか。この本を読むと、すべてのケースについて、再検証の必要があるのではないかと思いたくなった。
現地軍の司令官と山西軍閥の首領(中国国民党軍司令を兼ねる)とが野合して、日本軍の一部を、軍閥に「貸与」する密約によって、戦う必要がない戦場で戦を重ねた彼ら。人民解放軍に対峙すべき、本来の国民党軍も山西軍も逃避し、戦う必然がない帝国陸軍の残党が、最後の一兵まで、山西省の省都・太源を死守する。
この本は、その真意をえぐりだす。行きがかりとはいえ、戦闘の本義を全うし、任務に死力を尽くす彼ら。同じ日本人として誇りを感じると同時に、無名を承知で死んでいった、「蟻の兵隊」たちの姿勢に感動を禁じえない。
一方で、最大の原因を作った首謀者・澄田ライ(不本意だが文字がでない)四郎中将らは、巧妙に帰国し、戦犯を逃れ、部下を置き去りにした卑劣を恥じることもなく、戦後日本を生き延びていたとは。
また、批判されることが多い帝国陸軍の将軍の中で、今なお多くの尊敬を集めている、今村均中将。その弟、今村方策大佐が、この地で、死力を尽くして戦い、無念に自決していったこともはじめて知った。自決にいたる行動についても記録してあり、兄に劣らぬ素晴らしい人間だったことも知った。
戦闘の終了、共産党による抑留生活。同胞に遅れること10年の歳月を経て、ようやく祖国の土を踏んだ彼らの身に、さらに待っていた苛烈な仕打ちのくだりでは、「蟻の兵隊」同様の怒りが、こみあげてくる。こんな、理不尽があっていいのか。大東亜戦争の終末期にしばしば出現する理不尽の中でも、彼らに加えられた、最大級の理不尽が、この本に記録されている。
映像にするために、膨大な取材を重ね、大量の戦史を読み解き、映像だけでは収まらないものがあるので、さらに本にまとめた、ということだが、本としても完成されている。
「終戦後も戦いを継続せねばならなかった」当時の状況を、大量の素材を丹念に取捨選択し、きちんと構成して、世に問うた、優れた一冊だ。
大日本帝国の敗戦後、山西省を支配する軍閥・閻錫山のもとで、戦った兵士がいたことを初めて知った。
当時の中華民国山西省に限らず、帝国陸軍の一部は、終戦後も、アジア各地で現地軍に合流して、その民族の独立戦争のために戦いを継続したという記録は多い。その多くの事例は、「現地軍に請われ、意気に感じて、義勇軍的に自発的に戦いに加わった」と、伝わるものもある。本当にそうだったのか。この本を読むと、すべてのケースについて、再検証の必要があるのではないかと思いたくなった。
現地軍の司令官と山西軍閥の首領(中国国民党軍司令を兼ねる)とが野合して、日本軍の一部を、軍閥に「貸与」する密約によって、戦う必要がない戦場で戦を重ねた彼ら。人民解放軍に対峙すべき、本来の国民党軍も山西軍も逃避し、戦う必然がない帝国陸軍の残党が、最後の一兵まで、山西省の省都・太源を死守する。
この本は、その真意をえぐりだす。行きがかりとはいえ、戦闘の本義を全うし、任務に死力を尽くす彼ら。同じ日本人として誇りを感じると同時に、無名を承知で死んでいった、「蟻の兵隊」たちの姿勢に感動を禁じえない。
一方で、最大の原因を作った首謀者・澄田ライ(不本意だが文字がでない)四郎中将らは、巧妙に帰国し、戦犯を逃れ、部下を置き去りにした卑劣を恥じることもなく、戦後日本を生き延びていたとは。
また、批判されることが多い帝国陸軍の将軍の中で、今なお多くの尊敬を集めている、今村均中将。その弟、今村方策大佐が、この地で、死力を尽くして戦い、無念に自決していったこともはじめて知った。自決にいたる行動についても記録してあり、兄に劣らぬ素晴らしい人間だったことも知った。
戦闘の終了、共産党による抑留生活。同胞に遅れること10年の歳月を経て、ようやく祖国の土を踏んだ彼らの身に、さらに待っていた苛烈な仕打ちのくだりでは、「蟻の兵隊」同様の怒りが、こみあげてくる。こんな、理不尽があっていいのか。大東亜戦争の終末期にしばしば出現する理不尽の中でも、彼らに加えられた、最大級の理不尽が、この本に記録されている。
映像にするために、膨大な取材を重ね、大量の戦史を読み解き、映像だけでは収まらないものがあるので、さらに本にまとめた、ということだが、本としても完成されている。
「終戦後も戦いを継続せねばならなかった」当時の状況を、大量の素材を丹念に取捨選択し、きちんと構成して、世に問うた、優れた一冊だ。
2010年10月11日に日本でレビュー済み
1945年8月15日以降も中国にとどまり続け、国民政府軍に同調させられつつ、八路軍(共産党軍、後の人民解放軍)との4年弱にも及ぶ戦闘に巻き込まれた、近代戦史上、異例かつ異様な「北支派遣第1軍の将兵2600人」の越し方を描いたノンフィクション。著者の取材は執拗かつ丁寧で、筆致も時系列に沿って明快にして客観的。しかも、山西省残留を余儀なくされた将兵の側にはっきりと軸足を置くものになっている。
「一体どこの世界に、敗戦後も好きで戦争を続ける人間などいますか」と叫ぶ、無名の元兵士。大言壮語と保身に汲々とする陸軍最高幹部。老獪な中国国民政府軍(元軍閥)の指導者。これらの人間群像が織りなす、歴史の闇に置き去りにされた「事件」の全体を真摯に描き上げた傑作。評者は本書のベースになったというノンフィクション映画を見る機会を逸しており、本作でやっとこの史実の詳細を知ることができた。
「一体どこの世界に、敗戦後も好きで戦争を続ける人間などいますか」と叫ぶ、無名の元兵士。大言壮語と保身に汲々とする陸軍最高幹部。老獪な中国国民政府軍(元軍閥)の指導者。これらの人間群像が織りなす、歴史の闇に置き去りにされた「事件」の全体を真摯に描き上げた傑作。評者は本書のベースになったというノンフィクション映画を見る機会を逸しており、本作でやっとこの史実の詳細を知ることができた。
2008年3月22日に日本でレビュー済み
「蟻の兵隊」については著者が監督した同タイトルの映画により初めて知った。
衝撃的なドキュメンタリーだった。無名の監督の、営業的には地味かと思われる
作品が、心あるジャーナリストや若者たちの間で話題となり、異例のロングラン、
地方の映画館からも次々に上映希望が届き、やがて全国に広がっていった。
監督が40代と若く、当事者たちの孫の世代にまで事実を届け、共感を広げる
ことに成功したことに因ろう。
山西省残留兵問題。敗戦後、残留を命ぜられ中国共産軍と闘い続け捕虜になり、
戦後10年もたって帰国した彼らは、しかし「逃亡兵」とみなされ戦後補償をも
拒否され続けている。日本政府は、彼らが”自分の意志で帰国を拒み、勝手に
戦争を続けた”とみなす立場を今も変えていない。当事者の多くが亡くなり
歴史の闇に葬られようとしているこの事件。
映画では入りきらなかった資料や事実の詳細を、当事者達の証言とともに
活字に残し得たことの意義は大きい。今後の検証と歴史に事実を残すことへの
一助となろう。願わくは彼らの存命中に、彼らの名誉と尊厳が回復されんことを。
衝撃的なドキュメンタリーだった。無名の監督の、営業的には地味かと思われる
作品が、心あるジャーナリストや若者たちの間で話題となり、異例のロングラン、
地方の映画館からも次々に上映希望が届き、やがて全国に広がっていった。
監督が40代と若く、当事者たちの孫の世代にまで事実を届け、共感を広げる
ことに成功したことに因ろう。
山西省残留兵問題。敗戦後、残留を命ぜられ中国共産軍と闘い続け捕虜になり、
戦後10年もたって帰国した彼らは、しかし「逃亡兵」とみなされ戦後補償をも
拒否され続けている。日本政府は、彼らが”自分の意志で帰国を拒み、勝手に
戦争を続けた”とみなす立場を今も変えていない。当事者の多くが亡くなり
歴史の闇に葬られようとしているこの事件。
映画では入りきらなかった資料や事実の詳細を、当事者達の証言とともに
活字に残し得たことの意義は大きい。今後の検証と歴史に事実を残すことへの
一助となろう。願わくは彼らの存命中に、彼らの名誉と尊厳が回復されんことを。