著者は日本史や中国史から題材をとるイメージが強いけど、著者は元はモンゴル語専攻。
本領発揮ですね。
私自身はモンゴルに3度行き通算2か月ほど滞在しましたが、本書のモンゴルと現在のモンゴルにはだいぶ差があるな、と感じました。
あと著者は本作の中で、モンゴル人は馬を友人として扱うので馬肉は食べない、と記述していますが、そんなことはないです。
昔は民族全体が貧しく、馬は貴重な労働資源でもあり、自然死するまで使役したから食肉用に屠殺することが少なかっただけ。
現在は国が最貧困から脱したのと、多くの国民が遊牧を放棄し都市生活者が急増し、国民の半数にも達したため、馬が食肉に供されることも珍しくなく、人によっては大好物です。
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草原の記(新潮文庫) Kindle版
価格 | 新品 | 中古品 |
空想につきあっていただきたい。
モンゴル高原が、天にちかいということについてである――。
一人のモンゴル女性がたどった苛烈な体験を通し、20世紀の激動と、
その中で変わらぬ営みを続ける遊牧の民の歴史を語り尽くす。
史上空前の大帝国をつくりだしたモンゴル人は、いまも高燥な大草原に変わらぬ営みを続けている。少年の日、蒙古への不思議な情熱にとらわれた著者が、遥かな星霜を経て出会った一人のモンゴル女性。激動の20世紀の火焔を浴び、ロシア・満洲・中国と国籍を変えることを余儀なくされ、いま凜々しくモンゴルの草原に立つその女性をとおし、遊牧の民の歴史を語り尽くす、感動の叙事詩。
【目次】
匈奴(きょうど)
シベリアの煖炉(だんろ)
黒い砂地(カラ・コルム)
城市(まち)
雲
虚空
帰ってくる話
解説:山崎正和
※電子書籍版には解説は収録しておりません。
本書「解説」より
秋、高原の草が枯れると遊牧民は南下し、春になって緑が萌えると雁(がん)のように北へ帰る。百年の元朝が滅んだとき、モンゴルの諸将はこの伝統そのままに、じつに淡泊に自領を捨てて北へ帰ったからである。
著者は、このふしぎな民族を象徴させるように、巧みに二人の人物を対比的に登場させる。一人は、十三世紀に帝国の基礎を築いたオゴタイ・ハーンであり、もう一人は、現代史の非情を淡々と生きぬいた、知的な女性「ツェベクマさん」である。
――山崎正和(劇作家)
司馬遼太郎(1923-1996)
大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を一新する話題作を続々と発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞したのを始め、数々の賞を受賞。1993(平成5)年には文化勲章を受章。“司馬史観"とよばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめるなか、1971年開始の『街道をゆく』などの連載半ばにして急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。
モンゴル高原が、天にちかいということについてである――。
一人のモンゴル女性がたどった苛烈な体験を通し、20世紀の激動と、
その中で変わらぬ営みを続ける遊牧の民の歴史を語り尽くす。
史上空前の大帝国をつくりだしたモンゴル人は、いまも高燥な大草原に変わらぬ営みを続けている。少年の日、蒙古への不思議な情熱にとらわれた著者が、遥かな星霜を経て出会った一人のモンゴル女性。激動の20世紀の火焔を浴び、ロシア・満洲・中国と国籍を変えることを余儀なくされ、いま凜々しくモンゴルの草原に立つその女性をとおし、遊牧の民の歴史を語り尽くす、感動の叙事詩。
【目次】
匈奴(きょうど)
シベリアの煖炉(だんろ)
黒い砂地(カラ・コルム)
城市(まち)
雲
虚空
帰ってくる話
解説:山崎正和
※電子書籍版には解説は収録しておりません。
本書「解説」より
秋、高原の草が枯れると遊牧民は南下し、春になって緑が萌えると雁(がん)のように北へ帰る。百年の元朝が滅んだとき、モンゴルの諸将はこの伝統そのままに、じつに淡泊に自領を捨てて北へ帰ったからである。
著者は、このふしぎな民族を象徴させるように、巧みに二人の人物を対比的に登場させる。一人は、十三世紀に帝国の基礎を築いたオゴタイ・ハーンであり、もう一人は、現代史の非情を淡々と生きぬいた、知的な女性「ツェベクマさん」である。
――山崎正和(劇作家)
司馬遼太郎(1923-1996)
大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を一新する話題作を続々と発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞したのを始め、数々の賞を受賞。1993(平成5)年には文化勲章を受章。“司馬史観"とよばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめるなか、1971年開始の『街道をゆく』などの連載半ばにして急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1995/10/1
- ファイルサイズ543 KB
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
出版社より
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梟の城 | 人斬り以蔵 | 果心居士の幻術 | 馬上少年過ぐ | 歴史と視点 | アメリカ素描 | |
【新潮文庫】司馬遼太郎 作品 | 信長、秀吉……権力者たちの陰で、凄絶な死闘を展開する二人の忍者の生きざまを通して、かげろうの如き彼らの実像を活写した長編。〈直木賞受賞〉 | 幕末の混乱の中で、劣等感から命ぜられるままに人を斬る男の激情と苦悩を描く表題作ほか変革期に生きた人間像に焦点をあてた 8 編。 | 戦国時代の武将たちに利用され、やがて殺されていった忍者たちを描く表題作など、歴史に埋もれた興味深い人物や事件を発掘する。 | 戦国の争乱期に遅れた伊達政宗の生涯を描く表題作。坂本竜馬ひきいる海援隊員の、英国水兵殺害に材をとる「慶応長崎事件」など 7 編。 | 歴史小説に新時代を画した司馬文学の発想の源泉と積年のテーマ、”権力とは””日本人とは”に迫る、独自な発想と自在な思索の軌跡。 | 初めてこの地を旅した著者が、「文明」と「文化」を見分ける独自の透徹した視点から、人類史上稀有な人工国家の全体像に肉迫する。 |
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草原の記 | 司馬遼太郎が考えたこと 1~15 | 国盗り物語〔一〕~〔四〕 | 燃えよ剣〔上・下〕 | 新史 太閤記〔上・下〕 | 花神〔上・中・下〕 | |
一人のモンゴル女性がたどった苛烈な体験をとおし、 20 世紀の激動と、その中で変わらぬ営みを続ける遊牧の民の歴史を語り尽くす。 | 40年以上の創作活動のかたわら書き残したエッセイの集大成シリーズ。第 1 巻は新聞記者時代から直木賞受賞前後までの 89 篇を収録。 | 貧しい油売りから美濃国主になった斎藤道三、天才的な知略で天下統一を計った織田信長。新時代を拓く先鋒となった英雄たちの生涯。 | 組織作りの異才によって、新選組を最強の集団へ作りあげてゆく”バラガキのトシ”──剣に生き剣に死んだ新選組副長土方歳三の生涯。 | 日本史上、最もたくみに人の心を捉えた”人蕩し”の天才、豊臣秀吉の生涯を、冷徹な史眼と新鮮な感覚で描く最も現代的な太閤記。 | 周防の村医から一転して官軍総司令官となり、維新の渦中で非業の死をとげた、日本近代兵制の創始者大村益次郎の波瀾の生涯を描く |
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城塞〔上・中・下〕 | 項羽と劉邦〔上・中・下〕 | 風神の門〔上・下〕 | 覇王の家〔上・下〕 | 峠〔上・中・下〕 | 関ケ原〔上・中・下〕 | |
秀頼、淀殿を挑発して開戦を迫る家康。大坂冬ノ陣、夏ノ陣を最後に陥落してゆく巨城の運命に託して豊臣家滅亡の人間悲劇を描く。 | 秦の始皇帝没後の動乱中国で覇を争う項羽と劉邦。天下を制する”人望”とは何かを、史上最高の典型によってきわめつくした歴史大作。 | 猿飛佐助の影となって徳川に立向った忍者霧隠才蔵と真田十勇士たち。屈曲した情熱を秘めた忍者たちの人間味あふれる波瀾の生涯。 | 徳川三百年の礎を、隷属忍従と徹底した模倣のうちに築きあげていった徳川家康。俗説の裏に隠された”タヌキおやじ”の実像を探る。 | 幕末の激動期に、封建制の崩壊を見通しながら、武士道に生きるため、越後長岡藩をひきいて官軍と戦った河井継之助の壮烈な生涯。 | 古今最大の戦闘となった天下分け目の決戦の過程を描いて、家康・三成の権謀の渦中で命運を賭した戦国諸雄の人間像を浮彫りにする。 |
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胡蝶の夢 一 | 胡蝶の夢 二 | 胡蝶の夢 三 | 胡蝶の夢 四 | |
黒船来航で沸き立つ幕末。それまでの漢方医学一辺倒から、にわかに蘭学が求められるようになった時代を背景に、江戸幕府という巨大組織の中で浮上していった奥御医師の蘭学者、松本良順。悪魔のような記憶力とひきかえに、生まれついてのはみ出し者として短い一生を閉じるほかなかった彼の弟子、島倉伊之助。変革の時代に、蘭学という鋭いメスで身分社会の掟を覆していった男たち。 | 幕末海軍の教師団にポンペという軍医のいることを知った松本良順は、あらゆる圧力を断ち切って長崎に走る。やがて佐渡から語学の天才である弟子の伊之助を呼びよせた良順は、ポンペを師に迎え、まったく独力で医学伝習所を開講し、あわせて付属病院を建てる。ひろく庶民に門戸をひらいたこの病院は、身分で閉ざされた社会に、錐でもみ込むように西欧の平等思想を浸透させてゆく。 | ポンペの帰国とともに江戸の医学所の頭取となった松本良順は、緊張した時局の中で不眠に苦しんでいる一橋慶喜の主治医となり、阿片を用いてこれを治す。一方、語学の天才・伊之助は「七新薬」という蘭方の医書を刊行するまでになったが、その特異な性格が周囲に容れられず、再び佐渡に逼塞する。また、赤貧のなかでポンペ医学を修めた関寛斎は、請われて阿波蜂須賀家の侍医となる。 | 瓦解する幕府の海陸軍軍医総裁となった松本良順は、官軍の来襲とともに江戸を脱出し会津に向かう。他方、ともにポンペ医学を学んだ関寛斎も、官軍野戦病院長として会津に進軍し良順と対峙する。そして、激動のなかで何らなすところなく死んでゆく伊之助。徳川政権の崩壊を、権力者ではなく、蘭学という時代を先取りした学問を学んだ若者たちの眼を通して重層的に映し出した歴史長編。 |
登録情報
- ASIN : B00W1FH0IM
- 出版社 : 新潮社 (1995/10/1)
- 発売日 : 1995/10/1
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 543 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 223ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 144,665位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)
- - 2,482位ノンフィクション (Kindleストア)
- - 4,559位新潮文庫
- - 25,359位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1923年大阪市生まれ。大阪外国語学校蒙古語部卒。「ペルシャの幻術師」で講談倶楽部賞、『梟の城』で直木賞を受賞。『竜馬がゆく』『国盗り物語』『坂 の上の雲』『空海の風景』『翔ぶが如く』など構想の雄大さ、自在で明晰な視座による作品を多数発表。この他『街道をゆく』『風塵抄』『この国のかたち』な どの紀行、エッセイも多数。’96年逝去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 司馬遼太郎と寺社を歩く (ISBN-13: 978-4334747213)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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カスタマーレビュー
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2018年12月17日に日本でレビュー済み
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3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2018年5月13日に日本でレビュー済み
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司馬遼太郎の愛するモンゴルだけに観察眼が鋭利になっているように感じた。モンゴル人の愛すべき性癖、政治に翻弄される現代人(現代だけではないが)、馬、自然.....読後は清々しさを感じる。
2019年4月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
淡々と飄々とモンゴルの雲のように、かの地の歴史、風土、人の暮らしについて描かれている。紀元前から匈奴と呼ばれて恐れられていたモンゴル人の暮らしが今に至るも騎馬民族の誇りを失わず続いている。
チンギスハンやオゴタイハンの事、モンゴル人の馬に対する深く熱い思い、中国やロシアとの関係、満洲と関東軍の事、などが一人のモンゴル人女性との関わりの中で語られる。彼女は転変の歴史に翻弄されるが、その人としての誇りを失わず、凛然とモンゴルの大地に立つ。
モンゴルの風を感じて、忘れてはならない人としての誇りを思い出させてくれた。
チンギスハンやオゴタイハンの事、モンゴル人の馬に対する深く熱い思い、中国やロシアとの関係、満洲と関東軍の事、などが一人のモンゴル人女性との関わりの中で語られる。彼女は転変の歴史に翻弄されるが、その人としての誇りを失わず、凛然とモンゴルの大地に立つ。
モンゴルの風を感じて、忘れてはならない人としての誇りを思い出させてくれた。
2020年4月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
以前読んでその影響か、モンゴル自治区(残念ながら中国の自治区です)まで行ったことがあります。歴史小説とも、エッセイとも詩とも違う作品ですが、騎馬遊牧民への司馬さんのsympathyが深く感じられる作品です。そうNHKの「京都人の・・・」のような構成とでも言いましょうか。その中でもツエベクマさんというモンゴルに住む女性とその夫の半生がとても印象に残っていました。あることがきっかけでもう一度読み直してみたくなって、購入しました。kindleで読めるのはありがたかったです。
2016年5月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「空想につきあっていただきたい。モンゴル高原が天に近いということについてである。」一篇目の『匈奴』はそのように始まる。
紀元前、移動では騎乗しても戦闘時には馬を降りたアレクサンドロス大王の時代に匈奴は騎射していたという話から、歴史の中に消息を絶った彼らが四世紀の欧州に現れ、アッティラ率いるフン族としてハンガリー高原からビザンティン帝国まで侵入した話。モンゴル帝国の都カラコルムは東西の多様な宗教を持つ人々が同居し、あたかもローマの道のように世界各地へ通じる公道が敷かれ各地から物資や租税が運び込まれる世界帝国の都であったが、元の滅亡後、蒸発したようにもとの草原に戻った話。売られても売られても遥か遠い土地から飼い手の元へ帰ってくる馬の話や、ソ連への支援に送られたベトナム戦争下のハノイから、荷運びの使命を終えた馬が高原に帰ってきた話。「かねがねかれらの存在そのものが詩であると思ってきた」という司馬遼太郎のモンゴル愛が全篇ににじむ。
そして、30年前のモンゴル旅行で出会ったツェバクマさんの半生、その夫、師である日本女性。モンゴル、中国、日本の近現代史を生きた名もなき、でも、強く印象を残す市井の人々が一人の作家に掘り起こされ、語られて後の世代の読み手の心に刻まれて行く。帝都カラコルムを築いたオゴタイ・ハーンの「財宝がなんであろう、金銭がなんであるか、この世にあるものはすべて過ぎ行く。永遠なるもの、それは人間の記憶である」との言葉のように。
紀元前、移動では騎乗しても戦闘時には馬を降りたアレクサンドロス大王の時代に匈奴は騎射していたという話から、歴史の中に消息を絶った彼らが四世紀の欧州に現れ、アッティラ率いるフン族としてハンガリー高原からビザンティン帝国まで侵入した話。モンゴル帝国の都カラコルムは東西の多様な宗教を持つ人々が同居し、あたかもローマの道のように世界各地へ通じる公道が敷かれ各地から物資や租税が運び込まれる世界帝国の都であったが、元の滅亡後、蒸発したようにもとの草原に戻った話。売られても売られても遥か遠い土地から飼い手の元へ帰ってくる馬の話や、ソ連への支援に送られたベトナム戦争下のハノイから、荷運びの使命を終えた馬が高原に帰ってきた話。「かねがねかれらの存在そのものが詩であると思ってきた」という司馬遼太郎のモンゴル愛が全篇ににじむ。
そして、30年前のモンゴル旅行で出会ったツェバクマさんの半生、その夫、師である日本女性。モンゴル、中国、日本の近現代史を生きた名もなき、でも、強く印象を残す市井の人々が一人の作家に掘り起こされ、語られて後の世代の読み手の心に刻まれて行く。帝都カラコルムを築いたオゴタイ・ハーンの「財宝がなんであろう、金銭がなんであるか、この世にあるものはすべて過ぎ行く。永遠なるもの、それは人間の記憶である」との言葉のように。
2010年4月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2010年、見回してみれば感動・感激・涙・ベストセラーのかしましい
オンパレードです。
司馬さんは、もういません。
僕たちは、もう自分自身で高々とした蒼穹と
広々とした草原をわたる風を探さなくてはいけないみたいです。
何も思わず、考えず、「草原の記」を読了しました。
モンゴルの大草原の蒼穹の下、
草草の匂いを運んでくる風をたしかに感じながら、
立ちすくんでいる自分を感じています。
生きていくのにいささか疲れ果てていましたが、
ここで一休みしてゆっくりまわりを眺めていたいと思います。
ああ、司馬さんはほんとうにもういないのですね・・・。
オンパレードです。
司馬さんは、もういません。
僕たちは、もう自分自身で高々とした蒼穹と
広々とした草原をわたる風を探さなくてはいけないみたいです。
何も思わず、考えず、「草原の記」を読了しました。
モンゴルの大草原の蒼穹の下、
草草の匂いを運んでくる風をたしかに感じながら、
立ちすくんでいる自分を感じています。
生きていくのにいささか疲れ果てていましたが、
ここで一休みしてゆっくりまわりを眺めていたいと思います。
ああ、司馬さんはほんとうにもういないのですね・・・。