内容については、いわずもがなでしょう。近代の倫理、即ち功利主義について書かれた不朽の名作である。
しかし、21世紀の普通の日本人にとっては、翻訳の日本語が中々理解し
にくいのではないでしょうか。翻訳とは、訳者の解釈なので、できれば原
典にあたることが望ましいといえます。他のレビューにも訳文についての
意見がありますが、当を得ていると思います。
因みに・・・
著者の倫理思想については序文で説明されています。本編は、その思想を
下に自由についての理論的な主張がなされています。
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自由論 (岩波文庫) 文庫 – 1971/10/16
- ISBN-104003411668
- ISBN-13978-4003411667
- 出版社岩波書店
- 発売日1971/10/16
- 言語日本語
- 本の長さ288ページ
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
イギリスの思想家ジョン・スチュアート・ミル(1806‐73)の代表的著作。言論の自由をはじめ、社会生活における個人の自由について論じ、個人の自由の不可侵性を明らかにする。政府干渉の増大に対する警告など今日なお示唆を与えられるところ多く、本書をおいて自由主義を語ることはできないといわれる不朽の古典。
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カスタマーレビュー
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星5つ中の4.3
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年8月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
多様性がいかに重要であるか、本書を読めばそれが理解できる。
批判を恐れるものは自己の正当性を担保しえないのである。
批判あればこその正当性なのである。
ところが我が国はカルト的であり形式的には民主主義であっても、実質的には専制的なのである。
とにかく統制したいのはなぜか?
社会を軟弱な無菌室にしたいのは何故か?
その答が本書にはある。
今の日本に足りないのは、自由とは何であり、どこまで自由を制約できうるのか、の真の理解ではなかろうか?
カントリー・リスクが高いと言われているようであるが、日本が今後退廃的にならないために、今一度国家の存在意義、哲学を根本から見直す必要があると思う。
批判を恐れるものは自己の正当性を担保しえないのである。
批判あればこその正当性なのである。
ところが我が国はカルト的であり形式的には民主主義であっても、実質的には専制的なのである。
とにかく統制したいのはなぜか?
社会を軟弱な無菌室にしたいのは何故か?
その答が本書にはある。
今の日本に足りないのは、自由とは何であり、どこまで自由を制約できうるのか、の真の理解ではなかろうか?
カントリー・リスクが高いと言われているようであるが、日本が今後退廃的にならないために、今一度国家の存在意義、哲学を根本から見直す必要があると思う。
VINEメンバー
Amazonで購入
本書を手に取る方が功利主義に賛同的なのか批判的なのかは知らない。皆さんは「最大多数の最大幸福」という功利主義の原理を聞いてどのようなイメージをするだろうか。それは結局、多数派の独裁を正当化してしまい、少数の幸福が多数の幸福、より大きな幸福のために犠牲にされる事を正当化してしまう。今となっては功利主義はしばしばこのように批判される。結論としては私もそのように思う。
しかしながら功利主義の古典である本書を直接読んだ時、我々の目に入るのは必死で少数意見、優れた少数、多数に嘲笑される個性的で独創的な発想を擁護し、そしてそれが社会の発展に貢献する可能性を熱烈に論じる功利主義者ミルの姿である。彼は確かに個人主義者であり、進歩主義者でありそして何より自由主義者であった。
この事は功利主義の理論的問題をないものとする理由にはならない。今となっては功利主義は自由主義の主流理論によって常識的な批判対象となり、乗り越えるのが当然の理論となった。その問題点は様々なものが指摘されている。そもそも快楽幸福を最高の価値とする事が正しいのか。またそうだとしてもその計算が可能なのか。計算が可能だとしてもそれは少数を犠牲にしてしまうのではないか。功利主義は快楽幸福の平等さを問題にはせず、ただ総量のみを問題にする、これは不味いのではないかなどなど。今や右からも左からも批判される功利主義だが、未だその思索から学ばれる事は多い。そして本書の意義や、ミルの偉大さが否定されるような事もないように思う。
繰り返すが功利主義が理論的帰結として少数派の抑圧を正当化しうるにしても、それは決してミルの意図するところではなかった。これに関して最後に一つの事実を付け加えておけば、ミルが生きた時代はまだ多数派が少数派に抑圧される事の多い時代であり、社会の改善と進歩は多数派が力を持つ事によってもたらされる事が多かったそうだ。だが今は時代が変わり、むしろ多数派が少数派を無視し抑圧するような時代が到来しているのではと思う。功利主義が進歩を担う原動力となる時代は終わり、同じものが現状維持や抑圧を正当化する時代になったのである。
しかしながら功利主義の古典である本書を直接読んだ時、我々の目に入るのは必死で少数意見、優れた少数、多数に嘲笑される個性的で独創的な発想を擁護し、そしてそれが社会の発展に貢献する可能性を熱烈に論じる功利主義者ミルの姿である。彼は確かに個人主義者であり、進歩主義者でありそして何より自由主義者であった。
この事は功利主義の理論的問題をないものとする理由にはならない。今となっては功利主義は自由主義の主流理論によって常識的な批判対象となり、乗り越えるのが当然の理論となった。その問題点は様々なものが指摘されている。そもそも快楽幸福を最高の価値とする事が正しいのか。またそうだとしてもその計算が可能なのか。計算が可能だとしてもそれは少数を犠牲にしてしまうのではないか。功利主義は快楽幸福の平等さを問題にはせず、ただ総量のみを問題にする、これは不味いのではないかなどなど。今や右からも左からも批判される功利主義だが、未だその思索から学ばれる事は多い。そして本書の意義や、ミルの偉大さが否定されるような事もないように思う。
繰り返すが功利主義が理論的帰結として少数派の抑圧を正当化しうるにしても、それは決してミルの意図するところではなかった。これに関して最後に一つの事実を付け加えておけば、ミルが生きた時代はまだ多数派が少数派に抑圧される事の多い時代であり、社会の改善と進歩は多数派が力を持つ事によってもたらされる事が多かったそうだ。だが今は時代が変わり、むしろ多数派が少数派を無視し抑圧するような時代が到来しているのではと思う。功利主義が進歩を担う原動力となる時代は終わり、同じものが現状維持や抑圧を正当化する時代になったのである。
ベスト1000レビュアー
政治哲学の古典としてあまりに著名でありタイトルも硬いので敬遠されがちだが、誰もが読むべき古典であることには間違いない。ハト派政治家の宮沢喜一も中学2年で『自由論』を英文で繰り返し読み、ミルの思想には大いに影響を受けたというが、本書を読みこめばそりゃあハト派になるよな…と納得してしまうような一冊である。自由について論じた本書は単なる政治哲学の小難しい専門書などではなく、人間が社会の一員としてどう生きるべきかということを大局的かつ平易に論じたものである。「もっと自由に生きていいんだよ」「他人と同じことばかりしなくていいんだよ」と励まされるような気持ちになってくる。家庭や学校、職場、世間等と自分との間にズレを感じていたり、そのせいで生き辛さを感じていたりする人たちは、本書にとても勇気づけられるのではないだろうか。同時に、物事を考える上で極端な方に振れるのを防いでくれるというメリットもある。とかくSNSが盛んな昨今では極端で強硬な考え(だが、一見、魅力的でもある)が個人から発信されがちで、流通しやすい。Twitter等を見ればわかるように、暴論同士の鍔迫り合いはどこにでもありふれている。そのような極端考え方が全て間違っているということではなく、どれほど極端な考え方にも一抹の真実が含まれてはいるのは間違いないが、それは物事の一面のみを拡大して捉えているに過ぎないのは事実である。従って、極端な思考に基づいて行動していると物事の真実を捉え損ねてしまうリスクがある。そのようなリスクを減らすという意味でも『自由論』を読む価値がある。
今回は、光文社古典新訳文庫の斉藤訳と比べながら読んだ。訳にはどちらも一長一短があり、岩波文庫の塩尻・木村訳は訳語の選択が古めかしいだけでなく、文体も堅苦しい。一見するととっつきにくく感じられはするものの、斉藤訳のような妙な理解しがたさはあまりなく、意外にすんなりと頭に入ってくるので不思議である。光文社古典新訳文庫の斉藤訳では訳語の選択が現代的で馴染みやすく、それゆえに一見すると平明ではある。が、接続詞の選択や文章と文章のつながりがやや独特で、平明なはずの文章なのに何故か読んでもすっと頭には入ってこないような妙な違和感を覚えた。ただ、非常に文章が現代的だからなのか、100年以上も前に書かれた本だと言う気が全くしない。つい数年前に書かれた「現代社会の自由論」といった趣さえ感じる(内容的にも現代社会にかなり当てはまっていて、全く違和感がない)。例えば、「大衆は、かつてのほぼどの時代よりも熱心に、行為の一般的なルールを定めたがり、そして、良しとされる規範にすべての人をしたがわせようと努める。良しとされる規範というのは、明示的なものであれ暗黙裡のものであれ、何ごとにも強い願望をいだかないことである」「どうやら民族は、ある一定期間、進歩を続けても、その進歩はやがて止まるように思われる。進歩はいつ止まるのか。それは個性をもつ人がいなくなるときである」といった指摘は、まさに今の日本社会のことを言われているようである(ちなみに、塩尻・木村訳では当該部分はそれぞれ、次ように訳されている:「行為の一般的な規則を指定しようとする公衆の欲求と、あらゆる人々を是認された標準に一致させようとする公衆の努力とは、過去のほとんどのいかなる時代におけるよりも更に強烈なのである。しかもその標準とは、明示されていることもあり暗示されるだけのこともあるが、要するに何事をも強く欲求しない、ということである」「およそ或る人民は、見受けるところ、或る期間は進歩して、やがて停止する。では、いかなる時に停止するのか?その人民が個性をもたなくなるときである」)。とはいえ、これらの特徴は本書全体の一部分にしか顕れないので、どちらの訳を選んでもそう大差ないとも言えよう。岩波文庫版だと詳細な訳注が便利で、吉野源三郎のあとがきはとても味わい深い。光文社古典新訳文庫版だと仲正昌樹の解説が現代社会に即した内容で非常に嬉しい。そういう意味では、両訳とも手元に揃えるのも良いし、そうするだけの価値のある一冊でもある。
今回は、光文社古典新訳文庫の斉藤訳と比べながら読んだ。訳にはどちらも一長一短があり、岩波文庫の塩尻・木村訳は訳語の選択が古めかしいだけでなく、文体も堅苦しい。一見するととっつきにくく感じられはするものの、斉藤訳のような妙な理解しがたさはあまりなく、意外にすんなりと頭に入ってくるので不思議である。光文社古典新訳文庫の斉藤訳では訳語の選択が現代的で馴染みやすく、それゆえに一見すると平明ではある。が、接続詞の選択や文章と文章のつながりがやや独特で、平明なはずの文章なのに何故か読んでもすっと頭には入ってこないような妙な違和感を覚えた。ただ、非常に文章が現代的だからなのか、100年以上も前に書かれた本だと言う気が全くしない。つい数年前に書かれた「現代社会の自由論」といった趣さえ感じる(内容的にも現代社会にかなり当てはまっていて、全く違和感がない)。例えば、「大衆は、かつてのほぼどの時代よりも熱心に、行為の一般的なルールを定めたがり、そして、良しとされる規範にすべての人をしたがわせようと努める。良しとされる規範というのは、明示的なものであれ暗黙裡のものであれ、何ごとにも強い願望をいだかないことである」「どうやら民族は、ある一定期間、進歩を続けても、その進歩はやがて止まるように思われる。進歩はいつ止まるのか。それは個性をもつ人がいなくなるときである」といった指摘は、まさに今の日本社会のことを言われているようである(ちなみに、塩尻・木村訳では当該部分はそれぞれ、次ように訳されている:「行為の一般的な規則を指定しようとする公衆の欲求と、あらゆる人々を是認された標準に一致させようとする公衆の努力とは、過去のほとんどのいかなる時代におけるよりも更に強烈なのである。しかもその標準とは、明示されていることもあり暗示されるだけのこともあるが、要するに何事をも強く欲求しない、ということである」「およそ或る人民は、見受けるところ、或る期間は進歩して、やがて停止する。では、いかなる時に停止するのか?その人民が個性をもたなくなるときである」)。とはいえ、これらの特徴は本書全体の一部分にしか顕れないので、どちらの訳を選んでもそう大差ないとも言えよう。岩波文庫版だと詳細な訳注が便利で、吉野源三郎のあとがきはとても味わい深い。光文社古典新訳文庫版だと仲正昌樹の解説が現代社会に即した内容で非常に嬉しい。そういう意味では、両訳とも手元に揃えるのも良いし、そうするだけの価値のある一冊でもある。







