著者の母親がかかったアルツハイマー病ではないが、父が脳血管性の認知症で回りが気づいて約5年後に亡くなった。25年も前のことだ。本が大好きな父で、詩も文学も哲学も宗教も関心が深く尊敬していた知的な父が、道に迷い徘徊し、娘も分からなくなり、顔つきも呆け、すっかり面影がなくなった。
そんな父に起きたことを受け入れるのは、子育て真っ最中の私にはどれほどつらかったか。目の前にいるのは父ではない、別の人なんだと思え、と兄から言われやっと取りあえず心を落ち着かせることができた。
脳科学を専門とする若い研究者が向き合う母親の脳に起きている変化の描写や分析に大きな期待を抱いて読んだ。
人が、その人であることの如何に頼りないことか。脳の一部に異変が起きれば、たちまちその人の人格風貌が変わる。
脳科学者には理論上ではあまりに当たり前なことであろうが、肉親にそれが起きたときはやはり普通の人と同じように感じるようだ。受け止め方の素朴さはやはり著者の年齢が若いことややや人生経験の浅さから来るのだろう。肉親の情に心揺さぶられながら、にもかかわらず専門家としてのもっと深い分析と洞察が欲しかった。著者の今後に期待したい。
海馬が縮むことが近い記憶を保持できない原因であるなら、いつかテレビのドキュメンタリーで見た、7秒間しか記憶を保持できない女性がその7秒をメモしつつ、頭の外に記憶を 残して生きているようなことは、アルツハイマー患者に応用できないんだろうか。出来ないとしたら、脳の変化にどんな違いがあるのだろう。
病者の怒りの感情は、ただ本人の自尊心が傷つけられたからだけなんだろうか。それが分かればどれほど介護が楽になることだろう。怒りがないだけでも周囲は平穏な対応が可能だし、本人も幸せに違いない。
しかし、感情は理性より優位なんだということをこの本で初めて知れたことはよかった。怖いと感じて危険をいち早く察知し逃げたり避けたりするのも、生命の保存のために重要なことだと。体でたくさんの物事を感じて発達させていくことは、理性やモラルの発達に極めて重要であると。これは意外だったが納得がいく。感情より理性の方が上だと知能優位に思いがちだが、実は感情の方がずっと長い過去から人間が持っていたものであり、また老いて認知症になって理性がなくなっても感情は確かに残る。目からうろこの思いがした。
理性を失った父を別の人と思わなくては受け付けなかったが、晩年の父をありのまま受け入れることができるようになるかもしれない。
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脳科学者の母が、認知症になる: 記憶を失うと、その人は“その人"でなくなるのか? 単行本 – 2018/10/17
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記憶を失っていく母親の日常生活を2年半にわたり記録し、脳科学から考察。アルツハイマー病になっても最後まで失われることのない脳の力に迫る、画期的な書。
茂木健一郎氏絶賛!
科学と「人」の間で揺れる。
「人」であることを受けとめ、考え抜く。
類い稀な本です。
茂木健一郎氏絶賛!
科学と「人」の間で揺れる。
「人」であることを受けとめ、考え抜く。
類い稀な本です。
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2018/10/17
- 寸法13.1 x 1.8 x 18.9 cm
- ISBN-104309027350
- ISBN-13978-4309027357
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
アルツハイマー病になっても最後まで失われることのない脳の迫力に迫る。記憶を失っていく母親の日常生活を2年半にわたり記録し、脳科学から考察。認知症の見方を一変させる画期的な書。
著者について
1979年神奈川県生まれ。脳科学者。専門は自意識と感情。東京工業大学大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻博士課程修了。茂木健一郎との共著に『化粧する脳』、翻訳書に『顔の科学』などがある。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
恩蔵/絢子
1979年神奈川県生まれ。脳科学者。専門は自意識と感情。2002年、上智大学理工学部物理学科卒業。07年、東京工業大学大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金城学院大学・早稲田大学・日本女子大学で、非常勤講師を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1979年神奈川県生まれ。脳科学者。専門は自意識と感情。2002年、上智大学理工学部物理学科卒業。07年、東京工業大学大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金城学院大学・早稲田大学・日本女子大学で、非常勤講師を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2018/10/17)
- 発売日 : 2018/10/17
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 224ページ
- ISBN-10 : 4309027350
- ISBN-13 : 978-4309027357
- 寸法 : 13.1 x 1.8 x 18.9 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 145,147位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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カスタマーレビュー
5つ星のうち4.2
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今や認知症はありふれた病気で、肉親など身近な人が認知症という方は多いのではないか。著者は脳科学という自然科学を専門にしているが、認知症になった母親に対して、脳科学的考察を豊富に交えながらも、本質的には科学ではなく深い愛情で忍耐強く接しているのが胸を打つ。この本を読んで、認知症の多様性や症状の軽重に言及し、異論や認知症論を述べる専門家もいるかも知れない。しかし、そのような理論武装を吹き飛ばしてしまうほどの、この筆者の素晴らしさは、母親の認知症を正視し、その「個別性」にしっかり目を向けて、「死んだ理屈」ではなく「生きた智慧」で日々向かいあっていることにある。認知症という「病気」をみるのではなく、認知症になった「人間」をみるのだという基本的だが忘れがちなことを、この本は教えてくれる。
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上位レビュー、対象国: 日本
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2018年12月3日に日本でレビュー済み
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いろいろな違和感があったが、介護は人それぞれ。ご母堂は、鼻歌を歌うこともあるという。幸せなのだろう。
ご母堂と実際にどう接するかの記述は少ないが、一般に言われていることを謙虚にやって見られたら良いと思う。たとえそれが脳科学に基づいていなくても。例えば間違いを指摘し、こちら側の論理で説得しようとすることを推奨する人はいないだろう。さらに、ブライデンさんや日本の若年性認知症本人が書いた本を読んでみれば、ご母堂が実際にどう感じているかを理解することの助けになる。
母が何者になるのか、の問いに、「母は生涯、母」に救われる。私は、この世に、母を母と認識する人が一人も(一匹も)いなくなる時が、母が、母でなくなる時と思う。多分私が最後の一人だろう。たとえ灰になっても、私の記憶がある限り、それは、母だ。
ご母堂と実際にどう接するかの記述は少ないが、一般に言われていることを謙虚にやって見られたら良いと思う。たとえそれが脳科学に基づいていなくても。例えば間違いを指摘し、こちら側の論理で説得しようとすることを推奨する人はいないだろう。さらに、ブライデンさんや日本の若年性認知症本人が書いた本を読んでみれば、ご母堂が実際にどう感じているかを理解することの助けになる。
母が何者になるのか、の問いに、「母は生涯、母」に救われる。私は、この世に、母を母と認識する人が一人も(一匹も)いなくなる時が、母が、母でなくなる時と思う。多分私が最後の一人だろう。たとえ灰になっても、私の記憶がある限り、それは、母だ。
2021年8月8日に日本でレビュー済み
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人は目の前で起こっていることを、自分の知識や経験で理解し、判断しようとします。
それが、自分自身が学んできたことや仕事であれば、『専門家』としてそれをみることでしょう。
しかし、その『専門家』であるがゆえに、ことの本質の理解を妨げ、解決を遠ざけることにもなるのです。それが、『専門家の罠(Expert Trap)』です。
私自身は認知症への関心以上に、脳の専門家である脳科学者の著者がその『専門家の罠』に陥らずに、どの様に介護の質を高めていったのかを知りたくて本書を購入しました。
脳科学者として認知症の人の問題行動をみることから、娘として母親のその人らしさをみることで介護やご家族も含めて生活の質の向上に至る過程こそに、本書の本当の価値があるように思いました。
一旦、自分の持つ専門性(という先入観)を『捨て去る(Unlearn)』ことで、母親個人をみて(観察して)、それを自分の専門性で捉え直すことで理解が深まるというプロセスを、本書で学ぶことができました。
私の様な医療や介護の専門職でなくても、今後、認知症の人たちと関わることが増えるのは間違いありません。その時に、専門的な知識や経験は必要です。しかし、その専門性だけでは何も解決できない。専門性と目の前のその人らしさをみることの両方が重要であると、改めて思える一冊でした。
それが、自分自身が学んできたことや仕事であれば、『専門家』としてそれをみることでしょう。
しかし、その『専門家』であるがゆえに、ことの本質の理解を妨げ、解決を遠ざけることにもなるのです。それが、『専門家の罠(Expert Trap)』です。
私自身は認知症への関心以上に、脳の専門家である脳科学者の著者がその『専門家の罠』に陥らずに、どの様に介護の質を高めていったのかを知りたくて本書を購入しました。
脳科学者として認知症の人の問題行動をみることから、娘として母親のその人らしさをみることで介護やご家族も含めて生活の質の向上に至る過程こそに、本書の本当の価値があるように思いました。
一旦、自分の持つ専門性(という先入観)を『捨て去る(Unlearn)』ことで、母親個人をみて(観察して)、それを自分の専門性で捉え直すことで理解が深まるというプロセスを、本書で学ぶことができました。
私の様な医療や介護の専門職でなくても、今後、認知症の人たちと関わることが増えるのは間違いありません。その時に、専門的な知識や経験は必要です。しかし、その専門性だけでは何も解決できない。専門性と目の前のその人らしさをみることの両方が重要であると、改めて思える一冊でした。