原著の序をオリヴァー・サックスさん、本書の解説を養老孟司さんが書いているのだから、素人にもわかりやすい脳関係の本が好きな人はそれだけで飛びついてよいと思う。
素人にもわかりやすいと言っても、本書には当然専門用語は出てくるし、ある程度の抽象思考力はないとつまづいてしまう部分もある。
でもまあ、そんなところは多少すっ飛ばして読んでもいいんじゃないかな。
この本の面白さは、幻肢などの事例への驚きもあるけれど、脳の解明に対する想像と実験、仮説と検証にあるのかなと思う。
疾患・障害のある方の、健常状態からすると欠けている部分から、存在する部分の動き・働きを考える。そして、人間とは何か/自分とは何か/脳とは何かを考える。
細分化された個別の学術アプローチでは行き詰ってしまうような事柄を解き明かす。その取り組み姿勢のバックボーンにはやはり東洋思想というものがあるのかな。
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脳のなかの幽霊 (角川文庫) (日本語) 文庫 – 2011/3/25
-
ISBN-104042982115
-
ISBN-13978-4042982111
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出版社角川書店(角川グループパブリッシング)
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発売日2011/3/25
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言語日本語
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本の長さ485ページ
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
切断された手足がまだあると感じるスポーツ選手、自分の体の一部を他人のものだと主張する患者、両親を本人と認めず偽者だと主張する青年など、著者が出会った様々な患者の奇妙な症状を手掛かりに、脳の不思議な仕組みや働きについて考える。分かりやすい語り口で次々に面白い実例を挙げ、人類最大の問題に迫り、現在の脳ブームのさきがけとなった名著。現代科学の最先端を切り開いた話題作ついに文庫化。
著者について
カリフォルニア大学サンディエゴ校の脳認知センター教授および所長。また、ソーク研究所の兼任教授でもある。10代の頃に書いた論文が科学誌「ネイチャー」に掲載された気鋭の神経科学者。視覚や幻肢の研究で知られ、その研究内容が新聞やテレビで報道され大きな反響を呼んだ。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ラマチャンドラン,V.S.
カリフォルニア大学サンディエゴ校の脳認知センター教授、所長、同大学心理学部神経科学科教授。視覚や幻肢の研究で知られ、アメリカではその研究内容が新聞やテレビで報道され、大きな反響を呼んだ
ブレイクスリー,サンドラ
「ニューヨーク・タイムズ」のサイエンスライターを経て現在「サイエンス・タイムズ」のフリーランス記者。神経科学を中心とする記事を書いている
山下/篤子
1952年生まれ。北海道大学歯学部卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
カリフォルニア大学サンディエゴ校の脳認知センター教授、所長、同大学心理学部神経科学科教授。視覚や幻肢の研究で知られ、アメリカではその研究内容が新聞やテレビで報道され、大きな反響を呼んだ
ブレイクスリー,サンドラ
「ニューヨーク・タイムズ」のサイエンスライターを経て現在「サイエンス・タイムズ」のフリーランス記者。神経科学を中心とする記事を書いている
山下/篤子
1952年生まれ。北海道大学歯学部卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
出版社より




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カスタマーレビュー
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2020年6月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読みにくい。とにかく言いたいことを止めどなく喋るタイプの先生が書いた本。
索引が長い。索引の意味がわかっていないのではないだろうか?必要なら本文に書くべき。
内容は、幻肢や側頭葉てんかんなど、興味深い。ただし、ちゃんと編集されれば1/4くらいのボリュームになりそう。最後の章など、ほとんど意味がわからない。
幻肢の鏡の装置は写真か図がほしい。インターネットで調べたが、そのまま上から見ても鏡には映らないはず。肝心なところなのに。
共著者がいることから、これでも編集、校閲はかなりされたのだろうが、十分ではない。そのつもりで読まなければ、かなり疲労します。
索引が長い。索引の意味がわかっていないのではないだろうか?必要なら本文に書くべき。
内容は、幻肢や側頭葉てんかんなど、興味深い。ただし、ちゃんと編集されれば1/4くらいのボリュームになりそう。最後の章など、ほとんど意味がわからない。
幻肢の鏡の装置は写真か図がほしい。インターネットで調べたが、そのまま上から見ても鏡には映らないはず。肝心なところなのに。
共著者がいることから、これでも編集、校閲はかなりされたのだろうが、十分ではない。そのつもりで読まなければ、かなり疲労します。
ベスト500レビュアー
Amazonで購入
身体の一部を損失したにも関わらず、その部分の痛み(幻肢痛)で苦しむ患者などを具体例として、<脳の仕組み>を解き明かした秀逸な脳神経学の啓蒙書。「脳の様々な部位が外界の表象を作り出す」仕組みや「『自己』という幻想を生み出す」仕組みの解明は本書の本筋(既に哲学的)だが、更に、「心は脳のニューロン"のみ"から生まれるのか」、それなら「自由意志の範囲はどれ位あるのか」といった哲学的問い(即ち、<魂>を意識している)に対して、神経学との関連を考察して哲学書の趣きさえ感じさせる点が本書の魅力・格調を高めていて、読む者を惹き付ける。また、上で"具体例"と書いた様に著者は(<脳の統一理論>が出来るまでは!)実験主義者であり、そのためにも、健常(者)ではない"具体例"を見つける自身の行動を探偵に准えるというユニークな面も持つ。
著者が引用する"具体例"(症例)や学説は多岐に渡るので、以下では著者の主な見解を。幻肢の原因は<脳マップの再配置>に依るものであるという本書の中核を成す説。<脳マップの再配置>と言っても分かり難いが、大まかには、損失した部位を司る脳中の神経組織と健常な部位を司る脳中の神経組織とが<脳マップ>中で"隣接"していた場合、後者の神経組織が前者の神経組織へと経路を伸ばし、健常な部位に何らかの刺激を与えた時に拡大した後者の神経組織が前者の神経組織の代替をするというものである。しかし、これだけでは幻肢を持つ多くの患者が(幻の)手足などを随意に動かせて痛みを感じるという運動・痛みの問題を説明出来ない。また、生まれ付きある部位を欠いた人にも<脳マップの再配置>が起こるか否かという問題もある(これはある患者の証言によって起こる事を確かめた)。そして、運動・痛みの問題を"逆転の発想"で解決する辺りには感心した。
紙幅の関係で以下は簡潔に。幻肢(や"笑い"の様な日常動作)が先天的(遺伝的)なものか後天的なものかという「氏か育ちか」という進化論的考察。幻肢関連として哲学風味の濃い視覚系の考察。それに係わる「自己」という認識の曖昧性の指摘。(私の好みでは無いが著者はヒンドゥー教徒なので)<神>と大脳辺縁系との関係の考察。そして、冒頭の哲学的問いに答えるかの様な最終章のクオリア論・宇宙論を通した東洋的悟り。読んでいて新鮮な驚きの連続で、興味の尽きない名著だと思った。
著者が引用する"具体例"(症例)や学説は多岐に渡るので、以下では著者の主な見解を。幻肢の原因は<脳マップの再配置>に依るものであるという本書の中核を成す説。<脳マップの再配置>と言っても分かり難いが、大まかには、損失した部位を司る脳中の神経組織と健常な部位を司る脳中の神経組織とが<脳マップ>中で"隣接"していた場合、後者の神経組織が前者の神経組織へと経路を伸ばし、健常な部位に何らかの刺激を与えた時に拡大した後者の神経組織が前者の神経組織の代替をするというものである。しかし、これだけでは幻肢を持つ多くの患者が(幻の)手足などを随意に動かせて痛みを感じるという運動・痛みの問題を説明出来ない。また、生まれ付きある部位を欠いた人にも<脳マップの再配置>が起こるか否かという問題もある(これはある患者の証言によって起こる事を確かめた)。そして、運動・痛みの問題を"逆転の発想"で解決する辺りには感心した。
紙幅の関係で以下は簡潔に。幻肢(や"笑い"の様な日常動作)が先天的(遺伝的)なものか後天的なものかという「氏か育ちか」という進化論的考察。幻肢関連として哲学風味の濃い視覚系の考察。それに係わる「自己」という認識の曖昧性の指摘。(私の好みでは無いが著者はヒンドゥー教徒なので)<神>と大脳辺縁系との関係の考察。そして、冒頭の哲学的問いに答えるかの様な最終章のクオリア論・宇宙論を通した東洋的悟り。読んでいて新鮮な驚きの連続で、興味の尽きない名著だと思った。
2016年3月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アメリカでの出版が1998年だから、間もなく20年が経過しようとしている。
脳科学の知見は、毎年更新されているとは言え、それでも本書が示す意識の不思議さが色褪せることはないようである。
人生の主であるはすの意識は、実はその座に鎮座すべき正当な資格は持っておらず、
長い間、主のようにふるまう術を進化させてきたにすぎない。
他の動物や自然がまだ人間の理解を超える存在だったころは、
人間の意識、理性、感性を信奉することは、生存上極めて有利だったに違いない。
しかし、理性が人間を漏れなく幸せにしてきただろうかと突き詰めてみると、
マクロには打ち続く戦乱と一向に縮まらない経済格差、
ミクロには自殺者の増加や幸福度の低下等、
理性的進歩はむしろ人間の苦悩を一層深めた面がなくもない。
理性の生みの親である意識や意識の生まれる土壌である脳をつぶさに探究してみると、
実に様々な欺瞞やごまかしによって、意識の統一性がようやく保持されていることがわかる。
意識は生を切り開く強力な武器であると同時に、魂を封じ込める檻のような役割を持っているわけだから困ったものだ。
ポップなタイトルだが、内容は脳科学の高度な知見がぎっしりと詰まっている。
自己理解を深めるには有益な一書になりうると思われる。
脳科学の知見は、毎年更新されているとは言え、それでも本書が示す意識の不思議さが色褪せることはないようである。
人生の主であるはすの意識は、実はその座に鎮座すべき正当な資格は持っておらず、
長い間、主のようにふるまう術を進化させてきたにすぎない。
他の動物や自然がまだ人間の理解を超える存在だったころは、
人間の意識、理性、感性を信奉することは、生存上極めて有利だったに違いない。
しかし、理性が人間を漏れなく幸せにしてきただろうかと突き詰めてみると、
マクロには打ち続く戦乱と一向に縮まらない経済格差、
ミクロには自殺者の増加や幸福度の低下等、
理性的進歩はむしろ人間の苦悩を一層深めた面がなくもない。
理性の生みの親である意識や意識の生まれる土壌である脳をつぶさに探究してみると、
実に様々な欺瞞やごまかしによって、意識の統一性がようやく保持されていることがわかる。
意識は生を切り開く強力な武器であると同時に、魂を封じ込める檻のような役割を持っているわけだから困ったものだ。
ポップなタイトルだが、内容は脳科学の高度な知見がぎっしりと詰まっている。
自己理解を深めるには有益な一書になりうると思われる。
2013年10月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書では、以下に示すように、腕を失ったり、脳の一部を損傷した人たちだけが経験する特異な感覚が紹介されている。しかし、本当のおもしろさは、この著者のラマチャンドラン氏が、その症状を手掛かりに、さまざまな推論を展開して、脳の働きのメカニズムを読み解いていくところにある。その推論の展開を追っていくうちに、氏のイマジネーションの豊かさに驚かされる。
1)事故で腕を失っているにもかかわらず、本人は、幻の「指」を一本ずつ動かし、ものを「つかむ」こともできると感じている。
← 幻の「手」を動かそうとして、脳から「手」に指令を送ったとき、そのフィードバックとして、「手」から脳に筋肉が動いている状態を送れなくなる。しかし、その代わりに、脳皮質の中の「手」を感じる領域のすぐ近くの部分に、顔や唇を動かしたときのフィードバックが返ってきて「手」を感じる領域を刺激することにより、「手」がまだあると感じる幻覚を生み出す。
2)一酸化炭素中毒により視力を失った女性が、郵便の投入口の向きに合わせて、手紙を挿入することができる。
← 対象物を見るとき、脳には、対象物が「何か」を意識的に見きわめる回路とは別に、自分の動作を助けるために、対象物の向きなどを無意識のうちに一瞬でとらえる回路がある。
3)ある作家は、失明したのち、幻想的な幻覚をみるようになった。
← 人は、何かを想像するとき、脳の中で、実際にものを見るときと逆向きの回路が働いている。
4)ある女性は、髪の左半分にしかブラシをかけなかったり、唇の左半分にしか口紅をつけないなど、自分の体の左半分にしか注意が届かない。
← 側頭葉が、感情を伴って対象物の認知するのに対し、頭頂葉は、空間的識別により行動を助けている。従って、右側の頭頂葉に損傷があると、自分の左半分に異常があっても、自分では気が付かない。
5)ある女性は、脳卒中のため、実際には左半身が麻痺していても、問題なく動くと主張し続ける。(右半身が麻痺している場合には、このようなことは起こらない。)
← 脳は、左半身が動かないことに気づいていないので、他人からその事実を示されても、左脳の無意識な部分が、一貫性のある世界観を維持しようと働き、自己の安定を「脅かす」可能性のある情報を締めだそうとする。
6)ある男性は、自分の両親を、本当の両親だと認めない。
← 顔を認識する部分と情動に関与する部分(偏桃体)の結合の一部が損なわれているため、両親の顔を見ても、何も感じない。
7)ある女性は、笑いが止まらなくなり、二日後に重度のくも膜下出血のために亡くなった。
← 情動に関与する辺縁系(海馬、乳頭体、帯状回など)に異常があった。
1)事故で腕を失っているにもかかわらず、本人は、幻の「指」を一本ずつ動かし、ものを「つかむ」こともできると感じている。
← 幻の「手」を動かそうとして、脳から「手」に指令を送ったとき、そのフィードバックとして、「手」から脳に筋肉が動いている状態を送れなくなる。しかし、その代わりに、脳皮質の中の「手」を感じる領域のすぐ近くの部分に、顔や唇を動かしたときのフィードバックが返ってきて「手」を感じる領域を刺激することにより、「手」がまだあると感じる幻覚を生み出す。
2)一酸化炭素中毒により視力を失った女性が、郵便の投入口の向きに合わせて、手紙を挿入することができる。
← 対象物を見るとき、脳には、対象物が「何か」を意識的に見きわめる回路とは別に、自分の動作を助けるために、対象物の向きなどを無意識のうちに一瞬でとらえる回路がある。
3)ある作家は、失明したのち、幻想的な幻覚をみるようになった。
← 人は、何かを想像するとき、脳の中で、実際にものを見るときと逆向きの回路が働いている。
4)ある女性は、髪の左半分にしかブラシをかけなかったり、唇の左半分にしか口紅をつけないなど、自分の体の左半分にしか注意が届かない。
← 側頭葉が、感情を伴って対象物の認知するのに対し、頭頂葉は、空間的識別により行動を助けている。従って、右側の頭頂葉に損傷があると、自分の左半分に異常があっても、自分では気が付かない。
5)ある女性は、脳卒中のため、実際には左半身が麻痺していても、問題なく動くと主張し続ける。(右半身が麻痺している場合には、このようなことは起こらない。)
← 脳は、左半身が動かないことに気づいていないので、他人からその事実を示されても、左脳の無意識な部分が、一貫性のある世界観を維持しようと働き、自己の安定を「脅かす」可能性のある情報を締めだそうとする。
6)ある男性は、自分の両親を、本当の両親だと認めない。
← 顔を認識する部分と情動に関与する部分(偏桃体)の結合の一部が損なわれているため、両親の顔を見ても、何も感じない。
7)ある女性は、笑いが止まらなくなり、二日後に重度のくも膜下出血のために亡くなった。
← 情動に関与する辺縁系(海馬、乳頭体、帯状回など)に異常があった。
2008年2月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
神経学者であるラマチャンドラン氏の著書を邦訳した書。同氏は、四肢を切断した後にも、その感覚が脳に知覚されるという幻肢のメカニズムについて、きわめて単純な方法で科学的に研究したことで知られている。本書では同氏の多くの研究論文に基づいて、精神疾患のような一見不可思議な症状を示す症例について、脳科学的な考察を述べている。また、他の研究者の多くの論文を総説として紹介している。自分の首を絞めようとする左手を、右手が押さえつけるという女性患者や、失った手で物をつかもうとする患者、笑い死にした患者などについて紹介している。個々の症例についての記載は理解できるが、解剖学的専門用語なども頻出するため、読破には数日は要する。
脳科学に画期的変化をもたらした機能的MRI(fMRI)による研究論文がほとんどなかった1999年に出版された書であり、紹介されている研究手法も古いものがほとんどである。しかし、論理的な思考で考案された実験方法は的を射たものが多く、本書の出版後に明らかになった事実とも整合性を保っている。紹介されている内容のうち、とくに鏡を使って失った四肢を復活させる錯覚をあたえる実験などは、単純ながらも読んでいて非常に面白く、単に脳科学の情報を得る以外にも、客観的思考の重要性が伝わってくる。背景となる不思議な症状をありのままに伝える各章の冒頭はは推理小説のようで、著者の文章力(と訳者の力量)が優れていることも本書が面白い理由と思われる。主張の根拠も巻末に明示されており、紹介されている論文をいくつか検証したところ、客観性十分でかつ面白いものばかりであった。
難点は、実験方法を図示していないため、文章だけでは理解しづらい部分もある点。ただし、同氏の論文には詳細な図や写真が掲載されている。上記問題点を差し引いても、一冊の書としての完成度は高く、非常に面白い。やや読破に時間を要するが、それに見合った情報は十分で、値段分以上の価値があると思う。星5つの評価。
脳科学に画期的変化をもたらした機能的MRI(fMRI)による研究論文がほとんどなかった1999年に出版された書であり、紹介されている研究手法も古いものがほとんどである。しかし、論理的な思考で考案された実験方法は的を射たものが多く、本書の出版後に明らかになった事実とも整合性を保っている。紹介されている内容のうち、とくに鏡を使って失った四肢を復活させる錯覚をあたえる実験などは、単純ながらも読んでいて非常に面白く、単に脳科学の情報を得る以外にも、客観的思考の重要性が伝わってくる。背景となる不思議な症状をありのままに伝える各章の冒頭はは推理小説のようで、著者の文章力(と訳者の力量)が優れていることも本書が面白い理由と思われる。主張の根拠も巻末に明示されており、紹介されている論文をいくつか検証したところ、客観性十分でかつ面白いものばかりであった。
難点は、実験方法を図示していないため、文章だけでは理解しづらい部分もある点。ただし、同氏の論文には詳細な図や写真が掲載されている。上記問題点を差し引いても、一冊の書としての完成度は高く、非常に面白い。やや読破に時間を要するが、それに見合った情報は十分で、値段分以上の価値があると思う。星5つの評価。
ベスト500レビュアー
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視覚や聴覚やその他の入力器官からの情報が脳でどう処理されて出力されていくのか、おぼろげながらイメージさせてくれた1冊。脳が損傷を負うことで様々な支障が出ることがよくわかる。理屈ではなく、脳は何とかつじつまが合うように入力された情報を処理しようとするのだ。
驚きだったのは、事故の後、自分の親だけを他人だと認識してしまう男性の話。しかし電話では自分の親だと認識できる。視覚からの処理に問題があって、どうしてもそうなってしまうのだ。それは自分の親だけではなくて、自分の写真を見たときにも起きる。そのほか様々な実験をする中で、視覚からの処理に問題があるということが見えてくる。
最終章の哲学的な部分だけは、私自身に知識がなくて理解できず、読み飛ばした。
驚きだったのは、事故の後、自分の親だけを他人だと認識してしまう男性の話。しかし電話では自分の親だと認識できる。視覚からの処理に問題があって、どうしてもそうなってしまうのだ。それは自分の親だけではなくて、自分の写真を見たときにも起きる。そのほか様々な実験をする中で、視覚からの処理に問題があるということが見えてくる。
最終章の哲学的な部分だけは、私自身に知識がなくて理解できず、読み飛ばした。