一気に読了した。
もし優れた本が読む前と読んだ後に見ている風景が変わってしまうものなら、わたしには本書はその一冊だった。
著者が受けたDV、動物性愛と言った目立つトピックに目が行きがちだし、タブーとされている物がこの本だけで分かると考えるなら本書は全くそう言う内容ではない。
人間が人間同士で言葉や身振り手振りでコミュニケーションを充分に取れていて、それ故に性愛が対等なり了解可能なものだと思ったら全くそんなことはない。
本書に取り上げられるのは動物に十分配慮したズーフィリア(動物性愛者)たちである。
筆者が取材したドイツの彼ら彼女らが正しいとか正しくないとか断ずることは筆者と同じく出来ない。
ただ本書を通じて分かるのはある意味「本能の壊れた」人間の性愛が如何に奇妙なもので理解が可能なのかどうかをズーフィリアを通じて、反対に問い返されることだ。
何よりも愛と性と身体の行為は一致しているのかどうか、という果てのない問いである。
確かに動物性愛を公言する世界的にもマレな人々を取材しているが、本書は決してタブーや性への興味本位で読まれるべきものではない。
本書には正解も結論も明示されていない。ただ可能性だけが示されて終わる。
濱野さんへ
労作お疲れさまでした。
調査、しかも自身に返ってくるものはご負担の大きいものだと思います。
聖ではないもの、俗なるものも文字通り身を張って調査されたなかでの必然は文化人類学としてもご本人としても必ずあったでしょう。
おそらくヒステリックな反応も生み出しかねない一冊では有りますがわたしは身体、自身の性丸ごと問い返すインパクトを受けました。
ご無理のない範囲で、続章をお待ちしています。
聖なるズー (集英社学芸単行本) Kindle版
-
言語日本語
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出版社集英社
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発売日2019/11/26
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ファイルサイズ344 KB
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商品の説明
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
濱野/ちひろ
ノンフィクションライター。1977年、広島県生まれ。2000年、早稲田大学第一文学部卒業後、雑誌などに寄稿を始める。インタビュー記事やエッセイ、映画評、旅行、アートなどに関する記事を執筆。2018年、京都大学大学院修士課程修了。現在、同大学大学院博士課程に在籍し、文化人類学におけるセクシュアリティ研究に取り組む(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
ノンフィクションライター。1977年、広島県生まれ。2000年、早稲田大学第一文学部卒業後、雑誌などに寄稿を始める。インタビュー記事やエッセイ、映画評、旅行、アートなどに関する記事を執筆。2018年、京都大学大学院修士課程修了。現在、同大学大学院博士課程に在籍し、文化人類学におけるセクシュアリティ研究に取り組む(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
内容(「BOOK」データベースより)
犬や馬をパートナーとする動物性愛者「ズー」。性暴力に苦しんだ経験を持つ著者は、彼らと寝食をともにしながら、人間にとって愛とは何か、暴力とは何か、考察を重ねる。そして、戸惑いつつ、希望のかけらを見出していく―。2019年第17回開高健ノンフィクション賞受賞。
--このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
登録情報
- ASIN : B081VCBJT2
- 出版社 : 集英社 (2019/11/26)
- 発売日 : 2019/11/26
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 344 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 223ページ
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 51,270位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)
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- - 7,813位ノンフィクション (本)
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2019年11月28日に日本でレビュー済み
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2019年12月27日に日本でレビュー済み
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読んでいる間ずっと何か違和感を覚えていた。その違和感の正体がわからないまま読み終わり、違和感となっていたものが何なのか考えてみた。
そもそも、動物性愛者であるズーのパートナーの動物たちはどこからズーの家にやってきたのだろうか。ペットショップや動物保護施設など様々あるだろう。では、彼らは自由意思でズーの家に来たのだろうか。やはりそれはノーと言わざるを得ないはずである。これが仮に人間ならば、どこかで出会い、話をして、気が合えば交際し、両者の同意があれば(ない場合もあり得るが)性行為をする、ということがあり得る(もちろんそうでない場合もある)。しかし、ズーの場合そうはならない。彼らはいわば“無理やり”連れてこられる。そして、そこでは多くの場合同種はいないと考えられる。その結果、彼らは行き場のない性欲をため込むことになる。
一部のズーは、パートナーである動物たちから誘ってくるという。しかし、それは本当に愛ゆえなのか。ため込んだ性欲を発散する相手として体格の似た存在である人間しか身近にいないからこそ、人間を対象として性行為に及んでいるだけではないのだろうか。私にはその疑問が拭い切れない。
私は人間以外の動物とのセックスが自然な行為でないから否定する、という考え方はしない。また、動物とのセックスがすべてレイプであると言いたいわけでもない。だが、動物の福祉の観点からやはり動物とのセックスは認め難いといわざるを得ない。
とはいえ、本書が価値観を揺さぶられるよい本であることに間違いはない。
そもそも、動物性愛者であるズーのパートナーの動物たちはどこからズーの家にやってきたのだろうか。ペットショップや動物保護施設など様々あるだろう。では、彼らは自由意思でズーの家に来たのだろうか。やはりそれはノーと言わざるを得ないはずである。これが仮に人間ならば、どこかで出会い、話をして、気が合えば交際し、両者の同意があれば(ない場合もあり得るが)性行為をする、ということがあり得る(もちろんそうでない場合もある)。しかし、ズーの場合そうはならない。彼らはいわば“無理やり”連れてこられる。そして、そこでは多くの場合同種はいないと考えられる。その結果、彼らは行き場のない性欲をため込むことになる。
一部のズーは、パートナーである動物たちから誘ってくるという。しかし、それは本当に愛ゆえなのか。ため込んだ性欲を発散する相手として体格の似た存在である人間しか身近にいないからこそ、人間を対象として性行為に及んでいるだけではないのだろうか。私にはその疑問が拭い切れない。
私は人間以外の動物とのセックスが自然な行為でないから否定する、という考え方はしない。また、動物とのセックスがすべてレイプであると言いたいわけでもない。だが、動物の福祉の観点からやはり動物とのセックスは認め難いといわざるを得ない。
とはいえ、本書が価値観を揺さぶられるよい本であることに間違いはない。
2019年11月29日に日本でレビュー済み
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たとえば、LGBTは異常ではなく、ひとつの愛の形、という風に、今の時代は認められつつある。ただ、昔は、「異常」で「一種の病気」、みたいに思う人は多かった。
「たまたま愛した相手が同性だった。それがなぜいけないのか」という声をよく聞いた。
では、「たまたま愛した相手が犬だった」は、どう感じますか? それもセックスも含む相手として。
やはり、異常、あるいは一種の病気、みたいな印象を持つ人が多いのでは。
この本では著者が、ドイツの動物性愛の人々の家で何日も一緒に暮らし、とても深く観察し会話をしている。数時間のインタビューでは知り得ないところまで、深く入っている。
ただ、それでも著者は、結論なり断定なりはしていない。読んでいても、理解は深まるのは確かだが、なかなか自分の意見をまとめられない。でも、まだそれでいいと思う。
はたして将来、「動物性愛」は、LGBTのように、市民権を得ていくのだろうか。
たとえば、「小児性愛」は?
相手の同意があったら?
「たまたま愛した相手が小児だった」??
そして、将来は、「たまたま愛した相手がロボットだった」ということも、かなり予想できる。
現時点では、とても市民権を得られにくい、「動物性愛」「動物とのセックス」 。自分の許容度なり懐の広さみたいなものを問われる本だと思う。ただ、問答無用で否定とまではならなくても、「理解できます」とも、そう簡単には言えない、いろんな事を考える本です。
「たまたま愛した相手が同性だった。それがなぜいけないのか」という声をよく聞いた。
では、「たまたま愛した相手が犬だった」は、どう感じますか? それもセックスも含む相手として。
やはり、異常、あるいは一種の病気、みたいな印象を持つ人が多いのでは。
この本では著者が、ドイツの動物性愛の人々の家で何日も一緒に暮らし、とても深く観察し会話をしている。数時間のインタビューでは知り得ないところまで、深く入っている。
ただ、それでも著者は、結論なり断定なりはしていない。読んでいても、理解は深まるのは確かだが、なかなか自分の意見をまとめられない。でも、まだそれでいいと思う。
はたして将来、「動物性愛」は、LGBTのように、市民権を得ていくのだろうか。
たとえば、「小児性愛」は?
相手の同意があったら?
「たまたま愛した相手が小児だった」??
そして、将来は、「たまたま愛した相手がロボットだった」ということも、かなり予想できる。
現時点では、とても市民権を得られにくい、「動物性愛」「動物とのセックス」 。自分の許容度なり懐の広さみたいなものを問われる本だと思う。ただ、問答無用で否定とまではならなくても、「理解できます」とも、そう簡単には言えない、いろんな事を考える本です。
2019年11月27日に日本でレビュー済み
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素晴らしい作品だと思いました。
私たちは誰しも心底愛する存在であり、互いにあるがままをまるごと受け入れ合える相手を探している。そしてその相手と深く愛し合い、その結果として、魂のまぐわいを体現するために性を求め合う。それに相応しい相手が人間ではない場合、種を超えることもある。魂のまぐわいこそが性愛であり、人間同士のジャンクセックスに疑問を感じ、性愛とは何か?と改めて見つめていた私には、深く響くものがあった。
私たちは誰しも心底愛する存在であり、互いにあるがままをまるごと受け入れ合える相手を探している。そしてその相手と深く愛し合い、その結果として、魂のまぐわいを体現するために性を求め合う。それに相応しい相手が人間ではない場合、種を超えることもある。魂のまぐわいこそが性愛であり、人間同士のジャンクセックスに疑問を感じ、性愛とは何か?と改めて見つめていた私には、深く響くものがあった。
2020年3月2日に日本でレビュー済み
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田舎の農村では昔、動物たちのあからさまな性交場面によく出くわした。犬猫がまぐわうと、水をかけないと離れないと言って、年寄りがまぐわい中の犬猫にバケツで水を浴びせていた。子が生まれると面倒、と言って。そうまでしても放し飼いは、はらむ。すると彼らはためらいなく、出てきた子犬やら子猫を、穴の中や川に放り込んだ。号泣する孫。一方で牛の種付けは難しい、と四苦八苦してメス牛にオス牛を人が手伝ってのらせる光景も、おぼろげながら記憶している。
遠野物語に、馬と愛し合った娘の話があった。父親が怒って、馬の首を切り落とすと……蚕誕生神話の一つだが、日本の昔の馬は小さかったので、本当にできたのだろう。「古事記」にも「馬婚(うまたわけ)」「牛婚」「犬婚」などがみえる。「里見八犬伝」「狐の女房」など、異類婚姻譚は日本だけでなく、世界中にある。神話のベースには多くの実話が潜んでいる。
そして動物愛護の観念などなかった昔、地域にも、獣姦を禁ずる法があるのはなぜか。大きいのは衛生上の観点だろう。狂犬病に限らず、動物由来の病が蔓延するのは、今のコロナに限った話ではない。
ホモサピエンスとネアンデルタールは混血したが、獣と人とでは、子は産まれない、ことになっている。この、子が生まれない、生まさない性愛、刹那の快楽という面が、獣姦や児童性虐待には潜んでいる。そしてそれは本書の中でも触れているように圧倒的に「犯す側」の快楽なのだ。それがなぜ成立するのかといえば、圧倒的な力の差と、語彙力の差に他ならない。
「畜生道」という言葉が昔はあった。「あいつは畜生だ」という、ののしりの言葉もあった。「畜生道」の反対はなんだろう。「人の道」だろうか。では「畜生」と「人」を分けるのは何だろう。「言葉」だろうか。だが言葉を話すだけでは「人」ではない。「人でなし」という言葉が示すように。著者を捉えた男も、まさにそうだろう。この男よりも動物を愛する人の方がまし、いや、動物の方がまし、そう言いたいがための執筆ではない、とは思うのだが。
田舎の年寄りは、畜生であっても、賢いものとそうでないものがいると言っていた。それは人と同じだと。
人にのしかかってくる発情期の犬は、引きはがされて、やはり水をかけられていた。
その後の、けろりとした犬の目、しなびて元に戻った性器を、排尿後と同じようになめる様子を思い出しながら、読了した。
遠野物語に、馬と愛し合った娘の話があった。父親が怒って、馬の首を切り落とすと……蚕誕生神話の一つだが、日本の昔の馬は小さかったので、本当にできたのだろう。「古事記」にも「馬婚(うまたわけ)」「牛婚」「犬婚」などがみえる。「里見八犬伝」「狐の女房」など、異類婚姻譚は日本だけでなく、世界中にある。神話のベースには多くの実話が潜んでいる。
そして動物愛護の観念などなかった昔、地域にも、獣姦を禁ずる法があるのはなぜか。大きいのは衛生上の観点だろう。狂犬病に限らず、動物由来の病が蔓延するのは、今のコロナに限った話ではない。
ホモサピエンスとネアンデルタールは混血したが、獣と人とでは、子は産まれない、ことになっている。この、子が生まれない、生まさない性愛、刹那の快楽という面が、獣姦や児童性虐待には潜んでいる。そしてそれは本書の中でも触れているように圧倒的に「犯す側」の快楽なのだ。それがなぜ成立するのかといえば、圧倒的な力の差と、語彙力の差に他ならない。
「畜生道」という言葉が昔はあった。「あいつは畜生だ」という、ののしりの言葉もあった。「畜生道」の反対はなんだろう。「人の道」だろうか。では「畜生」と「人」を分けるのは何だろう。「言葉」だろうか。だが言葉を話すだけでは「人」ではない。「人でなし」という言葉が示すように。著者を捉えた男も、まさにそうだろう。この男よりも動物を愛する人の方がまし、いや、動物の方がまし、そう言いたいがための執筆ではない、とは思うのだが。
田舎の年寄りは、畜生であっても、賢いものとそうでないものがいると言っていた。それは人と同じだと。
人にのしかかってくる発情期の犬は、引きはがされて、やはり水をかけられていた。
その後の、けろりとした犬の目、しなびて元に戻った性器を、排尿後と同じようになめる様子を思い出しながら、読了した。
2019年12月1日に日本でレビュー済み
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大変興味深く、様々な感情を想起させる本だった。
アブノーマルだと決めつけ忌避することや、精神疾患のカテゴリで語るのは簡単だ。しかし、人間の最も柔らかく大切にすべきセクシャリティの部分を、社会的に定められた常識に当てはめることの残酷さ。それを私たちは理解しつつあるのではなかったか。現代社会における寛容と不寛容の構造を、改めて突きつけられた思いだった。
多様性と一言で括る乱暴さは百も承知だ。だが、犬を性的対象として見るあなたはおかしい、と断ずることが、現に「そうある」人たちにとって一体何の意味があるのか。
LGBTを例に取らずとも、細かく言えば誰しも何かの性的嗜好や傾向を持っている。
セクシャリティとは本来、縦にスパスパと切って取れるように区分けされるものではなく、もっとグラデーションの様に徐々に変化していくものだと感じさせられた。
最も、こう言えるのは小児性愛などとは異なり、最終的には相互の愛が揺るぎなく存在する前提があってのことだ。しかし、その愛を証明する手段は無いに等しい。そこが議論を呼ぶ一因であることは間違いないだろう。
著者にとって、この本を書くこと自体が癒しの旅路であれば良いと思うとともに、動物を愛し家族として共に過ごす一人として、愛の形そのものを考えてみたいと思う一冊だった。
アブノーマルだと決めつけ忌避することや、精神疾患のカテゴリで語るのは簡単だ。しかし、人間の最も柔らかく大切にすべきセクシャリティの部分を、社会的に定められた常識に当てはめることの残酷さ。それを私たちは理解しつつあるのではなかったか。現代社会における寛容と不寛容の構造を、改めて突きつけられた思いだった。
多様性と一言で括る乱暴さは百も承知だ。だが、犬を性的対象として見るあなたはおかしい、と断ずることが、現に「そうある」人たちにとって一体何の意味があるのか。
LGBTを例に取らずとも、細かく言えば誰しも何かの性的嗜好や傾向を持っている。
セクシャリティとは本来、縦にスパスパと切って取れるように区分けされるものではなく、もっとグラデーションの様に徐々に変化していくものだと感じさせられた。
最も、こう言えるのは小児性愛などとは異なり、最終的には相互の愛が揺るぎなく存在する前提があってのことだ。しかし、その愛を証明する手段は無いに等しい。そこが議論を呼ぶ一因であることは間違いないだろう。
著者にとって、この本を書くこと自体が癒しの旅路であれば良いと思うとともに、動物を愛し家族として共に過ごす一人として、愛の形そのものを考えてみたいと思う一冊だった。
2019年12月1日に日本でレビュー済み
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他のレビュアーがお書きになっているように、読書前後で景色も自分の中の曖昧さも
変わってくる素晴らしい本だと思います。
一緒にいる動物に「ペットではなく家族です。」という表現がありますが、家族は愛もあるがそれ以上に
義務と責任があります。ただ愛しかない、パーソナリティの出現、それを感じた後は。
改めて一緒にいて、旅立った愛猫2匹を思い泣きました。ミヒャエルは「僕たちはパートナーの一生を
最初から最後まで受け止めることができるだろう。そうやって命を見守ることができるという意味で
贅沢だと思う。」この言葉に尽きると思います。
変わってくる素晴らしい本だと思います。
一緒にいる動物に「ペットではなく家族です。」という表現がありますが、家族は愛もあるがそれ以上に
義務と責任があります。ただ愛しかない、パーソナリティの出現、それを感じた後は。
改めて一緒にいて、旅立った愛猫2匹を思い泣きました。ミヒャエルは「僕たちはパートナーの一生を
最初から最後まで受け止めることができるだろう。そうやって命を見守ることができるという意味で
贅沢だと思う。」この言葉に尽きると思います。