まず、読んだ感想としては、矛盾や反論もあるが、
確かに「考えないようにどうすればいいか」の答えが書いてあるな、と。
勿論、練習や慣れはいるものの、非常に有意義であり、
実践として繰り返すことで非常に素晴らしいものになるとは思った。
色々と書かれてはいるが、思考の挿入は「5感の感覚に集中すること」や
「自分を客観的に見る為に自分主体で感じれるようにすること」といった方法で
解決できる、というもの。これ事態は非常に素晴らしいと思う。
事実、考えている間というのは、現実世界から離れて、脳の思考世界に没頭している。
昔、英語の話を聞いていなかった、という表現で
[I was another planet.]
という表現を聞いたことがあるが、まさにその通りだと思う。
ただ、逆にそれは本当に可能なのか、また本当に有意義であるか、と考えると
疑問も多い。
例えば指先の感覚や周囲の音に感覚を研ぎ澄ませ、さらにそれに好き嫌いを持たず、
「感覚」として処理することで、ネガティブや強烈なイメージを避け、
処理していく、というのは非常に面白い話であったが、
それが果たして本当に良い結果を生む、とは限らない。
理科の実験で、蛙を熱湯に入れれば熱さで飛び退くが、
水から沸かすと、そのまま茹で上がってしまう、という話があるが、
思考の放棄、というのは、ある意味ではこうした危険性の放棄でもあり、
逆に新たな現実逃避を生み出しかねない。
例えば虐待や虐めなどがある。
五感を研ぎ澄ませることで、確かに苦痛は和らぎ、思考は放棄できるだろう。
しかしそれは同時に現実を打破するエネルギーを削ぐことであり、
自分の環境を比較して逃避したり、改善しようとする選択肢を剥奪する行動でもある。
殺意や憎しみといった、負の感情でネガティブであるものは確かに悪いものであるが、
同時に素晴らしいエネルギーでもある。
事実そのエネルギーによる人間の行動、例えばデモやストライキ、政権批判などで
世の中が改善された例も多く存在する。
本書はあくまでも「考えないための訓練」について記されているので、
無論これを言及することはナンセンスであるが、そうした点への踏み込みは、
あってもよかったのではないか、と思う。
ただ、それにも関わらず、「考えないためにはどうすればよいか」を
一脱した表現や観点は多々存在しており、
そこを宗教的な観点からはき違えている点も、いくつかある。
例えば「ありがとう」は本当に感謝した時にだけいいなさい、とあるが、
本文中でそれが「考えないこと」には繋がっておらず、
むしろ「ありがとうを使わず感謝の意を工夫せよ」という結論で、
逆に考えさせている矛盾を感じる。
(因みに僕は社会で「ありがとうと言え」、と強制させられた経験もあり、
結局は多数派の感性や各個人の思想にどれだけ的確に傾倒できるか、だと思っている。
社長が阪神ファンならば、あえて巨人ファンだという理由はない。)
色々と言いたいこともあるが、
「欲による充足」についての視点を軽視しすぎているのは、やはり疑問がある。
マズローの要求階層や、囚人と看守の実験、
恋愛のメカニズム、性的興奮といった原始的欲求、
向上欲といった自己成長に傾く欲求、といったワードがあれば、もっと深い話であったと思う。
特に本書では、金銭やモノに対する充足に対しては、かなり甘い印象を受ける。
予備があることで安心できる気持ちについての考察が無い点や、
モノを売却してしまっても、所有していたころの後悔が生まれる点、
スラム街や貧困から発生する治安の悪化、という視点も特には記されておらず、
偏った仏教思想を平和的に記している点は、ある種、軽薄的な思想の押しつけとさえ感じる。
一番の皮肉な話は「これが書籍であり、世論や既存の文化に対し斬新な切り口である」為に、
それ事態が「大きな刺激」として評価され、素晴らしさを生んでいる、という点である。
あえてそれを鵜呑みにせず、再び客観的に受け止め、実践することで自分なりに良いものとして
吸収できるかどうか、が実はこの本を読んだ人にとっての、大きな課題ではないかと思う。
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