老人は日々の食べ物にも窮するぎりぎりの生活をしながらも
長年漁師を生業としてきたものとしての矜持を忘れない。
それは思うに任せない大海原を相手にしてきたから、
成そうとしても成るものと成らないものがあることを
理屈では無く身体の方が知り抜いているからだろうと思う。
だから老いても暮らしに必要な限り当然のように漁に出るが、
稼ぎの多寡はどうあれ、獲た物以上のものは求めないから、
貧しくとも身を落とすことなく人としての尊厳を維持している。
老人は独居であるが暮らしの中には老人に寄り添う少年がいて、
子供なりに何かと気をもんでいつも老人の力になりたいと願っている。
かつて老人と少年は老人の船で共に漁に出ていたが、
長期に渡り釣果に見放さされたことから物語の時点では老人一人で漁に出ている。
老人が大魚に対し向き合っているときも、同時に少年に思いを馳せて
内心ではこの小さい仲間を頼りにもし、しっかりと絆で結ばれている。
まあ、個人的にこんなような物語だと思っているのですが、
高校生の時に読んで痛く感動し、10年置き位に読み返す作品ですが、
そのたびに受け取り方が変わって、異なる印象を抱きます。
新訳で読みやすいというレビューを見ますが、原文を読めない身として
あれこれ言う資格はありませんが、後出しじゃんけんなのだから
何かしら真新しいことはあって当然かと思います。
それぞれの訳文を独立作品として見るなら個人的には新潮訳が好みですが、
翻訳はいろいろあっても老人と海という作品は一つであり、
作品の本質は変わらないと思うのでいずれも☆5つとしたいですね。
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