控えめに言って、このふたりほどサリンジャーを翻訳したり、語ったりするに不適切な人間はいないだろう。
彼らには、サリンジャーへのリスペクトが感じられない、—―というよりも、むしろ「俺たちはサリンジャーより上の人間だぜ」的な、上から目線がとても気持ち悪い。
また、サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』のエピグラフに禅の公案が挙げられているが、この著者の東洋思想への傾倒が語られないのも本書を不毛な「似非知識人の対談」にしている大きな要因のひとつだと思われる。
内容が軽薄で、本の虫の高校生がいきがっているような本だ。
この本に対する正確な感想を伝えるために、レイモンド・チャンドラー著・清水俊二訳『長いお別れ』から引用させてもらおう。
「私は新聞を投げ捨てて、テレビのスイッチをひねった。社交欄の ”犬” がゲロを吐いた後では、レスラーさえ好ましく見えた。」
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翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書) 新書 – 2003/7/19
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サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の新訳を果たした村上春樹が翻訳仲間の柴田元幸と、その魅力・謎・真実の全てを語り明す
- 本の長さ247ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2003/7/19
- ISBN-104166603302
- ISBN-13978-4166603305
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の新訳を果たした村上春樹が、翻訳仲間の柴田元幸と共にその魅力、謎、すべてを語り尽くす。ホールデン少年が語りかける「君」とはいったい誰なのか?村上が小説の魔術(マジック)を明かせば、柴田はホールデン語で、アメリカ文学の流れのなかの『キャッチャー』を語ってのける。永遠の青春文学の怖さ、ほんとうの面白さがわかる決定版です。「幻の訳者解説」併録。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
村上/春樹
1949年京都府生まれ。79年『風の歌を聴け』でデビュー
柴田/元幸
1954年東京都生まれ。東京大学文学部助教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1949年京都府生まれ。79年『風の歌を聴け』でデビュー
柴田/元幸
1954年東京都生まれ。東京大学文学部助教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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著者について
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1949(昭和24)年、京都府生れ。早稲田大学文学部卒業。
1979年、『風の歌を聴け』でデビュー、群像新人文学賞受賞。主著に『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞受賞)、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『ノルウェイの森』、『アンダーグラウンド』、『スプートニクの恋人』、『神の子どもたちはみな踊る』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』など。『レイモンド・カーヴァー全集』、『心臓を貫かれて』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『ロング・グッドバイ』など訳書も多数。

1954年生まれ。大学教師、翻訳家 (「BOOK著者紹介情報」より:本データは『モンキービジネス 2010』(ISBN-10:4863322828) が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.3
星5つ中の4.3
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トップレビュー
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2019年4月30日に日本でレビュー済み
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Amazonで購入
16人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2017年4月15日に日本でレビュー済み
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村上春樹はなかなか長編がでないので働いてないと思ってる方が多いかもしれない。しかし、こうやって翻訳本やら、エッセイやら小説以外の著述業を真剣に勤しんでいるのだ。
その中でも翻訳業は名作を彼の新訳で楽しむことができてありがたい。ちょっと読みにくかった古典文学も、スラっと頭に入るので色々な人に勧めやすい。これはその翻訳の仕事の一つ、サリンジャーの作品に関する対談である。ウィキペディアで眺めても分からないことを、翻訳という追体験をした作家が語ってくれるのはナルホドと思わせる何かがある。
サリンジャーを読んだ後にわからないことがあれば、これを購入することをお勧めする。
その中でも翻訳業は名作を彼の新訳で楽しむことができてありがたい。ちょっと読みにくかった古典文学も、スラっと頭に入るので色々な人に勧めやすい。これはその翻訳の仕事の一つ、サリンジャーの作品に関する対談である。ウィキペディアで眺めても分からないことを、翻訳という追体験をした作家が語ってくれるのはナルホドと思わせる何かがある。
サリンジャーを読んだ後にわからないことがあれば、これを購入することをお勧めする。
ベスト500レビュアーVINEメンバー
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いろいろな制約のある「キャッチャー・イン・ザ・ライ」。
それは、著者J・D・サリンジャーのワガママからだと
思っていました。
でも、「翻訳夜話2」に収められた「キャッチャー」の
幻の解説や対談の内容から、そうでない事を初めて知りました。
作者本人以外の解説や書評からの「誤解」をおそれたのなら、
作者本人が解説つければいい。でも、そうはしなかったサリンジャー。
作品自体がいろいろな謎を含んでいて、作者が沈黙したことで、
その謎は深まって、いろいろな人が研究をしているようです。
それら全部を読んだわけではありませんが、
その謎をとくヒントを本書の中で、
実にわかりやすく語ってくれています。
それは、著者J・D・サリンジャーのワガママからだと
思っていました。
でも、「翻訳夜話2」に収められた「キャッチャー」の
幻の解説や対談の内容から、そうでない事を初めて知りました。
作者本人以外の解説や書評からの「誤解」をおそれたのなら、
作者本人が解説つければいい。でも、そうはしなかったサリンジャー。
作品自体がいろいろな謎を含んでいて、作者が沈黙したことで、
その謎は深まって、いろいろな人が研究をしているようです。
それら全部を読んだわけではありませんが、
その謎をとくヒントを本書の中で、
実にわかりやすく語ってくれています。
VINEメンバー
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野崎孝訳の 『ライ麦畑でつかまえて』 を最初に読んだのが高校生のころでした。
新装版で読み返し、村上氏の 『 キャッチャー・イン・ザ・ライ 』 も発売されてすぐに読みました。
あまりにも野崎訳に慣れすぎて、初めて読んだときは村上流の翻訳に大変な違和感といいますかズレを感じました。
しかし、最近ふたたび読んでみたら過去に思ったほどでなく、村上テイストの翻訳もいいではないかという読後感でした。それはともかく
こうしてレビューを書くには、いささか勇気がいりました。
当著を読んで感じたのは、村上氏と柴田氏が、ホールデン少年の行動や社会に向ける姿勢とかについて不思議に思っていることが
私には、どうして分からないのだろうか…、といったものですから。
なぜなら、私自身もうじき60歳に手が届く年齢でありつつも「 大人 」になれなかった者ゆえに
「 大人 」側で『 ライ麦 』を翻訳し、ホールデン少年の「 通過儀礼 」と語るところが
世間一般の人が通過する道を通らないまま老いて今日に至っていますから、不思議でも何でもなく分かってしまうのです。
まず、ホールデン少年は社会に出て成長したいとかまるで思っていませんね。
そうしますと、すべて納得がいくのではないでしょうか。
妹、フィービーへの過剰なまでの愛しさは、社会にでて何色にも染まって欲しくない願望の投影です。
不変でありたいと願っている人間が、変化や成長を願うはずがないです。
お気に入りの場所は博物館です。そこにはガラスで隔てられた向こう側に、時を超えて動かないインディアンなどの展示品があります。
ガラス一枚で向こう側とこちら側とで分けられているのが大切です。
博物館を訪れる人は、わずかな時間そこに留まって過ぎ去ってしまう。そして、もし仮にそれら展示品が古くなって新しい物に
置き換えられても誰も気づきはしないでしょう。
ホールデンを取り巻く人たちや社会のインチキさ。それは本当に嫌うのではなくて、自分が入り込みたくても出来ない願望や羨望の
裏返しであって、目のカタキみたいに嫌っているわけでありませんね。
もしインチキ野郎が自分にとって関心のない者だったら、あれほど事細かにインチキさに注目なんかしませんね、目に飛び込んで来ませんよ。
↑
両氏ともこれは指摘しています。しかし、68P 「 自己というものを、この世界のどこにどのように据えればいいのか探求する本 」 との断言。
なんだか腑に落ちないって思いませんか? 少年期の大人社会への批判や葛藤等の問題でなくて、自己と他者(社会)のと問題でです。
自分たちの社会に帰属していないからと病名のレッテルを貼ったり、施設とはなにか云々なんてお話がいかに不毛なのか分かっていませんね。
ホールデン家は裕福です。133P にありますように「 お金に対する罪悪感 」でしょうか? むしろ私は「家」・自己を社会との繋がりで
太宰治が背負った家系の重さと相通じるものを感じてしまいます。
核心の部分です。将来はライ麦畑で遊びまわっている子供たちを崖から落ちないように見張る役目をしたい。
176P 「 子どもの捕まえ手になりたいと、実際そんなこと考える人なんてほとんどいないでしょう 」。いいえ、私はなりたいです。
子たちは無邪気に遊びまわっていて、崖から落っこちる危険などまるで気にかけていませんね。そのほうが良いに決まっています。
我を忘れて一心不乱に遊ぶ子たちを、注意する言葉を投げかけて邪魔するのでなく、ただ黙って見守るだけ。
いざ、落ちそうになったら、そこで自分の出番です。一人ひとり大切な命です。見張り番は必要な役目ではありませんか。
これくらいの、ほどよい社会との接点が、いいと思いますが…。私はですよ。ほかの読者の方は怖いと思って当たり前です。
以上、半分か、もうちょっとくらい世捨て人になった者からの感想でした。
新装版で読み返し、村上氏の 『 キャッチャー・イン・ザ・ライ 』 も発売されてすぐに読みました。
あまりにも野崎訳に慣れすぎて、初めて読んだときは村上流の翻訳に大変な違和感といいますかズレを感じました。
しかし、最近ふたたび読んでみたら過去に思ったほどでなく、村上テイストの翻訳もいいではないかという読後感でした。それはともかく
こうしてレビューを書くには、いささか勇気がいりました。
当著を読んで感じたのは、村上氏と柴田氏が、ホールデン少年の行動や社会に向ける姿勢とかについて不思議に思っていることが
私には、どうして分からないのだろうか…、といったものですから。
なぜなら、私自身もうじき60歳に手が届く年齢でありつつも「 大人 」になれなかった者ゆえに
「 大人 」側で『 ライ麦 』を翻訳し、ホールデン少年の「 通過儀礼 」と語るところが
世間一般の人が通過する道を通らないまま老いて今日に至っていますから、不思議でも何でもなく分かってしまうのです。
まず、ホールデン少年は社会に出て成長したいとかまるで思っていませんね。
そうしますと、すべて納得がいくのではないでしょうか。
妹、フィービーへの過剰なまでの愛しさは、社会にでて何色にも染まって欲しくない願望の投影です。
不変でありたいと願っている人間が、変化や成長を願うはずがないです。
お気に入りの場所は博物館です。そこにはガラスで隔てられた向こう側に、時を超えて動かないインディアンなどの展示品があります。
ガラス一枚で向こう側とこちら側とで分けられているのが大切です。
博物館を訪れる人は、わずかな時間そこに留まって過ぎ去ってしまう。そして、もし仮にそれら展示品が古くなって新しい物に
置き換えられても誰も気づきはしないでしょう。
ホールデンを取り巻く人たちや社会のインチキさ。それは本当に嫌うのではなくて、自分が入り込みたくても出来ない願望や羨望の
裏返しであって、目のカタキみたいに嫌っているわけでありませんね。
もしインチキ野郎が自分にとって関心のない者だったら、あれほど事細かにインチキさに注目なんかしませんね、目に飛び込んで来ませんよ。
↑
両氏ともこれは指摘しています。しかし、68P 「 自己というものを、この世界のどこにどのように据えればいいのか探求する本 」 との断言。
なんだか腑に落ちないって思いませんか? 少年期の大人社会への批判や葛藤等の問題でなくて、自己と他者(社会)のと問題でです。
自分たちの社会に帰属していないからと病名のレッテルを貼ったり、施設とはなにか云々なんてお話がいかに不毛なのか分かっていませんね。
ホールデン家は裕福です。133P にありますように「 お金に対する罪悪感 」でしょうか? むしろ私は「家」・自己を社会との繋がりで
太宰治が背負った家系の重さと相通じるものを感じてしまいます。
核心の部分です。将来はライ麦畑で遊びまわっている子供たちを崖から落ちないように見張る役目をしたい。
176P 「 子どもの捕まえ手になりたいと、実際そんなこと考える人なんてほとんどいないでしょう 」。いいえ、私はなりたいです。
子たちは無邪気に遊びまわっていて、崖から落っこちる危険などまるで気にかけていませんね。そのほうが良いに決まっています。
我を忘れて一心不乱に遊ぶ子たちを、注意する言葉を投げかけて邪魔するのでなく、ただ黙って見守るだけ。
いざ、落ちそうになったら、そこで自分の出番です。一人ひとり大切な命です。見張り番は必要な役目ではありませんか。
これくらいの、ほどよい社会との接点が、いいと思いますが…。私はですよ。ほかの読者の方は怖いと思って当たり前です。
以上、半分か、もうちょっとくらい世捨て人になった者からの感想でした。
2012年9月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
村上訳「キャッチャー」が面白い、心にひっかかると思った人は購入必須でしょう。
これがなくても「キャッチャー」は面白いけど、これを読むとさらに三段階くらい深く面白がれると思う。
こういう本が成立するのは、「キャッチャー」がそれだけ滋味に富む作品だということのしるしでもあります、きっと。
「キャッチャー」は1、2回しか読んでないけど、この本はゆがむくらい読みました。
「キャッチャー」よりも前に購入して、「キャッチャー」読んで、またこれを読んで。
本体よりもずっと楽しんでます。
これがなくても「キャッチャー」は面白いけど、これを読むとさらに三段階くらい深く面白がれると思う。
こういう本が成立するのは、「キャッチャー」がそれだけ滋味に富む作品だということのしるしでもあります、きっと。
「キャッチャー」は1、2回しか読んでないけど、この本はゆがむくらい読みました。
「キャッチャー」よりも前に購入して、「キャッチャー」読んで、またこれを読んで。
本体よりもずっと楽しんでます。
2003年9月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本、
1.村上さんか柴田さんの熱狂的なファン
2.『ライ麦畑でつかまえて』を暗記するほど熟読した
3.The Catcher In the Rye を暗記するほど熟読した
4.サリンジャーの熱狂的ファン
のいづれにも当てはまらない人が読むと何のことやらさっぱり判らないってことになると思われます。
ちなみに、私は2と3を満たしているため、それなりに楽しめました。
1.村上さんか柴田さんの熱狂的なファン
2.『ライ麦畑でつかまえて』を暗記するほど熟読した
3.The Catcher In the Rye を暗記するほど熟読した
4.サリンジャーの熱狂的ファン
のいづれにも当てはまらない人が読むと何のことやらさっぱり判らないってことになると思われます。
ちなみに、私は2と3を満たしているため、それなりに楽しめました。
2020年11月4日に日本でレビュー済み
キャッチャーは中学生の時、野崎訳、高校と大学の
英語の授業で原文を、通算3回読んでいます。
でも、まったく読めていなかったなあ、とおかしくなりました。
当時、ホールデンがどこからこれを語っているかなんて
考えなかったし、フィービーが実在しているかどうか
気にもとめなかった。
当代きっての作家と文学者の対談は、
当然ここまではわかっているよね、というお互いの認識に
対するベースラインが高くて、私にはついていけない部分も
ありました。
ハイレベルの読書会にうっかり参加してしまい、片隅から
固唾を飲んで議論の行方を見守っている人になったような
気分というか…
でも、色々発見があり、うならされた本であることは
間違いありません。
翻訳者の解釈をこれほどにも必要とするのだとしたら、文学の翻訳って、すごい世界だなあ、とも思いました。
翻訳者の解釈次第でかなり違う作品になってしまう。
村上訳は読んでいませんが、この本を
読む限り、村上春樹が「キャッチャー」に野崎訳とは異なる個性を
与えたのは容易に想像できます。
英語の授業で原文を、通算3回読んでいます。
でも、まったく読めていなかったなあ、とおかしくなりました。
当時、ホールデンがどこからこれを語っているかなんて
考えなかったし、フィービーが実在しているかどうか
気にもとめなかった。
当代きっての作家と文学者の対談は、
当然ここまではわかっているよね、というお互いの認識に
対するベースラインが高くて、私にはついていけない部分も
ありました。
ハイレベルの読書会にうっかり参加してしまい、片隅から
固唾を飲んで議論の行方を見守っている人になったような
気分というか…
でも、色々発見があり、うならされた本であることは
間違いありません。
翻訳者の解釈をこれほどにも必要とするのだとしたら、文学の翻訳って、すごい世界だなあ、とも思いました。
翻訳者の解釈次第でかなり違う作品になってしまう。
村上訳は読んでいませんが、この本を
読む限り、村上春樹が「キャッチャー」に野崎訳とは異なる個性を
与えたのは容易に想像できます。





