無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません 。詳細はこちら
Kindle Cloud Readerを使い、ブラウザですぐに読むことができます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
翻訳夜話 (文春新書) 新書 – 2000/10/20
購入を強化する
- ISBN-104166601296
- ISBN-13978-4166601295
- 出版社文藝春秋
- 発売日2000/10/20
- 言語日本語
- 本の長さ260ページ
よく一緒に購入されている商品
この商品を見た後に買っているのは?
商品の説明
商品説明
柴田が書いたあとがきに、「翻訳の神様から見れば、我々はすべてアマチュアなのだ」とあるように、両者の回答は、体系化された技術・翻訳論議に向かうのではなく、翻訳を行う際の、動機や心構えを説明することに費やされている。例えば「大事なのは偏見のある愛情」(村上)とか、「ひたすら主人の声に耳を澄ます」(柴田)とか、あるいは「(翻訳することによって、原文の世界に)主体的に参加したい」(村上)といった具合だ。
途中に、「海彦山彦」と題したカーヴァーとオースターの同一の小品(巻末に原文がある)の競訳が掲載されており、プロ翻訳家たちとの最後のフォーラムでは、これを巡った質疑が展開する。文脈や文体のうねりといった、一般論では語り尽くせない領域で具体的な論議が進行するこの部分からは、競訳ゲームのおもしろさという以上に、テキストと翻訳家との間で生じる本質的なスリルが伝わってきて、非常におもしろい。劇的な魅力たっぷりの、本書の白眉と言っていいだろう。(玉川達哉)
内容(「BOOK」データベースより)
著者について

1949(昭和24)年、京都府生れ。早稲田大学文学部卒業。
1979年、『風の歌を聴け』でデビュー、群像新人文学賞受賞。主著に『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞受賞)、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『ノルウェイの森』、『アンダーグラウンド』、『スプートニクの恋人』、『神の子どもたちはみな踊る』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』など。『レイモンド・カーヴァー全集』、『心臓を貫かれて』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『ロング・グッドバイ』など訳書も多数。

1954年生まれ。大学教師、翻訳家 (「BOOK著者紹介情報」より:本データは『モンキービジネス 2010』(ISBN-10:4863322828) が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
164ページ「店の雑誌をぱらぱらめくっていた」、165ページ「それらのアルバムをぱらぱらとめくって」(柴田元幸氏訳)。2ページ連続で、「ぱらぱら(と)めくって」と同じ表現が使われるのは少し能がないな。また「それらの」という言葉は「これらの」「あれらの」とならび、現代の翻訳では死語になっているかと思っていました。で、柴田氏はかなりご高齢なのかと思い、御経歴を拝見すると村上春樹氏よりかなり若いんだ。
「ぱらぱら(と)めくって」を、原文ではどう表現しているのか確認してみました。巻末に原文が掲載されていて親切です。初めのはⅷページ looking through a magazine 後のはⅸページ I flipped through the albumとあります。
まず、look through は、look through a book 本をざっと調べる(研究社 新英和中辞典)。 探るように(じろじろ)見る 〔書類など〕を通して(ざっと)読む(研究社 リーダーズ英和辞典) Oxford Advanced Learner’s Dictionary (OALD) によれば look though sth は to examine or read sth quickly. とあります。
一方、 flipp throughは、(本などの)ページをぱらぱらめくる。さっと読む(研究社 新英和中辞典)。パラパラめくる(研究社 リーダーズ英和辞典)。 OALDにはflip through sth は to turn the pages of a book ,etc. quickly and look at them without reading everything. となっています。
とくに、あとの「ぱらぱらめくって」いるのは沢山の写真が貼られているアルバムで、たぶん厚い台紙でできているのでしょうから「ぱらぱらめくって」は、ちょっと軽すぎる表現ではないでしょうか。いくら英和辞典に出ているからといって、それをそのまま使うなんて中学生ではあるまいし、と思います。翻訳の権威の先生なら、もう一工夫あってしかるべきではないでしょうか。
ちなみに村上春樹氏の訳では前が「雑誌をぱらぱらめくっていて」、後のは「そのアルバムのページをめくって」とあります。
と、重箱の隅を突っつきましたが、実は柴田氏ではなく、村上春樹氏の翻訳のことについて言いたかったのです。前から感じていたことを、本書の例によらず、2つ挙げてみます。
例1.
I am always drawn back to places where I have lived, the houses and their neighborhoods.
For instance, there is a brownstone in the East Seventies where ,during the early years of the war, I had my first New York apartment. It was one room crowded with attic furniture, a sofa and fat chairs upholstered in that itchy, particular red velvet that one associates with hot days on a train. The walls were stucco, and a color rather like tobacco-spit. Everywhere, in the bathroom too, there were prints of Roman ruins freckled brown with age. The single window looked out on a fire escape. Even so, my spirits heightened whenever I felt in my pocket the key to this apartment; with all its gloom, it still was a place of my own, the first, and my books were there, and jars of pencils to sharpen, everything I needed, so I felt, to become the writer I wanted to be. (Truman Capote Breakfast at Tiffany’s 講談社英語文庫)
拙訳
僕はいつも自分が住んでいた場所、家やそのまわりを思い出す。たとえば東70丁目にブラウンストーンがあって、そこは大戦初期、ずっと僕が住んでいたニューヨークで最初のアパートだった。ワンルームで、ひどい家具でいっぱいで、ソファとかぶくぶくした、かゆくなるような変な赤いベルベットの椅子とか、まるで暑い日の電車の中みたいだった。壁はスタッコで、色はまるで噛み煙草の汁みたい。どこにも、バスルームの中にも、時代がかってしみだらけのローマの廃墟の版画がかかっていた。たった一つの窓は避難階段に面していた。そんな部屋でも、僕はポケットのなかの部屋のキーにさわって元気づけられた。そこは僕自身が所有した最初の場所であり、そこに僕の本があり、鉛筆立てには削る鉛筆がある。小説家になりたかった当時の僕にとって、そこには必要なものすべてがあった。
村上春樹訳
以前暮らしていた場所のことを、何かにつけふと思い出す。どんな家に住んでいたのか、近辺にどんなものがあったか、そんなことを。たとえばニューヨークに出てきて最初に僕が住んだのは、イーストサイド72丁目あたりにあるおなじみのブラウンストーンの建物だった。戦争が始まってまだ間もない頃だ。一部屋しかなくて、屋根裏からひっぱり出してきたようなほこりくさい家具で足の踏み場もなかった。ソファがひとつに、いくつかのむくむくの椅子、それらはへんてこな色あいの赤いビロード張りで、いやにちくちくして、まるで暑い日に電車に乗っているような気がした。壁はスタッコ塗りで、色あいは噛み煙草の吐き汁そっくりだ。浴室も含めて、いたるところにローマの遺跡を描いた版画がかかっていたが、ずいぶんな時代もので、そこかしこに茶色のしみが浮き出ている。窓はひとつしかなく、それは非常階段に面していた。とはいえ、ポケットに手を入れてそのアパートメントの鍵に触れるたびに、僕の心は浮き立った。たしかにさえない部屋ではあったものの、そこは僕が生まれて初めて手にした自分だけの場所だった。僕の蔵書が置かれ、ひとつかみの鉛筆が鉛筆立ての中で削られるのを待っていた。作家志望の青年が志を遂げるために必要なものはすべてそこに備わっているように、少なくとも僕の目には見えた。 (「ティファニーで朝食を」 新潮文庫)
例2.
Who are they for? (Truman Capote A Christmas Memory TALE BLAZERS)
ケーキはいったい誰のために焼かれたのだろう? 村上春樹訳 (「クリスマスの思い出」「ティファニーで朝食を」新潮文庫 所収)
例1.村上氏の訳と拙訳(僕の英語力は中学生程度です)とを比較してみると、拙訳が8行、村上氏の訳は13行です。僕の訳なんか話にもなりませんが、原文の簡潔な英語表現に比べ、村上氏訳はなんだかなあと思ってしまいます。
ー everything I needed, so I felt, to become the writer I wanted to be.
ー 作家志望の青年が志を遂げるために必要なものはすべてそこに備わっているように、少なくとも僕の目には見えた。
まず、原文を音読して頂ければと思います。訳文には原文の持っているリズム感もなく、かつ冗長に感じます。これが村上調名訳というのかもしれませんが、原文を参照せずに訳文だけを読み、カポーティの文体はこういうのだろうなと、読者が思われるのが残念です。
例2.主人公たちがケーキを作り、知人(ルーズヴェルト大統領にも)に贈るという部分です。原文はたった4つの単語で、勢いよく表現しています。この Who are they for? に対しての答えはたった一語、Friends.です。村上氏の訳は単調かつ説明的で長すぎるように思いますし、応答の言葉も「友人たちのためだ」です。たとえば、「で、誰のため?」「友達」くらいではいけないのでしょうか。僕はこの訳の疑問から、「クリスマスの思い出」を全訳してみた程です。
村上氏の翻訳は、原文の意を読み取り、それを、原文の長さ、リズム、勢いなどはあまり重要視せず、自分なりの表現、言葉に置き換えている作業に思えます。これも1つの翻訳のスタイルでしょうし、異議申し立てはいたしませんが、村上春樹氏の作品の40年来の愛読者が、氏の翻訳は読まないようになってしまったのが残念です。
英語にちょっとでも興味のある人は読む価値がある本だと思います。
著者二人と学生や翻訳者たちとのセッションも面白かったのですが、何と言ってもこの本の真価は、二人の競訳と原文が載っていることだと思います。
特にカーヴァーの英語は、それだけ読むと非常に簡潔な文章で、難しい単語も少ないので、結構すらすら読めてしまいます。
でも、「意味を取ることができる」からといって、翻訳が容易だといういうわけではないのだと、お二人の競訳を比べてみて納得。
今まで、翻訳物を読み漁って、「何か訳文がいまいち」とか言ってた自分が恥ずかしくなりました。
村上春樹氏がどこかのエッセイ(だったか)で「翻訳はあくまで近似値」とおっしゃっていましたが、なるほど。
翻訳者の方々が、我々読者に届けるために、日々外国語を日本語に置き換えている見えない苦労を実感できる一冊です。
お勧め。
後は、「アメリカ人は大きくて分厚くて、みっちりと活字のつまった本のほうが好きみたいです」「日本人があることを論じるときに、小説よりも論説文で感じるんだけど、起承転結があったら四段落使います。それが英語だと、起承転結がワンパラグラフなんですね」(p.104)あたりもなるほどな、と。
ダジャレがあったらルビを振るぐらいで、置き換えはできない、というのが「越えられない一線」(p.109)というあたりや「翻訳というのは濃密な読書」(p.199)なんてところも共感する。愛する田中小実昌さんのチャンドラーの翻訳はまだ古びていない、と褒めてくれているのは嬉しかった(p.229)。
すでに翻訳されていた村上訳のカーヴァーと柴田訳のオースターの小品に、それぞれ村上春樹さんがオースターを、柴田さんがカーヴァーを訳して対比させるという趣向も素晴らしかった。当たり前だけど、やっぱ、うまいな。ふたりとも。





