羆嵐 (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 1982/11/29
吉村 昭
(著)
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本の長さ272ページ
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言語日本語
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出版社新潮社
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発売日1982/11/29
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寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
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ISBN-104101117136
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ISBN-13978-4101117133
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
「おっかあが、少しになっている」人喰いヒグマの暴走
「おっかあが、少しになっている」
――それは、遺体と呼ぶには余りにも無残な肉体の切れ端にすぎなかった。頭蓋骨と一握りほどの頭髪、それに黒足袋と脚絆をつけた片足の膝下の部分のみであった。――
大正四(一九一五)年十二月、北海道天塩山麓の六線沢で惨劇は起きた。冬籠りをし損なった「穴持たず」の羆(ひぐま)が民家に押し入り、人間を喰ったのだ。犠牲者の中には妊婦もいた。開拓村を単なる餌場と見なしたかの如くクマは人喰いを続ける。止められる者はおらず、その無力さに村民たちは打ちひしがれた。
吉村昭『羆嵐(くまあらし)』は現実の熊害(ゆうがい)事件に取材した圧巻の一作だ。悲劇に見舞われた村の人々はすべて入植者であり、山が持つ真の姿を知らなかった。そのことがいかなる結果を招いたか、裸の状態で自然と向き合った人間がどれほど弱いものかということを、読者は妥協なき殺戮を繰り返す羆の姿から思い知らされるのである。贅肉のない文章によって事実をありのままに書くという吉村の手法が最大の効果を上げている。羆が骨を噛み砕き、肉を毟(むし)る音が行間から聞こえてくるはずだ。
小説の後半では、羆対策を巡って人間たちが迷走するさまが描かれる。未曽有の事態を前にして、天の啓示から学ぼうともせず、保身や衆を頼む思考に囚われた村人の姿は、二十一世紀の今も繰り返される人災の縮図のようである。その中でただ一人、クマ撃ちの銀四郎という男のみが、自然の摂理に身を委ねることの重要さを知っていた。老猟師は、羆よりもむしろ同じ人間の愚行に対して怒りを露わにする。村人に背を向けて去っていく彼の姿は、無知の罪を天に詫びるかのようである。
評者:徹夜本研究会
(週刊文春 2017.10.19号掲載)内容(「BOOK」データベースより)
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
1927‐2006。東京・日暮里生れ。学習院大学中退。1966(昭和41)年『星への旅』で太宰治賞を受賞。同年発表の『戦艦武蔵』で記録文学に新境地を拓き、同作品や『関東大震災』などにより、’73年菊池寛賞を受賞。以来、現場、証言、史料を周到に取材し、緻密に構成した多彩な記録文学、歴史文学の長編作品を次々に発表した。主な作品に『ふぉん・しいほるとの娘』(吉川英治文学賞)、『冷い夏、熱い夏』(毎日芸術賞)、『破獄』(読売文学賞、芸術選奨文部大臣賞)、『天狗争乱』(大佛次郎賞)等がある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : 新潮社; 改版 (1982/11/29)
- 発売日 : 1982/11/29
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 272ページ
- ISBN-10 : 4101117136
- ISBN-13 : 978-4101117133
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 9,012位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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この本は、三毛別熊事件を元に多少の脚色がなされているノンフィクションに近い小説である。
この本を通して描かれているのは自然の中で暮らす無力な人間の存在である。冒頭から北海道の美しい自然の情景が描かれるが、同時に蝗やアブ、蚊など害虫に対する弱い存在としての開拓民が描かれている。
開拓民は虫の害から逃れるために北海道の山奥へと侵出して行くのだが、そこで遭遇するのは肉食獣の餌としての自己を自覚させるほどの恐ろしい大熊である。
開拓民や途中から出てくる開発の部隊は自然に関しては素人であり、食い散らかされた被害者の亡骸や人体の混ざった糞に熊の片鱗を感じ取るまでは自然に対して畏敬を持ってはいない。しかし、一度惨状を目にするや否や、誰もが熊の影に怯え、ただただ恐怖のために狂乱するばかりである。
この小説の素晴らしいところは、餌としての自己を認識しているのは羆に遭遇した村人だけではないということを描いている点である。即ち、名うての熊撃ち猟師である銀四郎もまた、熊に怯える餌でしかない。彼が他の登場人物と一線を画するのは、その恐怖心の尋常でない大きさである。
思えば、人間が何かを対策するのは恐怖心からである。受験に落ちるのが怖いから必死に勉強する受験生や、エントリーシートを書く就活生もまた恐怖心からそれらの対策をしているのだろう。それゆえ、羆という人間を凌駕する怪物と対峙し続ける銀四郎の準備は並大抵のものではない。
銀四郎は羆の生態に対する知識を集め、山を歩くための経験を積み重ねている。熊討伐隊の一行に加わらず、単独行動という素朴に見れば危険な行為をするのも逆に熊から身を守る為である。彼の恐怖心が並大抵のものでないことは熊を撃ち倒したのちの緊張の解けた死人のような顔からも見て取れる。
この本では羆に遭遇し死の恐怖を抱いた人間は必ずと言って良いほど正気を失った様に描かれている。銀四郎の酒乱癖もまたその一部なのかもしれない。
一気に読まざる得ない迫力と恐怖に満ちたドキュメンタリーです
就寝前に少しと思い 読了は明け方4時頃でした。
鞴(ふいご)のような熊の荒い息遣いが耳に付いてるような気がして(街中で んな訳きゃない)
まんじりともしない朝を迎えました。
怖いです。読み出すタイミングをよく考えて読みましょう(徹夜必至です)
朝5:30頃 寝そびれてボーッとした頭で吉村昭さんの作品を3冊Amazonにて注文しました。
くまのプーさんもはちみつ付けて人を喰うんだろか? こわいです。←まだボーッとしてる
語弊はありますが、非常に含蓄のある出来事だと考えています。
野生生物と人間が干渉した為に悲惨な結果になる事例は毎年の様に発生していますが、この事例は
突出しています。ただ、これを「熊は悪だ、被害者が可哀そうだ」と伝えたがるメディアには違和感を
覚えます。
野生生物が生きていた場所に、後から勝手に入植したのは人間の方です。野生生物とぶつかり合うのは当たり前です。
レビュー主も、農家の住み込みアルバイトを3週間だけしていた事がありますが、畑の中を真昼間からカモシカ
が闊歩しているのを見ました。あれが当たり前なんです。
人間には銃という文明の利器があり、この事例でも冬眠し損ねたヒグマに止めを刺しています。しかし、
等のヒグマにしてみれば冬の厳寒期、食い物が無くて必死に食べて生きようとしていたのでしょう。普通は
飢え死にします。人間だって、食うに困れば食い逃げから強盗までやります。
妊婦が生きたまま胎児を引きずり出されて食い殺された事は、悲惨そのものです。ただ、それだけを
引き合いに出してどうこう騒ぐのは、どう考えても脱線しています。以前から野生生物の生息域と人間の
居住区の間に緩衝地域を設ける意見が出されていますが、一度人間が入植してしまうと人間の方から彼らの
生息域に入らざるを得ない事が多くなります。むしろ、そうでもしないと人間は生きていけません。人間には
人間の事情がある。
森と畑の間に広く策を設けるか、畑に電気柵を設けるか。実際に見たのですが、本当に費用が掛かります。
そこまで手を尽くしても、そこに住む以上は野生生物との関わり合いを避けて通れません。
徹底的にやるならスタジオジブリの作品「平成狸合戦ぽんぽこ」の多摩ニュータウン計画の様に
何もかもぶっ潰して、野生生物に可哀そうだから少しだけ残してあげよう、“自然と共生しよう”といった
全てが人間都合で進めるしか安全を担保できません。自然の驚異から身を守るため、皆で寄り添って
街を作り、生活を作り、やがて都市として完成する。
人間は、素手では野生生物には手も足も出ません。
動物と人間が共に暮らせるのは犬や猫だけです。ヒグマやライオンを
ペットにはできません。彼らは人間に従う動物ではないからです。
野生生物と人間は、一緒に暮らせません。
共に生き物である以上、人間が捕食対象になる事もある。この事例はそれを
証明しています。自分自身や近しい人物が犠牲になれば捉え方も異なってくるでしょうが、
今はこれだけしか表現できません。
少し逸れますが、この事例は他にも日本人らしい現象が見られます。先の戦争中のミッドウェー海戦です。
「あっちにあの熊が出たぞ、みんなで行こう! ⇒ 女子供しかいない母屋ガラ空き」
「あっちに低空飛行の敵雷撃機が来たぞ、みんなで行こう!」 ⇒ 「空母上空の警戒ガラ空き」
皆が畑仕事をしている最中に釣りに出かける者は、それがどんなに合理的で冷静でも弾かれます。
この事例を見ると、犠牲者には失礼ですが非常に閉鎖的な空間で歴史を歩んできた日本人的な
現象が現れているとレビュー主は考えております。
人によって、様々な捉え方のある事例です。
敢えて「事件」という呼称を避けたいと思います。
大正4年に起きた史上最悪の鳥獣被害を題材とした作品なので面白いという言葉は本当に適切ではないのですが、ぐいぐい引き込まれました。
「熊被害??現代じゃ考えられないよ~。」なんて軽く考えていましたが、読み終えた後は恐怖感しか残りませんでした。
熊の生活圏に人間がずかずか踏み込んで、食糧としてではなく、被害が出ると殺生、という我々を中心とする考え方が、本当にいいのかどうかは自分には判断できませんが、お互いに干渉することなく存在できないのかなぁ?なんてお子ちゃまのようなことも考えてしまいました・・・。
そういえば、この作品で「羆嵐」という言葉も初めて知りました。(熊を仕留めると必ず天候が荒れるということから来た言葉のようです。)
しかし、でかいです・・・380Kgで立ちあがると3m50cmだそうです。現在事件があった場所が跡地として再現されているらしいのですが、これ見ても異常なでかさですよね・・・。怖い

ユーザー名: 徹夜本と映画で現実逃避!、日付: 2019年3月23日
大正4年に起きた史上最悪の鳥獣被害を題材とした作品なので面白いという言葉は本当に適切ではないのですが、ぐいぐい引き込まれました。
「熊被害??現代じゃ考えられないよ~。」なんて軽く考えていましたが、読み終えた後は恐怖感しか残りませんでした。
熊の生活圏に人間がずかずか踏み込んで、食糧としてではなく、被害が出ると殺生、という我々を中心とする考え方が、本当にいいのかどうかは自分には判断できませんが、お互いに干渉することなく存在できないのかなぁ?なんてお子ちゃまのようなことも考えてしまいました・・・。
そういえば、この作品で「羆嵐」という言葉も初めて知りました。(熊を仕留めると必ず天候が荒れるということから来た言葉のようです。)
しかし、でかいです・・・380Kgで立ちあがると3m50cmだそうです。現在事件があった場所が跡地として再現されているらしいのですが、これ見ても異常なでかさですよね・・・。怖い

最初に手にしたのは旅行で北海道に行った際でした。
飛行機の中で読もうと思い、空港の書店で購入。
......後悔しました。
恐ろしすぎます。
後にも先にもこんな恐怖に満ちた、事実を基にした物語を読んだことはありませんでした。
以来、北海道にはその後もよく出かけますが、羆との遭遇や出没情報は必ずチェックするようになりました。
北海道開拓史のあまり知られない一側面としても読むことができます。
氏の著作の特徴は
①事前調査による圧倒的な情報量
②それに基づく臨場感ある文章
の2点に尽きると思っている。
この作品は有名な三毛別獣害事件の顛末を記述したものである。『ヒグマは確かに怖いが,住などの文明の利器の前には無力であろう』という感覚が,現在の我々の正直な感覚である。しかし,この作品は,ひとたび恐怖にかられた人々が如何に無力な『群衆』と化すのかを如実に物語ってくれる。
当時の開拓民の生活様式,警察官の特別性,ヒグマの習性などが詳細に記述され,臨場感を高めてくれた。最後に銀五郎がヒグマをしとめる場面では,自分がその背後にいる錯覚に陥るほどのめり込んでしまった・・。
氏の著作としては比較的ヴォリュームが小さく,1日で一気に読めた。
吉村氏の入門書としてお薦めする。
補足: 知床半島の観光地化による『ヒトとヒグマとの距離の近接』が頻繁に報道されるようになった。三毛別事件が特殊な例なのか,それとも今後も起こりうる事件なのか。個人的には,冬眠に入れなかった巨大ヒグマが引き起こした特殊例であると思いたい。
恐怖、或いは畏敬が人間に文明を生み文化を育んだ。今の時代、リアルな恐怖の感性を蘇らせることが必要だと感じた。
小説なので人物の発言などは事実とはちがうことを承知の上で、記録ものの副読本としても良いです
物語の小説としては、非情な自然にしがみついて生きる悲哀や、熊を仕留めた男のもつ、コインの表裏のような二面性についてのおぼろげな理由が悲しくも格好良く、夢中になって読むことができました