岸田先生の本はやはり面白い。
気軽に読めそうな内容であるが、文章は難解な箇所もあり、腰を据えて読む必要がある。
先生が一貫して主張しているように人間は幻想に基づいて生きるしかないのだろうか?
やはりそうなのだろうと不惑を迎え感じるようになった。傍目にはどんなに恵まれた人生を送っていても孤独や空虚感から逃れられないと思う。
続 ものぐさ精神分析 (中公文庫) (日本語) 文庫 – 1996/1/18
岸田 秀
(著)
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本の長さ399ページ
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言語日本語
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出版社中央公論新社
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発売日1996/1/18
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ISBN-104122025192
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ISBN-13978-4122025196
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
人間の精神の仕組みを「性的唯幻論」という独自の視点からとらえ、具体的な生の諸相を鮮やかに論じる岸田心理学の実践的応用篇。待望の続篇。
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社; 改版 (1996/1/18)
- 発売日 : 1996/1/18
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 399ページ
- ISBN-10 : 4122025192
- ISBN-13 : 978-4122025196
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- - 462位中公文庫
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- カスタマーレビュー:
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2018年6月3日に日本でレビュー済み
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ベスト500レビュアー
岸田秀氏のいう「唯幻論」とはいったいなんなのか。
それは結局人類文化というものが失われた人間の本能を補佐するためにあり、
その意味で人間は生物学的存在から疎外されて生きていることを出発点とすべきでしょう。
岸田心理学の要諦はつまるところそういうことなのです。
では、その唯幻論をプラスに(ポジティブに)解するならば、どうでしょうか。
即ち、「人間がまぼろしのような文化や精神というものを相手に生きなければならないとしたら、
人間は抽象的存在者になってしまうであろう。それよりはむしろ具体的な生をいきたほうが、
どれほど得策であろうか」ということになるでしょうか。
文化人類学等で模索してきたのは具体的な生の集合的なリアリティをつうじた、
普遍的で抽象的な文化というものでした。通有性といってもよいでしょう。
汎民族的に得られる文化的通有性をば問題にしてきたのです。
しかし、ここで改めて歴史という事実的側面や個というパーソナルな側面を再評価することは、
既成の社会科学の立場からは許されにくいかもしれません。
というのは、社会科学というのはあくまで集合表象を問題にするからで、
そこには生きた歴史や生きた個人はあまり出てはこないのです。
さらにしかし、心理学ではそれができます。というのは、心理学は自然、人文、社会に跨る、
広大な学問領域を有するからで、それは精神医学等にもつうじ、
さまざまな人間像の吟味検討を経て、自然的あるいは社会的な多形性を伝えています。
さて、そこで次のようなことを提案しておきます:
我や我々をも包括的に相対化してしまうと、心理学の根拠点が揺らぎます。
しかるに、我や我々を絶対視することは利己主義的遺伝子の発想にもつうじ、ある意味で危険です。
そこで、中立策としてはいわば「確立された自己」という観点に立って、
同じく他の自己を見つめることによって、さらなる陶冶(自己形成)を目指してみる、
というのはいかがでしょう。その地平において、真のユマニスムや個人主義が誕生するかもしれません。
スペンサーもいう社会進化にあたるでしょう。そうした向きに本書のご解読をおすすめしておきます。
それは結局人類文化というものが失われた人間の本能を補佐するためにあり、
その意味で人間は生物学的存在から疎外されて生きていることを出発点とすべきでしょう。
岸田心理学の要諦はつまるところそういうことなのです。
では、その唯幻論をプラスに(ポジティブに)解するならば、どうでしょうか。
即ち、「人間がまぼろしのような文化や精神というものを相手に生きなければならないとしたら、
人間は抽象的存在者になってしまうであろう。それよりはむしろ具体的な生をいきたほうが、
どれほど得策であろうか」ということになるでしょうか。
文化人類学等で模索してきたのは具体的な生の集合的なリアリティをつうじた、
普遍的で抽象的な文化というものでした。通有性といってもよいでしょう。
汎民族的に得られる文化的通有性をば問題にしてきたのです。
しかし、ここで改めて歴史という事実的側面や個というパーソナルな側面を再評価することは、
既成の社会科学の立場からは許されにくいかもしれません。
というのは、社会科学というのはあくまで集合表象を問題にするからで、
そこには生きた歴史や生きた個人はあまり出てはこないのです。
さらにしかし、心理学ではそれができます。というのは、心理学は自然、人文、社会に跨る、
広大な学問領域を有するからで、それは精神医学等にもつうじ、
さまざまな人間像の吟味検討を経て、自然的あるいは社会的な多形性を伝えています。
さて、そこで次のようなことを提案しておきます:
我や我々をも包括的に相対化してしまうと、心理学の根拠点が揺らぎます。
しかるに、我や我々を絶対視することは利己主義的遺伝子の発想にもつうじ、ある意味で危険です。
そこで、中立策としてはいわば「確立された自己」という観点に立って、
同じく他の自己を見つめることによって、さらなる陶冶(自己形成)を目指してみる、
というのはいかがでしょう。その地平において、真のユマニスムや個人主義が誕生するかもしれません。
スペンサーもいう社会進化にあたるでしょう。そうした向きに本書のご解読をおすすめしておきます。
2009年10月18日に日本でレビュー済み
「性的唯幻論を越えて」の章は「肉体の商品化を支えているもろもろの幻想の幻想性を認識し、それらを一つ一つ打破してゆく必要があろう。」と締めくくられている。元版が出た1978年から30年経過して事態はどう変わったか。著者はこの問いに答えるべく近頃(2008年)も性的唯幻論の「改訂版」を出しているから、今更ものぐさ精神分析でもない、と思われるかもしれません。でも岸田節は落語みたいなもので筋は同じでも語り口は毎回ちがうから、性的唯幻論の事実上のデビュー(正編は史的唯幻論がメイン)である本書は岸田本を読み慣れているひとにもおススメです。著者にしても所説の開陳がまだ一回目だから、説明が叮嚀です。それに文章に臨場感があって、今の感覚に慣れているひとは(わずか?)30年前はこんな感じだったのかと隔世の感を懐かせられるにちがいありません。
ベスト500レビュアー
唯幻史観(本書では史的唯幻論)によって近代社会を鮮やかに切って見せた「ものぐさ精神分析」の続編。本書はより身近なトピックスを対象にしており筆致も自由奔放で発想も自在。「全ては幻想である」、「人間の本能は壊れている」と言う信念が全編を貫いている。決して「出がらし」ではない。
文明を"病"と断ずる事は別に目新しくないが、"伝染病"とは言い得て妙。「死への恐怖」は人間以外の動物にもある事は自明で、これを種々の社会制度の唯一の要因と決め付けるのは流石に無理だろう。「史的唯物論批判」は本書の核心で、平凡だが首骨できる点が多い。日本的"諸行無常"の歴史観の延長上に自らの「史的唯幻論」があると嘆いているが、自然な流れだろう。「アメリカの精神分析」、「集団と狂気」、「守る」は現代の混迷を予見しているようで鋭い。動物園から"覇権幻想"に話を展開する辺りは著者の真骨頂で、「マニアについて」、「流行について」等と同様、軽い話題から深遠な考証に論理を飛躍させる手法が読む者を魅了すると共に、書き手の余裕を感じさせる。次章では「性的唯幻論」を"女性の肉体の商品化"をベースにして論じるが、論理的には受容出来ても、理が勝ち過ぎている気がする。性の問題は難しい。「近親相姦のタブー」を社会成立の前提条件とするアイデアは卓抜。「しつけの問題」、「価値について」の二編は秀逸な論考で、ここだけでも本書を読む価値がある。作家論はやや平凡か。
著者の「唯幻論」は国家、社会、制度と言った機構に巧く機能するが、"個"にも適用できるのには正直驚いた。ツボに嵌った時の刺激は強烈で、既存の常識に飽き足らない方への格好の啓蒙書。
文明を"病"と断ずる事は別に目新しくないが、"伝染病"とは言い得て妙。「死への恐怖」は人間以外の動物にもある事は自明で、これを種々の社会制度の唯一の要因と決め付けるのは流石に無理だろう。「史的唯物論批判」は本書の核心で、平凡だが首骨できる点が多い。日本的"諸行無常"の歴史観の延長上に自らの「史的唯幻論」があると嘆いているが、自然な流れだろう。「アメリカの精神分析」、「集団と狂気」、「守る」は現代の混迷を予見しているようで鋭い。動物園から"覇権幻想"に話を展開する辺りは著者の真骨頂で、「マニアについて」、「流行について」等と同様、軽い話題から深遠な考証に論理を飛躍させる手法が読む者を魅了すると共に、書き手の余裕を感じさせる。次章では「性的唯幻論」を"女性の肉体の商品化"をベースにして論じるが、論理的には受容出来ても、理が勝ち過ぎている気がする。性の問題は難しい。「近親相姦のタブー」を社会成立の前提条件とするアイデアは卓抜。「しつけの問題」、「価値について」の二編は秀逸な論考で、ここだけでも本書を読む価値がある。作家論はやや平凡か。
著者の「唯幻論」は国家、社会、制度と言った機構に巧く機能するが、"個"にも適用できるのには正直驚いた。ツボに嵌った時の刺激は強烈で、既存の常識に飽き足らない方への格好の啓蒙書。
2004年1月11日に日本でレビュー済み
この本は、「ものぐさ精神分析」の続本である。
したがって、「ものぐさ精神分析」を読まれていない方には、まず、そちらをお薦めする。著者独特の興味深い文章を楽しむことができるであろう。
この「続ものぐさ精神分析」は、もとは、「二番煎じ ものぐさ精神分析」と「出がらし ものぐさ精神分析」の2冊である。タイトルが示すとおり、本当に、二番煎じであり、出がらしである。つまり、最初の「ものぐさ精神分析」と同じ思想を、言い方を変えただけの論文が多い。これは著者も、あとがきで認めているところである。
したがって、残念ながら、最初に「ものぐさ精神分析」を読んだときに感じる独特感・新鮮感はうすい。「また同じことを言っている」と感じるほうが多い。
しかし、逆にいうと、著者の考えを繰り返し読むことにより、理解度が高まるとも言えるので、著者の考えを深めて理解していきたい方には一読をお薦めしたい。
したがって、「ものぐさ精神分析」を読まれていない方には、まず、そちらをお薦めする。著者独特の興味深い文章を楽しむことができるであろう。
この「続ものぐさ精神分析」は、もとは、「二番煎じ ものぐさ精神分析」と「出がらし ものぐさ精神分析」の2冊である。タイトルが示すとおり、本当に、二番煎じであり、出がらしである。つまり、最初の「ものぐさ精神分析」と同じ思想を、言い方を変えただけの論文が多い。これは著者も、あとがきで認めているところである。
したがって、残念ながら、最初に「ものぐさ精神分析」を読んだときに感じる独特感・新鮮感はうすい。「また同じことを言っている」と感じるほうが多い。
しかし、逆にいうと、著者の考えを繰り返し読むことにより、理解度が高まるとも言えるので、著者の考えを深めて理解していきたい方には一読をお薦めしたい。