竹森俊平『経済論戦は甦る』(2002,2007)ではコラム的に簡潔に清滝・ムーアモデルに先行するフィッシャーを伝える。
本書の文庫版は表紙がいい。シュンペーターとフィッシャーを使っている。
ハイエクとケインズで語られる問題をさらに金融問題として具体的に展開している。執筆動機的には対小泉経済改革路線の時事的な意味が大きかっただろうが、普遍的に読める。
竹森(というよりフィッシャー)はリーマンショック以前に、過去の恐慌の検証からリーマンショックを予見していると言える。
リーマンショック以降に出た本で私はそれを予見していたという本はあるが、本書は違う。
本書の記述を敷衍するなら、
アーヴィング・フィッシャーは再評価されるべきだ(トービン『マクロ経済学の再検討』#1参照)。
例えばフィリップス曲線はフィッシャーが発見している。
フィッシャー・フィリップス曲線と呼ぶべきだ。
恐慌で財産をなくした事が喜劇的に語られる事が多いが、当時の映像を見るとパニックを止めるために率先して投資し続けたのかもしれないと思わせる。
フィッシャーに関して述べるなら伝記としては吉川洋『経済学をつくった巨人たち』(2001)の小文がいい。
これらは対デフレ理論的に再評価したものだ。
なおフィッシャーは実体経済を見ているのでマネタリストではない。フリードマンはフィッシャーの一部しか見ていない。
リチャード・セイラー『行動経済学の逆襲』では行動経済学的にフィッシャーが再評価されている。
フィッシャー邦訳は『価値と価格の理論の数学的研究(1892,訳1981)』『貨幣の購買力(1911,訳1936)』『貨幣錯覚(1928,訳1930)』『利子論(1930,訳2011)』等。『スタンプ通貨(1933,訳2018?)』(一部邦訳は雑誌に既出)の邦訳が待たれる。
竹森はフィッシャーの1927年ムッソリーニ、1932年フーヴァー大統領との会談も紹介している。フィッシャーとシュンペーターの理論上の対立はケインズとハイエクの対立と同じだということがわかるし、金本位制についての認識はケインズよりフィッシャーの方が深い。竹森は主にフィッシャーの以下を参照している。
"Stabilizing The Dollar"1920
"The Debt-Deflation Theory of Great Depressions", 1933, Econometrica. 全22p
以下、竹森本エピグラフ:
つぎのような一つの均衡があるかもしれない。それは安定ではあるが、あまりにも微妙なバランスの上に成立しているので、そこから大きくはずれた場合には「不安定」が生じるのである。それはあたかも力を加えられた鞭がしなり、いつでも跳ね返ろうとするものの、限界がくればポッキリ折れてしまうのに似ている。このたとえは、一人の債務者が「破産」に陥る場合、あるいは多くの債務者が破産して「経済危機」が起こる場合にあてはまるだろう。こうした出来事が起こったあとでは、もはやもとの均衡に戻ることは不可能になるからだ。もう一つのたとえを用いるなら、このような災害は、船の「転覆」にも似ている。通常は安定な均衡にいる船でも、ひとたびある角度以上に傾いたならば、もはや均衡へと戻る力を失い、かえってますます均衡から遠ざかる傾向を持つからである。
アービング・フイッシャー、1931年。
8. There may be equilibrium which, though stable, is so delicately poised that, after departure from it beyond certain limits, instability ensues, just as, at first, a stick may bend under strain, ready all the time to bend back, until a certain point is reached, when it breaks. This simile probably applies when a debtor gets "broke,"or when the breaking of many debtors constitutes a "crash," after which there is no coming back to the original equilibrium. To take another simile, such a disaster is somewhat like the "capsizing" of a ship which, under ordinary conditions, is always near stable equilibrium but which, after being tipped beyond a certain angle, has no longer this tendency to return to equilibrium, but, instead, a tendency to depart further from it.
"The Debt-Deflation Theory of Great Depressions", 1933, p.339
[「大恐慌の負債デフレーション理論」未邦訳]
《誰かが私に、この提案はゴールド・スタンダード(金本位制)を放棄するものではないかと聞いてきたときには、私は、いや、それはゴールド・スタンダードにスタンダード(基準)をあたえる試みなのだと答えることにしている。しかし、現行の金本位制を修正する試みかと聞かれれば、そのとおりだということになる。購買力指数が安定するようにそれを修正するのが意図なのだから。》56頁
《When I am asked with a horrified air, whether this proposal is not really one to " abandon the gold standard " I like to answer : " No ! it is to put the standard into the gold standard ! " But abandon the present gold standard, so called, it certainly does, by converting or rectifying it into conformity with the composite standard. 》f"Stabilizing The Dollar"1920 ,p.89
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経済論戦は甦る (日経ビジネス人文庫) 文庫 – 2007/2/1
- 本の長さ361ページ
- 言語日本語
- 出版社日本経済新聞出版
- 発売日2007/2/1
- ISBN-104532193826
- ISBN-13978-4532193829
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
不況の最中に、緊縮的な政策をスローガンにするとはどういう神経か―。日本経済の「失われた15年」をもたらした経済政策の失敗を完璧に解説した名著。フィッシャー、シュムペーターという二大経済学者の理論的対立とからめて、昭和恐慌、世界恐慌からの歴史的教訓を引き出している。第4回読売・吉野作造賞受賞。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
竹森/俊平
慶應義塾大学経済学部教授。1956年東京生まれ。81年慶應義塾大学経済学部卒業。86年同大学院経済学研究科修了。同年同大学経済学部助手。86年7月米国ロチェスター大学に留学、89年同大学経済学博士号取得。著書『経済論戦は甦る』で、第4回読売・吉野作造賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
慶應義塾大学経済学部教授。1956年東京生まれ。81年慶應義塾大学経済学部卒業。86年同大学院経済学研究科修了。同年同大学経済学部助手。86年7月米国ロチェスター大学に留学、89年同大学経済学博士号取得。著書『経済論戦は甦る』で、第4回読売・吉野作造賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 日本経済新聞出版 (2007/2/1)
- 発売日 : 2007/2/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 361ページ
- ISBN-10 : 4532193826
- ISBN-13 : 978-4532193829
- Amazon 売れ筋ランキング: - 577,918位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 450位日経ビジネス人文庫
- - 55,305位ビジネス・経済 (本)
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2002年単行本刊・2007年文庫化の書籍であり、「文庫版へのあとがき」で2002年から2006年の振返りが行われている。最後の第4章を丸ごとあてた不良債権処理問題は(著者の提言とは違ったつぎはぎだらけの施策の結果ながら)その時点でほぼ沈静化していた。(アメリカ発の景気浮揚のおかげで景気は改善していたから、著者の書きぶりもやや明るい。証券化されて世界を覆ったアメリカの不動産バブルのリスクは、その時点では誰にも見えていなかったのだから仕方がない。)
しかし、主要論点であるデフレの克服は今に到っても実現されていない。相も変わらず、財政再建とデフレ克服の両立については、積極財政・金融政策派と財政再建優先派で不毛な論争が行われている。
著者も積極財政・金融政策派に属すると思うが、「動学的効率性の条件」(名目金利が名目GDP成長率を上回っていること)が成立している正常な状態では「債務残高の現在価値をやがてゼロに収束させる」必要上、プライマリーバランスが赤字の財政運営はサステナブルではないとする。しかし、それは「長期的な予算制約」であり、10年・20年のスパンで問題にすることではないとし、具体的なルールの案も提言する。
現在よく見かける論争がなぜ不毛かと言えば、こうした前提条件を省いた粗雑な議論がすれ違い続けているからだ。積極財政・金融政策派は日本では国がいくら借金しても大丈夫と聞こえかねない主張をし、財政再建優先派は何のために必要かもあきらかにせずに「通貨への信任」保持を金科玉条にする。学問の役割は、あれかこれかの二分法を振りかざして声の大きさを競うことではなく、前提条件を整理して政策に選択肢を提供することだと思うのだが。
単行本出版から10年になろうとしているが、依然(残念ながら、と言うべきか)本書の意義は全く減じていない。
p.330に次のような言葉が引用されている。
「恐慌の最も深刻な時期にあってさえ、不況を治癒するための公共政策に対して、『そんなことをすればインフレが起こる可能性が高い』という言葉をもって脅し、強く反対した専門家が少なくなかったことを、われわれは歴史の教訓として胸に刻んでおかなければならない。もしもヒトラー以前のドイツと同じように、アメリカにおいても、人々が彼らの警告に耳を貸していたならば、われわれの民主的な政治形態そのものの存在が危機にさらされていたことであろう。現代の政府は、決して同じ間違いを繰り返してはならない。」(1962年 ポール・サミュエルソン)
そろそろ本書の内容をまじめに考えないと、この国は危ないのではないか。
しかし、主要論点であるデフレの克服は今に到っても実現されていない。相も変わらず、財政再建とデフレ克服の両立については、積極財政・金融政策派と財政再建優先派で不毛な論争が行われている。
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現在よく見かける論争がなぜ不毛かと言えば、こうした前提条件を省いた粗雑な議論がすれ違い続けているからだ。積極財政・金融政策派は日本では国がいくら借金しても大丈夫と聞こえかねない主張をし、財政再建優先派は何のために必要かもあきらかにせずに「通貨への信任」保持を金科玉条にする。学問の役割は、あれかこれかの二分法を振りかざして声の大きさを競うことではなく、前提条件を整理して政策に選択肢を提供することだと思うのだが。
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p.330に次のような言葉が引用されている。
「恐慌の最も深刻な時期にあってさえ、不況を治癒するための公共政策に対して、『そんなことをすればインフレが起こる可能性が高い』という言葉をもって脅し、強く反対した専門家が少なくなかったことを、われわれは歴史の教訓として胸に刻んでおかなければならない。もしもヒトラー以前のドイツと同じように、アメリカにおいても、人々が彼らの警告に耳を貸していたならば、われわれの民主的な政治形態そのものの存在が危機にさらされていたことであろう。現代の政府は、決して同じ間違いを繰り返してはならない。」(1962年 ポール・サミュエルソン)
そろそろ本書の内容をまじめに考えないと、この国は危ないのではないか。
ベスト1000レビュアー
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小泉政権時代の経済政策論争についてシュムペーターとフィッシャーという歴史的経済学者の思想をベースに検討した本です。
小泉時代に構造改革が支持されたのは長引く不況があったからで、この点について日本型経営システムの説明があるほか、
大恐慌時代の状況、冒頭に挙げた両者の理論の解説や実証研究の紹介、不良債権処理についても書かれています。
「創造的破壊」「デッドデフレーション」「逆選択」など各種理論の説明もありますが、
理論についてはどうしてそうなるのか、理屈を丁寧に説明しており、非常にわかりやすいです。
例え話や物語的な部分も多く、この点でも読みやすい本です。
実証結果から創造的破壊論が破綻していることとリフレの重要性が語られていますが、
ギリシャ問題以降のEU圏を思うと今でも古さを失ってないと思います。
小泉時代に構造改革が支持されたのは長引く不況があったからで、この点について日本型経営システムの説明があるほか、
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「創造的破壊」「デッドデフレーション」「逆選択」など各種理論の説明もありますが、
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実証結果から創造的破壊論が破綻していることとリフレの重要性が語られていますが、
ギリシャ問題以降のEU圏を思うと今でも古さを失ってないと思います。
VINEメンバー
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元の単行本は2002年秋、小泉首相が「改革」を旗印に華々しく首相となってから1年半、「構造改革」の御旗のもと様々な政策が実行されつつあった時に発行された。
「構造改革路線は誤りである」
と過去の大恐慌を引き合いにして糾弾している。当時小泉路線に反旗を翻すのはなかなか容易でなかったはず。
その後数年を経てやっと景気は回復し、この文庫版も出版された。
今振り返ってみるに、彼が述べているようにもっと復活が早い政策パッケージがあったと思う。最大の敗因はデフレ対策がとられなかったことで、「バラマキ」か「改革」かの二者択一を迫ったのが間違い。バラマキをやめるにしても、その分の有効需要をどこかで確保していなければいけなかった。
金融緩和+減税→リフレ(脱デフレ)政策
構造改革(政府+企業の生産性向上)
という政策パッケージが必要だったのでは。もちろん今の金融恐慌への対策を考える際にも有効。
「構造改革路線は誤りである」
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金融緩和+減税→リフレ(脱デフレ)政策
構造改革(政府+企業の生産性向上)
という政策パッケージが必要だったのでは。もちろん今の金融恐慌への対策を考える際にも有効。
VINEメンバー
この後、巧みなストーリーテリングで読ませる経済書を次々と著すことになる経済学者の第一弾と言える本である。テーマは構造改革批判であろうか。
ストーリーテリングの上手さはこの本でも十分に伺えるが、タイトルからすると、かなりムラのある叙述である。
まず、蘇える元の論戦についてであるが、踏み込みが不十分であるように思われる。フィッシャー派がシュムペーター派に結果として勝ったとされているわけだが、フィッシャー派の成功は描かれているばかりで、論戦が鮮やかには蘇えってこない。また、現代を語る上でもほとんどシンクロされていない。そのため、現在の状況と元の状況が構造的にほぼ等しいのかどうか疑問であり、歴史で裏打ちするには不十分である。
また、シュムペーター派の議論が現在においても通用しないことについては詳しく論じられているが、フィッシャー派の政策手段は果たして何であったのかがよくわからない。エピローグになって唐突にリフレ、リフレと言い募り正当性を述べ立てる(逆に、コンパクトにまとまっている、とも言える)構成に読者は不安を感じるかもしれない。自説を述べだすと余裕がなく見えるのはどうしてか?
このような点でタイトルが示すような政策論としての不備は感じられるものの、先端の研究に基づいた分析をわかりやすく援用(引き写し?)させた議論からは得るものがある。このような議論を手っ取り早く掴みたい研究者からハッタリかましたい人にまで読ませる本である。
ところで、本文中に、「いちばん簡単なロジック以上に思考を進められない研究者」として原田泰氏を批判しているが、原田氏のお粗末さはともかく、オリジナルの分析を子細に展開した中でなされるべきではないか。この本の参考文献に著者の論文はあがっていない。また、見てきたように書かれた歴史の記述はどのような資料から引いてきたものなのかがよくわからなかった。
ストーリーテリングの上手さはこの本でも十分に伺えるが、タイトルからすると、かなりムラのある叙述である。
まず、蘇える元の論戦についてであるが、踏み込みが不十分であるように思われる。フィッシャー派がシュムペーター派に結果として勝ったとされているわけだが、フィッシャー派の成功は描かれているばかりで、論戦が鮮やかには蘇えってこない。また、現代を語る上でもほとんどシンクロされていない。そのため、現在の状況と元の状況が構造的にほぼ等しいのかどうか疑問であり、歴史で裏打ちするには不十分である。
また、シュムペーター派の議論が現在においても通用しないことについては詳しく論じられているが、フィッシャー派の政策手段は果たして何であったのかがよくわからない。エピローグになって唐突にリフレ、リフレと言い募り正当性を述べ立てる(逆に、コンパクトにまとまっている、とも言える)構成に読者は不安を感じるかもしれない。自説を述べだすと余裕がなく見えるのはどうしてか?
このような点でタイトルが示すような政策論としての不備は感じられるものの、先端の研究に基づいた分析をわかりやすく援用(引き写し?)させた議論からは得るものがある。このような議論を手っ取り早く掴みたい研究者からハッタリかましたい人にまで読ませる本である。
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