結局は経営者なのだよ。
日本の企業では、これまで現場力だの技術だのと言われて、経営者・経営の重要性についてはあまり触れられてこなかったように思う。しかし、会社の発展の方向性を定め、ビジネスモデルつまり儲かる仕組みを考えだすのは、経営者の役割のはずである。
日本企業には「経営」が無さ過ぎるのだ。
あの「社長島耕作」を見て感じる言いようのない苛立ちは、あのマンガに描かれる社長のあまりの無能さによる。
島耕作は経営のセンスを買われて社長になったのではない。会社の派閥政治のパワーバランスで社長になった。そして社長になってやったことと言えば、社名を変えたことくらいだ。
本書の著者・和田氏も言っているが、社名を変えることが必ずしも最善の結果をもたらすとは限らない。定着したブランド名を捨てて新しいブランドを築くには、長い時間とコストを必要とするものだ。
それ以外は、社長の島耕作はひたすら飲み歩きセックスしてるだけの無能経営者にすぎない。
もちろん「社長島耕作」はマンガである。しかし日本中の多くの企業にいる島耕作たちの日常を見るようなマンガは、苛立ち以外の何も感じさせない。
その無能社長の島耕作たちをズバリと非難してくれた本書には、星5つを与えたい。
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経営者の大罪――なぜ日本経済が活性化しないのか(祥伝社新書276) 新書 – 2012/6/2
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いま日本は長期の不況に喘(あえ)いでいる。その元凶は政治家か、それとも官僚か?
しかし戦後の経済成長を成し遂げたのは政府でも官僚でもなく、民間企業、そして
それを率いる経営者たちだった。現代の日本の低迷の最大の要因は、この経営者
の力の凋落(ちようらく)に他ならない。
アメリカ型システムに追随するだけで、日本に国益をもたらすという、大局的
視点や知性に欠けた無能な経営者こそが、消費不況、年金・福祉の崩壊、自殺者数
の増加といった問題を招いているのである。日本が立ち直るためにはまず、この国を
ダメにした経営者の「大罪」を裁かねばならない!
しかし戦後の経済成長を成し遂げたのは政府でも官僚でもなく、民間企業、そして
それを率いる経営者たちだった。現代の日本の低迷の最大の要因は、この経営者
の力の凋落(ちようらく)に他ならない。
アメリカ型システムに追随するだけで、日本に国益をもたらすという、大局的
視点や知性に欠けた無能な経営者こそが、消費不況、年金・福祉の崩壊、自殺者数
の増加といった問題を招いているのである。日本が立ち直るためにはまず、この国を
ダメにした経営者の「大罪」を裁かねばならない!
- 本の長さ208ページ
- 言語日本語
- 出版社祥伝社
- 発売日2012/6/2
- ISBN-104396112769
- ISBN-13978-4396112769
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
米国式経営に盲従し、社員との信頼関係をぶちこわし、安売り競争に走って内需拡大を怠り、超高齢社会への対応に無策。自分の利益しか考えない経営者に「ノー」を突きつけよ。
著者について
1960年大阪府生まれ、精神科医。東京大学医学部卒、東京大学付属病院精神神経科
助手、アメリカ・カールメニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、国際医療
福祉大学大学院教授(臨床心理学)、一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。
老年精神医学、精神分析学、集団精神療法学を専門とする。
『人は「感情」から老化する』『感情暴走社会』(以上祥伝社新書)、『テレビの大罪』
(新潮新書)など著作多数。
助手、アメリカ・カールメニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、国際医療
福祉大学大学院教授(臨床心理学)、一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。
老年精神医学、精神分析学、集団精神療法学を専門とする。
『人は「感情」から老化する』『感情暴走社会』(以上祥伝社新書)、『テレビの大罪』
(新潮新書)など著作多数。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
和田/秀樹
1960年大阪府生まれ、精神科医。東京大学医学部卒、東京大学付属病院精神神経科助手、アメリカ・カールメニンガー精神医学校国際フェローを経て、国際医療福祉大学大学院教授(臨床心理学)、一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。老年精神医学、精神分析学、集団精神療法学を専門とする(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1960年大阪府生まれ、精神科医。東京大学医学部卒、東京大学付属病院精神神経科助手、アメリカ・カールメニンガー精神医学校国際フェローを経て、国際医療福祉大学大学院教授(臨床心理学)、一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。老年精神医学、精神分析学、集団精神療法学を専門とする(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 祥伝社 (2012/6/2)
- 発売日 : 2012/6/2
- 言語 : 日本語
- 新書 : 208ページ
- ISBN-10 : 4396112769
- ISBN-13 : 978-4396112769
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,117,855位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 775位祥伝社新書
- - 29,099位経営学・キャリア・MBA
- カスタマーレビュー:
著者について
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1960年大阪府生まれ。東京大学医学部卒。東京大学医学部付属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学学校国際フェローを経て、現在は精神 科医。国際医療福祉大学教授。ヒデキ・ワダ・インスティテュート代表。一橋大学国際公共政策大学院特任教授。川崎幸病院精神科顧問(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『「できる!」と強く信じればあなたは9割成功している』(ISBN-10:4860813502)が刊行された当時に掲載されていたものです)
カスタマーレビュー
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2013年1月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者は執拗に「企業の家族的経営」を謳歌しているが、弊害に多いことに言及していない。
企業内労働組合、企業内福利厚生、新卒一括採用、大企業か中小企業かによる二重構造、排他的制度、社畜養成システム
著者もこんな社会に戻すことは賢明ではないことくらいはわかっているのに、なぜでしょうか?
もちろん、昨今の強者の論理の押しつけでは、いずれ圧倒的多数が敗者になります。
「20代のうちは安月給でも真面目に働いていれば年を取ってから楽をさせてもらえる。それが会社との暗黙の約束だった。いざ年を取ってみたら働きの割に高い給料をとりすぎたと白眼視されるのではたまったものではありません。中高年社員にしてみれば、貸したお金を返さない
不届き者に「怠け者」と罵られているようなもの。」
この部分は正鵠を得た表現であるとは思うが、これが出来なければヨーロッパ型の社会に舵を切るべきだと思うが
この際、労働市場を開かれたシステムとしサラリーマンの福祉や転業向けの学習支援等は企業に押し付けず国が行うべきだ。
そうすれば景気の変動で解雇されても手厚い失業手当で食いつなげる。
社会民主主義とは、キチガイ女たちのドグマではないのです。
企業内労働組合、企業内福利厚生、新卒一括採用、大企業か中小企業かによる二重構造、排他的制度、社畜養成システム
著者もこんな社会に戻すことは賢明ではないことくらいはわかっているのに、なぜでしょうか?
もちろん、昨今の強者の論理の押しつけでは、いずれ圧倒的多数が敗者になります。
「20代のうちは安月給でも真面目に働いていれば年を取ってから楽をさせてもらえる。それが会社との暗黙の約束だった。いざ年を取ってみたら働きの割に高い給料をとりすぎたと白眼視されるのではたまったものではありません。中高年社員にしてみれば、貸したお金を返さない
不届き者に「怠け者」と罵られているようなもの。」
この部分は正鵠を得た表現であるとは思うが、これが出来なければヨーロッパ型の社会に舵を切るべきだと思うが
この際、労働市場を開かれたシステムとしサラリーマンの福祉や転業向けの学習支援等は企業に押し付けず国が行うべきだ。
そうすれば景気の変動で解雇されても手厚い失業手当で食いつなげる。
社会民主主義とは、キチガイ女たちのドグマではないのです。
ベスト500レビュアー
近著「私の保守宣言」で、日本の大企業は給与比率が1割(売り上げの)なら給与を5割増しにしても企業負担はさほどでもないばかりか消費拡大のレバレッジ効果は相当大きい、と喝を入れていました。 ナルホド感があったため、この旧著にあたってみたわけです。
和田氏は、保守の原点を「日本の良かったところをとりもどし大事にすること」と、定義します。 そしてビジネスも同様、とするのが本書の主張といえます。
うんと一般化するなら、アメリカ流に流されることなく、自分の頭で考えよ、そして昔のように従業員を大切にし目先の利益だけに右往左往するでない、知恵を働かせよ、となりましょうか。 本当にそのとおりですね。 最近モグラたたきのように出てくる企業不祥事も経営者がアホだから、と思えてなりません。 現場を知らなさすぎる。 ROEばかり気にして刹那的な企業運営しかできない。 それなら、極論すれば社長はアルバイトでいいことになってしまいます。 会社の運営に「色」を植え付けてゆく姿勢がないんですね。
いろいろ提言するなかで一つだけ紹介するなら、高齢者の消費をもっと伸ばせ、と言います。 なにも高齢者から金を吸い取れなどというハシタナイことではないですよ。 高齢者の潜在的なプチ高級志向の需要にこたえることで開拓できるビジネスはたくさんあるぞ、ということです。 もちろん経済的、体力的にサポートが必要な高齢者もおられますが、そうではない元気でお金を使えていない方を考えよ、と。
グローバリズムや安く造ることばかりに囚われ、人も技術も、あらゆる資源を海外に(中国に)投下、というより、吸い取られ、肝心な内需は疲弊し給与はあがらないまま労働者は虐げられます。 使うお金も渡されず(つまり賃金も上がらず)どうあがいても努力は生活向上にも景気にも反映されないなら、残るは将来不安だけ、、、これで消費活動が低迷しない方がおかしい。 その大罪は、政府の顔色をうかがい法人税を渋り、株の配当ばかりに気を取られてメタ思考ができない経営者の責任だ、と喝破します。
彼の主張には当然、言うは易し行うは難しはあります。 しかし、ズバリの主張に納得させられます。 精神科医が専門外の経営、経済論を述べるからこその、へんにアカデミックにならない問題提起が、かえって新鮮に響きます。
和田氏は、保守の原点を「日本の良かったところをとりもどし大事にすること」と、定義します。 そしてビジネスも同様、とするのが本書の主張といえます。
うんと一般化するなら、アメリカ流に流されることなく、自分の頭で考えよ、そして昔のように従業員を大切にし目先の利益だけに右往左往するでない、知恵を働かせよ、となりましょうか。 本当にそのとおりですね。 最近モグラたたきのように出てくる企業不祥事も経営者がアホだから、と思えてなりません。 現場を知らなさすぎる。 ROEばかり気にして刹那的な企業運営しかできない。 それなら、極論すれば社長はアルバイトでいいことになってしまいます。 会社の運営に「色」を植え付けてゆく姿勢がないんですね。
いろいろ提言するなかで一つだけ紹介するなら、高齢者の消費をもっと伸ばせ、と言います。 なにも高齢者から金を吸い取れなどというハシタナイことではないですよ。 高齢者の潜在的なプチ高級志向の需要にこたえることで開拓できるビジネスはたくさんあるぞ、ということです。 もちろん経済的、体力的にサポートが必要な高齢者もおられますが、そうではない元気でお金を使えていない方を考えよ、と。
グローバリズムや安く造ることばかりに囚われ、人も技術も、あらゆる資源を海外に(中国に)投下、というより、吸い取られ、肝心な内需は疲弊し給与はあがらないまま労働者は虐げられます。 使うお金も渡されず(つまり賃金も上がらず)どうあがいても努力は生活向上にも景気にも反映されないなら、残るは将来不安だけ、、、これで消費活動が低迷しない方がおかしい。 その大罪は、政府の顔色をうかがい法人税を渋り、株の配当ばかりに気を取られてメタ思考ができない経営者の責任だ、と喝破します。
彼の主張には当然、言うは易し行うは難しはあります。 しかし、ズバリの主張に納得させられます。 精神科医が専門外の経営、経済論を述べるからこその、へんにアカデミックにならない問題提起が、かえって新鮮に響きます。
2012年9月11日に日本でレビュー済み
黒沢明監督の名作「七人の侍」のラストシーンは、野武士との戦いに勝利した農民の田植えの場面。男衆が唄う田植え歌に合わせてリズムよく女衆が苗を植えていく。単純作業に飽きたり疲れたりしないための知恵だ。農作業に単純作業が多いのは日本の農業だけではない。ブルースのルーツも農作業歌だ。
ソニーは1950年代、トランジスタラジオを発売し野外でも音楽を楽しめる新しい文化を作り上げた。日本では農作業をしながらNHKの「ひるのいこい」を聞くことが一般的な農村の風景になり、日本以外の国でもトランジスタラジオはよく売れた。同じころ、本田技研はスーパーカブを発売。それまで徒歩や自転車で配達されていた新聞や郵便物は、この静かで早朝に走っても騒音問題にならない、しかも燃費のいいバイクで配られるようになった。
これがビジネスの王道だ。企業は「新しい提案」を「製品」という形で提供しその「対価」をいただくのだ。他に電気炊飯器や洗濯機の出現は主婦を家事から解放し、女性の社会進出に貢献している。これに比べたら、外国でヒットした商品を日本で紹介する事業や、「まだ、ここにない出会い」といった手配師のような事業などビジネスの枝葉にすぎない。
ところが現代の経営者は、自らその王道を放棄している。前出の歴史を持つソニーでさえ、ハードとソフトの融合などと言い出す始末だ。しかしそれは「いかに一人の顧客から効率よく金をとるか」といった貧弱なアイデアに過ぎない。だから「より良いものを作る」より「より安いものを作る」方向に突っ走り、挙句の果てに人件費をコスト高としてリストラを断行している。
本書で著者は、経営者の劣化を強く非難する。その内容は多くの読者が支持するだろう。そこでもう一つ気付いてほしい。この劣化は政治家の劣化とそっくりで、特に二世議員の甘ちゃんぶりによく似ているということに。つまり経営者は大企業という既得権益、二世議員は親の支持基盤という既得権益を優先するあまり劣化していることに気付いていただきたい。
150年前、日本の開国・近代化に力を発揮したのは地方の若き志士だった。65年前、戦後復興に力を発揮したのは戦後に起業した若きビジネスマンたちだった。そして今、制度疲労が蓄積した社会構造を再構築する時が近づいている。その時のために一読を勧めたいのが本書だ。
ソニーは1950年代、トランジスタラジオを発売し野外でも音楽を楽しめる新しい文化を作り上げた。日本では農作業をしながらNHKの「ひるのいこい」を聞くことが一般的な農村の風景になり、日本以外の国でもトランジスタラジオはよく売れた。同じころ、本田技研はスーパーカブを発売。それまで徒歩や自転車で配達されていた新聞や郵便物は、この静かで早朝に走っても騒音問題にならない、しかも燃費のいいバイクで配られるようになった。
これがビジネスの王道だ。企業は「新しい提案」を「製品」という形で提供しその「対価」をいただくのだ。他に電気炊飯器や洗濯機の出現は主婦を家事から解放し、女性の社会進出に貢献している。これに比べたら、外国でヒットした商品を日本で紹介する事業や、「まだ、ここにない出会い」といった手配師のような事業などビジネスの枝葉にすぎない。
ところが現代の経営者は、自らその王道を放棄している。前出の歴史を持つソニーでさえ、ハードとソフトの融合などと言い出す始末だ。しかしそれは「いかに一人の顧客から効率よく金をとるか」といった貧弱なアイデアに過ぎない。だから「より良いものを作る」より「より安いものを作る」方向に突っ走り、挙句の果てに人件費をコスト高としてリストラを断行している。
本書で著者は、経営者の劣化を強く非難する。その内容は多くの読者が支持するだろう。そこでもう一つ気付いてほしい。この劣化は政治家の劣化とそっくりで、特に二世議員の甘ちゃんぶりによく似ているということに。つまり経営者は大企業という既得権益、二世議員は親の支持基盤という既得権益を優先するあまり劣化していることに気付いていただきたい。
150年前、日本の開国・近代化に力を発揮したのは地方の若き志士だった。65年前、戦後復興に力を発揮したのは戦後に起業した若きビジネスマンたちだった。そして今、制度疲労が蓄積した社会構造を再構築する時が近づいている。その時のために一読を勧めたいのが本書だ。
2014年5月31日に日本でレビュー済み
昨今の経済低迷について、財界側の責任を問う方向性それ自体は、第6章にて触れられる、堺屋太一氏のいう「嫌老好若」に相当する傾向の商売への批判も含め、大いに歓迎したい。だが、先行するレビューでこまちさんが申したとおり、著者は「企業の家族的経営」を、あまりにも美化しすぎていないだろうか。
家族的経営の時代を美化する事は即ち、その背景となる戦争を引き摺った社会体制を、それとは知らず正当化する事に繋がる。それが、戦後以降の学校教育についても「ゆとり方向に舵を切りさえしなければ大成功の筈だった」とする、著者の妙な持論にも繋がっているのではないか。経済振興が戦争を引き摺る事は即ち、公教育も戦争を引き摺る事に他ならないというのに、である。せっかく別著では、安冨歩氏の著作も参考にしそれを引用していながら、その言わんとする「立場主義」について、今ひとつ理解がなされていないようで、残念だった。
また、社会運営面でのアメリカの模倣にしても、それは今も当時も変わらない。福祉を企業が補っていたというが、当時からの社会環境下ではむしろ、企業内に福祉を丸投げしたに過ぎず、それは明らかに事実上の福祉切り捨てであり、国家の怠慢に他ならない。
ならばなぜ、バブル期以前はこの体制でうまくいっていたかというと、その真似た時期のアメリカ国内が理想的な経済状態だった、という要素もあるにはあるが、やはり当時まで経営者だった者の個人的な良心と善意に頼りきっていた部分が大きかったのではないか。彼らの世代は戦争を大人として経験した世代だけに、戦友との死別も体験させられた事から、これまた今も当時も変わらない無責任体質社会の中にあっても例外的に反骨心あるリーダーを輩出でき、彼らが企業経営にも矩を示していた側面もあったからだ。
しかし世代が違えば共通体験も異なるため、代替後の経営者世代にはそれらの要素がなく、人格的にも先代とはおよそ正反対といえた。だから、能のあるなし以前に、人間性の問題といえよう。
また家族的経営の間で成立していた「暗黙の約束事」にしても、既得権保持の目的と自分たち世代による独占でしか履行しない事は明白だ。その意味で、次世代に対して職から締め出し、雇うにしても生存権さえ否定した扱いを行い、それでいて「俗流若者論」という、問題を「被害者側」に責任転嫁する卑劣な喧伝まで行った件について、全く触れられていない点も残念だった。これについては日本人という民族・人種にとっても自滅行為でしかないだけに、本書で比較しているかつての植民地における現地指導者にしても、これほどの暴挙は行い得なかったろう。
本稿冒頭で少し触れた、若者にしか目を向けない商売にしても、それは彼らの自立を間接的に妨げる他、規格大量生産型経済(それは既に1980年代の時点でアナクロ化している)を引き摺った商慣行にだけ都合のよい、画一的な消費者に仕立てる結果しかもたらさない。
著者は、ここでの「裁き」の対象への「エールのつもり」で著わしたといっているが、以上のことから「更正」を期待すること自体が無意味だ。韓国で乗客の学生が多数犠牲になった客船沈没事故でも殺人罪に問われた事を考えると、少なくとも次世代全体に対して殺意があると看做す前提で然るべき罪状に問い、犯罪者として追及すべきであろう。R・タウンゼント元外交官による中国人評ではないが、道徳観念の完全な欠如として(例外的に)単純明快な厳罰主義で臨まないことには、抑止効果も薄いかもしれない。
財界人による明らかな憲法違反行為を罰せないとなれば、最も始末の悪い問題は、彼ら自身が実質的な最高権力を占有しているという事だ。「刑罰は、権力ある者には適用されない」というのが、人間社会の悪しき法則だからで、何しろこの国では官僚さえも財界には頭が上がらないのだ。それだけに、官と民の区別さえ曖昧な現実に照らしても、批判対象を「民間」企業と表現する本書の前提自体が、大いなる誤解と思えてならない。
家族的経営の時代を美化する事は即ち、その背景となる戦争を引き摺った社会体制を、それとは知らず正当化する事に繋がる。それが、戦後以降の学校教育についても「ゆとり方向に舵を切りさえしなければ大成功の筈だった」とする、著者の妙な持論にも繋がっているのではないか。経済振興が戦争を引き摺る事は即ち、公教育も戦争を引き摺る事に他ならないというのに、である。せっかく別著では、安冨歩氏の著作も参考にしそれを引用していながら、その言わんとする「立場主義」について、今ひとつ理解がなされていないようで、残念だった。
また、社会運営面でのアメリカの模倣にしても、それは今も当時も変わらない。福祉を企業が補っていたというが、当時からの社会環境下ではむしろ、企業内に福祉を丸投げしたに過ぎず、それは明らかに事実上の福祉切り捨てであり、国家の怠慢に他ならない。
ならばなぜ、バブル期以前はこの体制でうまくいっていたかというと、その真似た時期のアメリカ国内が理想的な経済状態だった、という要素もあるにはあるが、やはり当時まで経営者だった者の個人的な良心と善意に頼りきっていた部分が大きかったのではないか。彼らの世代は戦争を大人として経験した世代だけに、戦友との死別も体験させられた事から、これまた今も当時も変わらない無責任体質社会の中にあっても例外的に反骨心あるリーダーを輩出でき、彼らが企業経営にも矩を示していた側面もあったからだ。
しかし世代が違えば共通体験も異なるため、代替後の経営者世代にはそれらの要素がなく、人格的にも先代とはおよそ正反対といえた。だから、能のあるなし以前に、人間性の問題といえよう。
また家族的経営の間で成立していた「暗黙の約束事」にしても、既得権保持の目的と自分たち世代による独占でしか履行しない事は明白だ。その意味で、次世代に対して職から締め出し、雇うにしても生存権さえ否定した扱いを行い、それでいて「俗流若者論」という、問題を「被害者側」に責任転嫁する卑劣な喧伝まで行った件について、全く触れられていない点も残念だった。これについては日本人という民族・人種にとっても自滅行為でしかないだけに、本書で比較しているかつての植民地における現地指導者にしても、これほどの暴挙は行い得なかったろう。
本稿冒頭で少し触れた、若者にしか目を向けない商売にしても、それは彼らの自立を間接的に妨げる他、規格大量生産型経済(それは既に1980年代の時点でアナクロ化している)を引き摺った商慣行にだけ都合のよい、画一的な消費者に仕立てる結果しかもたらさない。
著者は、ここでの「裁き」の対象への「エールのつもり」で著わしたといっているが、以上のことから「更正」を期待すること自体が無意味だ。韓国で乗客の学生が多数犠牲になった客船沈没事故でも殺人罪に問われた事を考えると、少なくとも次世代全体に対して殺意があると看做す前提で然るべき罪状に問い、犯罪者として追及すべきであろう。R・タウンゼント元外交官による中国人評ではないが、道徳観念の完全な欠如として(例外的に)単純明快な厳罰主義で臨まないことには、抑止効果も薄いかもしれない。
財界人による明らかな憲法違反行為を罰せないとなれば、最も始末の悪い問題は、彼ら自身が実質的な最高権力を占有しているという事だ。「刑罰は、権力ある者には適用されない」というのが、人間社会の悪しき法則だからで、何しろこの国では官僚さえも財界には頭が上がらないのだ。それだけに、官と民の区別さえ曖昧な現実に照らしても、批判対象を「民間」企業と表現する本書の前提自体が、大いなる誤解と思えてならない。