紫電改のタカ (4) (ちばてつや全集) (日本語) コミック – 1995/7/1
ちば てつや
(著)
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本の長さ317ページ
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言語日本語
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出版社ホーム社
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発売日1995/7/1
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ISBN-104834282295
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ISBN-13978-4834282290
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カスタマーレビュー
5つ星のうち4.7
星5つ中の4.7
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年8月14日に日本でレビュー済み
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Amazonで購入
若いころに文庫版を持っていたのですが数十年ぶりにコンビニでコミック版を見かけて2巻までは購入済みでした。その後残りの巻を買いそびれていたのですが古書店にも流通しておらず諦めかけていたところ、こちらで見つけました。全巻そろって満足です。
役に立った
ベスト1000レビュアー
コミックスの前半は、戦闘機同士の闘いなどが多かったが、そもそも戦争末期が舞台だから、
この最終巻ぐらいになると硫黄島なども攻略され、日本の空を空爆機が飛ぶようになる。
文庫ではなく、コミックスが出た頃、私は中学生だった。
コミックス、折り返しの文章……
戦争とは何か、何のための殺し合いか……祖国の、そして人類の平和を希求しつつ、自らは愛する者を捨てて
戦わねばならぬ若き戦士、滝城太郎! 慟哭の異色名作戦記、堂々完結!
昭和43年は、中学生でもこのぐらいの文章がわかる時代だったのかもしれない。
ラストシーンが切ない!
しかし、このコミックスの白眉はラストシーンよりむしろ、
特攻を命じられた主人公、滝城太郎が、上官に食ってかかるシーンだろう。
「何のために死ぬんですか!」……と。
しかし上官も一緒に出撃すると知り、城太郎たちは特攻へ出る。
上官の梨原中佐は言う……。
「若いきさまたちを死なせたくはないが、こうしている間にも、多くの人が空襲で命を失っている。日本はそこまで追い詰められているのだ。滝が言うように日本は間もなく負けるだろう。だがそれまで一人でも多くの国民を空襲から守ってやりたい。日本の国民のために……どうか笑って散ってほしい」
最後のページのナレーションは、今でもそらで言える。改めて、凡百の反戦漫画ではなく、
戦争、殺し合いに疑問を感じながら、国のために戦わなければならなかった
特攻兵たちの叫びが聞こえるようだ。
その頃滝城太郎は果てしない大空へ飛び立っていった。
母を捨て、信子を捨て、先生になるという夢も捨てて――、
ただ自分の死が祖国日本を救うのだという言葉を
信じようと
努力しながら。
最後の2行に、ちばてつやの思いが込められている。
ここから「あしたのジョー」と続くわけだが、マンガには何かを訴える力があるという、ちばてつやの
「原点」でもある最終刊!
この最終巻ぐらいになると硫黄島なども攻略され、日本の空を空爆機が飛ぶようになる。
文庫ではなく、コミックスが出た頃、私は中学生だった。
コミックス、折り返しの文章……
戦争とは何か、何のための殺し合いか……祖国の、そして人類の平和を希求しつつ、自らは愛する者を捨てて
戦わねばならぬ若き戦士、滝城太郎! 慟哭の異色名作戦記、堂々完結!
昭和43年は、中学生でもこのぐらいの文章がわかる時代だったのかもしれない。
ラストシーンが切ない!
しかし、このコミックスの白眉はラストシーンよりむしろ、
特攻を命じられた主人公、滝城太郎が、上官に食ってかかるシーンだろう。
「何のために死ぬんですか!」……と。
しかし上官も一緒に出撃すると知り、城太郎たちは特攻へ出る。
上官の梨原中佐は言う……。
「若いきさまたちを死なせたくはないが、こうしている間にも、多くの人が空襲で命を失っている。日本はそこまで追い詰められているのだ。滝が言うように日本は間もなく負けるだろう。だがそれまで一人でも多くの国民を空襲から守ってやりたい。日本の国民のために……どうか笑って散ってほしい」
最後のページのナレーションは、今でもそらで言える。改めて、凡百の反戦漫画ではなく、
戦争、殺し合いに疑問を感じながら、国のために戦わなければならなかった
特攻兵たちの叫びが聞こえるようだ。
その頃滝城太郎は果てしない大空へ飛び立っていった。
母を捨て、信子を捨て、先生になるという夢も捨てて――、
ただ自分の死が祖国日本を救うのだという言葉を
信じようと
努力しながら。
最後の2行に、ちばてつやの思いが込められている。
ここから「あしたのジョー」と続くわけだが、マンガには何かを訴える力があるという、ちばてつやの
「原点」でもある最終刊!
2019年5月9日に日本でレビュー済み
ちばてつやの「紫電改のタカ」は反戦を明確に打ち出しているので〇、辻なおきの「0戦はやと」は反戦が希薄なので✕、こんな気楽で安直な書評はないのではないか。
「戦争」と「平和」のどちらを支持するかと問われれば、誰もが「平和」と答えるであろう。そして、「主戦」と「反戦」のどちらを支持するかと問われれば、圧倒的多数の人が「反戦」と答えるのではないか。かく言う私も反戦支持である。
「紫電改のタカ」も「0戦はやと」も大東亜戦争が始まってからの物語ではないのか。開戦前は反戦であっても、一旦戦端が開かれたならば祖国のために武器を取って戦う。これを、その国の国民の責務と考えることは、愚かで、間違ったことなのであろうか。
「戦争」と「平和」のどちらを支持するかと問われれば、誰もが「平和」と答えるであろう。そして、「主戦」と「反戦」のどちらを支持するかと問われれば、圧倒的多数の人が「反戦」と答えるのではないか。かく言う私も反戦支持である。
「紫電改のタカ」も「0戦はやと」も大東亜戦争が始まってからの物語ではないのか。開戦前は反戦であっても、一旦戦端が開かれたならば祖国のために武器を取って戦う。これを、その国の国民の責務と考えることは、愚かで、間違ったことなのであろうか。