「人を自由にするリベラルアーツの要素として、現代でもう一つ忘れてはならないのが『宗教』です。有名な話ですが、ジョブズは、禅を実践していました。宗教とは、人間とは何か、生きるとは何かをとことんまで追求した哲学でもあり、人間が何によって支えられているのかを明らかにする、人間の存在論でもあります。」(p.10)
本書は文化人類学者である著者が、生きづらくなった現代社会において、人生を立て直す力として、宗教を日常生活の中にどう取り込んで活かしていけばいいかを考えていく一冊になっている。著者のこれまでの主要作品(主に『悪魔祓い』や『がんばれ仏教!』など)にも随時触れながら論が展開されていくので、著者の作品を初めて手にされる方にとっては、「上田紀行入門」としての役割も充分に期待できるだろう。
目次的な構成は以下の通りである。
はじめに
第一章 生きづらい社会
第二章 立て直す力としての「宗教」
第三章 「悪魔祓い」が教えること
第四章 祭りとこころ
第五章 仏教の神髄ーー鈴木大拙の言葉から
おわりに
第四章では、農耕社会になることによって「目的への疎外」が生じ、目的を達成するためだけに生きざるをえない状況に追い込まれ、それを解き放つものとして祭りが生まれたことが示される。そして、「現代の日本において、スリランカの悪魔祓いのようなお祭り的なものをいかにして再興するか」について、著者からいくつかの提案がなされる。その中でも殊にユニークなものを紹介したい。
「これは勝手な妄想ですが、ブラックな上司がいて、複数の部下のクオリティ・オブ・ライフを著しく下げている人がいるとします。その人にお面をかぶってもらって、豆を蒔くというのはどうかと思ったりします。(中略)そうすると、こころの病気などで、マンパワーにネガティブな影響がでる前に解決できるので、会社としても助かるはずなのです。甘い、現実離れしているという批判は覚悟の上ですが、深い傷を負わないうちに対処できたらなと思います。かなり開けた職場でなければ難しいでしょうが、職場の悪魔祓い、誰かやってほしいものです。」(pp.160-161)
一見すると、著者も自覚しているように、あまりに現実離れしているように思えるかもしれない。辛辣な方からすれば、馬鹿げてさえいるだろう。しかし、私は決して全く実現不可能ではないと思うのだ。昨今の労働市場において、需要サイドは人材確保に苦心しているはずだ。ホワイト企業であることをアピールするのに、「上司に豆蒔きできるアットホームな職場です」という触れ込みもありなのではないか。まずは手始めに、経営者自らがお面をかぶって、豆を蒔かれてみるパフォーマンスから始められないだろうか。本書を手にされるくらいに柔軟な経営者の方には是非推奨したい。「ジョブズが禅ならば、こっちは豆蒔きだ」くらいのノリでいいのではないか。
また、著者にはこのような妄想を活かした新たなジャンルを開拓して欲しいとお願いしておきたい。妄想によって何らかの解決策や処方箋を出していくような方向性も必要だろう。言うなれば、「妄想工学」的なものを期待したいのだ。「妄想工学会議」というのも面白いかもしれない。いつもいつも良いアイデアが浮かぶわけではないだろうが、ブレインストーミングをやっているうちに、名案が出て来ることもあるだろう。それこそ、前著の『愛する意味』でも登場したproject(未来への投企)という概念を実践して欲しいのだ。
少し脱線気味になってしまったが、最後に私の心に響いた一節を引用して終わりにしたい。実は、似たようなことを身近な人にも言われたことがあり、この一節でやはりそうなのだなと再認識させられた。
「弱さを知っている人の方が、最終的には強いと思います。強さだけしか知らない人、気付いていない人ほど、いざというときに弱い。しっかりした土台ができていない、しなやかさが足りない印象があります。弱い部分を知っている人ほど慈悲の気持ちも強いでしょう。」(pp.204-205)
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