いつか再読しようと思いながら本棚から手にしなかった司馬さんの『空海の風景』を読むことにした。
この本は、2006年にAmazonで購入したと記億しているから再読するのが12年ぶりになる。
12年という時を隔てるとたいがいその内容のほとんどは忘れているものである。
が、空海についての足跡についてはもともと知識としてある程度持っていたから、本書を読みはじめても違和感なく読み進むことになった。
ただ、著者の司馬さんが「空海の風景」とした意図が理解できる手法(客観視しながら史実以外は想像するという)小説作法の作品であったことは忘れてしまっていた。
司馬さんは、空海に関した多くの資料を神田古書店界隈からトラック一杯入手して(世に喧伝されていることですから真偽のほどは分かりませんが)意気込んでこの小説に取り掛かったことが伝わってくる。
空海は『御請来目録』など多くの資料を残しているが、司馬さんは事の真偽を疑うことはないにしても、空海の性格として多少脚色して残していることを指摘している。
空海は生まれるべき時代に生まれ、空海を高く評価するひとたちにも恵まれ、その天才的な資質をどのように生かすかを知り抜いて行動したのではないかとも思える。
あざとい打算も働かせた、ある意味嫌な面をも持ち合せた若者だったように想像してしまう。
評者が本書を初めて読んだ時にはこのような感じを持った記憶がなく、あらためて読むことにより異なった空海像が現れたのです。
「和尚、乍チ見て、笑ヲ含ミ、喜歓シテ曰く、我、先ヨリ汝ノ来ルヲ待ツヤ久シ。今日相見ル、大好シ、大好シ」
上の「」内は、空海がはじめて恵果に会ったときの言葉として『御請来目録』に記録されている。
空海はしたたかであり、自分の才能が恵果に伝わるまで長安で5ゕ月も活動したことからも機略に優れた若者だったようである。
司馬さんもこれは偶然ではなく、空海の意図的な行動だったように描写していた。
司馬さんは、あくまで小説としてこの物語を書いている(ただし史実を曲げることなく)のだから、某有名哲学者のような否定的な評論など無視し、1200年も時を遡った長安の街を描写するところなど興味深く読み進みながら、空海が恵果に会ったところで終える上巻を楽しく読み終えました。
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