かつてドナルド・フェイゲンは,「I.G.Y.」の中で,「What a beautiful world this will be, What a glorious time to be free…」(素晴らしい時代がやってくる 解き放たれる輝かしき時代)と歌いました。I.G.Y.=国際地球観測年とは,1957年から58年(昭和32~33年)にかけて行われた世界規模の科学技術研究プロジェクトのこと。フェイゲンは1948年生まれですから,まだ10歳前後の頃のこと。この年齢の子ども達って,マンガやTV番組で描かれる空想の世界に夢中ですよね。フェイゲン少年もバラ色の未来都市を空想していたのかもしれません。
最近,『昭和少年SF大図鑑』
昭和少年SF大図鑑 新装版: 昭和20~40年代 僕らの未来予想図 (らんぷの本)
なる本を読んだのですが,日本でも戦後から高度経済成長期あたりまでの頃は,バラ色の未来予測図を描いた空想科学グラビアやマンガが子ども達に大人気だったとか。洋の東西を問わず,多くの人々が,科学の進歩によってすべての社会問題が解決され,人類はますます発展する,と信じていた時代だったのです。
ただ,残念なことに現代社会は,そんなバラ色の未来とは言えない状況。フェイゲンの「I.G.Y.」は,実は楽観的な科学万能主義に対する痛烈な皮肉です。
いや,もちろん格段に便利になったことも,解決できた社会問題もたくさんあります。ただ,科学の進歩やテクノロジーの普及によって新たな社会問題が生じたり,科学・技術の過信・盲信や悪用による事故や事件も起こっており,「科学」の暴走は現代社会の懸念事項にさえなっています。
「I.G.Y.」に限らず,SFやサブカルチャーの世界では既に,バラ色の未来予測とは別に科学の暴走に警鐘を鳴らす見方も多く出ていました。ゴジラは,もともと核兵器の影響で突然変異した水爆大怪獣という設定でしたし,20世紀終盤以降のSF映画には,『ターミネーター』や『マトリックス』のように人類が人工知能に支配される世界を描いたものが多くあります。それでも,現実社会においては,まだまだ科学が進歩して画期的なテクノロジーが生み出されれば,目前の社会問題が解決される日が来る・・・と,僕らは心のどこかで信じていた節があります。
本書は,「不確実性」という観点から科学は万能ではないことを指摘し,社会とともに共生してこそ有用であると説きます。タイトルだけ読むと,科学を真っ向から批判する本のように思えますが,科学に頼るのではなく,いかに科学の舵を取るのかというスタンス。そのためにも一般社会の側から,どのような視点をもって科学を見つめ,関わって行く必要があるのか詳しく提案しています。もともと科学者の立場でありながら,科学哲学を専攻し,社会の側に立って客観的に科学を見つめている筆者だからこそ,説得力があります。
特に,単に反対/賛成ではなく,ニュートラルな立場で素朴な疑問を解明しようとする視点の必要性,「理系じゃないからわからない」と他人任せにするのではなく,科学には素人でも,自分の専門分野や経験知を活かした多様な指摘が大事であり,そうした取組みの中から最適解が見つかる・・・といった指摘には,すぐにネット上で炎上事故が発生してしまうような,ヒステリックで他者の意見に排他的な昨今の日本の世論に一番欠けているものだと痛感しました。
もともと,科学の専門家ではない一般市民が科学というものにどう向き合っていくのかを考えることを狙いとされているので,文体も平易で科学が苦手な方もアレルギーなく,スッと読めるのが良いです。もちろん,科学の道を志向される方にも,未来の科学が偏向しないように是非読んで欲しいですが。
「科学なしでは解けないが,科学だけでは解けない問題」という言葉が強く響きました。
科学は誰のものか 社会の側から問い直す (生活人新書) Kindle版
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言語日本語
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出版社NHK出版
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発売日2010/9/10
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ファイルサイズ1492 KB
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
遺伝子組換え作物から再生医療まで、暮らしに深く関わる科学技術の問題にどう向き合うか。哲学、政治学など文系のアプローチを用いて科学を見つめれば、サイエンスの「不確実性」や、テクノロジーに埋め込まれた「政治性」が見えてくる。科学技術と社会がいかに深く作用しあっているかを解き明かし、専門家と素人の知性を架橋するSTS(Science,Technology and Society科学技術社会論)入門の決定版。
--このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
著者について
平川秀幸(ひらかわ・ひでゆき)
1964年生まれ。
国際基督教大学、東京工業大学で物理学を学んだ後に、国際基督教大学で科学哲学を研究。
京都女子大学現代社会学部助教授を経て、06年より大阪大学コミュニケーションデザイン・センター准教授(科学技術社会論、サイエンスショップ代表)。専門は科学技術のガバナンス論。
--このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
1964年生まれ。
国際基督教大学、東京工業大学で物理学を学んだ後に、国際基督教大学で科学哲学を研究。
京都女子大学現代社会学部助教授を経て、06年より大阪大学コミュニケーションデザイン・センター准教授(科学技術社会論、サイエンスショップ代表)。専門は科学技術のガバナンス論。
--このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
平川/秀幸
1964年生まれ。国際基督教大学、東京工業大学で物理学を学んだ後に、国際基督教大学で科学哲学を研究。京都女子大学現代社会学部助教授を経て06年より大阪大学コミュニケーションデザイン・センター准教授(科学技術社会論、サイエンスショップ代表)。専門は科学技術のガバナンス論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
1964年生まれ。国際基督教大学、東京工業大学で物理学を学んだ後に、国際基督教大学で科学哲学を研究。京都女子大学現代社会学部助教授を経て06年より大阪大学コミュニケーションデザイン・センター准教授(科学技術社会論、サイエンスショップ代表)。専門は科学技術のガバナンス論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
登録情報
- ASIN : B00ERC4AQM
- 出版社 : NHK出版 (2010/9/10)
- 発売日 : 2010/9/10
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1492 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
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- 本の長さ : 82ページ
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2011年5月25日に日本でレビュー済み
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科学技術の進歩によって、人間社会は豊かさを増してきた。
海外では、市民社会と科学技術とが歩み寄りつつあるのだが、
日本ではまだ「科学技術」と市民社会の間に高い障壁が立ちはだかっている。
市民社会とは海外で言うならば、環境NGO、消費者団体、農民団体などである。
リスクを考える際に、評価を行う場合においても、専門家と市民とがよく話し合い
最適な試験を行うこともできるようになり、お互いのリスクへの理解を深めることができる。
リスクとは嫌われる要因でもあるが、逆にビジネスチャンスへも方向転換できる。
どういうものが求められているのかを知ることになるからだ。
しかし、立ち上げるにはかなりの努力も必要になるだろう。
日本では大学にそのような機関ができているようだ。
市民側も積極的に「知る」ことを、「無知」であると思わずに
解決していく姿勢を持ち、仲間を作っていくことが明るい社会を作ることにつながると思う。
海外では、市民社会と科学技術とが歩み寄りつつあるのだが、
日本ではまだ「科学技術」と市民社会の間に高い障壁が立ちはだかっている。
市民社会とは海外で言うならば、環境NGO、消費者団体、農民団体などである。
リスクを考える際に、評価を行う場合においても、専門家と市民とがよく話し合い
最適な試験を行うこともできるようになり、お互いのリスクへの理解を深めることができる。
リスクとは嫌われる要因でもあるが、逆にビジネスチャンスへも方向転換できる。
どういうものが求められているのかを知ることになるからだ。
しかし、立ち上げるにはかなりの努力も必要になるだろう。
日本では大学にそのような機関ができているようだ。
市民側も積極的に「知る」ことを、「無知」であると思わずに
解決していく姿勢を持ち、仲間を作っていくことが明るい社会を作ることにつながると思う。
2011年10月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書では「科学は唯一の正しい答えを保証してくれる」ことが期待されることがあるという科学に対する過去の誤解からスタートし、われわれはどうすべきかまで議論しており、著者の(この学問分野の研究者の一般的な)考え方をわかりやすく示す良い入門書と言えるかもしれない。
しかし、そこで言われる科学の信頼危機は、2章に書かれるBSEの問題に示されているように科学の傘を借りた公権力による意思決定システムの信頼危機を『科学の信頼危機』と言いかえているにすぎないのであるが、本書ではそれを科学技術自体の枠組みの信頼危機と同一視しているような書き方がされている。一方で著者自身も、専門家はBSEの危険性を報告書に併記していたが、意思決定の段階で見過ごされたとも指摘しており、そのことからも両者を同一視するのは間違いであることは明らかである。
それにも関わらず、欠如モデルには欠陥があるがゆえに専門知は信頼を失い意思決定に専門知は役に立たない、あるいは科学技術理解増進活動(PUS)は意味がないゆえに専門知の提供は意味がないというような書きっぷりをしてしまうのは極論でしかなく、そこに著者の拠り所のほころびを感じざるを得ない。
しかし、そこで言われる科学の信頼危機は、2章に書かれるBSEの問題に示されているように科学の傘を借りた公権力による意思決定システムの信頼危機を『科学の信頼危機』と言いかえているにすぎないのであるが、本書ではそれを科学技術自体の枠組みの信頼危機と同一視しているような書き方がされている。一方で著者自身も、専門家はBSEの危険性を報告書に併記していたが、意思決定の段階で見過ごされたとも指摘しており、そのことからも両者を同一視するのは間違いであることは明らかである。
それにも関わらず、欠如モデルには欠陥があるがゆえに専門知は信頼を失い意思決定に専門知は役に立たない、あるいは科学技術理解増進活動(PUS)は意味がないゆえに専門知の提供は意味がないというような書きっぷりをしてしまうのは極論でしかなく、そこに著者の拠り所のほころびを感じざるを得ない。
2018年5月17日に日本でレビュー済み
タイムリーな内容で勉強になりました。著者が言っているのは、科学に何を求めるか、フツーの人もちゃんと考えないといけない、というメッセージですね。
あと、自分の思いを実現するために、どのような運動につなげていくかということも書かれていて、そこはタイトル以上の内容になっていました。ベストセラーになった『世の中を変えるには』とも共通する部分ですね。
日本の海産物を韓国が輸入規制したのは、何だかなあと思ってましたが、確かに未知のリスクというのもあり得るわけで、危険回避の原則からいけば韓国の考え方にも一理あるのかも。本書を読んでそんなことを考えました。
あと、自分の思いを実現するために、どのような運動につなげていくかということも書かれていて、そこはタイトル以上の内容になっていました。ベストセラーになった『世の中を変えるには』とも共通する部分ですね。
日本の海産物を韓国が輸入規制したのは、何だかなあと思ってましたが、確かに未知のリスクというのもあり得るわけで、危険回避の原則からいけば韓国の考え方にも一理あるのかも。本書を読んでそんなことを考えました。
2012年11月23日に日本でレビュー済み
科学技術が高度化し、門外漢にはアクセスしにくいもの、理解しにくいものとなっているが、
社会における科学技術の影響力は、かつてないほど大きくなっている。
いま、科学がどの方向に進むべきなのか、市民・社会の側からも発言することが求められている。
もう一方の当事者である科学者は、実際のところ社会から何が求められているのか、確信を持てていない。
しかし、「分からないもの」に対して、社会は、科学者は、どうアプローチしたらいいのか?
この「問題」に対して、解決策を考えるのが、社会技術論という学問、あるいは
科学コミュニケーションという方法です。
本書は、社会技術論、科学コミュニケーションの入門書としてすばらしい出来だと思います。
(なお、
科学コミュニケーション−理科の<考え方>をひらく (平凡社新書)
というそのものずばりの新書もありますが、そちらは本書の後に読むほうが読みやすいと思います)
希望に満ち溢れていた1960年代、冷戦・核戦争の危機・公害が暗い影を落としていた70年代と、
社会技術が注目されるにいたった経緯から、本書は始まります。
次いで、そもそも科学が持つさまざまな性質(完全無欠ではないこと、最先端ほど危ういこと、
“モデル”によって理論が構成されるため、特定の条件下でのみ法則が正しいこと、
問いのたて方によって科学的な回答が変わること・・・)が多数の具体例とともに述べられます。
最後に、科学コミュニケーションがどうあるべきか述べられます。
とくに日本では、
「一人ひとりの心がけ」ばかり強調されがちであることが指摘されているのが興味深いです。
社会としての問題なので、社会として取り組むべき、と著者は述べています。
非常に多くの事例、エピソードがあげられていて、「なぜそれが社会として取り組むべき
問題なのか」がよくわかります。本当に良い入門書だと思います。
社会における科学技術の影響力は、かつてないほど大きくなっている。
いま、科学がどの方向に進むべきなのか、市民・社会の側からも発言することが求められている。
もう一方の当事者である科学者は、実際のところ社会から何が求められているのか、確信を持てていない。
しかし、「分からないもの」に対して、社会は、科学者は、どうアプローチしたらいいのか?
この「問題」に対して、解決策を考えるのが、社会技術論という学問、あるいは
科学コミュニケーションという方法です。
本書は、社会技術論、科学コミュニケーションの入門書としてすばらしい出来だと思います。
(なお、
科学コミュニケーション−理科の<考え方>をひらく (平凡社新書)
というそのものずばりの新書もありますが、そちらは本書の後に読むほうが読みやすいと思います)
希望に満ち溢れていた1960年代、冷戦・核戦争の危機・公害が暗い影を落としていた70年代と、
社会技術が注目されるにいたった経緯から、本書は始まります。
次いで、そもそも科学が持つさまざまな性質(完全無欠ではないこと、最先端ほど危ういこと、
“モデル”によって理論が構成されるため、特定の条件下でのみ法則が正しいこと、
問いのたて方によって科学的な回答が変わること・・・)が多数の具体例とともに述べられます。
最後に、科学コミュニケーションがどうあるべきか述べられます。
とくに日本では、
「一人ひとりの心がけ」ばかり強調されがちであることが指摘されているのが興味深いです。
社会としての問題なので、社会として取り組むべき、と著者は述べています。
非常に多くの事例、エピソードがあげられていて、「なぜそれが社会として取り組むべき
問題なのか」がよくわかります。本当に良い入門書だと思います。
2010年12月19日に日本でレビュー済み
科学(科学技術)と社会の関係について述べた書。
まず、20世紀後半以降の社会と科学の関わりについてのトピックスについて綴り、その後、「科学とはどういう営みか」について説明する。そして、社会と科学は互いに関係したものであることを述べた後、我々がどう向き合うべきなのか、について提案する。という構成。
私は後半の内容については勿論なのだが、中盤に書かれる「科学とはどういう営みか」だけでも、十分に読み応えのある書だと思う。
新聞などでは、「こんな論文が掲載された」「最新の研究」と言ったものが、まるで、正しいと証明されたのように報じられることがある。しかし、論文の掲載というのは、あくまでも矛盾などがなく、「一応、確からしい」というだけのこと。「最新の研究」というのは、その後の研究で「ひっくり返される可能性が高いもの」なんていうのは、それだけでも素人としては勉強になる内容だと思う。
そして、その研究にも、費用などが掛かる以上、社会と結びついており、社会の期待や利益といったものに研究費配分などが左右される、というのは、研究者としての経験もあっての文章だと感じた。
著者の提案する、関わり方、は、「皆で話をしよう」というもの。
それは、素人と研究者、もそうだし、素人同士でも構わない。とにかく、まず、皆が科学に興味を持つこと、が大事だと言う。
素人が話をすることで、社会の風潮などにもなるし、また、時間や知識がなくとも、寄付などの形で審査団体を作るという手もある。そのためにも、というわけである。先に社会と切っても切り離せない、などがしっかりと記された上でなので、すんなりと納得することができた。
本書を読む上で、唯一、気になったのは著者独自の造語がやたらと多いこと。多少、出てくる分には良いが、次から次へと出てくると、逆に読みづらいと感じる。
ただ、社会と科学の関係についての内容は、凄く納得できるものだった。
まず、20世紀後半以降の社会と科学の関わりについてのトピックスについて綴り、その後、「科学とはどういう営みか」について説明する。そして、社会と科学は互いに関係したものであることを述べた後、我々がどう向き合うべきなのか、について提案する。という構成。
私は後半の内容については勿論なのだが、中盤に書かれる「科学とはどういう営みか」だけでも、十分に読み応えのある書だと思う。
新聞などでは、「こんな論文が掲載された」「最新の研究」と言ったものが、まるで、正しいと証明されたのように報じられることがある。しかし、論文の掲載というのは、あくまでも矛盾などがなく、「一応、確からしい」というだけのこと。「最新の研究」というのは、その後の研究で「ひっくり返される可能性が高いもの」なんていうのは、それだけでも素人としては勉強になる内容だと思う。
そして、その研究にも、費用などが掛かる以上、社会と結びついており、社会の期待や利益といったものに研究費配分などが左右される、というのは、研究者としての経験もあっての文章だと感じた。
著者の提案する、関わり方、は、「皆で話をしよう」というもの。
それは、素人と研究者、もそうだし、素人同士でも構わない。とにかく、まず、皆が科学に興味を持つこと、が大事だと言う。
素人が話をすることで、社会の風潮などにもなるし、また、時間や知識がなくとも、寄付などの形で審査団体を作るという手もある。そのためにも、というわけである。先に社会と切っても切り離せない、などがしっかりと記された上でなので、すんなりと納得することができた。
本書を読む上で、唯一、気になったのは著者独自の造語がやたらと多いこと。多少、出てくる分には良いが、次から次へと出てくると、逆に読みづらいと感じる。
ただ、社会と科学の関係についての内容は、凄く納得できるものだった。





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