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私・今・そして神 開闢の哲学 (講談社現代新書) 新書 – 2004/10/19

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商品の説明

内容紹介

私はなぜ「今ここにいる、この私」なのか。古来より数多くの哲学者が最大の関心を寄せてきた「神、私、今」の問題について、まったく独自の考察を展開。自分の言葉だけでとことん哲学する、永井均の新境地。(講談社現代新書)

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

永井/均
1951年生まれ。慶応義塾大学文学部卒業。同大学院文学研究科博士課程単位取得。現在、千葉大学教授。専攻は、哲学・倫理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


登録情報

  • 新書: 232ページ
  • 出版社: 講談社 (2004/10/19)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4061497456
  • ISBN-13: 978-4061497450
  • 発売日: 2004/10/19
  • 梱包サイズ: 17.2 x 10.6 x 1.4 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.1 17件のカスタマーレビュー
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カスタマーレビュー

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あまりにもあたりまえのことを自覚し、自分の何かが変わったと感じ、何も変わっていないことに気づいた。
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形式: Kindle版 Amazonで購入
本書の冒頭から、「字面を目で追っても、そこから意味が湧いてこない状態」が続いた。むろん私がその程度のレベルだからであるが、まもなく、別の理由がわかってきた。
以下についてはもっと説明が必要だが、その余裕は無い。木村敏『時間と自己』(中公新書・1982年)を読んでいただくしかない。ちなみに『時間と自己』と比べると、本書の内容の一部は「いまさら?」である:

『時間と自己』を援用しつつ曲解すると、人はそれぞれ 過去−現在−未来 の体験のあり方が違う。妥当かはさておき、以下これを「時間感覚」としておく。このズレが大きい者同士は、口で何を言おうと互いに相手を理解できない。例として本書の第1章から「五分前世界創造説」を借用しよう。本書の記述は次の3つのうちAだが、続く2つとの置き換えは可能だろうか。表現の良し悪しではない。

 A この世界はじつは五分前に生じたのかもしれない
 B この世界はじつは生じてから五分間経過したところかもしれない
 C この世界はじつは五分以上はさかのぼれないかもしれない

それぞれ、記述する者の主観が過去・現在・未来のいずれに片寄っているかが違う。例えばBは、主観は <今> に在って「今は×××である」と現在形で述べるだけで、"五分間経過"
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投稿者 tatchan トップ1000レビュアーVINE メンバー 投稿日 2004/12/7
形式: 新書
本書において著者のもっとも言いたいことは、私、今、現実、神、これらについて論じる際に必ず従わなければならないある構造があるということである。「この私」「この今」「この現実」を直接に指示し他者と論じることはできない。それはどこまでも「ある私」「ある今」「ある現実」へと一般化されてしまう。神をこの世界の創造者であるとするなら、この世界の内部で神の存在を証明すること、この世界の内部で神をとらえることはできない。
本書は、著者がある問いを立て、それにある解答を与え、次にその解答は本当に正しいのかを検証して、その解答を否定あるいは修正して新たな解答を与える、とうような試行錯誤の連続からなりたっている。その中間段階的な解答には、同意しかねるものが少なからずあるが、著者が最終的に出す解答には概ね同意できる。
哲学はまだ始まっていない、という著者の意欲作である。
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形式: 新書
例えば、『子供のための哲学』や『倫理とは何か』は、永井氏が何十年も考えてきたことの結晶であり、議論が整理されており、比較的分かり易い。それに対して、序文で述べられているように、本書で永井氏は、(今までの考えを踏まえつつも)これまで考えてこなかったことを新たに考えようとしている。そのため、本書は試行錯誤や脱線、飛躍に満ちており、永井哲学をよく知らない読者にはかなり読みづらいだろう(特に前半)。「悪文」であることを自ら認めている箇所すらある。また、「私」が広末涼子の「マジで恋する五秒前」を聞いている時・・・といったかなり具体的な例も挙げられるのだが、そのような具体例と極めて抽象的な思索との間を架橋する梯子(説明)が不十分であることも、分かりにくさの原因だ。
「私とは何か」や「今」という時間の不思議に興味がある人は、『子供のための哲学』の前半部や『翔太と猫のインサイトの夏休み』をお勧めする。その上で、永井氏の考えが面白いと感じたなら、この本も何とか読みこなすことが出来るだろう。

しかし、それにもかかわらず、永井哲学に強い関心を持つ者、カント認識論やマクタガードの時間論、私的言語の問題などに興味がある者にとって、本書がわくわくするほど面白いものであることは間違いないだろう。特に後半のマクタガードに関する議論。時間のB系列とは根源的なA系列が形式化(一般化)さ
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形式: 新書
独我論、神の存在論的証明、可能世界論、我思うゆえに我あり、マクタガートのパラドックス、「これらがすべて同じ一つの問題をめぐっていることは、まずまちがいない」(p180)とする、不遜なまでに野心的な書。思考の抽象度が高く、ゆっくりとしか読めない。発売直後から、ブログ等で「面白かった」という永井ファンの声を見かけたが、本書をすらすら読む人が多いとは驚きだ。
永井は、哲学の難問中の難問に新しい表現を与えて蘇生させる。その才能には本当に感嘆する。マクタガートのパラドックスをカントの「統覚の統一」と内的に連関させるところは凄い。「観念論論駁」を、たんなる外界の存在証明ではなく、この私を「可能的な一人の私として」世界の中に客観化する議論と捉えるのだ。独我論が「なぜか理解されてしまう」不思議や、「この現実の今」が「可能な今の一つ」として先取りされる不思議を、カントの超越論的構造に着地させる心地良さ!
それに対して、ライプニッツ原理の議論は今ひとつ分りにくい。アルノー書簡から神の「意志」が強調されるが(86)、これは内的連関なしに「開闢の奇蹟」を何度でも引き起こせるという、デカルトの神に近いのではないか。神は「無数の人間の中から一人を選んでそれを<私>にする能力がある」(127)、「全宇宙の出来事をすべて記した書物の中の各人の自己意識の記述を、私が覗けば<永井均>と書かれている」(145)という箇所。独我論とライプニッツを繋げるスリリングな議論だが、かすかな違和感が残る。
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