"ヘイト本についてすらなにも考えないということは、ほかの本についてもなにも考えないということです。魅力のない本屋です。売れている本は並んでいるけれども、つまらない本屋です。つまらない本屋は滅びます。"2019年発刊の本書は、ヘイト本を巡る出版や本屋の舞台裏を明らかにした【これからを考える】為の一冊。
個人的には、本好きの間では著名なベテラン"本屋好き"ライターである著者が【どういった想いでタイトル及び本書を書いたのか?】に関心があって本書を手にとったのですが。愛情の裏返しとはわかっているものの『出版業界はアイヒマンなのか』など、なかなか手厳しくて驚かされました。
そんな本書は、ヴィレッジヴァンガード創業者の"本屋という仕事は、ただそこにあるだけで、まわりの社会に影響を与えることができるものだ"を胸に本屋の取材を30年余り続けてきた著者が、2015年から丸4年かけて【不愉快な気持ちを抑えながら】町の本屋、チェーン書店、出版取次、出版社、編集者、ライターとインタビューを重ねて【ヘイト本が本屋に並ぶ事情】を明らかにしながら、それぞれについて著者なりの提言を行っているのですが。自身【ちょっと特殊な形で本を扱う1人】として、やっぱりか。と【目新しさこそなかったものの『再確認』させられる】読後感でした。
また、そういった出版裏事情とは別に『ヘイト本の読者はネット右翼ではない』『本屋大賞は(良書ではなく)すでに売れている本を、もっと売るための賞』および、そもそも本屋大賞自体『2〜4%の店舗、書店員が選んでいて"すべての書店員"が選んだわけではない』など。2重3重の【一般の人が誤解する本や本屋に対するカラクリや幻想】について、あらためて容赦なく指摘していて、著者の抱く危機感の深さを感じさせられました。
出版や本屋の現状や裏事情を知りたい誰かへ。また、最近【街の本屋がつまらない】と内心ため息をついている本好き、本屋好きな人にもオススメ。
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私は本屋が好きでした──あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏 単行本(ソフトカバー) – 2019/11/25
購入を強化する
反日、卑劣、心がない。平気でウソをつき、そして儒教に支配された人びと。かかわるべきではないけれど、ギャフンと言わせて、黙らせないといけない。なぜなら○○人は世界から尊敬される国・日本の支配をひそかに進めているのだから。ああ〇〇人に生まれなくてよかったなあ……。
だれもが楽しみと知恵を求めて足を運べるはずの本屋にいつしか、だれかを拒絶するメッセージを発するコーナーが堂々とつくられるようになった。そしてそれはいま、当たりまえの風景になった──。
「ヘイト本」隆盛の理由を求めて書き手、出版社、取次、書店へ取材。そこから見えてきた核心は出版産業のしくみにあった。「ああいう本は問題だよね」「あれがダメならこれもダメなのでは」「読者のもとめに応じただけ」と、他人事のような批評に興じるだけで、無為無策のまま放置された「ヘイト本」の15年は書店・出版業界のなにを象徴し、日本社会になにをもたらすのか。
書店・出版業界の大半が見て見ぬふりでつくりあげてきた〝憎悪の棚〟を直視し、熱くもなければ、かっこよくもない、ごく〝普通〟で凡庸な人たちによる、書店と出版の仕事の実像を明らかにする。
だれもが楽しみと知恵を求めて足を運べるはずの本屋にいつしか、だれかを拒絶するメッセージを発するコーナーが堂々とつくられるようになった。そしてそれはいま、当たりまえの風景になった──。
「ヘイト本」隆盛の理由を求めて書き手、出版社、取次、書店へ取材。そこから見えてきた核心は出版産業のしくみにあった。「ああいう本は問題だよね」「あれがダメならこれもダメなのでは」「読者のもとめに応じただけ」と、他人事のような批評に興じるだけで、無為無策のまま放置された「ヘイト本」の15年は書店・出版業界のなにを象徴し、日本社会になにをもたらすのか。
書店・出版業界の大半が見て見ぬふりでつくりあげてきた〝憎悪の棚〟を直視し、熱くもなければ、かっこよくもない、ごく〝普通〟で凡庸な人たちによる、書店と出版の仕事の実像を明らかにする。
- 本の長さ251ページ
- 言語日本語
- 出版社太郎次郎社エディタス
- 発売日2019/11/25
- 寸法18.8 x 12.8 x 1.7 cm
- ISBN-104811808398
- ISBN-13978-4811808390
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
仕事だからつくる。つくられたものは流通させる。配本が多いから書店は平積みする。しくみに忠実な労働が「ヘイト本」を生み、そして、本屋の一角で憎悪を煽ることを“普通”のことにした―。
著者について
1958年生まれ。ライター。書籍輸入販売会社のニューアート西武(アールヴィヴァン)を経て、フリーの編集者兼ライターに。90~93年、「宝島」「別冊宝島」編集部に在籍。その後はライター専業。「アサヒ芸能」「週刊朝日」「週刊エコノミスト」などで連載をもつ。ラジオ「ナルミッツ!!! 永江朗ニューブックワールド」(HBC)、「ラジオ深夜便 やっぱり本が好き」(NHK第一)に出演。
おもな著書に『インタビュー術!』(講談社現代新書)、『本を読むということ』(河出文庫)、『筑摩書房 それからの40年』(筑摩選書)、『「本が売れない」というけれど』(ポプラ新書)、『小さな出版社のつくり方』(猿江商会)など。
おもな著書に『インタビュー術!』(講談社現代新書)、『本を読むということ』(河出文庫)、『筑摩書房 それからの40年』(筑摩選書)、『「本が売れない」というけれど』(ポプラ新書)、『小さな出版社のつくり方』(猿江商会)など。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
永江/朗
1958年生まれ。ライター。書籍輸入販売会社のニューアート西武(アールヴィヴァン)を経て、フリーの編集者兼ライターに。90~93年、「宝島」「別冊宝島」編集部に在籍。その後はライター専業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1958年生まれ。ライター。書籍輸入販売会社のニューアート西武(アールヴィヴァン)を経て、フリーの編集者兼ライターに。90~93年、「宝島」「別冊宝島」編集部に在籍。その後はライター専業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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登録情報
- 出版社 : 太郎次郎社エディタス (2019/11/25)
- 発売日 : 2019/11/25
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 251ページ
- ISBN-10 : 4811808398
- ISBN-13 : 978-4811808390
- 寸法 : 18.8 x 12.8 x 1.7 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 312,204位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
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殿堂入りベスト50レビュアー
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2019年12月4日に日本でレビュー済み
世にはびこる嫌韓・嫌中といったヘイト本について、その存在に加担する出版社、取次、書店を取材した本。
書店員、編集者、ライターとして長年出版業界の動向を追い続けてきた著者の永江さんはまえがきで、ヘイト本について調べたり考えたりするのが不愉快で執筆に4年もかかってしまったと書いているが、読者にとっても決して愉快な読書ではない。だからと言って積ん読してはダメな、読むのを面倒くさがってはいけないタイプの本だと思う。永江さんの文章は相変わらず端正で、ヘイト本の取り扱いに苦悶しながらも主張は明確。その姿勢が心強く、読者として襟を正される思いだった。
会社の近くにある書店にはヘイト本が大量に置かれている。歩いて行ける距離に他の書店がないので仕方なく利用しているが、内心ではできればこういう店では買い物をしたくないと感じていた。ヘイト本に手を出さないのは当然として、読者だって他にできることはあるはずだ。
書店員、編集者、ライターとして長年出版業界の動向を追い続けてきた著者の永江さんはまえがきで、ヘイト本について調べたり考えたりするのが不愉快で執筆に4年もかかってしまったと書いているが、読者にとっても決して愉快な読書ではない。だからと言って積ん読してはダメな、読むのを面倒くさがってはいけないタイプの本だと思う。永江さんの文章は相変わらず端正で、ヘイト本の取り扱いに苦悶しながらも主張は明確。その姿勢が心強く、読者として襟を正される思いだった。
会社の近くにある書店にはヘイト本が大量に置かれている。歩いて行ける距離に他の書店がないので仕方なく利用しているが、内心ではできればこういう店では買い物をしたくないと感じていた。ヘイト本に手を出さないのは当然として、読者だって他にできることはあるはずだ。
ベスト100レビュアー
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昔、田舎の小さな本屋さんには都会の大書店にはないような、オ~ッと思わせるような本が片隅に眠っていることがあった。それを見つけるのも一つの楽しみだった。しかし、今の田舎の本屋さんへ行っても、欲しい本などまったくと言っていいほどない。発行されたばかりの興味ある本はほとんど都会の大書店に独占されてしまい、あるのは何カ月か遅れの”ベストセラー”本など、賞味期限の切れた本ばかりである。これじゃあ、注文次の日には届くアマゾンに駆逐されても仕方ない。Kindleなどでも簡単に読めるし、何れ日本のほとんどの中小都市から本屋さんなんてものはなくなり、あるのはパチンコ店ばかりということになってしまうだろう。悲しい限りである。
去年は田舎のどの小さな本屋さんをめぐっても、某極右作家の”歴史”と称する本が、”よく売れてます”などという手書きPOP付きで何ケ月も山積みになっていた。多分、都会の大書店では売れなくなったので、田舎へ流れてきたんだと思う。”少しは考えろよ””ええ加減にせえよ”と思わず言いそうになったが、オバちゃん店員さんも若者店員ちゃんも、本などあまり読んだことがない方たちばかり(レジでの私語内容を聞けばすぐにわかります)だったのでやめた。本書によれば、「ヘイト本にかかわる人びとはみなそれなりにアイヒマンである」そうだが、今の店員さんだって、「何も考えていない」という意味では、そのほとんどがアイヒマン的だし、もっと言えば日本国民の中でだって、アイヒマン指数?はここ十年ほどの間に飛躍的に高まっている。
というわけで、あんまり本の内容に関係ないことばかり書いてきたが、この本を読んで、日本というのがホントに悲しく、大変な国になりつつあるというのがよくわかりました。
去年は田舎のどの小さな本屋さんをめぐっても、某極右作家の”歴史”と称する本が、”よく売れてます”などという手書きPOP付きで何ケ月も山積みになっていた。多分、都会の大書店では売れなくなったので、田舎へ流れてきたんだと思う。”少しは考えろよ””ええ加減にせえよ”と思わず言いそうになったが、オバちゃん店員さんも若者店員ちゃんも、本などあまり読んだことがない方たちばかり(レジでの私語内容を聞けばすぐにわかります)だったのでやめた。本書によれば、「ヘイト本にかかわる人びとはみなそれなりにアイヒマンである」そうだが、今の店員さんだって、「何も考えていない」という意味では、そのほとんどがアイヒマン的だし、もっと言えば日本国民の中でだって、アイヒマン指数?はここ十年ほどの間に飛躍的に高まっている。
というわけで、あんまり本の内容に関係ないことばかり書いてきたが、この本を読んで、日本というのがホントに悲しく、大変な国になりつつあるというのがよくわかりました。
2019年12月19日に日本でレビュー済み
気に入らないものを語るがあまり、結局自身がヘイトと同じ考え方の構図にはまっている。
出版と取次と書店の関係性に歪みがあるのはヘイト本に限るものではない。
ゆがんでいるのは、社会全体にお金が回らなくなっている中で、
古い構造を維持しようとするがあまりに要否関係なく配本がされるから。
ヘイト本自体への問題視、ならそれだけを論じればいいし、
出版を取り巻く構造を叩きたいのであればそれだけを論じればいい。
ヘイト本がなくなっても要否に関係ない配本が続く限りは、著者の言う「素敵な本屋」は作れないのではないか。
ヘイト本を用いることで著者自身が叩かれないようにしたかったんだろうが、雑な話になってしまっている。
出版と取次と書店の関係性に歪みがあるのはヘイト本に限るものではない。
ゆがんでいるのは、社会全体にお金が回らなくなっている中で、
古い構造を維持しようとするがあまりに要否関係なく配本がされるから。
ヘイト本自体への問題視、ならそれだけを論じればいいし、
出版を取り巻く構造を叩きたいのであればそれだけを論じればいい。
ヘイト本がなくなっても要否に関係ない配本が続く限りは、著者の言う「素敵な本屋」は作れないのではないか。
ヘイト本を用いることで著者自身が叩かれないようにしたかったんだろうが、雑な話になってしまっている。
ベスト500レビュアー
永江朗氏の『私は本屋が好きでした あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏』 (太郎次郎社エディタス)を読んだ。
書店にはヘイト本があふれているのはなぜか、そんなヘイト本でも売れるから置くのか、それにどう抵抗すべきか等々を論じている本。共感はまったくしない。
でも、もし誰かが「この永江氏の本は左翼で下品なパヨク本だから、本屋に置くな」とか言い出したら、もちろん賛成しないだろう。
ヴォルテールの「私は君の意見に反対だ。しかし、君がそれをいう権利は生命をかけて守って見せる」という格言を想起することが大事だと思う。永江氏のこの本は、その精神に反する書だといえよう。
しかし、とはいえ、この本を「パヨク本だから書店に置くな」なんていうことを言う人がいたら、反対するしかない。しかし、パヨク本だと批判する権利は保障されるべき……。うん? いろいろとディレンマが発生する?
とにもかくにも、パヨクであろうが、ネトウヨであろうが、ヘイトであろうが、反ヘイトであろうが、エロ本であろうが、所詮は「レッテル貼り」であることが多く、人によっては同じ本を読んでも、真っ向から違う評価が生まれることもある。
「これはヘイトだから本屋に置くな」というのは、許されない暴言でしかあるまい。
この本では「ヘイト本」というのをきちんと定義していない。ケント・ギルバートさんの本(『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』講談社)などが該当するようだ。そのほか、いろんな本の書名が具体的に「ヘイト」箇所を引用分析することもなく出てくる。それらの中には読んだ記憶のある本もあるが、さて、そういうものだったか?
ヘイト本というのは「差別を助長し、少数者への攻撃を煽動する、憎悪に満ちた本」とも一言述べている。韓国政府や中国政府の政策などを批判する本を「ヘイト」とはみなさないものの、属性を攻撃するのは批判ではなく差別だからヘイトになるとのこと。
しかし、文藝春秋から出たばかりの李栄薫氏編の『反日種族主義 日韓危機の根源』 (文藝春秋)などは、韓国人による本だが、冒頭のプロローグから李さんが「嘘の国」韓国を滔々と論じているではないか。
「嘘をつく国民」として、 「韓国の嘘つき文化は国際的に広く知れ渡っています。二〇一四年だけで偽証罪で起訴された人は一四〇〇人です。日本に比べ一七二倍だといいます。人口を考慮すれば、一人あたりの偽証罪は日本の四三〇倍になります」と書いている。
もし、日本の週刊誌が「韓国は嘘つき国家」なる特集を組んだら、日本の左翼系メディアや進歩的文化人たちはなんと騒ぐだろうか?
韓国のデータに基づき、韓国を論じて「韓国なんて要らない」と書いただけでヘイト!と騒ぐ人たちは、大パニックとなるのではないか。だが、韓国の学者がそう書いているのだ。
さらに、李さんは「この国の歴史学や社会学は嘘の温床です。この国の大学は嘘の製造工場です」「二〇〇〇年代に入ると全ての国民、全ての政治が平然と嘘をつくようになったのです」と。
慰安婦、徴用工裁判、それらは「嘘の裁判」であり、 「嘘の可能性の高い主張を検証もしない裁判が果たして有効なのか」と指摘もしている。よもやこの本は「ヘイト本」であると糾弾されないと思うが、危ない。
ともあれ、永江氏はこう言う。
「在日コリアンの人に向かって「『朝鮮人は出ていけ!』と絶叫する人に対しても寛容になりなさい」と言うことができるでしょうか。わたしは言えない。汚い言葉を投げつけられる在日コリアン自身が、『いや、それでも私は寛容になります」と言うならそれを否定することはないけれども…」
しかし、ネットの映像で、沖縄米軍基地前で、アメリカンスクールのスクールバスに乗っている子供たちに「ダイ!ダイ!」と絶叫する反戦基地運動家の姿をみた時、僕は唖然としたことを覚えている。これは反米ヘイトだろう。「ヤンキーゴーホーム」もよく叫んでいる。
「朝鮮人は出て行け」がヘイトなら、「アメリカ人は出て行け(ヤンキーゴーホーム)」もヘイトスピーチになるのではないか。
先の定義だと、「少数者への抗議」ではなく米軍関係者は家族も含めて権力者の側だから「ゴーホーム」は許されると考える人がいたら、それは「二枚舌」でしかあるまい。
永江さんがそのあたり、どう思っているか分からないが…。
ともあれ、在日コリアンの人たちが、嫌韓本がたくさんある書店に行くのは嫌だと感じたり「おまえは許されない存在なんだからな」と本がうったえかけてくるように感じていやだったとか、そういう例をあげているけど、そういう「感情論」に迎合するのはちょっと待てよと言いたくなる。
韓国人や元在日韓国人が、徴用工問題などに関して、日本擁護の論陣を張った本もたくさん書店にある。これを「ヘイト本」とみなす向きもあるかもしれないし、日本批判の在日の人が、書店でそういう「裏切り者」(?)の本を見て、憤慨したとしても、それはナンセンスでしかない。
「ガンと闘うな」という本が書店にあったら、ガン患者に間違った情報を与えるからやめろという人も出てくるかもしれない。そんな訴えにいちいち耳を傾ける必要があるのだろうか。取捨選択の自由は保障されるべき。エロ本というかエロビデオ鑑賞などに関して「18歳」云々の年齢制限があるのは、例外中の例外として容認もできようが。
いろんな立場の本が出て、それを個々人が、取捨選択することができるのが「言論出版の自由」。
特定の政治勢力などの支持する本しか書店にないなんてゴメンだ。
藤原弘達氏の『創価学会を斬る』 (日新報道)に対する公明党などの言論妨害もかつてあった。これも屁理屈つければ、特定宗教を「ヘイト」とみなす藤原氏の言論はおかしいなんて言うことも可能になりかねない。
また、昔は有楽町や池袋などに「人民書店」があった。日本共産党関係のヨイショ本や資料しか置いてない本屋だ。
「あふれる共産党擁護本、つくって売るまでの舞台裏」がどうだったか知らないが、僕はそういう本屋も好きだった。池袋の古本屋に立ち寄る時、途中にそういう本屋があったからよく入っていた。有楽町にもあったっけ(買いたいと思うような本は少なかったが…)。
新宿の模索舎は最近すっかりごぶさたしているけど、ここも左翼関係のみならずちょっと右翼っぽい本もあったり、「個性」があるから好きだ。近くに行くと立ち寄るようにしていた(しかし、最近、その模索舎の近くにあった古本屋が廃業してしまい、その分、足を運ぶ機会が激減してしまった)。
とにかく、本屋さんは「個性」が大事。永江さんの本の中で、ヘイト本を嫌ったりする個性ある本屋さんの店主が登場しているではないか。そこの書店にも何度か行ったことがある。まぁ、狭いながらも「良書」を置いている感じだったが、そういうポリシーをお持ちだったようで…。
探せば、世の中にはどちらかといえばヘイト本が好きな本屋さんもあるだろう。永江さんのような゛レッテル貼り的な反ヘイト運動が激化したら、逆に、戦前のマルクス関連書ではないけど、ヘイト本は貴重な真実を伝える本として希少価値を増すことになるかもしれない。
ともあれ、北朝鮮の帰国運動が始まって間もないころに、元朝鮮総連関係者の関貴星さんが帰国運動や北朝鮮を批判する本を全貌社から刊行した。 『楽園の夢破れて 北朝鮮の真相』 (昭和37年4月) 『真っ二つの祖国 続・楽園の夢破れて』 ( 昭和38年7月)。
当時、在日朝鮮人たちがこの本を読んで悲しい思いをするから、こんな反共出版社(全貌社)が出したヘイト本を本屋には置かないでほしいという運動があったら、賛成すべきだろうか。冗談ではない。
一方、帰国運動を推進する側の宣伝本として出された寺尾五郎さんの『38度線の北』 (昭和34年7月)、 『朝鮮 その北と南』 (昭和36年12月) (いずれも新日本出版社)を嘘本だと、当時の韓国側の団体は国内で批判もしていたが、そういう側の主張を受けて、一般書店で寺尾五郎さんの本を置かないなんてことがあったら…。それもまたおかしい。どちらの本も書店に置かれて、手にして読む自由があってしかるべきだろう。
北朝鮮側は、関さんの本にあわてたのだろうが、昭和38年10月に『祖国に帰って』 (外国文出版社・平壌総合印刷工場)という宣伝本を出している。帰国した人たち(21人)の手記という体裁で、「金日成首相の表彰状をいただいた」とか嬉しそうにみな綴っている。これが本当だったのか? 実名で書かれているから検証も可能だと思うが…。
80年代に出た、在日の金元祚氏の『凍土の共和国 北朝鮮幻滅紀行』(亜紀書房)にしても、週刊朝日が好意的に紹介したら朝鮮総連などが朝日に抗議した。その手法はいささか暴力的でもあった。
その経緯は、元週刊朝日編集長の川村二郎さんの『学はあってもバカはバカ』 (ワック)でも触れていた。また、同じく元朝日記者の前川惠司氏も自著『夢見た祖国は地獄だった』 (高木書房)で以下のように詳述されている。
「この号が発行されるや、週刊朝日編集部の十本以上ある電話は、朝から『事実無根だ。抗議する。俺は在日同胞だ。記事を取り消せ』との電話が切っても切ってもかかり続け、朝日新聞社の交換台が悲鳴をあげ、部内連絡などのため臨時電話を多数引かざるをえなくなった。
朝日新聞本社前には多数の朝総連メンバーが押しかけ、一般の来訪者の通行に支障が生じた。こうした行動の狙いは第二弾の掲載阻止だった。
本社前で抗議活動を指揮していた知り合いの朝総連幹部に、私は、『立場の違いで受け止め方に差があっても、事実は事実。どんなに業務妨害しても無駄』と伝えた」「『言いがかりをつけて、軒先でいつまでも騒ぎまくり、制止を無視するあなた方に警備員が反感をもつのは致し方ないことです。あなた方は民族団体でありながら、在日朝鮮人に対する反感を生み出しかねない行動を平気で同胞に指示しているのか』と反論し、編集部に届いていた三百通以上の抗議葉書の束を総連幹部に見せ、『葉書の消印は全部、朝鮮大学校がある郵便局のものです。ここにしか、在日朝鮮人は暮らしていないのですか』」
と問うたりもしたそうな。
朝鮮総連としては、「味方」のはずの朝日から批判を受けて焦っていたのだろう。前川氏も、入社して、まもないころに労働組合の席で、韓国旅行の体験から、韓国を不正の暗黒国家のように見るのは単眼すぎると話したところ、周囲に「冷やかな空気」が流れたとのこと。
朝日社内には、北朝鮮天国論者が多々いたようだ(いまも?)。
この週刊朝日の「勇み足」を帳消しするために、朝日社内の北朝鮮支持勢力(主流派)は、あわてて善後策を協議したのではないか。その穴埋めをするためには、北朝鮮礼賛記事を掲載しなくてはいけないとのことで……。
週刊朝日の報道のあと、1984年6月6日夕刊の朝日紙面。北朝鮮ヨイショ記者として知られる(?)岩垂弘記者の「『金正日時代』へ着々」という記事が出た。
金日成→金正日といった世襲をかばうためのヨイショ記事。
「社会主義国の農業はおしなべて不振だが、その中にあって北朝鮮は農業がうまくいっている国、というのがわが国の北朝鮮研究者の一般的な見方」とヨイショ。
さらに1985年5月14日から連載された岩垂氏の北朝鮮訪問記事でも、さりげなく北朝鮮擁護…。このように、1980年半ばになっても、朝日新聞主流派の懸命な北朝鮮擁護報道があったから、北朝鮮に対して悪いイメージをもつ日本人は少数派だったといえよう。
関さんの長女(呉文子氏)の『パンソリに想い秘めるとき--ある在日家族のあゆみ』 (学生社)という本や、呉氏の夫の李氏の『海峡~ある在日史学者の半生』 (青丘文化社) などもひもとくと、関さんのそうした家族でさえ、北朝鮮への幻想を抱き、父親の行為(北朝鮮批判)を理解しねる状態だったことが分かる(最後には、父親の言っていたことが正しかったと悟るのだが)。でも、こういう本を出す自由や読む自由がもし日本になかったら大変なことになる。
ともあれ、『凍土の共和国』に対しても、そんな妨害工作もあって大衆レベルで北朝鮮を正しく認識しない状態が続いたものの、永江氏も少し触れていたが、拉致問題が完全に北朝鮮による犯行だと判明し、北朝鮮批判本(これもヘイト本なのかな?)がたくさんでるようになったことによって、一般国民の北朝鮮認識はマシになっていったといえよう。
いまなら、「北朝鮮でちょっといい仕事があるんで来ない?」なんて欧州で誘われてもホイホイとついていく日本の若者はいないのでは?
脱北者などの証言本もあれば、亡命者の本も出た。永江さんのような理屈を拡大していくと、こういう本も「ヘイト本」だとして俎上にのせられかねない。
寺尾五郎さんの本などがかつては真実を伝えると思い、萩原遼さんのような人でさえ、反共出版社の全貌社から出ている関さんの本など見向きもしなかったが、後にそれは誤りで、関さんの本のほうが正しかったと悔悟している。
永江さんがヘイト本と貶めるような本にも、多くの耳を傾けるべき事実が書かれているということもありうると考えれば(逆にパヨク本にもいろいろと意味ある内容もあるかもしれない)、一冊の本に対して、具体的な引用分析もないままレッテル貼りをして、書店になるべく置かせないようにするのは賢明とはいえまい。
寺尾五郎の本に関しては、稲垣武さんの『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』 (文春文庫・PHP研究所)で、具体的に引用分析批判されているのでそれを参照されたし。日共系の新日本出版社もこの本を出した時、編集者の名前を明記しておけば良かったのになぁ?)。
ネット空間、ユーチューバーなどでは、これは「ヘイト」だと「密告」して、言論空間を閉鎖的な方向に追い込もうとする「勢力」があるようだ。これも要注意だろう。こういう人たちは「ネトサヨ」なのか?
トランプ批判本もあれば、習近平批判本も、文在寅批判本も、安倍晋三批判本もある。民族的な資質に関して、韓国人には●●が多いとか、日本人には●●が多いとか、そういう分析も可能だろう。いろんな本があって、より説得力のある本が生き残るのではないか。寺尾五郎の本とて、当時の朝鮮認識を調べる上で貴重な本。焚書にしてはいけない。
特定イデオロギーに基づく「選別」は許してはならない。
感情的な「反日ヘイト本」だってあるだろう。でも、「批判」的分析を「ヘイト」とレッテル貼りをするのは許されない。
だが、吉田清治のような本(『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』 三一書房)、 『朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記』新人物往来社)にあふれていた反日虚言、反日ヘイト記述は問題ではあろうが、それでも書店から完全追放したり焚書にするのはおかしい。
以前、新宿御苑というか四丁目だったか、そこにある韓国政府関連施設前で「反韓デモ」をしているのを見たことがある。結構な人出。警官も多数警備していた。それは、いわゆる「反韓ヘイト団体」によるものだったと思うが、その主張以前に、拡声器による「音量」、絶叫に辟易とした。
騒音防止条例などがどういうものか具体的に把握していないが、公道でのデモに関しては、その主義主張以前に、「騒音」の音量、迷惑行為の次元から一定の制限を設けて「規制」すれば十分ではないか。
「安倍に言いたい、お前は人間じゃない。たたっ斬ってやる!」と公衆の前で吠えた大学教授もいた。安倍さんは権力側の政治家だから、これはヘイトにならない?
いやいや、
「在日朝鮮人に言いたい。お前たちは人間じゃない。たたっ斬ってやる!」と吠えたら、ちょっと不気味でヘイトになるのではないか? もしも、個人名をそこに入れたら…。
「自衛隊員に言いたい。お前たちは人間じゃない。人殺し集団だ。たたっ斬ってやる!」と吠えたら……。
実際、自衛隊員の子供に、「お前の親は人を殺す仕事をしている」という趣旨の「ヘイト」スピーチをする教員もいたそうな。以下実例報告。
産経新聞の大野敏明記者は、子供時代、こんな体験をしていたという(1996年2月2日産経夕刊掲載。一部略)。
私の父は自衛官だった。小学生も安保反対デモのまねをしていた60年安保騒動の翌年、小学校の4年生だった私は社会科の授業中、担任の女性教師から「大野君のお父さんは自衛官です。自衛隊は人を殺すのが仕事です。しかも憲法違反の集団です。みんな、大きくなっても大野君のお父さんのようにならないようにしましょう。先生たちは自衛隊や安保をなくすために闘っているのです」と言われたことがある。
聞いていた私は脳天をハンマーで殴られたようなショックを受けた。その担任は日教組の組合員として積極的に組合活動をしていたらしいが、それまでは私に対して差別するような特別な態度はなく、他の生徒と同じように接してくれていると思っていたからである。
それ以来、同級生の態度が変わった。給食の時間は机を集めてテーブルクロスをかけ、みなで一緒に食べていたのが、私ひとりだけのけ者になった。教室の隅でひとりで食事した。朝、学校に行くと上履きがなくなっていた。運動場から帰って来ると、ランドセルの中身がほうり出されていたこともあった。下校途中、石を投げられてけがをしたこともある。
そのうち、学校に行くのがいやになり、半月ほど登校拒否をした。その時、私はまだ10歳になっていなかった。担任はあわてて自宅にやって来た。結局、親に説得されて学校に通い始めた。目に見えるいやがらせはなくなったが、同級生の視線は冷たく、以前のような仲の良い関係ではなくなっていた。
中学校の時、の筋金入りの日教組教師が、授業中に安保反対、米原子力潜水艦日本寄港反対と演説ばかりで、授業をまともにしなかったため、抗議した。すると「お前は反動だ。先生の言うことが聞けないのか。態度が悪い」とののしられた。
校長に直訴したが、「そんなことは考えなくていい。いまはいい高校に入るために勉強だけすればいい」と取り合ってもらえなかった。
私の通った小、中学校は東京都下にあったが、都立の全寮制高校に進学して驚いた。そこには全都から生徒が集まっていたが、転勤族である自衛官の子弟が多数、在籍しており、その多くが私と似たような経験を小、中学校で味わったというのだ。
▽…▽…▽
小学校で教師が「自衛官は人殺し。鉄砲もって喜んでいる」といったため、「人殺しの子供」とののしられた経験をもつ者もいた。何人かは中学校で日教組の教師とやり合い、内申書の評価を下げられるという苦汁をなめさせられたという。
それまでは自分だけが特殊な経験をしたのかと思っていたが、決してそうではなく、少なくとも東京では自衛官の子弟は大なり小なり、日教組の教師から心ない仕打ちにあっていたということになる。
自衛官の子弟である高校の同級生のなかには親の職業を言いたがらない者もいた。
恨(うら)み節を書きたいわけではない。逆説的に言えば、こうした経験の結果、憲法、安保、自衛隊などについて考えるようになったともいえる。文字通り“反面教師”ということかも知れない。
東京都立川市では自衛官の住民登録を受け付けなかったことがあった。住民登録が受け付けてもらえなければ、子供たちは学校に行くことすらできない。自衛官が夜間の大学に入学しようとしたところ、拒否されたケースもある。こうした行為は職業による差別で、基本的人権の侵害以外のなにものでもない。まさに憲法違反と言わなくてはならない。
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まぁ、「言う」だけなら、ぎりぎりの範囲まで逮捕されないということにはなろう(さらなる脅迫ともなると別)。でも、学校内でもこんな差別・ヘイト発言は言論の自由とは別次元となろう。こんなことで、もし、自衛隊員の子供が自殺したら…。
永江さんが好意的に紹介している小田実さんも、北朝鮮等々に関しては、「迷著」(『私と朝鮮』 筑摩書房、 『北朝鮮のひとびと』 潮出版社)を出していた。この本の内容は「なんぼなんでもひどすぎる」ものがあったと思う。その具体的根拠は、稲垣さんの先の本で、きちんと「引用紹介批判指摘」されているので参照されたし。
永江氏は、最後にこう指摘している。
「ヘイト本問題を難しくしているのは、ヘイト本というものの特性にあります。ヘイト本の多くは具体的な個人の人権を侵害しているわけではありません。一部の、”在日特権”という虚構を根拠に在日外国人の排除を主張するような本は人権侵害といえますが、多くは韓国政府や中国政府の政策への批判という形をとっています」
えぇ? じゃ、左派系の人の主張する「ヘイト本」には何の批判されるべき問題はないということになるではないか。
ところが、永江さんはこのあと、いささか針小棒大な方向に論点をずらしていくのだ。
「しかし現実にはそれが差別と偏見を煽り、日本国内で暮らす韓国や中国にルーツをもつ人を、傷つけ、苦しめることにつながっています」
「ヘイト本というのは、ヘイトスピーチやヘイトクライムの着火剤であり燃料みたいなものだと思います。ヘイトスピーチが『差別を煽動する表現』ならば、そのヘイトスピーチを煽動する表現であるようなところがあります。
たしかに一部の”在特会本”を除くと、ヘイト本そのものがマイノリティの人びとへの攻撃を指示しているわけではありません。『在日韓国・朝鮮人を叩きのめせ」『在日中国人を追い出せ』と、ストレートに書いている本はありません」
「だけど、国家と政府と国民と民族を意図的にか、あるいは無意識的にか、混同するように書くことによって、『北朝鮮政府のやり方は間違っている/韓国政府の対日政策はおかしい=在日コリアンは敵だ、追い出せ』という雰囲気を醸成しています。朝鮮半島や中国にルーツをもつ人びと(かならずしも『外国人』とは限りません)に対して憎悪を向けるように焚きつけている」
「憎悪してもいいんだ」「攻撃してもいいんだ」というメッセージを発しています。トランプのツイートとちょっと似ているところがあります。だからヘイトスピーチとヘイト本は無関係ではありません。ヘイト本の多くは、直接的には人権を侵害していなくても、人権侵害に加担しているのではありませんか?」
以上の引用は、235頁の12行目から236頁の最後のところまでの全文である(改行を増やしている)。
「ヘイト本の多くは、直接的には人権を侵害していな」いと認識していながらも、 「人権侵害に加担している」とほぼ決めつける屁理屈には唖然とするしかない。
しかも、こういう風に「ヘイト本」と書いているということは、なんのことはない、韓国政権や習近平、金正恩批判を展開する本はみな「ヘイト本」だと思っているのだろう。
民族差別的な筆致をしているわけでもなく、徴用工問題や慰安婦問題など、またウイグルチベット問題などを取り上げての批判書が「人権侵害に加担している」「在日コリアンは敵だ、追い出せ』という雰囲気を醸成しています」と言われては、名誉棄損ものだろう。
それこそ、先の日教組関係教員による自衛隊差別、その子弟差別助長発言こそが「ヘイト」の最たるものだろう。書籍に対してではなく、民主的な学校運営を蔑ろにするこういうヘイトスピーチを教員が教室内部で生徒にしていた「事実」こそ、より多く知られるべきだ。いまも行われているかもしれないのだから。
もちろん右派系教師が私立学校にいて、「●●君のお父さんは自治労所属の公務員です。公務員は親方日の丸で、失業しないので、遊んでばかりです。みんな大きくなっても公務員にならないようにしましょう」とスピーチしたら、それはいけまんせよね!
それにしても本書の結論部分を読んで唖然呆然とするしかあるまい。
「ヘイト本の多くは、直接的には人権を侵害していなくても、人権侵害に加担しているのではありませんか?」
「直接的に人権を侵害していな」いのなら、その時点でノープロブレムではないか。間接的に「人権侵害に加担している」と言いたいのだろうが、「間接的に」に関して、著者や出版社や書店に責任を問うのはおかしい。
書店にはヘイト本があふれているのはなぜか、そんなヘイト本でも売れるから置くのか、それにどう抵抗すべきか等々を論じている本。共感はまったくしない。
でも、もし誰かが「この永江氏の本は左翼で下品なパヨク本だから、本屋に置くな」とか言い出したら、もちろん賛成しないだろう。
ヴォルテールの「私は君の意見に反対だ。しかし、君がそれをいう権利は生命をかけて守って見せる」という格言を想起することが大事だと思う。永江氏のこの本は、その精神に反する書だといえよう。
しかし、とはいえ、この本を「パヨク本だから書店に置くな」なんていうことを言う人がいたら、反対するしかない。しかし、パヨク本だと批判する権利は保障されるべき……。うん? いろいろとディレンマが発生する?
とにもかくにも、パヨクであろうが、ネトウヨであろうが、ヘイトであろうが、反ヘイトであろうが、エロ本であろうが、所詮は「レッテル貼り」であることが多く、人によっては同じ本を読んでも、真っ向から違う評価が生まれることもある。
「これはヘイトだから本屋に置くな」というのは、許されない暴言でしかあるまい。
この本では「ヘイト本」というのをきちんと定義していない。ケント・ギルバートさんの本(『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』講談社)などが該当するようだ。そのほか、いろんな本の書名が具体的に「ヘイト」箇所を引用分析することもなく出てくる。それらの中には読んだ記憶のある本もあるが、さて、そういうものだったか?
ヘイト本というのは「差別を助長し、少数者への攻撃を煽動する、憎悪に満ちた本」とも一言述べている。韓国政府や中国政府の政策などを批判する本を「ヘイト」とはみなさないものの、属性を攻撃するのは批判ではなく差別だからヘイトになるとのこと。
しかし、文藝春秋から出たばかりの李栄薫氏編の『反日種族主義 日韓危機の根源』 (文藝春秋)などは、韓国人による本だが、冒頭のプロローグから李さんが「嘘の国」韓国を滔々と論じているではないか。
「嘘をつく国民」として、 「韓国の嘘つき文化は国際的に広く知れ渡っています。二〇一四年だけで偽証罪で起訴された人は一四〇〇人です。日本に比べ一七二倍だといいます。人口を考慮すれば、一人あたりの偽証罪は日本の四三〇倍になります」と書いている。
もし、日本の週刊誌が「韓国は嘘つき国家」なる特集を組んだら、日本の左翼系メディアや進歩的文化人たちはなんと騒ぐだろうか?
韓国のデータに基づき、韓国を論じて「韓国なんて要らない」と書いただけでヘイト!と騒ぐ人たちは、大パニックとなるのではないか。だが、韓国の学者がそう書いているのだ。
さらに、李さんは「この国の歴史学や社会学は嘘の温床です。この国の大学は嘘の製造工場です」「二〇〇〇年代に入ると全ての国民、全ての政治が平然と嘘をつくようになったのです」と。
慰安婦、徴用工裁判、それらは「嘘の裁判」であり、 「嘘の可能性の高い主張を検証もしない裁判が果たして有効なのか」と指摘もしている。よもやこの本は「ヘイト本」であると糾弾されないと思うが、危ない。
ともあれ、永江氏はこう言う。
「在日コリアンの人に向かって「『朝鮮人は出ていけ!』と絶叫する人に対しても寛容になりなさい」と言うことができるでしょうか。わたしは言えない。汚い言葉を投げつけられる在日コリアン自身が、『いや、それでも私は寛容になります」と言うならそれを否定することはないけれども…」
しかし、ネットの映像で、沖縄米軍基地前で、アメリカンスクールのスクールバスに乗っている子供たちに「ダイ!ダイ!」と絶叫する反戦基地運動家の姿をみた時、僕は唖然としたことを覚えている。これは反米ヘイトだろう。「ヤンキーゴーホーム」もよく叫んでいる。
「朝鮮人は出て行け」がヘイトなら、「アメリカ人は出て行け(ヤンキーゴーホーム)」もヘイトスピーチになるのではないか。
先の定義だと、「少数者への抗議」ではなく米軍関係者は家族も含めて権力者の側だから「ゴーホーム」は許されると考える人がいたら、それは「二枚舌」でしかあるまい。
永江さんがそのあたり、どう思っているか分からないが…。
ともあれ、在日コリアンの人たちが、嫌韓本がたくさんある書店に行くのは嫌だと感じたり「おまえは許されない存在なんだからな」と本がうったえかけてくるように感じていやだったとか、そういう例をあげているけど、そういう「感情論」に迎合するのはちょっと待てよと言いたくなる。
韓国人や元在日韓国人が、徴用工問題などに関して、日本擁護の論陣を張った本もたくさん書店にある。これを「ヘイト本」とみなす向きもあるかもしれないし、日本批判の在日の人が、書店でそういう「裏切り者」(?)の本を見て、憤慨したとしても、それはナンセンスでしかない。
「ガンと闘うな」という本が書店にあったら、ガン患者に間違った情報を与えるからやめろという人も出てくるかもしれない。そんな訴えにいちいち耳を傾ける必要があるのだろうか。取捨選択の自由は保障されるべき。エロ本というかエロビデオ鑑賞などに関して「18歳」云々の年齢制限があるのは、例外中の例外として容認もできようが。
いろんな立場の本が出て、それを個々人が、取捨選択することができるのが「言論出版の自由」。
特定の政治勢力などの支持する本しか書店にないなんてゴメンだ。
藤原弘達氏の『創価学会を斬る』 (日新報道)に対する公明党などの言論妨害もかつてあった。これも屁理屈つければ、特定宗教を「ヘイト」とみなす藤原氏の言論はおかしいなんて言うことも可能になりかねない。
また、昔は有楽町や池袋などに「人民書店」があった。日本共産党関係のヨイショ本や資料しか置いてない本屋だ。
「あふれる共産党擁護本、つくって売るまでの舞台裏」がどうだったか知らないが、僕はそういう本屋も好きだった。池袋の古本屋に立ち寄る時、途中にそういう本屋があったからよく入っていた。有楽町にもあったっけ(買いたいと思うような本は少なかったが…)。
新宿の模索舎は最近すっかりごぶさたしているけど、ここも左翼関係のみならずちょっと右翼っぽい本もあったり、「個性」があるから好きだ。近くに行くと立ち寄るようにしていた(しかし、最近、その模索舎の近くにあった古本屋が廃業してしまい、その分、足を運ぶ機会が激減してしまった)。
とにかく、本屋さんは「個性」が大事。永江さんの本の中で、ヘイト本を嫌ったりする個性ある本屋さんの店主が登場しているではないか。そこの書店にも何度か行ったことがある。まぁ、狭いながらも「良書」を置いている感じだったが、そういうポリシーをお持ちだったようで…。
探せば、世の中にはどちらかといえばヘイト本が好きな本屋さんもあるだろう。永江さんのような゛レッテル貼り的な反ヘイト運動が激化したら、逆に、戦前のマルクス関連書ではないけど、ヘイト本は貴重な真実を伝える本として希少価値を増すことになるかもしれない。
ともあれ、北朝鮮の帰国運動が始まって間もないころに、元朝鮮総連関係者の関貴星さんが帰国運動や北朝鮮を批判する本を全貌社から刊行した。 『楽園の夢破れて 北朝鮮の真相』 (昭和37年4月) 『真っ二つの祖国 続・楽園の夢破れて』 ( 昭和38年7月)。
当時、在日朝鮮人たちがこの本を読んで悲しい思いをするから、こんな反共出版社(全貌社)が出したヘイト本を本屋には置かないでほしいという運動があったら、賛成すべきだろうか。冗談ではない。
一方、帰国運動を推進する側の宣伝本として出された寺尾五郎さんの『38度線の北』 (昭和34年7月)、 『朝鮮 その北と南』 (昭和36年12月) (いずれも新日本出版社)を嘘本だと、当時の韓国側の団体は国内で批判もしていたが、そういう側の主張を受けて、一般書店で寺尾五郎さんの本を置かないなんてことがあったら…。それもまたおかしい。どちらの本も書店に置かれて、手にして読む自由があってしかるべきだろう。
北朝鮮側は、関さんの本にあわてたのだろうが、昭和38年10月に『祖国に帰って』 (外国文出版社・平壌総合印刷工場)という宣伝本を出している。帰国した人たち(21人)の手記という体裁で、「金日成首相の表彰状をいただいた」とか嬉しそうにみな綴っている。これが本当だったのか? 実名で書かれているから検証も可能だと思うが…。
80年代に出た、在日の金元祚氏の『凍土の共和国 北朝鮮幻滅紀行』(亜紀書房)にしても、週刊朝日が好意的に紹介したら朝鮮総連などが朝日に抗議した。その手法はいささか暴力的でもあった。
その経緯は、元週刊朝日編集長の川村二郎さんの『学はあってもバカはバカ』 (ワック)でも触れていた。また、同じく元朝日記者の前川惠司氏も自著『夢見た祖国は地獄だった』 (高木書房)で以下のように詳述されている。
「この号が発行されるや、週刊朝日編集部の十本以上ある電話は、朝から『事実無根だ。抗議する。俺は在日同胞だ。記事を取り消せ』との電話が切っても切ってもかかり続け、朝日新聞社の交換台が悲鳴をあげ、部内連絡などのため臨時電話を多数引かざるをえなくなった。
朝日新聞本社前には多数の朝総連メンバーが押しかけ、一般の来訪者の通行に支障が生じた。こうした行動の狙いは第二弾の掲載阻止だった。
本社前で抗議活動を指揮していた知り合いの朝総連幹部に、私は、『立場の違いで受け止め方に差があっても、事実は事実。どんなに業務妨害しても無駄』と伝えた」「『言いがかりをつけて、軒先でいつまでも騒ぎまくり、制止を無視するあなた方に警備員が反感をもつのは致し方ないことです。あなた方は民族団体でありながら、在日朝鮮人に対する反感を生み出しかねない行動を平気で同胞に指示しているのか』と反論し、編集部に届いていた三百通以上の抗議葉書の束を総連幹部に見せ、『葉書の消印は全部、朝鮮大学校がある郵便局のものです。ここにしか、在日朝鮮人は暮らしていないのですか』」
と問うたりもしたそうな。
朝鮮総連としては、「味方」のはずの朝日から批判を受けて焦っていたのだろう。前川氏も、入社して、まもないころに労働組合の席で、韓国旅行の体験から、韓国を不正の暗黒国家のように見るのは単眼すぎると話したところ、周囲に「冷やかな空気」が流れたとのこと。
朝日社内には、北朝鮮天国論者が多々いたようだ(いまも?)。
この週刊朝日の「勇み足」を帳消しするために、朝日社内の北朝鮮支持勢力(主流派)は、あわてて善後策を協議したのではないか。その穴埋めをするためには、北朝鮮礼賛記事を掲載しなくてはいけないとのことで……。
週刊朝日の報道のあと、1984年6月6日夕刊の朝日紙面。北朝鮮ヨイショ記者として知られる(?)岩垂弘記者の「『金正日時代』へ着々」という記事が出た。
金日成→金正日といった世襲をかばうためのヨイショ記事。
「社会主義国の農業はおしなべて不振だが、その中にあって北朝鮮は農業がうまくいっている国、というのがわが国の北朝鮮研究者の一般的な見方」とヨイショ。
さらに1985年5月14日から連載された岩垂氏の北朝鮮訪問記事でも、さりげなく北朝鮮擁護…。このように、1980年半ばになっても、朝日新聞主流派の懸命な北朝鮮擁護報道があったから、北朝鮮に対して悪いイメージをもつ日本人は少数派だったといえよう。
関さんの長女(呉文子氏)の『パンソリに想い秘めるとき--ある在日家族のあゆみ』 (学生社)という本や、呉氏の夫の李氏の『海峡~ある在日史学者の半生』 (青丘文化社) などもひもとくと、関さんのそうした家族でさえ、北朝鮮への幻想を抱き、父親の行為(北朝鮮批判)を理解しねる状態だったことが分かる(最後には、父親の言っていたことが正しかったと悟るのだが)。でも、こういう本を出す自由や読む自由がもし日本になかったら大変なことになる。
ともあれ、『凍土の共和国』に対しても、そんな妨害工作もあって大衆レベルで北朝鮮を正しく認識しない状態が続いたものの、永江氏も少し触れていたが、拉致問題が完全に北朝鮮による犯行だと判明し、北朝鮮批判本(これもヘイト本なのかな?)がたくさんでるようになったことによって、一般国民の北朝鮮認識はマシになっていったといえよう。
いまなら、「北朝鮮でちょっといい仕事があるんで来ない?」なんて欧州で誘われてもホイホイとついていく日本の若者はいないのでは?
脱北者などの証言本もあれば、亡命者の本も出た。永江さんのような理屈を拡大していくと、こういう本も「ヘイト本」だとして俎上にのせられかねない。
寺尾五郎さんの本などがかつては真実を伝えると思い、萩原遼さんのような人でさえ、反共出版社の全貌社から出ている関さんの本など見向きもしなかったが、後にそれは誤りで、関さんの本のほうが正しかったと悔悟している。
永江さんがヘイト本と貶めるような本にも、多くの耳を傾けるべき事実が書かれているということもありうると考えれば(逆にパヨク本にもいろいろと意味ある内容もあるかもしれない)、一冊の本に対して、具体的な引用分析もないままレッテル貼りをして、書店になるべく置かせないようにするのは賢明とはいえまい。
寺尾五郎の本に関しては、稲垣武さんの『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』 (文春文庫・PHP研究所)で、具体的に引用分析批判されているのでそれを参照されたし。日共系の新日本出版社もこの本を出した時、編集者の名前を明記しておけば良かったのになぁ?)。
ネット空間、ユーチューバーなどでは、これは「ヘイト」だと「密告」して、言論空間を閉鎖的な方向に追い込もうとする「勢力」があるようだ。これも要注意だろう。こういう人たちは「ネトサヨ」なのか?
トランプ批判本もあれば、習近平批判本も、文在寅批判本も、安倍晋三批判本もある。民族的な資質に関して、韓国人には●●が多いとか、日本人には●●が多いとか、そういう分析も可能だろう。いろんな本があって、より説得力のある本が生き残るのではないか。寺尾五郎の本とて、当時の朝鮮認識を調べる上で貴重な本。焚書にしてはいけない。
特定イデオロギーに基づく「選別」は許してはならない。
感情的な「反日ヘイト本」だってあるだろう。でも、「批判」的分析を「ヘイト」とレッテル貼りをするのは許されない。
だが、吉田清治のような本(『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』 三一書房)、 『朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記』新人物往来社)にあふれていた反日虚言、反日ヘイト記述は問題ではあろうが、それでも書店から完全追放したり焚書にするのはおかしい。
以前、新宿御苑というか四丁目だったか、そこにある韓国政府関連施設前で「反韓デモ」をしているのを見たことがある。結構な人出。警官も多数警備していた。それは、いわゆる「反韓ヘイト団体」によるものだったと思うが、その主張以前に、拡声器による「音量」、絶叫に辟易とした。
騒音防止条例などがどういうものか具体的に把握していないが、公道でのデモに関しては、その主義主張以前に、「騒音」の音量、迷惑行為の次元から一定の制限を設けて「規制」すれば十分ではないか。
「安倍に言いたい、お前は人間じゃない。たたっ斬ってやる!」と公衆の前で吠えた大学教授もいた。安倍さんは権力側の政治家だから、これはヘイトにならない?
いやいや、
「在日朝鮮人に言いたい。お前たちは人間じゃない。たたっ斬ってやる!」と吠えたら、ちょっと不気味でヘイトになるのではないか? もしも、個人名をそこに入れたら…。
「自衛隊員に言いたい。お前たちは人間じゃない。人殺し集団だ。たたっ斬ってやる!」と吠えたら……。
実際、自衛隊員の子供に、「お前の親は人を殺す仕事をしている」という趣旨の「ヘイト」スピーチをする教員もいたそうな。以下実例報告。
産経新聞の大野敏明記者は、子供時代、こんな体験をしていたという(1996年2月2日産経夕刊掲載。一部略)。
私の父は自衛官だった。小学生も安保反対デモのまねをしていた60年安保騒動の翌年、小学校の4年生だった私は社会科の授業中、担任の女性教師から「大野君のお父さんは自衛官です。自衛隊は人を殺すのが仕事です。しかも憲法違反の集団です。みんな、大きくなっても大野君のお父さんのようにならないようにしましょう。先生たちは自衛隊や安保をなくすために闘っているのです」と言われたことがある。
聞いていた私は脳天をハンマーで殴られたようなショックを受けた。その担任は日教組の組合員として積極的に組合活動をしていたらしいが、それまでは私に対して差別するような特別な態度はなく、他の生徒と同じように接してくれていると思っていたからである。
それ以来、同級生の態度が変わった。給食の時間は机を集めてテーブルクロスをかけ、みなで一緒に食べていたのが、私ひとりだけのけ者になった。教室の隅でひとりで食事した。朝、学校に行くと上履きがなくなっていた。運動場から帰って来ると、ランドセルの中身がほうり出されていたこともあった。下校途中、石を投げられてけがをしたこともある。
そのうち、学校に行くのがいやになり、半月ほど登校拒否をした。その時、私はまだ10歳になっていなかった。担任はあわてて自宅にやって来た。結局、親に説得されて学校に通い始めた。目に見えるいやがらせはなくなったが、同級生の視線は冷たく、以前のような仲の良い関係ではなくなっていた。
中学校の時、の筋金入りの日教組教師が、授業中に安保反対、米原子力潜水艦日本寄港反対と演説ばかりで、授業をまともにしなかったため、抗議した。すると「お前は反動だ。先生の言うことが聞けないのか。態度が悪い」とののしられた。
校長に直訴したが、「そんなことは考えなくていい。いまはいい高校に入るために勉強だけすればいい」と取り合ってもらえなかった。
私の通った小、中学校は東京都下にあったが、都立の全寮制高校に進学して驚いた。そこには全都から生徒が集まっていたが、転勤族である自衛官の子弟が多数、在籍しており、その多くが私と似たような経験を小、中学校で味わったというのだ。
▽…▽…▽
小学校で教師が「自衛官は人殺し。鉄砲もって喜んでいる」といったため、「人殺しの子供」とののしられた経験をもつ者もいた。何人かは中学校で日教組の教師とやり合い、内申書の評価を下げられるという苦汁をなめさせられたという。
それまでは自分だけが特殊な経験をしたのかと思っていたが、決してそうではなく、少なくとも東京では自衛官の子弟は大なり小なり、日教組の教師から心ない仕打ちにあっていたということになる。
自衛官の子弟である高校の同級生のなかには親の職業を言いたがらない者もいた。
恨(うら)み節を書きたいわけではない。逆説的に言えば、こうした経験の結果、憲法、安保、自衛隊などについて考えるようになったともいえる。文字通り“反面教師”ということかも知れない。
東京都立川市では自衛官の住民登録を受け付けなかったことがあった。住民登録が受け付けてもらえなければ、子供たちは学校に行くことすらできない。自衛官が夜間の大学に入学しようとしたところ、拒否されたケースもある。こうした行為は職業による差別で、基本的人権の侵害以外のなにものでもない。まさに憲法違反と言わなくてはならない。
---------------------------
まぁ、「言う」だけなら、ぎりぎりの範囲まで逮捕されないということにはなろう(さらなる脅迫ともなると別)。でも、学校内でもこんな差別・ヘイト発言は言論の自由とは別次元となろう。こんなことで、もし、自衛隊員の子供が自殺したら…。
永江さんが好意的に紹介している小田実さんも、北朝鮮等々に関しては、「迷著」(『私と朝鮮』 筑摩書房、 『北朝鮮のひとびと』 潮出版社)を出していた。この本の内容は「なんぼなんでもひどすぎる」ものがあったと思う。その具体的根拠は、稲垣さんの先の本で、きちんと「引用紹介批判指摘」されているので参照されたし。
永江氏は、最後にこう指摘している。
「ヘイト本問題を難しくしているのは、ヘイト本というものの特性にあります。ヘイト本の多くは具体的な個人の人権を侵害しているわけではありません。一部の、”在日特権”という虚構を根拠に在日外国人の排除を主張するような本は人権侵害といえますが、多くは韓国政府や中国政府の政策への批判という形をとっています」
えぇ? じゃ、左派系の人の主張する「ヘイト本」には何の批判されるべき問題はないということになるではないか。
ところが、永江さんはこのあと、いささか針小棒大な方向に論点をずらしていくのだ。
「しかし現実にはそれが差別と偏見を煽り、日本国内で暮らす韓国や中国にルーツをもつ人を、傷つけ、苦しめることにつながっています」
「ヘイト本というのは、ヘイトスピーチやヘイトクライムの着火剤であり燃料みたいなものだと思います。ヘイトスピーチが『差別を煽動する表現』ならば、そのヘイトスピーチを煽動する表現であるようなところがあります。
たしかに一部の”在特会本”を除くと、ヘイト本そのものがマイノリティの人びとへの攻撃を指示しているわけではありません。『在日韓国・朝鮮人を叩きのめせ」『在日中国人を追い出せ』と、ストレートに書いている本はありません」
「だけど、国家と政府と国民と民族を意図的にか、あるいは無意識的にか、混同するように書くことによって、『北朝鮮政府のやり方は間違っている/韓国政府の対日政策はおかしい=在日コリアンは敵だ、追い出せ』という雰囲気を醸成しています。朝鮮半島や中国にルーツをもつ人びと(かならずしも『外国人』とは限りません)に対して憎悪を向けるように焚きつけている」
「憎悪してもいいんだ」「攻撃してもいいんだ」というメッセージを発しています。トランプのツイートとちょっと似ているところがあります。だからヘイトスピーチとヘイト本は無関係ではありません。ヘイト本の多くは、直接的には人権を侵害していなくても、人権侵害に加担しているのではありませんか?」
以上の引用は、235頁の12行目から236頁の最後のところまでの全文である(改行を増やしている)。
「ヘイト本の多くは、直接的には人権を侵害していな」いと認識していながらも、 「人権侵害に加担している」とほぼ決めつける屁理屈には唖然とするしかない。
しかも、こういう風に「ヘイト本」と書いているということは、なんのことはない、韓国政権や習近平、金正恩批判を展開する本はみな「ヘイト本」だと思っているのだろう。
民族差別的な筆致をしているわけでもなく、徴用工問題や慰安婦問題など、またウイグルチベット問題などを取り上げての批判書が「人権侵害に加担している」「在日コリアンは敵だ、追い出せ』という雰囲気を醸成しています」と言われては、名誉棄損ものだろう。
それこそ、先の日教組関係教員による自衛隊差別、その子弟差別助長発言こそが「ヘイト」の最たるものだろう。書籍に対してではなく、民主的な学校運営を蔑ろにするこういうヘイトスピーチを教員が教室内部で生徒にしていた「事実」こそ、より多く知られるべきだ。いまも行われているかもしれないのだから。
もちろん右派系教師が私立学校にいて、「●●君のお父さんは自治労所属の公務員です。公務員は親方日の丸で、失業しないので、遊んでばかりです。みんな大きくなっても公務員にならないようにしましょう」とスピーチしたら、それはいけまんせよね!
それにしても本書の結論部分を読んで唖然呆然とするしかあるまい。
「ヘイト本の多くは、直接的には人権を侵害していなくても、人権侵害に加担しているのではありませんか?」
「直接的に人権を侵害していな」いのなら、その時点でノープロブレムではないか。間接的に「人権侵害に加担している」と言いたいのだろうが、「間接的に」に関して、著者や出版社や書店に責任を問うのはおかしい。


