赤道直下のケニア共和国。首都ナイロビから遠く離れ、野生動物が群れをなすサバンナの真ん中にある小さな村が、私の嫁ぎ先です。夫は推定30歳、7頭のライオンと象を仕留めた勇猛果敢な本物の戦士。シャワーもトイレも、電気すらもない。でも、どこか温かいマサイ村での、暮らしぶりは…。
抜粋
はじめに
赤道直下のアフリカ東海岸に位置するケニア共和国。日本からは、乗り継ぎの
いい飛行機に乗っても丸一日かかる遠い国で暮らし始めてから、早一〇年の
月日が過ぎようとしています。
この一〇年、実にいろんなことがありました。恋もし、結婚もし、離婚もしま
した。そして現在、私はケニアの中でも伝統的な生活を営むマサイの戦士の第二
夫人に迎えられ、首都ナイロビと、夫ジャクソン(推定三〇歳)の住むケニア西
部の小さな村エナイボルクルムを行き来しながら、世界中を駆け回る添乗員の仕
事を続けています。
日本人としても、ケニア人としても、マサイの嫁としても、そんな非日常的な
生活が日常になっているなんて、考えてみれば不思議な話です。ですが、それ
が私にとって一番自然なスタイルであるのは確かです。
おかげで仕事も結婚生活も充実し、今までの人生の中で一番ストレスのない、
自分に合った生活を送っています。こんな形での結婚を認めてくれたマサイ
の家族には、本当に感謝せずにはいられません。
初めて旅行者としてケニアを訪れた時は、まさか日本からこんなに離れたこの
土地に、これほど長く住むことになるとは夢にも思っていませんでした。一
般の旅行者と同じく、サファリツアーに参加し、アフリカの大自然に感動し、
「素敵な国だった」と、それで満足できるはずでした。
それが、気が付けば何度もケニアに足を運ぶようになり、滞在期間も次第に長
くなっていったのです。
添乗員という仕事柄、いろんな国に行っているはずなのに、なぜケニアだった
のか。もっと他に住みたいところはなかったのか。いろんな人から「なぜケニア
だったの?」と聞かれますが、その理由は、実のところよく分かりません。
あえてケニアに惹かれた魅力をひとつ挙げるとすれば、それは過ごしやすい気
候でしょうか。
ケニアのことを知らない知人や友人から、よく「暑くて大変でしょう?」と聞
かれますが、私が拠点としている首都のナイロビは標高約一七〇〇メートルの
高地に位置しています。そのため、赤道近くであるにもかかわらず年間の平均気
温は一八度前後。日本の春や秋のようなさわやかな気候で、どんなに暑い日でも
三〇度を超えることはまずありません。そのため、暑さに弱い私にとって非常に
暮らしやすい場所となっているのです。
しかも湿気の多い日本の夏とは違い、日差しがきつくてもカラッとしている。
吹き抜ける風も心地よく、不快指数なんてほとんどゼロです。それがケニアを好
きになった最大の理由かも知れません。と言っても、それだけの理由で私がケニ
アに住み着いたとは誰も信じてくれないし、納得してくれませんが......。
さらに、夫の住むケニア西部の高原にあるマサイ・マラ国立保護区は年間を通
して雨が少なく、野生動物が生き生きと暮らすサバンナ地帯でもあります。マサ
イの人々と野生動物が共生する稀有な場所と言ってもいいでしょう。そんな大
自然に魅せられ、何度となく訪れる人も少なくありません。
かく言う私自身、当初はそんなアフリカに魅せられたひとりでした。
ただ、足繁く通えば通うほど、滞在期間も長くなればなるほど、ケニアの良い
ところ、悪いところが見えてきます。心躍る出会いや出来事も多かったのです
が、嫌な思いをすることもたくさん増えてきました。
ケニアの裏と表を知ってしまった現在、私にとってケニアは大好きな国である
と同時に、大嫌いな国でもあります。それでもケニアを離れられないのは、やは
りケニアに特別な吸引力があるからでしょう。今では結婚したこともあり、私に
とってケニアは他人事ではない国、自分の国と同じように切っても切れない縁の
ある国となっています。
では、なぜ日本人でありながらマサイと結婚することになったのか。しかも第
一夫人ではなく、第二夫人です。
結婚を決めた時、多くの人が驚き、質問攻めにもたくさんあいました。中で
も、ケニア人からは「教育を受けたマサイならともかく、本物のマサイの戦士と
結婚するなんて信じられない。クレイジーだ」と、ことごとく反対されました。
それほど、私たちとマサイの生活は違うし、恋人はもちろん、夫婦になるなんて
考えられないことだったのです。
もちろん、私もケニアでの生活は長かっただけに、マサイの伝統文化や生活習
慣をそれなりに理解はしていました。一夫多妻制についても偏見こそありません
でしたが、自分には全く関係ないことだと思っていました。だからこそ、ひと目
会った時から夫に惹かれはしたものの、恋愛対象としては見られなかったし、ま
してや結婚するとは思ってもみませんでした。
さらに結婚を考える上で大きなハードルだったのは仕事との両立でした。添乗
員の仕事は私にとっての生きがいであるだけに、結婚のために仕事を辞めようと
は、今まで一度だって考えたことはありません。伝統に生きるマサイとともにこ
れからの人生を歩むなら、どう考えても結婚生活は難しいでしょう。
そんな私がなぜ伝統を重んじるマサイの第二夫人になったのか。しかもなぜ仕
事が続けられるのか。何よりも、一度は嫌いになって離れたケニアになぜ舞い戻
り、ケニアに一生関わっていく覚悟を決めたのか。そのお話をこれからしていき
たいと思います。
著者について
永松真紀(ながまつ・まき)
1967年福岡県北九州市生まれ。多くのリピーターを
抱えるプロ添乗員。96年より本格的にケニアに移住
し、2005年4月、本物のマサイ戦士であるジャクソン
さんと結婚、第二夫人となる。最近は、より深くア
フリカを知るためのスタディツアーにも力を入れて
いる。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
永松/真紀
1967年福岡県北九州市生まれ。多くのリピーターを抱えるプロ添乗員。96年より本格的にケニアに移住し、2005年4月、本物のマサイ戦士であるジャクソンさんと結婚、第二夫人となる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)