『ティール組織』や『U理論』、さらには少し遡った『7つの習慣』といったアメリカの最近の組織・経営論を読んでいると、その中核には、非常に東洋的・仏教的なものの見方が潜んでいることが窺がわれる。また今日ではより直接的に、マインドフルネス瞑想といった形のものがGoogle、Facebookをはじめとする多くの企業で採り入れられる傾向にあるが、本書『禅マインド ビギナーズ・マインド』は、米国におけるこうした「禅」への関心の大きな流れを生み出した、いわば「源流」といっていいだろう。
著者の鈴木俊隆(1905-1971)は、日本ではあまり知られていないが、欧米では、鈴木大拙と並んで「2人の鈴木」と呼ばれる著名な禅僧。1959年、55歳でアメリカに渡り、サンフランシスコ近郊で禅の普及に生涯を尽くした。本書は、その鈴木俊隆の法話集。1970年の出版以来24か国以上で翻訳された仏教書の世界的ベストセラーであり、あのスティーブ・ジョブズが青春時代にむさぼり読んだ本としても知られている。
『ティール組織』をはじめとする、組織を「機械」的にではなく「生命」的に捉える組織・経営論の核心的な部分には、「私たちの組織は、いったい何のために存在しているのか?」という「存在」に対する問いかけがある。たとえばこんな具体だ。「人間は組織の進化への目的に調和できます。しかし重要なことは、自分と他人と自分の属する組織をきちんと分けて、『この組織の使命は何か?』を見極めることです。それは、『私たちはこの組織を資産としてどう活用したいのか?』ではなく、『この組織は何のために生を受けているのか? この生命体の創造的な可能性は何か?』ということです」(『ティール組織』)。
こうした「存在」に対する根源的な問いかけ、さらにはそれを、自らを取り巻くすべてのものとの「つながり」として捉えていこうとする発想は、まさに仏教的であり、鈴木俊隆が60年前に、アメリカ人に何とか伝えたいと念願した「禅マインド」に他ならない。
本書『禅マインド ビギナーズ・マインド』は、「初めての人の心<ビギナーズ・マインド>」をそのまま保つことが大切であり、坐禅はそのための修行であることを説くもの。「初心忘るべからず」という教えは、日本人であれば誰もが肌感覚として理解できるものだが、1960年代のアメリカ人にとっては、まさに衝撃的な発想との遭遇だったという。スティーブ・ジョブズもその一人だ。
鈴木俊隆は明治38年、神奈川県平塚市の曹洞宗松岩寺に生まれ、永平寺や總持寺で修行を積んだ後にアメリカに渡った。ゆえに本書は、道元禅師の仏教理解をベースとしているが、日本人にとっても極めて難解といわれるその教えを、とても分かりやすく解いてくれる。アメリカ人の日常生活を題材とした比喩を用いながら、ユーモアを交え、易しく語り掛けてくれる。
この分かりやすさは、鈴木の、「禅マインド」をアメリカ人に何とか伝えたいとの一途な想いが生み出したものに違いないが、その格闘の跡がここに、私たち日本人にとってもとても貴重な禅の解説書として遺されていることに感謝を捧げたい。
道元は、ブッダの教え、すなわち仏教の正統な教えを受け継いでいるとの自信と信念を持っていたといわれるが、鈴木もまたこの姿勢を徹頭徹尾貫いていて、次のように言う。
▶本来仏教とは、特定の教えではありません。仏教とは絶対の真理のことです。そこには、さまざまな真理が含まれています。坐禅の修行とは、生命のさまざまな働きが含まれている修行なのです。
▶道元は自分のことを、曹洞宗の師とか、曹洞宗の弟子であるとは呼びませんでした。「ほかの人は私たちを曹洞宗と呼ぶかもしれないが、私たちは自分をそう呼ばない。曹洞という名も使うべきではない」。…実際、私たちは曹洞宗ではありません。私たちはみな仏教徒です。私たちは、禅の仏教徒でもありません。ただの仏教徒です。
▶宗教というのは、特定の教えのことではありません。宗教はいたるところにあるのです。…特別の教えというのは、あるべきではありません。教えとは、今、ここ、一瞬一瞬の、すべての存在の中にあります。それが真の教えです。
道元の、そして鈴木俊隆のこうした「無宗教」的姿勢が、今日のアメリカの組織・経営論へと繋がる大きな流れを生み出す最大の要因となったのではなかろうか。この流れが、さらなる大河となって広がることを願いたい。
禅マインド ビギナーズ・マインド (サンガ新書) (日本語) 新書 – 2012/6/20
鈴木俊隆
(著)
著者の作品一覧、著者略歴や口コミなどをご覧いただけます
この著者の 検索結果 を表示
あなたは著者ですか?
著者セントラルはこちら
|
-
本の長さ308ページ
-
言語日本語
-
出版社サンガ
-
発売日2012/6/20
-
ISBN-104905425166
-
ISBN-13978-4905425168
よく一緒に購入されている商品
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
- 食えなんだら食うな単行本
- はじめての⼤拙――鈴⽊⼤拙 ⾃然のままに⽣きていく⼀〇⼋の言葉単行本(ソフトカバー)
- NHKこころの時代~宗教・人生~ 禅の知恵に学ぶ (NHKシリーズ)ムック
- [禅的]持たない生き方単行本(ソフトカバー)
- 対訳 禅と日本文化 - Zen and Japanese Culture単行本
- 仕事がはかどる 禅習慣単行本(ソフトカバー)
Kindle 端末は必要ありません。無料 Kindle アプリのいずれかをダウンロードすると、スマートフォン、タブレットPCで Kindle 本をお読みいただけます。
Kindle化リクエスト
このタイトルのKindle化をご希望の場合、こちらをクリックしてください。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
このタイトルのKindle化をご希望の場合、こちらをクリックしてください。
Kindle をお持ちでない場合、こちらから購入いただけます。 Kindle 無料アプリのダウンロードはこちら。
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
欧米では禅に「二人の鈴木」がいるといわれる。一人は鈴木大拙、そして、もう一人は鈴木俊隆。二〇世紀初頭、鈴木大拙により欧米に紹介された禅は、一九六〇年代以降のカウンター・カルチャーの只中で、鈴木俊隆により、多くの若者たちに影響を与えながら、実践的な坐禅となった。本書は、初めて禅の修行に触れ、坐禅を組むアメリカ人に向けて、誰にもわかる平易な表現で、禅の神髄、悟りの世界を語った、俊隆の法話集である。アメリカに渡った禅を語るとき、本書をなくしてなにも語ることはできない。一九七〇年の出版から現在に至るまで、世界二四カ国以上で翻訳され、支持されている。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
鈴木/俊隆
1904年生まれ、1971年逝去。神奈川県平塚市の曹洞宗松岩寺に生まれる。12歳で静岡県周智郡森町の蔵雲院の玉潤祖温老師に弟子入り、駒沢大学在学中に蔵雲院住職、1936年に静岡県焼津市の林叟院の住職となる。1959年渡米し、サンフランシスコ桑港寺住職となる。1962年サンフランシスコ禅センターを設立。1967年カリフォルニア州タサハラにアジア以外では最初の禅院である禅心寺を開く。1971年に68歳で禅センターにて逝去。渡米12年の間にアメリカにおける禅の基礎を築いた。欧米では20世紀を代表する精神的指導者の一人とされる
松永/太郎
1949年、東京生まれ。1972年、アメリカ留学。2010年逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1904年生まれ、1971年逝去。神奈川県平塚市の曹洞宗松岩寺に生まれる。12歳で静岡県周智郡森町の蔵雲院の玉潤祖温老師に弟子入り、駒沢大学在学中に蔵雲院住職、1936年に静岡県焼津市の林叟院の住職となる。1959年渡米し、サンフランシスコ桑港寺住職となる。1962年サンフランシスコ禅センターを設立。1967年カリフォルニア州タサハラにアジア以外では最初の禅院である禅心寺を開く。1971年に68歳で禅センターにて逝去。渡米12年の間にアメリカにおける禅の基礎を築いた。欧米では20世紀を代表する精神的指導者の一人とされる
松永/太郎
1949年、東京生まれ。1972年、アメリカ留学。2010年逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
この商品を買った人はこんな商品も買っています
ページ: 1 / 1 最初に戻るページ: 1 / 1
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.3
星5つ中の4.3
67 件のグローバル評価
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2018年9月13日に日本でレビュー済み
違反を報告
Amazonで購入
42人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2018年2月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は最初から最後までのページを全部使って、一つのことを違う言い方で繰り返し説明しています。一つのことというのは、仏性・空・宇宙・大いなる心・自分の本性など色々な表現で言われていることです。これらは「今ここにあることが全てである」ということを意味していますが、これを理解していれば、問題や悩みは自分の頭の中で作り出された妄想に過ぎない、とこの本では言っています。
この本の文章の書き方は独特なので、最初は分かりづらいと思いますが、最後まで読めば分かるようになると思います。
また、この本では空(くう)などの専門用語が出てきますが、それについてはあまり解説されていないので、ネットか何かで「色即是空」の意味を調べておくと、内容が理解しやすいかと思います。
この本の文章の書き方は独特なので、最初は分かりづらいと思いますが、最後まで読めば分かるようになると思います。
また、この本では空(くう)などの専門用語が出てきますが、それについてはあまり解説されていないので、ネットか何かで「色即是空」の意味を調べておくと、内容が理解しやすいかと思います。
2017年8月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「禅に関して、英語圏では、これだけ親しまれた本も少ない、といわれています」。本書は、鈴木俊隆禅師が米国において英語で行った法話を編集出版したもので、今日ようやく和訳なったものである。禅を英語で?という初めの違和感は読めばすぐに消える。むしろ外国人に対して話し、外国人が編集したことで、現代の日本人に解りやすく仕上がっている。私は空手を高名な英国人師範から教わったことがあるのだが、禅もそのような時代が来ているのかもしれない。
禅である以上、座禅をせねば始まらないが、本書は生きるヒント、心を豊かにする言葉に満ちている。「私たちがすベきことは、そのとき、そのとき、すべきことをするだけなのです……今、この瞬間に生きるべきなのです」「心が、その外側に対して、なにも期待しないとき、それはいつも満たされています」「心の波を気にかける必要はありません……やがては、あなたの修行を豊かにするものだからです」「知識を集めるかわりに、自分の心をきれいにするのです。こころがきれいで透明であれば、・・・それを受け入れることができます」「苦しみの中に喜びを見出すことが、無常という真理を受け入れる道です」。このような師の謦咳に接することができた人々はなんと幸せであろう。
最後に余談であるが、実は私は長年陽明学に親しんできた。宋学は仏教であるとか、陽明学は禅であるということを聞いてはいたが、本書を読んでようやく合点した。ここまで大胆に剽窃していたとは正直驚愕した。文化というものは互いに影響し合い、高め合っていくもので、一概にパクりと言うのは当たらないし、陽明学も充分に独自性をもっているのだが、宋学では「異端弁別」として外来思想である仏教を素直に評価せずに排撃する。支那人の今日につながる心の狭い病を考えさせられた。
禅である以上、座禅をせねば始まらないが、本書は生きるヒント、心を豊かにする言葉に満ちている。「私たちがすベきことは、そのとき、そのとき、すべきことをするだけなのです……今、この瞬間に生きるべきなのです」「心が、その外側に対して、なにも期待しないとき、それはいつも満たされています」「心の波を気にかける必要はありません……やがては、あなたの修行を豊かにするものだからです」「知識を集めるかわりに、自分の心をきれいにするのです。こころがきれいで透明であれば、・・・それを受け入れることができます」「苦しみの中に喜びを見出すことが、無常という真理を受け入れる道です」。このような師の謦咳に接することができた人々はなんと幸せであろう。
最後に余談であるが、実は私は長年陽明学に親しんできた。宋学は仏教であるとか、陽明学は禅であるということを聞いてはいたが、本書を読んでようやく合点した。ここまで大胆に剽窃していたとは正直驚愕した。文化というものは互いに影響し合い、高め合っていくもので、一概にパクりと言うのは当たらないし、陽明学も充分に独自性をもっているのだが、宋学では「異端弁別」として外来思想である仏教を素直に評価せずに排撃する。支那人の今日につながる心の狭い病を考えさせられた。