霊媒である著者が、高級霊を通して神霊から降ろされた、禊(みそぎ)という霊的修行法の解説書である。
本書の著者によれば、人間はこの世においては、肉体と幽体という二つの身体が重なった状態で生きているが、肉体が死を迎えて霊的な世界へと向かうと、そこでは幽体という霊的身体で生活するのだそうだ。
この幽体で生活する世界のことを幽質界と呼ぶらしいが、そこはある基準に基づく階層世界になっているようで、地獄のように辛い下層世界もあれば、幸せに生活できる上層世界もあるそうだ。また、その上にはもっと高級な世界も存在するらしい。
そこで問題になるのは、その幽質界での行先を決める基準になるわけだが、一般的には、この世でどれだけ善行に励んだかとか、愛の深い人生を送ったかとか、最近では心の波長や人格の高さによると言われたりする。
しかし、本書の著者によれば、そのような基準によって、私たちの死後の行先が決まるわけではないようなのである。
私たちの行先を決めるのは、肉体の死後の身体である幽体の健康の度合い、成長の度合いなのだそうだ。
この世で善行や愛行に励んでも、その善や愛が霊的世界の価値基準と合致したものとは限らないし、心の波長が上がって人格が高まっても、それが肉体に付随する意識であれば、死後の世界では通用しないらしい。
つまり、この世でいくら善人として生きても、人格者になっても、それだけで幽体の健康状態が良くなったり、幽体が成長する、すなわち霊的に向上するというわけではないようなのである。
そして、幽体の健康状態が悪かったり、幽体の成長が不十分だと、幽体が健康で強い幽体オーラを放つ霊魂が生活する上層の幽質界には入れず、幽体が不健康でその活力の弱い霊魂が生活する下層世界へ入ってしまうようだ。
これらのことは、今まで、様々な宗教等で述べられてきたことと違うので、理解が難しく、私は、納得するのに、ずいぶんと長い時間がかかった。
しかし、気付いてみれば、意外と単純なことであった。
この世においても、いくら善行・愛行を実践したり、心の波長を高めても、それだけでは肉体の健康が維持できるわけではない。肉体の健康を維持するには、適切な栄養摂取と適度な運動が必要なのである。
それと全く同じことが幽体にも言えるわけで、幽体の健康を増進し、その活力を高めていくためには、幽体にとっての栄養摂取と運動に当たることの実践が必要なのであった。
そして、それこそが神伝禊法なのであった。
禊とは、幽体の健康状態を悪化させたり、その活力を低下させている汚れを祓い、幽体を健康にして、その活力を高めることらしい。それによって、私たちは、死後の幽質界で下の方の辛い世界へ落ちることなく、幸せな世界へ赴くことができるようになるし、この世にある間も、悪霊・邪霊に干渉されることなく、霊的に健全な生活を送ることができるということだと思う。
神伝禊法は、現代のように霊的環境が悪化した時代において、私たち人類に真の意味での救いをもたらす唯一の方法だと言っても過言ではなかろう。
現在は、本書の著者によって、数日間の合宿形式で指導がなされているとのことだが、常時、行われているというわけではないようである。
この人類史上、類を見ない神伝禊法が、希望すればいつでも指導して頂ける時代が来れば、そして、世界中の人々が行う時代が来れば、人類の未来は明るいと私は思う。その希望を胸に生きていきたい。
尚、本書には、神伝禊法で実際に行う動作などの説明はされていない。
その理由も本書に詳しいが、神霊から降ろされた神伝禊法を行うには、正式な指導者の指導の下、高級指導霊との契約が不可欠らしい。それによって、禊を行う時に、高級指導霊との接点が生まれ、はじめて禊が成立するのだそうだ。
つまり、書籍を読んで、そこに書かれた禊を形だけ行っても、そこには契約に基づいた高級指導霊との接点はなく、行う意味は全くないそうだ。
本書はあくまで、神伝禊法の意義、価値、その本質を学ぶためのものだと思う。
たとえば、習い事で楽器の演奏を学ぶ時でさえ、いくら書籍から演奏法を読み取っても、実際の音が出るようになるわけではない。あくまでも、指導者の下に入門して、弟子として指導を受ける必要がある。
ましてや、神霊から降ろされた禊法である。入門して最高の礼をもって教えを乞うのが当然だと思う。
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