『バガヴァッド・ギーター』は、ヒンドゥー教の代表的な聖典です。戦場で同族を殺すことをためらう戦士アルジュナに、戦士としての戦いに専念するようにクリシュナが説得するという、結構奇抜な内容です。さらに、ヒンドゥー教の聖典というだけあって、私たち日本の現代人には親しみのわかない術語も頻出します。しかし、偉大なクリシュナが説く現在への集中は、不安や後悔を取り払う素晴らしいアイデアだと思います。
・現在への集中
クリシュナはアルジュナに、戦士として現在するべき戦いに専念することを勧めています。
「君には 定められた義務を行う権利はあるが
行為の結果については どうする権利もない
自分が行為の起因で 自分が行為するとは考えるな
だがまた怠惰におちいってもいけない」(二・四七)。
「アルジュナよ 義務を忠実に行え
そして 成功と失敗を等しいものと見て
あらゆる執着を捨てよ
このような心の平静をヨーガと言うのだ」(二・四八)。
欲望や執着を捨てて現在するべき義務に集中することによって、未来への不安や過去への後悔を振り払うことができます。行為の結果に執着せず、自分の行為をクリシュナに捧げることによって、心の平安を得ることができるのです。(参考文献:片岡啓「生老病死の苦界から」九州大学出版会『生と死の探求』所収、2013年)
・クリシュナの偉大さ
第11章のクリシュナがアルジュナに強大なカーラとしての自分の姿を見せる場面は、圧倒的で心に残ります。
「わたしは"時(カーラ)"である
もろもろの世界の大破壊者である
わたしは人々を滅ぼすために此処に来たのだ
お前ら兄弟を除いて両軍の将兵は全て殺される」(十一・三二)。
「故に立ち上がれ 戦って栄誉を勝ちとれ
敵を征服して王国の繁栄を楽しむがよい
わたしは既に彼らの死を決定したのだ
弓の名手よ ただ"戦う道具"となれ」(十一・三三)。
補註によると、カーラという言葉には、時間だけでなく死や運命という意味もあるそうです。時間や死、運命に対する人間の卑小さを思い知らされます。
インドにおけるカースト制度には問題点もあるのですが、カーストによって定められた義務に集中することによって得られる平安があるというのは、興味深いことです。不思議なことが色々書いてある本だけれども、目に見える結果のためでなく、個人や人類より大きな存在であるクリシュナのために現在なすべきことを全力で行うという考え方は、とても崇高だと思いました。
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