『国家の品格』で知られる藤原正彦さんのご本。『芙蓉の人』の新田二郎さんと『流れる星は生きている』の藤原ていさんのご子息というだけに文章もお上手で、東大卒、アメリカやイギリスでの留学経験もおありの数学者という凄いキャリアの方だけれども、熱くユーモラスな人柄がにじんでおり、内容がありかつ読みやすいエッセイ集になっています。「国語教育絶対論」、「いじわるにもほどがある」、「満州再訪記」の三部構成になっています。国際的な視野から日本の国語教育の重要性を熱く説いたり、藤原家の子育て奮闘記があったり、母・ていさんを連れて満州で過去と体面したりと、幅の広い内容です。
斎藤孝さんが帯に「この人に文部科学省大臣になってほしい」と言葉を寄せて推薦されています。わたしはお二人のように国家の先行きを案ずる立場も学識もないので生意気なだけかもしれませんが、たくさんの国・民族の詩集を読んできたため、自分の国・民族のことばが損得や有用性で論じられるべきものではなく国・民族のアイデンティティに関わる重要なだということは身に染みており、昨今の活字文化衰退には危機感を覚えているので(マンガや映画文化も素晴らしいですが、どうやっても思考そのものは言語-母国語-で行うものですし、初めからイメージを与えられすぎると想像力が育ちませんし、マンガの単純化された「キャラ」概念が現実の人間の複雑な心理や属性に対する把握・理解能力を限定し単純化してしまう弊害もある)、レヴューさせていただきます。
ちなみにわたしは藤原さんのご本は『国家の品格』と本書しか読んでいません。『国家の品格』では、ヨーロッパ全体に対する5~15世紀日本文学の優越性とそれに対する賛辞や(ギリシャやローマ、イタリアなどの演劇や詩歌には素晴らしいものがいくつもあったし、内容的にいえばダンテの『神曲』一作に比肩するものがどれほどあると言えるか。民衆や弱者への視点や牢乎たる信念・信仰、ヒューマニズムという質面から言うなら、ダンテやエラスムス、トマス・モアのそれに日本人の文学がどれほど勝ると言えるかと考えたら、意見は分かれるでしょう。白居易の詩文と法華経をバイブル視しながら、平安貴族が民衆救済の思想の実践を盛んに行ったとは言い難いですし-菅原道真はともかく-、欧米製のヒューマニズムに対してそもそも懐疑的であられるのかもしれないですが・・)、「自分の生まれたくにやふるさとを愛さない奴はぶん殴ります」等やや言い過ぎではないかと思う箇所がいくつかあったけれど(わたしは藤原さんの定義でいくと立派な「非国民」なので信用されないし間違いなくぶん殴られると思う・・・)、グローバリズムに対する反動が起き始めているいま、「自分のくにの伝統・文化」を省みるためにも一読の価値があるエッセイ群だと思います。
また、藤原さんは祖父君に教えられた「強きをくじき、弱きを助ける」という日本の武士道道徳を非常に誇りにしておられます。「勝ち組」「負け組」などという下品なレッテル、キャラ付け、格付けが一時流行りましたが、資本主義自由主義の競争社会のなかで今ではまるで絶滅危惧種のようになってしまったこの黄金の道徳心-苛められている子を庇った高潔な子どもが更に周囲から苛められ、追い詰められて命を絶つという許すべからざるケースさえある時代です-は大人世代が自らの実践を通して教えていかねばならないものであるとわたしも思います。
「<役に立たない>は必ずしも<価値がない>を意味しない、というところに学問は成立している」と著者が書かれていますが、このたびノーベル賞を受賞された大隈博士も話しておられた通り、目先の研究費や評価ではなく「役に立つ」「役に立たない」を長い目でかつ窮屈でない幅の広さで見ること、基礎研究や基礎学問である母国語習得に注力すること、というのが長期的な国力(人材力)増進には必要であり、政府は「国を愛する」というのならもっと教養を重視した視野の広い人材育成、日本文化の教育にお金を出すべきだと思います。将来有利だからと実用性を重視して英語を教えるのは結構ですが、本書で藤原さんが述べている通り、日本の文化もよく知らずに海外に出たり他国人と会話したりしても、仕方がありません。いくら便利でも英語はイギリスの国語であり、わたしたちは日本人です。欧米礼賛主義は政治・文化両面でそろそろ見直すべきではないでしょうか。
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