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知性は死なない 平成の鬱をこえて (文春e-book) Kindle版
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言語日本語
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出版社文藝春秋
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発売日2018/4/6
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ファイルサイズ12130 KB
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
知性は死なない―平成の鬱をこえて
うつ病を克服するまでの闘病記でもあり、平成を振り返る政治学の本でもある。教育についての提言でもあり、哲学書のようでもある。きちんと章立てされながらも混然とした内容の豊かさと、著者が自身をさらけ出すようにして紡いだ言葉の圧倒的な誠実さによって本書は際立っている。
著者は自身の躁とうつの経験を基に、「言語」と「身体」という二極の視点からリベラルの凋落を考察する。また病で自己の能力を失った経験から、弱肉強食の新自由主義ではなく、人々の能力差を認めながら共存するための新しい新自由主義が必要であると説く。「既存の社会に『いかに適応するか』ではなく、『いかに疑うか・変えていくか』という、知性がほんらい持っていたはずの輝きを、とりもどそうではないか」。著者のねがいが本書には満ちている。
評者:石原さくら
(週刊朝日 掲載) --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。内容(「BOOK」データベースより)
平成とはなんだったのか!?崩れていった大学、知識人、リベラル…。次の時代に、再生するためのヒントを探して―いま「知」に関心をもつ人へ、必読の一冊!
--このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
與那覇/潤
1979年生。東京大学教養学部卒業、同大学院総合文化研究科博士課程をへて、2007年から15年まで地方公立大学准教授として教鞭をとる。博士(学術)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
1979年生。東京大学教養学部卒業、同大学院総合文化研究科博士課程をへて、2007年から15年まで地方公立大学准教授として教鞭をとる。博士(学術)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
登録情報
- ASIN : B07BYJ64B9
- 出版社 : 文藝春秋 (2018/4/6)
- 発売日 : 2018/4/6
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 12130 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 256ページ
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 120,287位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)
- - 2,229位エッセー・随筆 (Kindleストア)
- - 3,289位近現代日本のエッセー・随筆
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
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2018年11月8日に日本でレビュー済み
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衒学的ジャーゴン多用のベストセラーの頃より、今の方が全然まとも。闘病記と回復期として人の心を打つ。自分の言葉で語っている。俗流社会学的考察はご愛敬としても、真摯な魂の記録として未だ知られていない双極性障害の方の苦悩と世界を公共性のあるレベルで語れている。病気を通じての成長は結果論ですが、以前よりよほど人間的幅ができたと思います。
23人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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ベスト500レビュアー
冒頭、平成という時代を、平和憲法、自民党単独一党支配、経済成長、日本型雇用慣行、アジア最先進国の誇りが限界を露呈、批判に晒されたことから「戦後日本の長い黄昏」という言葉で表現。
そして、“敗北した学者たち”の項へと続き、標題の内容へと。
だが、副題から、“時代の鬱”について絞って書いたものと思いきや、御自分の鬱体験に大部が割かれていて途惑った。
敗北したのが一般の学者たちというのは単なる方便で、実は著者自身だったというオチと捉えれば好いのか。
自らを俎上に載せる勇気は好感が持てるのだが、何処かまだ取り繕い“逃げ”を打っているように思えるのは私だけ?
しかしながら、映画化もされた漫画エッセイ『ツレがうつになりまして。』、田中圭一:著『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』、長年の“鬱”に苦しんだことを告白した『ボーン・トゥ・ラン 上・下: ブルース・スプリングスティーン自伝』などの出版物に駆け足で触れつつ(著者の苦悩が垣間見られる)、『米Rolling Stone』誌19994年6月2日号カート・コバーン追悼号表紙フォトまで掲載。
ほぼ平成年間とダブる“鬱”文献、“昭和鬱”とは微妙に異なる“平成鬱”への言及は、意外と有効で意義があるかも。
気になった点は多々あるが、そのうちいくつかを下記に。
P110、「社会主義リアリズム」の文学は、分析的な図式にはまっているが故文学の名に値しないとする件。
「社会主義リアリズム」はそれに反対する表現者たちをも多く生み出した訳で、逆に一見社会主義プロパガンダのようであっても随所に体制への毒を秘めたもの、大きなものに取り込まれる苦悩や悲哀を滲ませた作品は少なくはなく、研究や思考を中途でブッた斬って安易に結論づけようとする著者こそ、反知性主義者そのものではないかとつい言いたくなってしまう。
考えてもらうため、理解してもらうために少し意地の悪いことを書いてしまったかもしれないが、著者は「疑い続けることこそ知性」とも記していて、知性は原則的に矛盾を孕むものであり、何処かで妥協、斬らないと表現にはならないという当たり前の話な訳で、このあたりに興味がある方は、インディ・ブッティズムの巨人ナーガルジュナやヴァスバンドゥなんかをググッてみてください。
それにしても、インドから仏典を移入し、原典を殆ど焼き捨てた中国って、今現在も含めて謎の国だよね。
P233~、天皇退位問題について。
長いので要約すれば、天皇からの制度変更実質依頼発言は禁止事項の政治行為ではないか、退位後は天皇ではないから自由な政治的発言が可能になるのか、それにより政治が左右されることはないか、逆に時の政権が現天皇の意思を慮り、今年流行った言葉で言えば忖度するという便宜上名目において退位を迫ったり圧力を掛けたりすることが起きはしないか、と。
特に目新しくもなく、著者は生前退位に反対ではないが、何等疑問を抱かぬまま民意が賛成へと雪崩れ込むのが「心底恐ろしく感じた」と書きつつ、引退したくなる程大変なものらしいとの印象を国民が抱いたのは貴重な体験だとも。
以降、わざと解り難く書いているが、象徴天皇は殆どの自治体が制定している「ゆるキャラ」と近似だと言っていないか?
言われてみれば卓見かもしれないが、ちょっと抵抗があるなぁ……。
P264~、日本の場合は企業自体を家族に類似した集団に仕立てることで内側に共存主義の要素を残すとあるが、これは一体何時の話なのだろう、そもそも著者はどれだけの企業、会社、それらを経営するトップ及び取巻きやそこで働く人々を、著者が言う“身体知”のレヴェルで理解しているのだろう。
他社及び社内の熾烈な競争、自他を磨滅させる過酷なダンピング合戦、上司に押し付けられる無理難題や数字が即評価=役職・給与に反映されるシステム下で同僚、部下の裏切りに遭ったこともなく、何だかんだ不満を言いつつも、かつては幸福なアカデミズムがのさばる楽園で育った方なのだと想像せざるを得ない。
しかし、だからこそ、「能力は私有物ではない」(P278)、「知性、能力は究極的に私有できない」という、やや高いところからの目線ながらもイノセントな匂いもする理想を恥ずかしげも無く掲げることが可能となり、これはこれで全然悪くはないと思ってしまう。
象牙の塔という言葉があるように、知性や能力は閉所、狭小と親和性があり、勘違いに過ぎない偽の知性と独り善がり的な誤った能力は拡散、暴走する傾向にあるから気を付けましょう。
結局、知性は死ぬ運命だし、場合によってはあえて殺した方が好い場合もあり得るし、バカで何が悪いのとまで書いてしまえば、身も蓋もありませんよね?
そして、“敗北した学者たち”の項へと続き、標題の内容へと。
だが、副題から、“時代の鬱”について絞って書いたものと思いきや、御自分の鬱体験に大部が割かれていて途惑った。
敗北したのが一般の学者たちというのは単なる方便で、実は著者自身だったというオチと捉えれば好いのか。
自らを俎上に載せる勇気は好感が持てるのだが、何処かまだ取り繕い“逃げ”を打っているように思えるのは私だけ?
しかしながら、映画化もされた漫画エッセイ『ツレがうつになりまして。』、田中圭一:著『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』、長年の“鬱”に苦しんだことを告白した『ボーン・トゥ・ラン 上・下: ブルース・スプリングスティーン自伝』などの出版物に駆け足で触れつつ(著者の苦悩が垣間見られる)、『米Rolling Stone』誌19994年6月2日号カート・コバーン追悼号表紙フォトまで掲載。
ほぼ平成年間とダブる“鬱”文献、“昭和鬱”とは微妙に異なる“平成鬱”への言及は、意外と有効で意義があるかも。
気になった点は多々あるが、そのうちいくつかを下記に。
P110、「社会主義リアリズム」の文学は、分析的な図式にはまっているが故文学の名に値しないとする件。
「社会主義リアリズム」はそれに反対する表現者たちをも多く生み出した訳で、逆に一見社会主義プロパガンダのようであっても随所に体制への毒を秘めたもの、大きなものに取り込まれる苦悩や悲哀を滲ませた作品は少なくはなく、研究や思考を中途でブッた斬って安易に結論づけようとする著者こそ、反知性主義者そのものではないかとつい言いたくなってしまう。
考えてもらうため、理解してもらうために少し意地の悪いことを書いてしまったかもしれないが、著者は「疑い続けることこそ知性」とも記していて、知性は原則的に矛盾を孕むものであり、何処かで妥協、斬らないと表現にはならないという当たり前の話な訳で、このあたりに興味がある方は、インディ・ブッティズムの巨人ナーガルジュナやヴァスバンドゥなんかをググッてみてください。
それにしても、インドから仏典を移入し、原典を殆ど焼き捨てた中国って、今現在も含めて謎の国だよね。
P233~、天皇退位問題について。
長いので要約すれば、天皇からの制度変更実質依頼発言は禁止事項の政治行為ではないか、退位後は天皇ではないから自由な政治的発言が可能になるのか、それにより政治が左右されることはないか、逆に時の政権が現天皇の意思を慮り、今年流行った言葉で言えば忖度するという便宜上名目において退位を迫ったり圧力を掛けたりすることが起きはしないか、と。
特に目新しくもなく、著者は生前退位に反対ではないが、何等疑問を抱かぬまま民意が賛成へと雪崩れ込むのが「心底恐ろしく感じた」と書きつつ、引退したくなる程大変なものらしいとの印象を国民が抱いたのは貴重な体験だとも。
以降、わざと解り難く書いているが、象徴天皇は殆どの自治体が制定している「ゆるキャラ」と近似だと言っていないか?
言われてみれば卓見かもしれないが、ちょっと抵抗があるなぁ……。
P264~、日本の場合は企業自体を家族に類似した集団に仕立てることで内側に共存主義の要素を残すとあるが、これは一体何時の話なのだろう、そもそも著者はどれだけの企業、会社、それらを経営するトップ及び取巻きやそこで働く人々を、著者が言う“身体知”のレヴェルで理解しているのだろう。
他社及び社内の熾烈な競争、自他を磨滅させる過酷なダンピング合戦、上司に押し付けられる無理難題や数字が即評価=役職・給与に反映されるシステム下で同僚、部下の裏切りに遭ったこともなく、何だかんだ不満を言いつつも、かつては幸福なアカデミズムがのさばる楽園で育った方なのだと想像せざるを得ない。
しかし、だからこそ、「能力は私有物ではない」(P278)、「知性、能力は究極的に私有できない」という、やや高いところからの目線ながらもイノセントな匂いもする理想を恥ずかしげも無く掲げることが可能となり、これはこれで全然悪くはないと思ってしまう。
象牙の塔という言葉があるように、知性や能力は閉所、狭小と親和性があり、勘違いに過ぎない偽の知性と独り善がり的な誤った能力は拡散、暴走する傾向にあるから気を付けましょう。
結局、知性は死ぬ運命だし、場合によってはあえて殺した方が好い場合もあり得るし、バカで何が悪いのとまで書いてしまえば、身も蓋もありませんよね?
ベスト50レビュアー
同僚に勧められて本書を読んで、筆者が自らのうつ状態と先行する軽そう状態に関する描写と「そう=言語の暴走」「うつ=疲れ切った身体の反乱」とまとめたことに感心した。知性に裏打ちされた体験の言語化の粋と感じた。しかし「言語」という概念は、その物質的・身体的基盤も含まれるので、本書の文脈では「観念」と言ったほうが良いと思った。
その反面、著者による疾病体験の部分に比べると、社会批評的な言及では「被害者の交代現象」や「赤い新自由主義への期待」の主張に観念的空虚さを認め今一つと感じた。その理由・背景は他のレビューに書いて発射の文章を以下に引用するような筆者の立脚点にある。
引用開始 「越後三面山人記」田口洋美 農文協という本に登場する、ダムに沈む村を離れて村上市に転居する予定の村人が「ここにいれば稼ぎがなくても食べていくことはできるが、村上市に行けば何をするにも金がかかってしまうことが不安だ。」と述べる場面を読んで金銭が必要な世界の外部から見れば、それは少しも当たり前ではなく、「金がないと困る」という不安に常に脅やかされているのだと知ることができた。これによって「雇われて賃金を得ないと生きていけない状況」は当たり前でも何でもないことに気づかされた。そうして「賃労働により金銭を得なければ生きていけない世界で、雇われなければ生きていけない状況」を「賃金奴隷制」と廣松渉氏が「マルクスの根本思想は何であったか」かなんかの中で述べていたことがすっきりと納得できた。 引用終わり
この立脚点から見て、著者による「被害者交代現象」は具体的な権力関係の非対称性を無視しているし、「赤い新自由主義」を述べた文脈では「安倍政権による同一賃金同一労働の提唱」を評価しているが、日本政府が議論の前提として必要な貧困ラインの検討を永年放置している現状があり、一方で日本国での最低限の生活保障と連動しない最低賃金の決め方を踏まえれば、「安倍政権による同一賃金同一労働の提唱」が野放図な賃金引き下げに直結することへの認識を欠いているように思えてしまう。言い換えれば「国民と国家と民族」が無前提に同一視されている。非常に僻んだ言い方をすれば、このように安易に国家と自分が一体化するところは、勉強ができるエリートの感覚が抜けていないんじゃないかと思えてしまう。 これは水俣病患者であった緒方正人氏の「自分が生きようとすればするほど国はそれを邪魔する。」という発言と比べても明らかである。もちろん以上は筆者の「印象」の話でしかなく、今後著者が身体と観念の統合を推し進めていくことの人類的意義を期待してやまない。
その反面、著者による疾病体験の部分に比べると、社会批評的な言及では「被害者の交代現象」や「赤い新自由主義への期待」の主張に観念的空虚さを認め今一つと感じた。その理由・背景は他のレビューに書いて発射の文章を以下に引用するような筆者の立脚点にある。
引用開始 「越後三面山人記」田口洋美 農文協という本に登場する、ダムに沈む村を離れて村上市に転居する予定の村人が「ここにいれば稼ぎがなくても食べていくことはできるが、村上市に行けば何をするにも金がかかってしまうことが不安だ。」と述べる場面を読んで金銭が必要な世界の外部から見れば、それは少しも当たり前ではなく、「金がないと困る」という不安に常に脅やかされているのだと知ることができた。これによって「雇われて賃金を得ないと生きていけない状況」は当たり前でも何でもないことに気づかされた。そうして「賃労働により金銭を得なければ生きていけない世界で、雇われなければ生きていけない状況」を「賃金奴隷制」と廣松渉氏が「マルクスの根本思想は何であったか」かなんかの中で述べていたことがすっきりと納得できた。 引用終わり
この立脚点から見て、著者による「被害者交代現象」は具体的な権力関係の非対称性を無視しているし、「赤い新自由主義」を述べた文脈では「安倍政権による同一賃金同一労働の提唱」を評価しているが、日本政府が議論の前提として必要な貧困ラインの検討を永年放置している現状があり、一方で日本国での最低限の生活保障と連動しない最低賃金の決め方を踏まえれば、「安倍政権による同一賃金同一労働の提唱」が野放図な賃金引き下げに直結することへの認識を欠いているように思えてしまう。言い換えれば「国民と国家と民族」が無前提に同一視されている。非常に僻んだ言い方をすれば、このように安易に国家と自分が一体化するところは、勉強ができるエリートの感覚が抜けていないんじゃないかと思えてしまう。 これは水俣病患者であった緒方正人氏の「自分が生きようとすればするほど国はそれを邪魔する。」という発言と比べても明らかである。もちろん以上は筆者の「印象」の話でしかなく、今後著者が身体と観念の統合を推し進めていくことの人類的意義を期待してやまない。
2018年6月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
うーん、、ひとくちに評価するのはむずかしい!
政治、世界情勢、歴史背景、
反知性主義の台頭、知性主義の衰退、
そううつ病、
テーマがいろいろあって、
・そのテーマをすでに、知ってる人・知らない人
・そのテーマに、興味のある人・興味のない人
で、テーマごとに評価がちがいそうです。
たとえば私は、
・反知性主義への対処法
を目的にこの本を買いましたが、その点では、(私の)期待したリターンはなくて、
一方で、
・世界情勢、歴史をふまえた、日本の現状認識
この点では、自分とちがう視点を得られて、参考になりました。
学者さんが、
公私おりまぜて書いてるブログを、まとめたような本でした。
あと、
とにかく、
この人が必死でこれを書いたんだな、というのはすごく伝わってきました。
政治、世界情勢、歴史背景、
反知性主義の台頭、知性主義の衰退、
そううつ病、
テーマがいろいろあって、
・そのテーマをすでに、知ってる人・知らない人
・そのテーマに、興味のある人・興味のない人
で、テーマごとに評価がちがいそうです。
たとえば私は、
・反知性主義への対処法
を目的にこの本を買いましたが、その点では、(私の)期待したリターンはなくて、
一方で、
・世界情勢、歴史をふまえた、日本の現状認識
この点では、自分とちがう視点を得られて、参考になりました。
学者さんが、
公私おりまぜて書いてるブログを、まとめたような本でした。
あと、
とにかく、
この人が必死でこれを書いたんだな、というのはすごく伝わってきました。