益川氏と小林氏が下馬評通りノーベル物理学賞を受賞して以来、硬軟様々な本が出ましたが、その中でも本書は専門的な議論を避けず、啓蒙レベルとしてはおそらく一番詳しい説明をしてくれていると思われます。かつて益川氏は高校の物理の先生たちに請われて勉強合宿の講師になったそうで、本書はそのときの記録なのだそうです。
益川氏と小林氏の業績を考えるうえで、どうしても無視しえないのが、二人の出身研究室である名古屋大学坂田昌一研究室の風土です。湯川秀樹の初期のお弟子さんにして共同研究者で、草創期の中間子論が抱えていた数々の困難を克服して見せた「二中間子論」など、日本の素粒子論の創始者のお一人であった坂田昌一氏が名古屋大学のチームを率いて、戦後長らく世界の素粒子論学界をリードした事実はもっと多くのひとに知られてしかるべきでしょう。益川氏と小林氏の業績はそんな研究室から生まれた業績なのです。
素粒子分類に群論を初めて導入したのも坂田研究室。それによってクォーク模型の原型となる素粒子の複合模型を世界で初めて提唱した。が、しかし、残念ながら先んじてクォーク模型にたどり着くことはできず、マレイゲルマンに敗れた。いわばノーベル賞を鼻先で逃したということだが、クォーク模型発見に必要なお膳立てはすべて坂田研究室がそろえたにもかかわらず、なぜ発見を逃したのか。その科学史上の謎に関して、益川氏は先輩大貫義郎氏から聞いた話として本書でこう証言しています。坂田昌一氏の原点にはハイゼンベルクの核構造論の衝撃があるのだ、と。陽子も中性子もどちらもすでに存在を知られていた素粒子であったが、それらを組み合わせることで当時謎だった原子核の問題をきれいに解いて見せたハイゼンベルクの手際への感動が、坂田の研究思想を形作ったのだというのである。
陽子と中性子、そしてラムダ粒子、これら既存の素粒子を組み合わせることで、全素粒子を再現しようとした坂田の先駆的模型が生まれた背景が大貫氏の語る通りであったとするならば、坂田の先生であった湯川の中間子論もまたハイゼンベルクの核構造論のインパクトから生まれたという事実を思うとき、歴史の流れの一本の太い幹が見えてくる気がしてきます。
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