あらすじは改めて述べるまでもありませんが、聖人君子サラリーマン・譲二が、カフェで会った銘酒屋(非合法の売春宿)の娘・ナオミを自分好みの淑女に育てたいという気持ちから引き取り、わがまま気ままに共同生活を過ごしていくうちにナオミが淫蕩で傲慢な性質を表しついには、浮気者で浪費家のナオミにひどい目に遭わされながらも彼女なくしては生きられないほどに彼女に精神的にも肉体的にも支配されていくまでを描いた小説です。
じゃあナオミはそんなに魅力的な美女なのかというとさにあらずで、彼女以上に美しい女もたくさんおりしかるべき教養を持つ令嬢や婦人と並べると途端にみすぼらしくなると譲二自身も認めており、彼女の周りにいる男たちもナオミはただ気軽な欲望のはけ口という存在以上のものではないようです。
ではなぜ譲二がここまでナオミに執着したのかということになりますが、
そこには現代にも通じるホワイトカラーの男性の置かれた立場と苦悩にあるような気がします。
ホワイトカラー、つまり頭脳労働に従事するサラリーマンは、生まれながら支配階級として育てられたわけではなく、ただ学校を出たという経験だけを武器に人を管理し、人を教育し、人を率いていかなければいけない宿命にあります。しかも彼らのおかれている環境では職人や肉体労働者のように技術や腕力でモノを言わせるのは野蛮なこととされ、言葉や管理能力といった極めて抽象的なことで他社を動かしていくことを求められることになります。
そのためには学歴や肩書、経験、能力の面だけにとどまらず人格や容姿の点でも他人に常にナメられるような要素は極力排除し、常に虚勢を張っていなければならないことになります。さらに、家の中においても良き夫、良き父親でなければならず、家に帰ってもなおその威厳を保ち続けなければならないのです。
しかし、虚勢をはり続けて生きるのは時としてとても疲れるものです。まして聖人君子などと評され高給取りの譲二のような男にとってはそのプレッシャーは人一倍強いものであったでしょう。
そのような中でナオミのように、自分を馬鹿にし、うまく操ってくれる存在の女性は虚勢を張らず、自分の弱さを臆面もなくさらけ出せるかけがえのない存在なのです。
ナオミはナオミで、譲二の財産と収入による豊かな暮らしや中流以上の人々と触れる中でいくら着飾ってもぬぐえない自分の生まれからくるみすぼらしさにコンプレックスを感じていたようで、彼女にとっても富裕の象徴である譲二を苛め抜くことは残酷な快感を伴う行為だったようにも見受けられますが、それだけに豊かさに慣れた女性に心から男性を屈服させることを求めるのは無理な話です。多くの女が強い男を求める中で、弱い男を受け入れてくれる女はそうはいません。弱い部分を見せたが最後、女はとたんに彼のもとを去ってしまうからです。特に中流以上の階層に属する女性にとっては「男に守られる価値のあるしとやかな女」であることがその価値を高めることであるので、男をバカにする、男のプライドを傷つけるような行為ははしたない行為以外の何物でもないのです。
昭和の初期にあってサラリーマンをはじめとする知的労働者が増えつつある中で、譲二はその男性たちの内なる苦悩と欲求不満を代弁した存在だったのではないでしょうか。
痴人の愛 (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 1947/11/12
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内容紹介
きまじめなサラリーマンの河合譲治は、カフェでみそめて育てあげた美少女ナオミを妻にした。河合が独占していたナオミの周辺に、いつしか不良学生たちが群がる。成熟するにつれて妖艶さを増すナオミの肉体に河合は悩まされ、ついには愛欲地獄の底へと落ちていく。性の倫理も恥じらいもない大胆な小悪魔が、生きるために身につけた超ショッキングなエロチシズムの世界。
内容(「BOOK」データベースより)
生真面目なサラリーマンの河合譲治は、カフェで見初めた美少女ナオミを自分好みの女性に育て上げ妻にする。成熟するにつれて妖艶さを増すナオミの回りにはいつしか男友達が群がり、やがて譲治も魅惑的なナオミの肉体に翻弄され、身を滅ぼしていく。大正末期の性的に解放された風潮を背景に描く傑作。
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