映画監督をしている人が小説を書くといったいどんなものになるのかな?という好奇心と、女性著者による、70歳をすぎての性愛というテーマとに興味津々で読み始めました。主人公の境遇と著者のご経歴に重なる部分も多く、小説とはわかっていても「どこまでがフィクションだろう…」「これは著者の体験が投影されているのかな」など、つい想像してしまいます。
特に心に残ったのは作中に出てきた「人が心に思うことは、誰にも止められないんだよ」という言葉です。男女の関係というものは、夫婦になったとたん、どこか嘘やごまかし、あきらめが混じるように思います。心に思うことに素直でいたくても、どうしてもそれが難しいこともある。でも、心に思うことは誰にも止められない。せめて心の中だけは自由でいたいと思いました。
男女としての性愛、夫婦としての性愛、そしてその関係性について色々と考えさせられる作品です。現代も女性は多くの差別や抑圧を受けていますが、今よりさらにその社会的圧力の大きかった時代を生きてきた著者が、このような形で女性の自立や幸せというものを発信する姿に多大な勇気をいただきました。下の世代である私たちも彼女たちの思いを引き継ぎ社会に発信し続けていかなければ、との思いを強くしました。
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疼くひと (単行本) 単行本 – 2021/2/20
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脚本家・唐沢燿子は古稀をむかえ、日に日に「老い」を感じていた。しかしSNSで年下の男と出会い、生活が一変する。男の言葉に一喜一憂するうちに、身も心も溺れていく燿子。人生後半から燃え上がる、大人の恋の行方は……。
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2021/2/20
- 寸法13.3 x 1.8 x 19.2 cm
- ISBN-104120053938
- ISBN-13978-4120053931
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商品の説明
著者について
松井久子
1946年東京出身。早稲田大学文学部演劇科卒。雑誌ライター、俳優のマネージャー、テレビドラマ・ドキュメンタリー番組のプロデューサーを経て、1998年『ユキエ』で映画監督デビュー。2002年には2作目『折り梅』が劇場公開。全国で自主上映会が活発に行われ、2年間で100万人の動員を果たした。2010年11月第3作の日米合作映画『レオニー』が全国劇場公開。2013年春から、アメリカをはじめ世界各国で公開された。ドキュメンタリー映画としては2015年1月『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』、2016年5月『不思議なクニの憲法』が公開され、内外で高い評価を得ている。フィルモグラフィー:「ユキエ」(1998年)、「折り梅」(2002年)、「レオニー」(2010年)、「何を怖れる フェミニズムを生きた女たち」(2015年)著書:「ターニングポイント 「折り梅」100万人を紡いだ出会い」(講談社)、「ソリストの思考術 松井久子の生きる力」(六耀社)編著:「何を怖れる フェミニズムを生きた女たち」(岩波書店)聞き書き:「井村雅代の教える力」(新潮社)、「シンクロの鬼と呼ばれて」(新潮文庫)
1946年東京出身。早稲田大学文学部演劇科卒。雑誌ライター、俳優のマネージャー、テレビドラマ・ドキュメンタリー番組のプロデューサーを経て、1998年『ユキエ』で映画監督デビュー。2002年には2作目『折り梅』が劇場公開。全国で自主上映会が活発に行われ、2年間で100万人の動員を果たした。2010年11月第3作の日米合作映画『レオニー』が全国劇場公開。2013年春から、アメリカをはじめ世界各国で公開された。ドキュメンタリー映画としては2015年1月『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』、2016年5月『不思議なクニの憲法』が公開され、内外で高い評価を得ている。フィルモグラフィー:「ユキエ」(1998年)、「折り梅」(2002年)、「レオニー」(2010年)、「何を怖れる フェミニズムを生きた女たち」(2015年)著書:「ターニングポイント 「折り梅」100万人を紡いだ出会い」(講談社)、「ソリストの思考術 松井久子の生きる力」(六耀社)編著:「何を怖れる フェミニズムを生きた女たち」(岩波書店)聞き書き:「井村雅代の教える力」(新潮社)、「シンクロの鬼と呼ばれて」(新潮文庫)
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2021/2/20)
- 発売日 : 2021/2/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 272ページ
- ISBN-10 : 4120053938
- ISBN-13 : 978-4120053931
- 寸法 : 13.3 x 1.8 x 19.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 14,575位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 10位ロマンス (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1946年東京出身 早稲田大学文学部演劇科卒。
雑誌のライター、俳優のマネージャー、テレビドラマ・ドキュメンタリー番組のプロデューサーを経て、1998年、企画から公開まで5年の歳月をかけて製作した『ユキエ』で映画監督デビュー。
2002年には自ら脚本を書き、プロデュース・監督を務めた2作目『折り梅』が劇場公開。その後1350カ所に及ぶ上映会が行われ、2年間で100万人の観客を動員した。
2003年春、訪れた香川県高松の地で世界的彫刻家イサムノグチの伝記を読み、彼の母親レオニー・ギルモアの人生をもとに映画化を着想。その後7年を経た2010年春の作品完成まで、日米を往復した距離は52万3000キロに及んだ。
第3作『レオニー』は、2010年11月角川映画配給により全国劇場公開。
2011年10月には海外版が完成。2013年春より、アメリカをはじめ世界各国で劇場公開。
2015年1月「何を怖れる フェミニズムを生きた女たち」公開。
2016年5月ドキュメンタリー映画「不思議なクニの憲法」を公開。
全国で自主上映会が活発に行われている。
カスタマーレビュー
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70代の女性の性愛を描いた作品だと知り、今40代の自分が何歳まで女性であり続けるのだろう、この先の世界を見に行ってみたい、そんな思いで手にしました。 何歳になっても恋で心身が芽吹く。たしかに、20代の頃は40代50代になっても恋愛するなんて想像できなかったけど、もうすぐ47歳になろうとしている今も恋愛により悩んだり心が豊かになったりを繰り返している。 何歳になってもその時その時の心が揺らいだり惑わされたり。読み終わった時に、性愛から見え隠れする純愛が尊い。そんな思いになる一冊でした。
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上位レビュー、対象国: 日本
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2021年2月22日に日本でレビュー済み
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108人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2021年3月6日に日本でレビュー済み
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70代の女性の性愛を描いた作品だと知り、今40代の自分が何歳まで女性であり続けるのだろう、この先の世界を見に行ってみたい、そんな思いで手にしました。
何歳になっても恋で心身が芽吹く。
たしかに、20代の頃は40代50代になっても恋愛するなんて想像できなかったけど、もうすぐ47歳になろうとしている今も恋愛により悩んだり心が豊かになったりを繰り返している。
何歳になってもその時その時の心が揺らいだり惑わされたり。読み終わった時に、性愛から見え隠れする純愛が尊い。
そんな思いになる一冊でした。
何歳になっても恋で心身が芽吹く。
たしかに、20代の頃は40代50代になっても恋愛するなんて想像できなかったけど、もうすぐ47歳になろうとしている今も恋愛により悩んだり心が豊かになったりを繰り返している。
何歳になってもその時その時の心が揺らいだり惑わされたり。読み終わった時に、性愛から見え隠れする純愛が尊い。
そんな思いになる一冊でした。

70代の女性の性愛を描いた作品だと知り、今40代の自分が何歳まで女性であり続けるのだろう、この先の世界を見に行ってみたい、そんな思いで手にしました。
何歳になっても恋で心身が芽吹く。
たしかに、20代の頃は40代50代になっても恋愛するなんて想像できなかったけど、もうすぐ47歳になろうとしている今も恋愛により悩んだり心が豊かになったりを繰り返している。
何歳になってもその時その時の心が揺らいだり惑わされたり。読み終わった時に、性愛から見え隠れする純愛が尊い。
そんな思いになる一冊でした。
何歳になっても恋で心身が芽吹く。
たしかに、20代の頃は40代50代になっても恋愛するなんて想像できなかったけど、もうすぐ47歳になろうとしている今も恋愛により悩んだり心が豊かになったりを繰り返している。
何歳になってもその時その時の心が揺らいだり惑わされたり。読み終わった時に、性愛から見え隠れする純愛が尊い。
そんな思いになる一冊でした。
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2021年3月7日に日本でレビュー済み
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小説はいつも、人間の人間らしい行動を登場人物の姿を借りて語ってくれる。時に優しく、時にはどこまでも残酷にだったり、思いのままに、と思える場面もある。
松井さんは70歳の女性の姿を借りて、赤裸々な姿を見せ、語ってくれたので、食い入るように文字を追いかけて一気に読んだ。
愛する相手がいるから抱きしめたくなるし、一つになっていくことを望む。それはたとえ歳を重ねても変わらない気持ち、人生が長くなった今、70歳でもも当然よ!と主人公と語らせ、描いて見せてくれた。垂れ下がった身体と気持ちを言い訳に、はしたないというなら考え直してみる勇気を与えてくれた小説だ。
男が考えることを女も同様に考える、男の妄想は愛していることで現実に変わるのだ。
チェーホフの創作ノート「手紙」にあった「男と交際しない女は少しずつ色褪せ、女と交際しない男は徐々に阿保になる」という言葉の通り、いくつになっても色褪せず、阿保にならないために、恋する勇気を与えてくれる小説だと思う。
松井さんは70歳の女性の姿を借りて、赤裸々な姿を見せ、語ってくれたので、食い入るように文字を追いかけて一気に読んだ。
愛する相手がいるから抱きしめたくなるし、一つになっていくことを望む。それはたとえ歳を重ねても変わらない気持ち、人生が長くなった今、70歳でもも当然よ!と主人公と語らせ、描いて見せてくれた。垂れ下がった身体と気持ちを言い訳に、はしたないというなら考え直してみる勇気を与えてくれた小説だ。
男が考えることを女も同様に考える、男の妄想は愛していることで現実に変わるのだ。
チェーホフの創作ノート「手紙」にあった「男と交際しない女は少しずつ色褪せ、女と交際しない男は徐々に阿保になる」という言葉の通り、いくつになっても色褪せず、阿保にならないために、恋する勇気を与えてくれる小説だと思う。
2021年3月12日に日本でレビュー済み
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『疼くひと』批評:
一気に読んだ。いま爽快な読後感に浸っている♪
「思い切って書いた」とのことだが、それは冒険に挑んだというのではなく、作者自身「これでいいのだ」と納得した上の静かな覚悟の表明だったのではないか。というのも、気負った印象が一切なく、自然で、穏やかで、率直で、清潔感があって……まるで一篇の青春小説のように読み終えることができたから。
沢渡が出現するまでの耀子のときめきが少女のようなら、沢渡の身体行動もまた少年のようで、年齢を超えたふたりのつながりがじつに自然で、たおやかである。ラストで沢渡がある決心をしたとたん、耀子は新しい人生に向かって旅立っていく──そのラストシーンの爽快さはとても上質のものだった。
いわゆる隠微な言葉やシーンもいろいろ出てくるけれど、それらは隠微でも猥雑でもなく、むしろ男女を問わず、誰もが最初にそれらの表現に出会った幼い時期の驚きや感激を想起させてくれる。つまり、俗な塵芥にまみれる前の新鮮さがそれらの言葉にはある。
そんなふうに振り返ってみて、ふとおもい出したこと──それは人間が、成長の初期過程で「肛門期」と呼ばれる一時期を経験するという、その時期の記憶である。
わたし(男)も10歳前後、チン●とかマ●チョ(わたしの田舎ではそう呼ばれていた)などと大声で叫びながら、よくわからないままに、ただ未体験の高揚感に押されて仲間と遊んでいた時期がある。言葉の真意より、そこから湧き出るイメージの訳もわからない神秘性を追いかけて、ただ楽しく遊んでいた時期──そこには、いつも目をキラキラさせていっしょにたわむれていた女子もいた。
その仲間と近くの川で遊んでいたある夏の日、ひとりの女子が溺れかけ、意識をなくしたまま水面に浮かんできたことがある。水に揉まれて彼女は下着をなくし、全裸のままだった。年上のひとりがマ●チョに手ぬぐいをかけてやったが、男子の全員がそこに釘付けになった(記憶では全員が)。それは陰部ではなく、紛れもない輝部であった。
わたしの独断的な想像だけで言えば、あの時期の純粋無垢な興奮が『疼くひと』にはたっぷり描かれている。その純粋さがほかのすべてを超えて、物語を高みへ押し上げている。さらに、それらを梃子につけ加えるとすれば、「だからあの物語はポルノではなく文学として自立している」とも言えるだろう。
ただし、惜しむらくはふたりの逢瀬の急な変容を優先するあまり、ふたりの周りにあるはずの、例えば逗子海岸の海の色や潮風の匂いが置き去りにされてしまっていることだ。おそらく長い間映像作家としてキャリアを重ねてきた作者の語りのスピード感が、文字世界の速度を追い越してしまったのではあるまいか。(ちなみに、九〇分の映画のシナリオは三〇分で読めてしまうという試算があるそうで、聞いて驚いたことがある。)
『疼くひと』の読者のひとりとしては、ときにゆるやかな自然描写の雰囲気に浸りもしたい(それは松井監督の傑作映画『レオニー』でたっぷり見せてもらった)──そんな息抜き時間を経た後にまた本筋の一気呵成に戻るほうが、味わい深さはさらに際立つだろうに、そこがいかにももったいないという気がしてくる。
#わきまえない女たち──などの動きがいま活発だ。それらは未だ口惜しいほどに酷いこの国の性差別の哀しい証左でもあるのだが、勝手ながら松井監督もワキマエナイ女のひとりだとおもう。本作品はそのワキマエナイ仕事のひとつで、当然のことながらわたしなりのバイアスをかけてコレを強く推薦したい♪
byMYuhachi
一気に読んだ。いま爽快な読後感に浸っている♪
「思い切って書いた」とのことだが、それは冒険に挑んだというのではなく、作者自身「これでいいのだ」と納得した上の静かな覚悟の表明だったのではないか。というのも、気負った印象が一切なく、自然で、穏やかで、率直で、清潔感があって……まるで一篇の青春小説のように読み終えることができたから。
沢渡が出現するまでの耀子のときめきが少女のようなら、沢渡の身体行動もまた少年のようで、年齢を超えたふたりのつながりがじつに自然で、たおやかである。ラストで沢渡がある決心をしたとたん、耀子は新しい人生に向かって旅立っていく──そのラストシーンの爽快さはとても上質のものだった。
いわゆる隠微な言葉やシーンもいろいろ出てくるけれど、それらは隠微でも猥雑でもなく、むしろ男女を問わず、誰もが最初にそれらの表現に出会った幼い時期の驚きや感激を想起させてくれる。つまり、俗な塵芥にまみれる前の新鮮さがそれらの言葉にはある。
そんなふうに振り返ってみて、ふとおもい出したこと──それは人間が、成長の初期過程で「肛門期」と呼ばれる一時期を経験するという、その時期の記憶である。
わたし(男)も10歳前後、チン●とかマ●チョ(わたしの田舎ではそう呼ばれていた)などと大声で叫びながら、よくわからないままに、ただ未体験の高揚感に押されて仲間と遊んでいた時期がある。言葉の真意より、そこから湧き出るイメージの訳もわからない神秘性を追いかけて、ただ楽しく遊んでいた時期──そこには、いつも目をキラキラさせていっしょにたわむれていた女子もいた。
その仲間と近くの川で遊んでいたある夏の日、ひとりの女子が溺れかけ、意識をなくしたまま水面に浮かんできたことがある。水に揉まれて彼女は下着をなくし、全裸のままだった。年上のひとりがマ●チョに手ぬぐいをかけてやったが、男子の全員がそこに釘付けになった(記憶では全員が)。それは陰部ではなく、紛れもない輝部であった。
わたしの独断的な想像だけで言えば、あの時期の純粋無垢な興奮が『疼くひと』にはたっぷり描かれている。その純粋さがほかのすべてを超えて、物語を高みへ押し上げている。さらに、それらを梃子につけ加えるとすれば、「だからあの物語はポルノではなく文学として自立している」とも言えるだろう。
ただし、惜しむらくはふたりの逢瀬の急な変容を優先するあまり、ふたりの周りにあるはずの、例えば逗子海岸の海の色や潮風の匂いが置き去りにされてしまっていることだ。おそらく長い間映像作家としてキャリアを重ねてきた作者の語りのスピード感が、文字世界の速度を追い越してしまったのではあるまいか。(ちなみに、九〇分の映画のシナリオは三〇分で読めてしまうという試算があるそうで、聞いて驚いたことがある。)
『疼くひと』の読者のひとりとしては、ときにゆるやかな自然描写の雰囲気に浸りもしたい(それは松井監督の傑作映画『レオニー』でたっぷり見せてもらった)──そんな息抜き時間を経た後にまた本筋の一気呵成に戻るほうが、味わい深さはさらに際立つだろうに、そこがいかにももったいないという気がしてくる。
#わきまえない女たち──などの動きがいま活発だ。それらは未だ口惜しいほどに酷いこの国の性差別の哀しい証左でもあるのだが、勝手ながら松井監督もワキマエナイ女のひとりだとおもう。本作品はそのワキマエナイ仕事のひとつで、当然のことながらわたしなりのバイアスをかけてコレを強く推薦したい♪
byMYuhachi
2021年4月29日に日本でレビュー済み
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古希を迎えた脚本家の燿子は、
Facebookで15才年下の男と出逢う。
燿子の書いたドラマのファンだ
ということから、メッセのやりとりを始め、LINEで言葉を重ねていくうちに、惹かれあい、初めて対面する。
初めは痛かったまぐあいが、
だんだん変化し、燿子は
解放されていく。
年齢に対して卑下することなく、
男の前を歩き、自身の気持ちに
正直で、女性本位の性を楽しむ燿子。
特殊な性体験を持つ男だからこそ、
女を悦ばせることに長けていて、
自らハテることより、女をイカせる
ことを悦びとする蓮。
性描写は、ねっとりしていないのに、とてもリアルで、感じてしまう。
甘美で淫靡な言葉。
読むほどに、体が疼きだす。
恋愛をすると、ときめき、とまどい
等、様々な感情が呼び起こされる。
辛いことや苦しいことも先にある
ことを踏まえても飛び込んで
しまう相手と人生の終盤に
巡り合えたことはとても
幸せなことなんだと思える。
Facebookで15才年下の男と出逢う。
燿子の書いたドラマのファンだ
ということから、メッセのやりとりを始め、LINEで言葉を重ねていくうちに、惹かれあい、初めて対面する。
初めは痛かったまぐあいが、
だんだん変化し、燿子は
解放されていく。
年齢に対して卑下することなく、
男の前を歩き、自身の気持ちに
正直で、女性本位の性を楽しむ燿子。
特殊な性体験を持つ男だからこそ、
女を悦ばせることに長けていて、
自らハテることより、女をイカせる
ことを悦びとする蓮。
性描写は、ねっとりしていないのに、とてもリアルで、感じてしまう。
甘美で淫靡な言葉。
読むほどに、体が疼きだす。
恋愛をすると、ときめき、とまどい
等、様々な感情が呼び起こされる。
辛いことや苦しいことも先にある
ことを踏まえても飛び込んで
しまう相手と人生の終盤に
巡り合えたことはとても
幸せなことなんだと思える。
VINEメンバー
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70歳の性愛を「リアルに」、「女性週刊誌」の手記レベルの文章で書いた、小説『疼くひと』のレビューが、Amazonから姿かたちもなく消えていた。
伊藤比呂美の本もそうであったが、それよりもはるかに質も悪く、なんの抗議もなく消えていた。
いまは、20個ほどの褒めちぎったレビューが載っているが、私が書いたのは、2番目で、12人ほどの「役にたった」の票が入っていた。それが今見たら、跡形もなく消え、★ひとつはゼロになっていた。誰が(著者自身か、著者に版元を紹介した、ろくな主著がないと書かれた上野千鶴子センセイか、版元の中央公論新社か)Amazonに文句をいったかは知らないが、著者の本意ではないにしても、自民党の日本国憲法の改憲案に反対する映画を撮った監督にしては、恥ずべきことである。
伊藤比呂美の本もそうであったが、それよりもはるかに質も悪く、なんの抗議もなく消えていた。
いまは、20個ほどの褒めちぎったレビューが載っているが、私が書いたのは、2番目で、12人ほどの「役にたった」の票が入っていた。それが今見たら、跡形もなく消え、★ひとつはゼロになっていた。誰が(著者自身か、著者に版元を紹介した、ろくな主著がないと書かれた上野千鶴子センセイか、版元の中央公論新社か)Amazonに文句をいったかは知らないが、著者の本意ではないにしても、自民党の日本国憲法の改憲案に反対する映画を撮った監督にしては、恥ずべきことである。
2021年5月22日に日本でレビュー済み
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現在、50代女性ですが、この先の女としての人生はどんな事があるのだろうか?と漠然とした不安があったので、70代の女性の生き様を垣間見て、正に今知りたい事がたくさん発見できました!そして、やっとこう言った発信が女性が出来るような時代である事が何よりも喜ばしく思います❣️