生殖医療はヒトを幸せにするか。それは、生殖医療を受けた人による、としか言えない。
不妊は治療できるもの、金と技術にいとめをつけなければ子供は手に入れられる時代になりつつあるように見えるが、実態はどうか。
本人が不妊治療を受ける場合はもちろん、子供という結果を得るためには、代理出産や卵子提供、どんな手段であれ女性の心身に多大な負担がかかるのは避けられない。
精子提供とは違い、バイト感覚で卵子提供は行えない。
採卵は手術であり、不妊治療を行うには連日の自己注射による排卵誘発剤や子宮卵管造影検査、大量の採血があり、検査や手術によっては痛みで気絶する女性もいる。
いっそのこと不妊治療など存在しない方が子を持つことに執着せずに済み、幸せになれたのではないか、と悩む女性は多い。
可能性があるからこそ、それがどんなに過酷な道程であろうとも諦めがつかず、苦しみ続けることになっている。
どんなに技術が進歩しようとも、100%は無い。
運良く授かり、その負のループから抜け出せた人にとっては生殖医療は福音となるだろうけれど。
その様はギャンブルそのもの。
自然妊娠だろうが高度生殖医療による妊娠だろうが、生殖において男性は単なる精子提供者。それ以上でも以下でもない。
この先どんなに医療が発展しようとも、男性には決して分かり得ない葛藤や苦痛があり、そう簡単には消えないのは確かだろう。
生殖医療は幸せになるヒトを増やすが、同時に不幸せに突き落とされるヒトを増やす危険性を孕んでいる。
特に代理出産については、引き受ける女性側に負担が圧倒的に偏っており、経済的困窮により搾取されている実態がある。論理的にも法的にも議論は置き去りのままだ。
同性婚をはじめ選択的夫婦別姓すらも拒絶されるこの国で、多様な家族像などどれほど受け入れられるだろうか。
実際子供を授かって幸せになった女性がいるんだからいいではないか、となし崩し的に生殖医療を推し進めるのではなく、一人ひとりが本気で己の死生観や家族観と向き合わなければならない時が来ている、と感じた。
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生殖医療はヒトを幸せにするのか~生命倫理から考える~ (光文社新書) Kindle版
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若いうちに卵子を凍結保存し「婚前卵活」するシングル女性が出現し、受精卵の染色体異常を調べ、健康に育ちうる胚だけを選ぶ「新型着床前診断」も登場した。不妊の補助的な医療として始まった生殖医療(ART)が、生命操作にまで介入しようとしている。これは、子孫繁栄という人類普遍のニーズに応える福音か。それとも、不自然な欲望を掻き立て、新たな苦悩を与えるモラル・ジレンマの始まりなのだろうか。
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2014/3/20
- ファイルサイズ2804 KB
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
不妊の補助的な医療として始まった生殖補助医療=ART。その技術が、生命操作にまで介入しようとしている。これは、子孫繁栄という人類普遍のニーズに応える福音か。それとも、不自然な欲望を掻き立て、新たな苦悩を与えるモラル・ジレンマの始まりなのだろうか―。生命倫理の視点から、私たちの人間観や家族観、親子関係に与える影響を考える。 --このテキストは、paperback_shinsho版に関連付けられています。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
小林/亜津子
東京都生まれ。北里大学一般教育部准教授。京都大学大学院文学研究科修了。文学博士。専門はヘーゲル哲学、生命倫理学。映画や小説などを題材にして学生の主体性を伸ばす授業を心がけ、早稲田大学でも教鞭をとる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、paperback_shinsho版に関連付けられています。
東京都生まれ。北里大学一般教育部准教授。京都大学大学院文学研究科修了。文学博士。専門はヘーゲル哲学、生命倫理学。映画や小説などを題材にして学生の主体性を伸ばす授業を心がけ、早稲田大学でも教鞭をとる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、paperback_shinsho版に関連付けられています。
登録情報
- ASIN : B00JL952J0
- 出版社 : 光文社 (2014/3/20)
- 発売日 : 2014/3/20
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 2804 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 193ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 93,250位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)
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- - 701位光文社新書
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2021年4月15日に日本でレビュー済み
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2014年7月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
kindleで購入したので検索してみたが、「〜でしょうか」という言い回しが94回使われている。いわく
「(生殖医療は)「生みたい」女性にとっての「福音」なのでしょうか」
「(卵子凍結で)この「お守り」には、女性のどのような想いが込められているのでしょうか」
「(はげの男性が)人工的に毛を植えようとすることは、(中略)「科学の濫用」ではないでしょうか」
などなど。中立的な視点を保とうとしている感じはあるが、そうは言っても比較的リベラルな主張の本だと思う。(たとえば、代理出産(借り腹)の場合、母子の遺伝子が違うため流産の確立が高くなる等は意図的に省いた?)
1,2章「セックスアンドザシティ」から、卵子の冷凍保存、選択的シングルマザー
3章「人生、ブラボー」から、精子提供で生まれた子(+精子バンクに精子を提供した男)の葛藤
4章「ガタカ」から、受精卵の着床前診断(産み分け等)
5章「ジーン・ワルツ」から、代理出産(借り腹、ベビーM事件など)
6章「キッズ・オールライト」から、レズビアンカップル(同性婚)の子供
と、ドラマや映画などフィクションの一場面を冒頭で登場させ、考えさせるといった構成だ。海外の事例など、色々と勉強になることも多かった。問いかけ形式が多いが、文章は平明で読みやすい。
ただ、思ったのは「生殖医療」は、乏精子症の男性が体外受精を利用する場合を除けば、親としての視点から考えるなら女性中心のトピックになるわけだな、というところだ。
選択的シングルマザー(2章)やレズビアンカップル(6章)が精子提供で子供を持つハードルは低いが、ゲイカップルや選択的シングルファザー(?)が遺伝的な自分の子供を持つとなると、高額で問題も多い代理出産(5章)ということになる。(卵子提供で、親族から借り腹?も原理的には可能でしょうか? どっちにしろ、代理出産はトピックとしては大きいが、今後も件数的にそこまでメジャーなものにならないと思う)
精子ドナーの問題(3章)も、子供にとっての葛藤という部分が大きい。女性の場合、遺伝上の母と肉体上の母が分離可能となったが、男性の場合はイコールとなる。卵子凍結(1章)に対して精子凍結は別に不要で、残るは着床前診断(4章)となる。
この、着床前診断がより一般的になるということは、性行為というのは生殖目的では不要ということになる。なんとなく、このあたりも生殖医療の怖さというか、人々が嫌悪感を感じる理由かなと思った。
追記:生態子宮移植も凄いが、卵子への核移植というのも出てきた。代理出産も合わせるなら、遺伝上の母1(卵子の核)、遺伝上の母2(卵子の核以外、ミトコンドリアなど)、肉体上の母、と3人の母というのも原理的には可能なわけか。いやはや。
再追記:2016年のニュースだが、諏訪市のクリニックで夫が無精子症の夫婦に対して、夫の実父が精子提供をして、というのを100組程度行ってきたという発表があった。匿名の第三者のAIDよりも、血縁関係が明確なのが良いとかだが、まあ日本だと匿名のAIDへの不信も強いというのはあるのか。
「(生殖医療は)「生みたい」女性にとっての「福音」なのでしょうか」
「(卵子凍結で)この「お守り」には、女性のどのような想いが込められているのでしょうか」
「(はげの男性が)人工的に毛を植えようとすることは、(中略)「科学の濫用」ではないでしょうか」
などなど。中立的な視点を保とうとしている感じはあるが、そうは言っても比較的リベラルな主張の本だと思う。(たとえば、代理出産(借り腹)の場合、母子の遺伝子が違うため流産の確立が高くなる等は意図的に省いた?)
1,2章「セックスアンドザシティ」から、卵子の冷凍保存、選択的シングルマザー
3章「人生、ブラボー」から、精子提供で生まれた子(+精子バンクに精子を提供した男)の葛藤
4章「ガタカ」から、受精卵の着床前診断(産み分け等)
5章「ジーン・ワルツ」から、代理出産(借り腹、ベビーM事件など)
6章「キッズ・オールライト」から、レズビアンカップル(同性婚)の子供
と、ドラマや映画などフィクションの一場面を冒頭で登場させ、考えさせるといった構成だ。海外の事例など、色々と勉強になることも多かった。問いかけ形式が多いが、文章は平明で読みやすい。
ただ、思ったのは「生殖医療」は、乏精子症の男性が体外受精を利用する場合を除けば、親としての視点から考えるなら女性中心のトピックになるわけだな、というところだ。
選択的シングルマザー(2章)やレズビアンカップル(6章)が精子提供で子供を持つハードルは低いが、ゲイカップルや選択的シングルファザー(?)が遺伝的な自分の子供を持つとなると、高額で問題も多い代理出産(5章)ということになる。(卵子提供で、親族から借り腹?も原理的には可能でしょうか? どっちにしろ、代理出産はトピックとしては大きいが、今後も件数的にそこまでメジャーなものにならないと思う)
精子ドナーの問題(3章)も、子供にとっての葛藤という部分が大きい。女性の場合、遺伝上の母と肉体上の母が分離可能となったが、男性の場合はイコールとなる。卵子凍結(1章)に対して精子凍結は別に不要で、残るは着床前診断(4章)となる。
この、着床前診断がより一般的になるということは、性行為というのは生殖目的では不要ということになる。なんとなく、このあたりも生殖医療の怖さというか、人々が嫌悪感を感じる理由かなと思った。
追記:生態子宮移植も凄いが、卵子への核移植というのも出てきた。代理出産も合わせるなら、遺伝上の母1(卵子の核)、遺伝上の母2(卵子の核以外、ミトコンドリアなど)、肉体上の母、と3人の母というのも原理的には可能なわけか。いやはや。
再追記:2016年のニュースだが、諏訪市のクリニックで夫が無精子症の夫婦に対して、夫の実父が精子提供をして、というのを100組程度行ってきたという発表があった。匿名の第三者のAIDよりも、血縁関係が明確なのが良いとかだが、まあ日本だと匿名のAIDへの不信も強いというのはあるのか。
2014年10月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
生殖医療のあり方が他者危害排除原則(他人に危害を与えてはならないという倫理原則)に基づいて倫理学者により考察されています。具体例も多く大変勉強になりました。“キャリアを積んできた優秀な女性たちだからこそ、「生物学的に落第」ということにつよい抵抗を感じてしまうのです。”、“父親が遺伝性の病気を発症し、「自分にも病気が遺伝しているかもしれない」と心配しているときに、母親から「あなたはお父さんと血がつながっていないから大丈夫だよ」と言われたり、”(以上、本文より抜粋)、などの表現は非常にインパクトがありました。
現在、一部の生殖医療においてこの倫理原則が守られていない背景として、依頼者(患者)だけでなく、精子ドナー、卵子ドナー、代理母、バンク職員、医師、研究者など、生殖医療にかかわる全ての人々の倫理を考える必要があると強く感じました。依頼者に対する憐憫を盾に自己の不倫理に蓋をするという例が残念ながらあるように思います。中江藤樹の“学者とは、徳によって与えられる名であって、学識によるのではない。いかに学識に秀でていても、徳を欠くなら学者ではない。”、また、アインシュタインの“優れた科学者を生み出すのは知性ではなく人格である。”、“宗教なき科学はダメ(lame)だ。”といった言葉の意味をもう一度考え直す必要があると思いました。
星4つとさせていただいたのは、以下の表現に賛同しかねたためです。
“不妊はたんなる「生物学的な運」です。どんな生物種にでも、一定の割合で子孫を残せない固体が存在します。”
筆者はおそらくDon't take it so seriously. といったニュアンスを伝えたかったのでしょうが、“不妊”を“病気”に置き換えてみると分かるとおり、少し配慮に欠けた表現と言わざるを得ません。
現在、一部の生殖医療においてこの倫理原則が守られていない背景として、依頼者(患者)だけでなく、精子ドナー、卵子ドナー、代理母、バンク職員、医師、研究者など、生殖医療にかかわる全ての人々の倫理を考える必要があると強く感じました。依頼者に対する憐憫を盾に自己の不倫理に蓋をするという例が残念ながらあるように思います。中江藤樹の“学者とは、徳によって与えられる名であって、学識によるのではない。いかに学識に秀でていても、徳を欠くなら学者ではない。”、また、アインシュタインの“優れた科学者を生み出すのは知性ではなく人格である。”、“宗教なき科学はダメ(lame)だ。”といった言葉の意味をもう一度考え直す必要があると思いました。
星4つとさせていただいたのは、以下の表現に賛同しかねたためです。
“不妊はたんなる「生物学的な運」です。どんな生物種にでも、一定の割合で子孫を残せない固体が存在します。”
筆者はおそらくDon't take it so seriously. といったニュアンスを伝えたかったのでしょうが、“不妊”を“病気”に置き換えてみると分かるとおり、少し配慮に欠けた表現と言わざるを得ません。
2015年6月24日に日本でレビュー済み
前著『はじめて学ぶ生命倫理』で、読者を生命倫理学の世界へと誘った著者の手になる、生殖医療を生命倫理学の視座から考察した1冊である。
前著同様、本書においても、小説や映画などを題材に読者に事例を与え、これをさまざまな角度から検討している。
生殖医療の問題は、生殖医療技術を利用する当事者のみを考慮して考えることはできない。
生殖医療に特徴的なのは、そこに新たな人格が誕生することである。
それゆえ、生殖医療技術を利用する当事者たちの幸福追求権や自己決定権の問題として片付けることはできないのである(本書24頁)。
ところが、生殖医療では、生まれてくる人たちの権利や福祉を考えることがずっと置き去りにされてきたという(本書204頁)。
本書では、生殖医療の利用者のみならず、それにより誕生する子供たちの福祉の観点にも目を配り、さまざまな利害関係者の立場から問題を考察している。
また、本書は、生殖医療の良質なルポルタージュとしての側面も有している。
本書を通じ、読者は、生殖医療の現状、そしてそこに内在する問題点をも知ることができる。
しかし、本書は(唯一の正解が存在しない)生命倫理学の視座から考察している本であるということもあり、そこに生殖医療のあるべき姿についての結論めいたものが示されることはない。
前著同様、さまざまな素材が提供された上で、読者には、自分の頭で考えることが求められているのである。
技術はニーズに沿って進展する、といわれている(本書19頁)。
子どもを持ちたいという人々のニーズに従い、生殖医療技術はこれからも発展していくことだろう。
しかし、そこに限界を設ける必要はないのだろうか。
ニーズに対応する技術があるならば、それは常に利用されることを許されるのだろうか。
本書を読み終えたとき、そんな宿題が残されたように感じた。
前著同様、本書においても、小説や映画などを題材に読者に事例を与え、これをさまざまな角度から検討している。
生殖医療の問題は、生殖医療技術を利用する当事者のみを考慮して考えることはできない。
生殖医療に特徴的なのは、そこに新たな人格が誕生することである。
それゆえ、生殖医療技術を利用する当事者たちの幸福追求権や自己決定権の問題として片付けることはできないのである(本書24頁)。
ところが、生殖医療では、生まれてくる人たちの権利や福祉を考えることがずっと置き去りにされてきたという(本書204頁)。
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また、本書は、生殖医療の良質なルポルタージュとしての側面も有している。
本書を通じ、読者は、生殖医療の現状、そしてそこに内在する問題点をも知ることができる。
しかし、本書は(唯一の正解が存在しない)生命倫理学の視座から考察している本であるということもあり、そこに生殖医療のあるべき姿についての結論めいたものが示されることはない。
前著同様、さまざまな素材が提供された上で、読者には、自分の頭で考えることが求められているのである。
技術はニーズに沿って進展する、といわれている(本書19頁)。
子どもを持ちたいという人々のニーズに従い、生殖医療技術はこれからも発展していくことだろう。
しかし、そこに限界を設ける必要はないのだろうか。
ニーズに対応する技術があるならば、それは常に利用されることを許されるのだろうか。
本書を読み終えたとき、そんな宿題が残されたように感じた。





