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生まれてこないほうが良かった: 存在してしまうことの害悪 単行本 – 2017/11/1
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- 本の長さ253ページ
- 言語日本語
- 出版社すずさわ書店
- 発売日2017/11/1
- ISBN-104795403600
- ISBN-13978-4795403604
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登録情報
- 出版社 : すずさわ書店 (2017/11/1)
- 発売日 : 2017/11/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 253ページ
- ISBN-10 : 4795403600
- ISBN-13 : 978-4795403604
- Amazon 売れ筋ランキング: - 345,571位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,249位人生論
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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- 2019年12月17日に日本でレビュー済みキルケゴールやシオランのように、反出生主義(生まれてこない方が良かったこと)を主張した思想家は今までにもいた。しかし本書でデイヴィッド・ベネターは、理論の主観への依存を限りなく小さくし異なる直観を持つものに対しても論理による説得力を持つ形で主張した点が新しい。
ベネターの反出生主義は、快楽と苦痛の存在と不在についての4つの命題から構成される「快楽と苦痛の非対称性(基本的非対称性)」を最も重要な概念としている。この基本的非対称性は本書の2章で説明され、主張の最も重要で独自性のある部分であると序文でベネター自身によっても評価される。そしてその基本的非対称性からの演繹として、「すべての感覚を持つ存在は決して存在してしまわないほうが良かった」ことは主張される。
多くの人がその主張から持つであろう印象とは異なり、ベネターは悲観的であったり人間嫌い・子供嫌いでは全くなく、他者への平等な配慮からこのような主張を行った、最も誠実で知性的な人物の1人であるように私には思われた。
「生まれてこないほうがよかった」という主張は一見暗く、ルサンチマンによるものにさえみえる。しかし存在よりも非存在に利益があるならば、そのときに悪となる「存在させる」ことを手放しに肯定するのは、本当に好ましい態度なのだろうか。この主張に直観的に賛成できるものは少ないかもしれない。世界と自分と他者の幸福を切実に考えるならば、そのうえでこの主張に反論するならば、この主張を無視するのではなく見つめたうえでより良いものを目指す必要がある。存在の悪さを見つめる段階に着目するとその主張は暗く不合理で非生産的なものにみえるかもしれないが、大局を見ればこれ以上に明るく合理的で生産的な態度はないとわかる。
本書への有力な一連の批判を参照すると、その主張がそのまま絶対に正しいとすることは難しい。しかし本書の主張とそれに続く一連の議論は、分析的な生命倫理研究において非常に重要なものであるだけなく、生活の場においての実践的な価値も持つとても有意義なものだ。
- 2024年12月17日に日本でレビュー済み※近頃新訂版が出た。
※訳者によるサブリーダーはこちらから。
ジローの著作によって先鞭がつけられた「反出生主義」、その「独自の輝き」(61頁)に惹かれて本書に辿り着く人間は、遅かれ早かれ森岡正博『生まれてこないほうが良かったのか?』にも手を出すことになるだろう。同書の第2章3節(48-62頁)は、本書の手がたい要約となっている。森岡はベネターの論理的破綻を論う立場にありながら、「彼の誕生害悪論は、それに躓く者たちの哲学的思索を挑発し発展させることのできる真正の哲学的問いである」(288-289頁)と、その議論の重要性を認めている。
彼の卓抜した比喩を引けば、ベネターの基本線は「どんなにきれいな絵の具を使ってどんなに美しい絵を描いたとしても、それは元の真っ白な美しさを超えることはない」という「潔癖症」を、人間存在の説明原理とすることである(54頁)。「ベネターが夢想しているのは、[…]無情と寂静に満ちた世界である」(56頁)。ただしこの発想は独創ではなく、ヘルマン・フェターが1971年に提出したレビュー論文の焼き直しにすぎない、と森岡は推定する(65頁)。あるいはもっと遡って、「ベネターの誕生否定の思想は、ショーペンハウアーの直系子孫である」とさえ述べている(94頁、ただし本書がショーペンハウアーに触れるのは3ページほどなので、この言い種には幾許かの誇張が含まれている)。
本書のタイトルは非常にセンセーショナルなものであるが、だからこそ注意を要するのは、「理論の構成からいうと、ベネターの誕生害悪論と自殺[…]論のあいだには、内的なつながりはほとんどない」(61頁)ということである。森岡が再三注意を促しているように、「「生まれてこなければよかった」と嘆きながらそれを理由に自殺するのは、哲学的には錯誤行為である」(47頁、cf. 101頁)。つまり、本書の考証の対象はあくまで「生まれなければよかった」であって、「死んだほうがマシ」ではない。実際、“The Human Predicament”でベネターが主張するのは、「気晴らしをしたりしながら、人生をやり過ごしていく」(59頁)ことである。ショーペンハウアーの「徹底したペシミズム」(98頁)からはほど遠い考え方だ。「まじめにふまじめ」な希死念慮を抱いている人間には、ベネターの思考はさぞ生ぬるく映ることだろう。おすすめできない。
本書が学術的に興味深いのは、「持続可能性」へのアンチテーゼとなる「人類絶滅計画」を大々的に提唱している、第4章以降だろう。「仮に全人類が絶滅するとしても、それが理にかなっているのならば、それはそれでいいではないか」(68頁)という素朴な、しかし決して無視できない直観である。森岡はこれを「哲学的急所」であるとした上で、ベネターをツァプファや先ほどのフェターの系譜に位置付けている(55、65、76頁)。「反出生主義と自然保護主義は、意外と近い距離にあるのかもしれない」(69頁)。
ここは日本である。どうせなら、小林和之「人間は値するか」(『法の臨界』巻頭論文)との兼ね合いのもとでベネターを評価してみてはどうだろうか。この論文は、「地球環境のために人類絶滅を目指す思想」(78頁)が「理にかなっている」ことを謳ったものである点で、反出生主義的発想の先駆を成している。
その大意は次のとおり。「環境問題」は「人間生活の問題」にほかならないのだから、その解決には人間が不在であることが求められる。出産税を設けることで、子を持ちたい者・持たない者の両者に利益のあるかたちで、人類は段階的絶滅を遂げていく。これは理論的には望ましいことである。
額面上、小林は「出産否定による人類の絶滅を好ましいものと考えるタイプの反出生主義者」(103頁)であるように見える。森岡は加藤秀一『〈個〉からはじめる生命論』を反出生主義への言及のはしりと位置付けているが(18頁)、「人類絶滅計画」という軸では、もっと遡及が可能なのである。
われわれがベネターから学ぶべきは、希死念慮などではない。SWGs(Sustainable Well-being Goals)を根本から疑う、愚者のための倫理学である(『「おろかもの」の正義論』)。
- 2022年9月17日に日本でレビュー済みAmazonで購入反出生主義者ですが、意味の分からない文章が多く、翻訳が合ってるのか分かりません
- 2020年11月1日に日本でレビュー済み話題の本ということで購読。古代から脈々と受け継がれる本テーマを、はじめて現代人へ論理的に周知させた内容らしいのだが、、正直ツッコミ所が多い。
・善悪や損得への捉え方が幼い
ベネターによる主張の核心部である利害の非対称性構造は深みに欠ける。損得や幸不幸は相互に依存しあうコインの裏表であり、捉えどころの無い現象である。定量化して評価できる代物ではない、という観点が明確に欠如している。
・自我の捉え方に西洋的個人主義の色合いが強すぎる
人類や全ての生物が絶滅しても、また生命は発生してしまうかも。物質と生命の境界線の不明瞭さにも言及がない。自由意志の有無なども問われていない。視野が狭いし解決策を示していない。
・読み辛い
哲学書としてはマシな部類とはいえ、論理表現が回りくどい。読んでいて少し苛立つ。
しかし、深く考えずに子どもを産む社会への警鐘や人生の本質が苦である思想は賛同できる。私達はもっと成熟すべきだろう。
だからといって、それを乗り越えるための哲学や宗教は多くあるのに、ただ緩やかな絶滅を目指すだけの思想が注目されるのは如何なものか。つまり、反出生主義を乗り越えることが現代人の実存的な課題らしい。そんな弁証法的な進展を楽しみにしている。ま、目新しさは何もないけれど。
- 2020年12月23日に日本でレビュー済みAmazonで購入著者によると、ゆえに「存在してしまうことは常に害悪である」ということです。
中心となる理論は非常にシンプルで、あっけにとられてしまいます。
著者は更に、子作りは可能な限り避け、妊娠した場合は可能な限り中絶を行い、人類は段階的絶滅へと向かうべきとします。
それでいて「人間好き」を自認する著者には興味を持たざるを得ません。
「訳者あとがき」にあるとおり、ネットを検索しても顔写真にたどり着かないというのも面白い。
本書を読み進めるにつれ、まるで藤子・F・不二雄のSF短編を読んでいるかのような気分になってきます。
「この様な考え方が、世間一般に受け入れられると思ってはいない」と著者は言いますが、仮にそういう世界を想定した場合の小説や映画があれば、とても楽しめそうです。
- 2018年4月24日に日本でレビュー済みこのタイトルを目にして、ピンとくる方は一定数存在するはず。筆者は生を受けた事を嫌悪していながら、子供を作ることなく自らの一生を生きるという。これは妥協、セカンドベストに他ならないのだがそれに甘んじている所には不満がある。
またこの手の本は、明確な指針を示すことなく筆が置かれる場合が多いがこれもそうだった。物足りない。





