簡単に言えばこの本は生(生成)の哲学を土台にした現代音楽論。
また仏教やポスト構造主義についても言及しているし結構楽しめた。
哲学的な解釈による現代音楽の本はあまりないだけに他の本と比較はできないが内容的には貴重なものかもしれない。
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現代音楽の哲学:認識論的転回からコミュニケーション的転回へ Kindle版
我々が事物(存在)の対象に従うのではなく、対象の方が我々の認識に従う「存在より認識へ」と言う、コペルニクス的転回(認識論的転回)を示したのはカントであったが、この流れは大筋ではあるが今日まで続いている。
もちろん、一口に認識論的転回と言っても一様ではない。たとえば現象学においては、存在を一旦エポケー(判断停止)とし、ありのままに世界を見る本質直観。その現象学の影響を受けたサルトルの「実存主義」では「実存は本質に先立つ」と「語る主体」を強調する一方、ニーチェやニーチェに影響を受けた、今日のポスト構造主義では、意識を生成や流動としてとらえ非同一性自己を思考し、脱主体を主張する。
あるいは仏教の唯識説では「全ては意識の表れに過ぎない」と外界の存在を完全に否定する極端な唯心論をとっている。また脳科学の「我々は外界の存在を直接知覚しているのではなく、脳が生み出すイメージや表象という間接知覚によって認識している」と言う考えも、広い意味で「認識論的転回」の流れと言ってよいだろう。(ちなみに、脳科学では自己の主観が作り出す質をクオリアと言っている、それはまた仏教で言う自灯明に近い)
そして、芸術における「認識論的転回」は、ガダマーが示した受容美学に表れ、その考えを受け継ぐ形で、バルト、デリダ、フーコー達による「作者の死」の概念に、また音楽ではエーコの「開かれた作品」に示されていると言える。
本書は西洋思想だけでなく、仏教思想からのアプローチも試みている。 第2章では受容美学「認識論的転回」の芸術論を「作者の死」の概念と仏教の「空」や華厳経との比較で論じている。
第3章ではジョン・ケージの作品について唯識、華厳経、止観などの仏教思想で論じている。ケージは「理性・意識・分節」を基本とした存在者中心の主観的なエクリチュール主義の音楽とは異なり、聴くべき対象(存在)を「沈黙」させ、その沈黙を「聴く」ことで、自己意識を自我から非我へと導き音をありのままへと開放(無分別知の音)する。
第4章は、1960年代から70年代にかけて欧米や日本の現代音楽シーンで特に注目された自由即興、集団即興について論じている。集団即興は実存主義やマルクス主義の影響を受けており、そうした観点からも言及できるが、それに留まらず自らが自己言及的に作動のまま境界を生成するという特徴から、先端のシステム論オートポイエーシスからも述べている。
第5章は、作曲家湯浅譲二の音楽思想について論じている。湯浅は第二次世界大戦後知識人や芸術家達の間に大きな影響を与えたサルトルの実存主義の影響を受けているが、また同時に湯浅より若い世代である近藤譲が影響を受けた構造主義やポスト構造主義への橋渡の役割ともなっている。
第6章は、主として近藤譲の作曲方法について論じている。
彼の「実在より関係を聴く」という方法は構造主義やポスト構造主義を背景としている。彼の出現は、それまで主流であった反芸術・反音楽という前衛芸術から、ポストモダンへのターニングポイントであったと言えるであろう。
本書は全体として「認識論的転回」を起点としつつ、音楽が理性や意識を背景とした連続的、主体的な自己同一性を示すだけにとどまらず、無意識、非同一性をも喚起することを述べている、それは独我論や観念論を反証し自他がどのように共通了解を求めて行くかと言う問題も示しているのである。
著書:河合孝治 河合明
もちろん、一口に認識論的転回と言っても一様ではない。たとえば現象学においては、存在を一旦エポケー(判断停止)とし、ありのままに世界を見る本質直観。その現象学の影響を受けたサルトルの「実存主義」では「実存は本質に先立つ」と「語る主体」を強調する一方、ニーチェやニーチェに影響を受けた、今日のポスト構造主義では、意識を生成や流動としてとらえ非同一性自己を思考し、脱主体を主張する。
あるいは仏教の唯識説では「全ては意識の表れに過ぎない」と外界の存在を完全に否定する極端な唯心論をとっている。また脳科学の「我々は外界の存在を直接知覚しているのではなく、脳が生み出すイメージや表象という間接知覚によって認識している」と言う考えも、広い意味で「認識論的転回」の流れと言ってよいだろう。(ちなみに、脳科学では自己の主観が作り出す質をクオリアと言っている、それはまた仏教で言う自灯明に近い)
そして、芸術における「認識論的転回」は、ガダマーが示した受容美学に表れ、その考えを受け継ぐ形で、バルト、デリダ、フーコー達による「作者の死」の概念に、また音楽ではエーコの「開かれた作品」に示されていると言える。
本書は西洋思想だけでなく、仏教思想からのアプローチも試みている。 第2章では受容美学「認識論的転回」の芸術論を「作者の死」の概念と仏教の「空」や華厳経との比較で論じている。
第3章ではジョン・ケージの作品について唯識、華厳経、止観などの仏教思想で論じている。ケージは「理性・意識・分節」を基本とした存在者中心の主観的なエクリチュール主義の音楽とは異なり、聴くべき対象(存在)を「沈黙」させ、その沈黙を「聴く」ことで、自己意識を自我から非我へと導き音をありのままへと開放(無分別知の音)する。
第4章は、1960年代から70年代にかけて欧米や日本の現代音楽シーンで特に注目された自由即興、集団即興について論じている。集団即興は実存主義やマルクス主義の影響を受けており、そうした観点からも言及できるが、それに留まらず自らが自己言及的に作動のまま境界を生成するという特徴から、先端のシステム論オートポイエーシスからも述べている。
第5章は、作曲家湯浅譲二の音楽思想について論じている。湯浅は第二次世界大戦後知識人や芸術家達の間に大きな影響を与えたサルトルの実存主義の影響を受けているが、また同時に湯浅より若い世代である近藤譲が影響を受けた構造主義やポスト構造主義への橋渡の役割ともなっている。
第6章は、主として近藤譲の作曲方法について論じている。
彼の「実在より関係を聴く」という方法は構造主義やポスト構造主義を背景としている。彼の出現は、それまで主流であった反芸術・反音楽という前衛芸術から、ポストモダンへのターニングポイントであったと言えるであろう。
本書は全体として「認識論的転回」を起点としつつ、音楽が理性や意識を背景とした連続的、主体的な自己同一性を示すだけにとどまらず、無意識、非同一性をも喚起することを述べている、それは独我論や観念論を反証し自他がどのように共通了解を求めて行くかと言う問題も示しているのである。
著書:河合孝治 河合明
- 言語日本語
- 発売日2013/3/4
- ファイルサイズ174 KB
登録情報
- ASIN : B00BOYSMS8
- 出版社 : TPAF; 第1版 (2013/3/4)
- 発売日 : 2013/3/4
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 174 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 35ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 207,031位Kindleストア (の売れ筋ランキングを見るKindleストア)
- - 906位楽譜・スコア・音楽書 (Kindleストア)
- - 1,175位音楽 (Kindleストア)
- - 3,578位哲学・思想 (Kindleストア)
- カスタマーレビュー:
著者について
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東京都杉並区出身。サウンドアーチスト&コンセプター、学際芸術研究家、アートクロッシング編集者。
電子音楽やビジュアルアート作品の制作・パフォーマンス、ピアノの即興演奏、アート、映像、哲学、仏教の研究も行う。
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