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現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から Kindle版
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言語日本語
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発売日2016/8/21
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ファイルサイズ1686 KB
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
ゲームの進化は、人類をいかに変容させてきたか?世界大戦以前に遡る情報テクノロジーの黎明期から、VR・ARが人々の生活を塗り替える“拡張現実の時代”まで、総計600点以上のゲーム機とソフトの詳細分析を通じて展開する、壮大なスケールの現代社会・文化論。
--このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
著者について
■中川大地(評論家/編集者)
1974年東京都墨田区向島生まれ。ゲーム、アニメ、ドラマ等のカルチャー全般をホームに、日本思想や都市論、人類学、生命科学、情報技術等を渉猟して文化と社会、現実と虚構を架橋する各種評論の執筆やコンセプチュアルムック等を制作。批評誌『PLANETS』副編集長。著書に『東京スカイツリー論』、編書に『クリティカル・ゼロ』『あまちゃんメモリーズ』など。 --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
1974年東京都墨田区向島生まれ。ゲーム、アニメ、ドラマ等のカルチャー全般をホームに、日本思想や都市論、人類学、生命科学、情報技術等を渉猟して文化と社会、現実と虚構を架橋する各種評論の執筆やコンセプチュアルムック等を制作。批評誌『PLANETS』副編集長。著書に『東京スカイツリー論』、編書に『クリティカル・ゼロ』『あまちゃんメモリーズ』など。 --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
中川/大地
評論家/編集者。1974年東京都墨田区向島生まれ。ゲーム、アニメ、ドラマ等のカルチャー全般をホームに、日本思想や都市論、人類学、生命科学、情報技術等を渉猟して文化と社会、現実と虚構を架橋する各種評論の執筆やコンセプチュアルムック等を制作。批評誌『PLANETS』副編集長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
評論家/編集者。1974年東京都墨田区向島生まれ。ゲーム、アニメ、ドラマ等のカルチャー全般をホームに、日本思想や都市論、人類学、生命科学、情報技術等を渉猟して文化と社会、現実と虚構を架橋する各種評論の執筆やコンセプチュアルムック等を制作。批評誌『PLANETS』副編集長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) --このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。
登録情報
- ASIN : B01KVOPB58
- 出版社 : PLANETS (2016/8/21)
- 発売日 : 2016/8/21
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1686 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 本の長さ : 398ページ
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 11,131位実用・ホビー
- - 109,698位Kindle マンガ
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
5つ星のうち4.1
星5つ中の4.1
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年6月23日に日本でレビュー済み
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Amazonで購入
ゲーム大国である日米の文明史観をカイヨワの遊戯の4分類に当てはめ、各時代の特徴をゲームに沿って読み解いています。SFミステリの早川書房から出ているだけあって、その切り口からゲームの諸相が俯瞰できます。ブロック崩しの時代のアタリのコーガンらのことも触れられているので、「すべてはポンから始まった」との併読をお勧めします。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2018年2月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
黎明期以前に現在におけるゲームの形が発想されるところから、現代までわずか500ページ程度で濃密に記述されている。
90年前後の革命的試みや、ここ数年でゲームビジネスの在り方を変えたモバイルゲームがいくつかスルーされていたり抜けも見受けられるが、これ一冊で全体を網羅するという点ではかなりしっかりした内容で、ゲーム史の勉強を始めたい人にとって入門書になってくれる名著だと思う。
ただ、文体が詩的だったり独特なので人によっては読解に苦労するかもしれない。
90年前後の革命的試みや、ここ数年でゲームビジネスの在り方を変えたモバイルゲームがいくつかスルーされていたり抜けも見受けられるが、これ一冊で全体を網羅するという点ではかなりしっかりした内容で、ゲーム史の勉強を始めたい人にとって入門書になってくれる名著だと思う。
ただ、文体が詩的だったり独特なので人によっては読解に苦労するかもしれない。
2016年10月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
めちゃくちゃ面白かったです。テクノロジーだけでなく日米関係も含めた現代社会・文化論として、非常に重要な文脈を紡いだ意欲作(500ページ以上の大作・・・)、、凄い本が出たなあと率直に感動しました。
そもそもコンピューターゲームの歴史を改めて確認する意義については、最初読み始める前までピンとこなかったのが本音でして、、ゲームは多少するけどもコアなゲーマーという自覚は自分にはなく、特に自分と関係ない話が語られてるのかなと思いつつ本書を手に取りました。しかし本書が追求しようとしているテーマはそう言った「ゲーム個別の優劣評価やマニアックさ自体を年代別に記録する」だけのものとは異なり、「ゲーム史を通じて、戦後の情報社会や文化がどのような相互作用で遷移を経てきたか」に取り組むものになってます。日々、僕たちがスマホやインターネットで遊んだりビジネスしたりしている現状が、どのように誕生し形成し成熟していったかを物語るものになっています。
面白かった部分を個別にピックアップすると多岐に渡る(すごく沢山あります、、、)ので、ポイントとなる部分をざっと紹介していきます。
本書の全体構成としては、1〜3章の大きな物語の一部としてコンピューターゲームの誕生から黎明期を大河ドラマのような展開で見せる一方(ここまでの大きい話が個人的にはドラマチックで特に大好きです)、4章以降の個別のゲームソフトに言及していく小さな物語の集積で構成されています(かなり大雑把な区分です)。テクノロジーの進化に伴って、ゲームデバイスが絶えず心身代謝を繰り返し(ファミコン、プレステ、スマホゲームなどなど数年ごとに主流ゲーム機や環境が変化していく流れ)激しい生存競争の中で、多様な生態系が拡散と集約を反復していく流れが結果的に表現されている点は、エネルギッシュに時代が変化する感覚と、冷徹な諸行無常感が出ていて個人的にとてもワクワクしました。
そもそもコンピューターゲーム自体が、原子力などの軍事産業や宇宙開発など国家的プロジェクトの隅っこからひっそりと誕生してきたという歴史があり、また最初からビジネス目的でコンピューターゲームは生まれたわけではなく、大学生やハッカーたちが繋がって「遊び続ける」ことで改変を繰り返して進化させてきたという黎明期があったことも本書で知りました。これに関しては、2000年代に主流だったインターネットやテクノロジーが個人の力を増強しネットワークで繋がることで「社会は変えれる」という言論状況や、アメリカのハッカー文化とヒッピー文化が融合した思想やムーブメントを背景にグーグルやフェイスブックやアップルが生まれてきた流れとも類似しており、現代の状況とも比較しながら読めて非常に楽しかったです。
本書では、現代ゲームの一つの到達点としてポケモンGO(拡張現実ゲーム)が語られています。2016年、このゲームの大ヒットにより、現実とはズレたレイヤーに僕らは引き込まれ、モンスターを求めて普段行かない路地に彷徨い込んだり、深夜の公園をウロウロしたりました。多くの人が想像しなかったし、今までの価値観で見ればとても滑稽かもしれないけれど、実は非常に面白い現実。。本書が物語るゲームやコンピューターの歴史は、このような情報環境がもたらす想像しがたい未来を思考するためのベースになりうるものだと期待できます。
激しく変化する情報・ビジネス環境の中で「楽しんで」生きていくために。
本書冒頭の「ゲームは現実よりも強い」という視座が今後より重要になってくると思います。
現代日本で「楽しく生きること」を模索するすべての人に、オススメの一冊です。
そもそもコンピューターゲームの歴史を改めて確認する意義については、最初読み始める前までピンとこなかったのが本音でして、、ゲームは多少するけどもコアなゲーマーという自覚は自分にはなく、特に自分と関係ない話が語られてるのかなと思いつつ本書を手に取りました。しかし本書が追求しようとしているテーマはそう言った「ゲーム個別の優劣評価やマニアックさ自体を年代別に記録する」だけのものとは異なり、「ゲーム史を通じて、戦後の情報社会や文化がどのような相互作用で遷移を経てきたか」に取り組むものになってます。日々、僕たちがスマホやインターネットで遊んだりビジネスしたりしている現状が、どのように誕生し形成し成熟していったかを物語るものになっています。
面白かった部分を個別にピックアップすると多岐に渡る(すごく沢山あります、、、)ので、ポイントとなる部分をざっと紹介していきます。
本書の全体構成としては、1〜3章の大きな物語の一部としてコンピューターゲームの誕生から黎明期を大河ドラマのような展開で見せる一方(ここまでの大きい話が個人的にはドラマチックで特に大好きです)、4章以降の個別のゲームソフトに言及していく小さな物語の集積で構成されています(かなり大雑把な区分です)。テクノロジーの進化に伴って、ゲームデバイスが絶えず心身代謝を繰り返し(ファミコン、プレステ、スマホゲームなどなど数年ごとに主流ゲーム機や環境が変化していく流れ)激しい生存競争の中で、多様な生態系が拡散と集約を反復していく流れが結果的に表現されている点は、エネルギッシュに時代が変化する感覚と、冷徹な諸行無常感が出ていて個人的にとてもワクワクしました。
そもそもコンピューターゲーム自体が、原子力などの軍事産業や宇宙開発など国家的プロジェクトの隅っこからひっそりと誕生してきたという歴史があり、また最初からビジネス目的でコンピューターゲームは生まれたわけではなく、大学生やハッカーたちが繋がって「遊び続ける」ことで改変を繰り返して進化させてきたという黎明期があったことも本書で知りました。これに関しては、2000年代に主流だったインターネットやテクノロジーが個人の力を増強しネットワークで繋がることで「社会は変えれる」という言論状況や、アメリカのハッカー文化とヒッピー文化が融合した思想やムーブメントを背景にグーグルやフェイスブックやアップルが生まれてきた流れとも類似しており、現代の状況とも比較しながら読めて非常に楽しかったです。
本書では、現代ゲームの一つの到達点としてポケモンGO(拡張現実ゲーム)が語られています。2016年、このゲームの大ヒットにより、現実とはズレたレイヤーに僕らは引き込まれ、モンスターを求めて普段行かない路地に彷徨い込んだり、深夜の公園をウロウロしたりました。多くの人が想像しなかったし、今までの価値観で見ればとても滑稽かもしれないけれど、実は非常に面白い現実。。本書が物語るゲームやコンピューターの歴史は、このような情報環境がもたらす想像しがたい未来を思考するためのベースになりうるものだと期待できます。
激しく変化する情報・ビジネス環境の中で「楽しんで」生きていくために。
本書冒頭の「ゲームは現実よりも強い」という視座が今後より重要になってくると思います。
現代日本で「楽しく生きること」を模索するすべての人に、オススメの一冊です。
2017年6月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
内容、というか、企画自体には満点をあげたい。
スマホが台頭し、若者がPC離れを起こし、かつコンシューマに勢いがなくなった昨今のゲーム業界。
ここらでその激動のゲーム史をまとめる時期としてはかなり適当だろう。
そこらへんは宇野常寛といったところか。
ただ書き手、つまりは文章がダメだ。どうにも浸っていて、終始、自慰文章に付き合わされてる感が鼻につく。
普通に簡潔にまとめればいいものを、なんだか初心者が陥りがちな批評っぽく仕上げている。
まわりくどく、かつ別に洒落ているわけでもなく、ただただ冗長で安っぽい。
自分はこんな語彙も備えてるんだぜっていう感じほど読者を辟易させるものはない。
つまり、書かせる人間を間違えたなというのが感想。
スマホが台頭し、若者がPC離れを起こし、かつコンシューマに勢いがなくなった昨今のゲーム業界。
ここらでその激動のゲーム史をまとめる時期としてはかなり適当だろう。
そこらへんは宇野常寛といったところか。
ただ書き手、つまりは文章がダメだ。どうにも浸っていて、終始、自慰文章に付き合わされてる感が鼻につく。
普通に簡潔にまとめればいいものを、なんだか初心者が陥りがちな批評っぽく仕上げている。
まわりくどく、かつ別に洒落ているわけでもなく、ただただ冗長で安っぽい。
自分はこんな語彙も備えてるんだぜっていう感じほど読者を辟易させるものはない。
つまり、書かせる人間を間違えたなというのが感想。
2018年12月31日に日本でレビュー済み
著者さんは学があり、難解な言葉を使うのを好まれる傾向があらせられるが、それが本書の敷居を上げている。もしくは高尚化に成功し、サブカルチャーであるゲームの総論書として読み応えがあるものになっている。
残念なのは興味が無い、もしくはプレイをしなかったであろうゲームに関しての記述がネットで拾ってきたかのような薄さでバランスを欠いている。
特に女性向けゲームに関しての記述は呆れてしまった。
コンシューマゲームが大人も子どもも遊べるものとなった時期に、オリジナルの女性向けが完成度の高い状態で販売され口コミで広がっていった様は、著者が特筆しているガンパレード.マーチ現象並みに扱えとは言わないが、もう少し掘り下げても良かったのではないかと感じる。
大人も子どもも熱狂した時代があった。
あれはゲームバブルではなく新しい表現が産まれた瞬間であり、熟成が速すぎたため次の制作世代が育つのが間に合わなかったとも言える停滞期。
なにもかも新しかった時代との乖離とも言える現象。
ミリオンが次々と生まれた時代に青春期を過ごされたであろう著者の視線の所々が高いところにあるのは、アカデミックな意欲作である証しなのかも知れない。
商品の装丁の画像は慣例的に著作権問題になりにくいであろうに、文字だけで構成されているのも不思議ではある。
表や装丁がある方が、私程度にはちょうど良い。
私のゲーム脳の哀れさでもある。
一行で書くなら、難易度の高い表現を選んだのはなぜですか?
残念なのは興味が無い、もしくはプレイをしなかったであろうゲームに関しての記述がネットで拾ってきたかのような薄さでバランスを欠いている。
特に女性向けゲームに関しての記述は呆れてしまった。
コンシューマゲームが大人も子どもも遊べるものとなった時期に、オリジナルの女性向けが完成度の高い状態で販売され口コミで広がっていった様は、著者が特筆しているガンパレード.マーチ現象並みに扱えとは言わないが、もう少し掘り下げても良かったのではないかと感じる。
大人も子どもも熱狂した時代があった。
あれはゲームバブルではなく新しい表現が産まれた瞬間であり、熟成が速すぎたため次の制作世代が育つのが間に合わなかったとも言える停滞期。
なにもかも新しかった時代との乖離とも言える現象。
ミリオンが次々と生まれた時代に青春期を過ごされたであろう著者の視線の所々が高いところにあるのは、アカデミックな意欲作である証しなのかも知れない。
商品の装丁の画像は慣例的に著作権問題になりにくいであろうに、文字だけで構成されているのも不思議ではある。
表や装丁がある方が、私程度にはちょうど良い。
私のゲーム脳の哀れさでもある。
一行で書くなら、難易度の高い表現を選んだのはなぜですか?
ベスト500レビュアー
ゲーム世界の全領域について、進化の歴史を記録した現代のゲーム論です。ゲームの世界から見た現代社会の文化論にもなっています。
ゲーム進化の歴史を記録するに当たって、本書では、時代区分を前半と後半に分け、前半は第6章まで、後半は第7章からとし、前半は見田宗介の提起した時代区分に沿って戦後のゲーム史観を述べています。後半では、宇野常寛の時代区分を援用して論じています。
「史上初」のゲームとしての『Tennis for Two(二人でテニスを)』は、創成期のコンピュータの主目的の方向とは「いささか異なる道へと踏み出」したものでした。ジャズ曲「Tea for Two(二人でお茶を)」にちなんで名付けられた、この世界初のゲームが創始したものは、何だったのでしょうか?それは、ゲーム理論では完全には記述できない空間でのオリジナルな「遊び」の世界的な初体験だったのです。
今、なつかしいドリス・デイの歌う「二人でお茶を」を一人でコーヒーを飲んで聴きながら、570頁あまりの本書を、重いので手に持たずに食卓に置いたままで、読んでいます。本書を読み終わったら、ちょうど二十年前に登場した『ポケットモンスター(ポケモン)』か、『電車でGO!』で遊ぶのを楽しみにして。
ゲーム進化の歴史を記録するに当たって、本書では、時代区分を前半と後半に分け、前半は第6章まで、後半は第7章からとし、前半は見田宗介の提起した時代区分に沿って戦後のゲーム史観を述べています。後半では、宇野常寛の時代区分を援用して論じています。
「史上初」のゲームとしての『Tennis for Two(二人でテニスを)』は、創成期のコンピュータの主目的の方向とは「いささか異なる道へと踏み出」したものでした。ジャズ曲「Tea for Two(二人でお茶を)」にちなんで名付けられた、この世界初のゲームが創始したものは、何だったのでしょうか?それは、ゲーム理論では完全には記述できない空間でのオリジナルな「遊び」の世界的な初体験だったのです。
今、なつかしいドリス・デイの歌う「二人でお茶を」を一人でコーヒーを飲んで聴きながら、570頁あまりの本書を、重いので手に持たずに食卓に置いたままで、読んでいます。本書を読み終わったら、ちょうど二十年前に登場した『ポケットモンスター(ポケモン)』か、『電車でGO!』で遊ぶのを楽しみにして。
2016年10月22日に日本でレビュー済み
厚さも然ることながら、ゲームが題材でありながらカラーページはおろか写真やイラストは一切なく
全ページテキストのみのガチな内容で、文面もインテリ臭さが鼻につき、論文めいた印象を受けます。
最初の100ページぐらいはTennis for twoよりも昔の歴史から触れていて、
世界大戦からマンハッタン計画、ヒッピーなどイデオロギー的な面も強く人によっては退屈なんじゃないかと思います。
自分は一応読んだものの、正直ほとんど頭に入りませんでしたが、
現代においても日本と違い、ゲームにシミュレーター的な要素を強く打ち出すアメリカの志向がこの頃から見て取れました。
アタリショックに関しても触れてますが日本で定説になっている「クソゲーが蔓延して市場が崩壊した」ではなく
北米ではコモドール64などのホームパソコンへトレンドが移行した事が大きな要因として触れられているのは興味深い所です。
100ページを過ぎていけば馴染みのある日本市場がメインになっていくので読みやすくなります。
一般人が読むにはかなりハードルが高い内容ですけど、ゲーム史に興味のある人には読んで損はないと思いますよ。
全ページテキストのみのガチな内容で、文面もインテリ臭さが鼻につき、論文めいた印象を受けます。
最初の100ページぐらいはTennis for twoよりも昔の歴史から触れていて、
世界大戦からマンハッタン計画、ヒッピーなどイデオロギー的な面も強く人によっては退屈なんじゃないかと思います。
自分は一応読んだものの、正直ほとんど頭に入りませんでしたが、
現代においても日本と違い、ゲームにシミュレーター的な要素を強く打ち出すアメリカの志向がこの頃から見て取れました。
アタリショックに関しても触れてますが日本で定説になっている「クソゲーが蔓延して市場が崩壊した」ではなく
北米ではコモドール64などのホームパソコンへトレンドが移行した事が大きな要因として触れられているのは興味深い所です。
100ページを過ぎていけば馴染みのある日本市場がメインになっていくので読みやすくなります。
一般人が読むにはかなりハードルが高い内容ですけど、ゲーム史に興味のある人には読んで損はないと思いますよ。
現時点ではこのメニューの読み込みに問題があります。