この商品をお持ちですか? マーケットプレイスに出品する
裏表紙を表示 表紙を表示
サンプルを聴く 再生中... 一時停止   Audible オーディオエディションのサンプルをお聴きいただいています。
この画像を表示

狂気の歴史―古典主義時代における 単行本 – 1975/2

5つ星のうち 4.3 7件のカスタマーレビュー

その他()の形式およびエディションを表示する 他のフォーマットおよびエディションを非表示にする
Amazon 価格
新品 中古品
単行本, 1975/2
"もう一度試してください。"
¥ 41,050 ¥ 2,480
click to open popover

この商品を見た後に買っているのは?

Kindle 端末は必要ありません。無料 Kindle アプリのいずれかをダウンロードすると、スマートフォン、タブレットPCで Kindle 本をお読みいただけます。

  • Apple
  • Android
  • Android

無料アプリを入手するには、Eメールアドレスを入力してください。



【Amazon Global】OTAKU Store
Figures, Video Games, Blu-ray, DVD and Music of Japanese Anime, Games and Pop Culture Shop now

登録情報

  • 単行本: 649ページ
  • 出版社: 新潮社 (1975/02)
  • 言語: 日本語
  • ISBN-10: 4105067028
  • ISBN-13: 978-4105067021
  • 発売日: 1975/02
  • 商品パッケージの寸法: 20.6 x 14.2 x 4.2 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.3 7件のカスタマーレビュー
  • Amazon 売れ筋ランキング: 本 - 41,536位 (本の売れ筋ランキングを見る)
  • さらに安い価格について知らせる
    この商品を出品する場合、出品者サポートを通じて更新を提案したいですか?

カスタマーレビュー

5つ星のうち 4.3
あなたのご意見やご感想を教えてください

トップカスタマーレビュー

Amazonで購入
主に15世紀から18、19世紀にかけての“狂気”の位置の変化を考察した本である。
訳語は難解であるが、含まれる歴史的事実は豊富で、これ以上の資料はなかなか見つからないように思われる。
ルネサンス、宗教改革、隔離、ピネル・テュークによる解放の4点を転機として、自己と狂気の位置関係、神聖さとその喪失、法律・経済・医学と狂気の関係、精神医学が思いがけず秘教的な雰囲気をまとってしまった経緯などが語られる。
ルネサンス、宗教改革によるプロテスタントの出現が、ヨーロッパの思想や現実にどのような影響を与えたのかもよくわかった。
「多分、人々は狂気がどんなものであり得たかが、もうはっきりわからなくなるだろう」と著者はいうが、まさに私たちも、今狂気の変化の中を知らぬうちに過ごしているのだろう。

フーコーについて批判はあるが、それらの批判も、最終的には、フーコーは何らかの真実が含まれているという論調になっているようだ。
狂気について論じる際には、この本に含まれる資料や考察が、いずれにせよ役に立つと思われる。

翻訳が読み易ければ、間違いなく☆5つだが、私にとっては読みづらかった。訳書として☆4つ。
コメント 9人のお客様がこれが役に立ったと考えています. このレビューは参考になりましたか? はい いいえ 評価を送る...
フィードバックありがとうございました。
申し訳ありませんが、お客様の投票の記録に失敗しました。もう一度試してください。
違反を報告
投稿者 とり トップ1000レビュアー 投稿日 2017/2/3
冒頭、「序言」に「人間が狂気じみているのは必然的であるので、狂気じみていないことも、別種の狂気の傾向からいうと、やはり狂気じみていることになるだろう」というパスカルの言葉があります。本物の理性、なんてものは、神にしか持ち得ず、誰もが狂気のなかの理性、理性のなかの狂気をもっている。時代の変遷により「狂気」はどう処理されてきたか。監禁、入院、そして治療に至るまでの、中、近世の歴史を繙いた一冊です。
「奇矯な人間でも気違いでもない」のに閉じ込められたのは異教者あるいは無信心者。まるで現代に通じるような治療法「芝居(イマジネーション)による(願望の)実現」などなど、興味深い記述が多いが、とにかく読み難い。訳文に問題あり、とのレビューが多いが、時代のせいも、あるのかも。新訳版があったら読んでみたい。
コメント 1人のお客様がこれが役に立ったと考えています. このレビューは参考になりましたか? はい いいえ 評価を送る...
フィードバックありがとうございました。
申し訳ありませんが、お客様の投票の記録に失敗しました。もう一度試してください。
違反を報告
投稿者 HY 投稿日 2013/2/19
原文が難解だとしても、この翻訳は日本語になっていないところが多い。ほんの一例をあげると、ポジティーヴを積極的、ネガティヴィテを消極性と訳しているが、これは肯定的、否定性と訳さないと意味がとれない。もっと誤訳に近いものもあるようだ。版権の問題があるにしても、速やかに新訳が出ることを強く望む。
コメント 16人のお客様がこれが役に立ったと考えています. このレビューは参考になりましたか? はい いいえ 評価を送る...
フィードバックありがとうございました。
申し訳ありませんが、お客様の投票の記録に失敗しました。もう一度試してください。
違反を報告
投稿者 Qumsattang 投稿日 2011/9/2
20世紀は、イデオロギーを問わず大量虐殺を経験しました。
我々(特に欧米人)は啓蒙の先端を走っていたのではないのか?
なぜこんなことをしてしまったのか。
フーコーは、この現実を受け止め、

「われわれは皆、狂ってる」ないし「狂気を十分に残している」

と判断せざるえなかったのだと思います。

そしてフーコーは、言語に尽くしがたい大量虐殺を真摯に受け止め、
自分たちはいったどこで間違えてしまったのか、という問題を突きつめようとし、
それをこの『狂気の歴史』でまず明らかにしたのだと思います。
もちろんこのような意図は同書の序論にもありません。
いわば、同書のさらなる文脈はこうじゃないかと思うわけです。

さて、フーコーは、その発端を、
輝かしい理性の勝利の時代とされる17世紀(新古典主義の時代)の後半の
「狂人の画一的な監禁」、に見出します。
そして、その原因の探求にも力を注ぎます。
その時代に狂人の扱いが一変することを明らかにするため、
本書は「狂気の歴史」を描いたわけです。
ただ、狂人への対応が間違っていたことが最終的な問題ではなく(もちろん問題ですが)、
真の問題
...続きを読む ›
コメント 19人のお客様がこれが役に立ったと考えています. このレビューは参考になりましたか? はい いいえ 評価を送る...
フィードバックありがとうございました。
申し訳ありませんが、お客様の投票の記録に失敗しました。もう一度試してください。
違反を報告