過去メディアワークス文庫においては架空の戦前と戦後を描いて来た作家・牧野修が久しぶりに登場。オリジナリティの塊みたいな前二冊に比べると
表紙や扉絵の雰囲気からして「あああ…牧野修も『最近のメディアワークス文庫』に染められてしまったのか…」と若干嘆きつつ拝読
物語は主人公の大学生・伏部萩兎が金沢駅で待ち合わせた友人たちの中に五分ほど遅れてきた者がいた事で「約束事を守れない奴は社会不適合者だ」と
説教をしてそのまま帰途についた場面から始まる。容姿端麗・頭脳明晰・身体頑健と三拍子そろった上に世界的にも有名な「伏部デザイン工房」の
一人息子として生まれた萩兎だったが、例外なく他人を見下すという性格だけが欠点であった。そんな萩兎を出迎えたのは主人の姿を見て全身で
はしゃぐ一匹の柴犬とその後を追って来た幼馴染の姫川ハル子。父親が同じ名前にすれば可愛がるだろうとハギトと名付けたその柴犬の散歩は萩兎の
仕事だろうとリードを渡すハル子。仕方無しに犀川沿いの散歩コースをハギトを連れて歩く萩兎だったが間が悪い事に北陸地方では冬の始まりを告げる
「雪ガミナリ」が鳴り始め大粒の雨が落ちてくる。近くの寺の門の下へと逃れた萩兎とハギトだったが、土塀に被さる様に生えていた大きな松に落雷
ハギトともども吹き飛ばされた萩兎はそれが落雷だと気付く間もなく失神する。やがて目が覚めたハギトは自分が薬のニオイがする場所にいる事に気付く
身体を動かそうとしたが、どうにも間隔がズレて自分の体ではない様に感じられる。何とか自分が寝かされていたベッドの下を覗くと、そこには一匹の
柴犬が。これまで自分が感じてきたニオイの明確な世界が遠くなり、目がチカチカするぐらい色が鮮やかに感じる世界でその同類に向かって「あれ、君は」
と声を上げた自分に犬である自分が人間の言葉を喋っている、と驚愕するハギト。そんなハギトに向かって目の前の柴犬は―黙って俺の話を聞け、と
犬の言葉を発する。―俺はお前の飼い主の伏部萩兎だ、と続ける柴犬。落雷の衝撃で魂が入れ替わった萩兎とハギトだったが、何も知らないハル子や
父親の寿久は事故前の傲岸不遜な萩兎が人が変わったかの様に他人に素直に感謝の気持ちを表せる様になっている事に困惑する。落雷の脳への
影響かと思われたままハギトはリハビリを受け、退院後に社会復帰の第一歩として寿久の古い友人であるハル子の父親・姫川文吾の経営する書店で
バイト店員として働き始める事になるが…
変則的な連作短編形式。70頁ほどの短編が三本と、150頁ほどの中編一本により構成
ライトノベルでは描き難い物、として「地方」の存在があると思う。架空の町が舞台で無ければ、だいたいは東京周辺が舞台となっているし、地方の存在は
精々が「方言キャラ」を出すのが精いっぱい。それも露骨にステレオタイプ化した様な、某県民ショーみたいに実際にその土地に住んでいる人間が見れば
顔をしかめる様な描き方しかされていないのがほとんどだと思う。本作はそんな地方都市の一つ、新井白石が「天下の書府」と評した町・金沢を
舞台として使い、読後には「確かにこの物語は金沢以外では成り立ち得ないな」と納得させられるだけの物があった。登場人物が口にする、しっかりと
監修を受けた事が分かる金沢弁に始まり、町の風景・歴史、住人の気質、そして北陸独特の気候までもが余すところなく物語に練り込まれているのである
(最近だと石川県に絡むキャラが出てくるライトノベルと言えば白鳥士郎の「りゅうおうのおしごと!」があるが、本作に比べればまさに「小僧っ子の仕事」
としか思えない)
物語の方は落雷によって飼い主の萩兎と魂が入れ替わった柴犬のハギトが萩人の姿で書店員として働きながら金沢の町で起きる、失火と同時に姿を
消した犬の居場所探しから始まり、元塾経営者の夫婦を狙ったヤミ金絡みの恐喝事件や借金が元で全てを失った工場経営者が妻を残して消えた
失踪事件などに犬の身体に天才の魂という状態の萩兎の力を借りて、解決の為に奔走する、という姿が描かれている。そして後半の中編は前半で
少しずつ撒かれていた伏線を拾い集める形で消防関係者や保険業界で都市伝説的な存在となっている凄腕の放火魔「ファイアーマン」との対決が
描かれている
本作においては何より主人公のハギトが特徴的。姿は青年・伏部萩兎だけど落雷で魂が入れ替わった事でまさに犬の様に純粋無垢な存在として振る舞う
(知能は五歳児レベルだけど!)姿はなんとも独特。まるでこの世の悪など存在しないかの様な、少なくとも悪に染められた部分など全く存在しないかの
様な天使の如き存在なのである。冒頭で描かれる萩兎が恐ろしく傲岸不遜な性格の人間として描かれる事で余計にこの純粋さが際立っている。頭脳は
優秀な萩兎だけど性格は超最悪
前を塞ぐように杖をついた老人がのろのろ歩いているのに舌打ちし、「動作がのろいことがわかっているのに何故道の真ん中を歩く」と呟きつつバスに
乗り込めば赤ん坊がうるさく泣いている。母親を睨み付けそれは育児放棄だと言い捨て、バスを降りたら老舗の甘味処に並ぶ観光客を見て、配給待ちの
露西亜の貧民かと嘲笑った
…まあ、何と言うか実にイヤな野郎なんである。これが無能なら良いのだけど性格以外は完璧だというのだから始末に負えない。本作においては落雷で
犬の身体に入ってしまった萩兎が自分の姿で純粋な振る舞いを見せるハギトに最初は苛立ちを見せながら、町の人々が巻き込まれた不幸を見捨てず
何の利も求めないで解決に奔走するハギトの姿に少しずつ変化を見せ始める部分も大きな要素となっているのである
前半で描かれるのは息子が起こした事故がきっかけで多額の賠償金を背負う羽目になりヤミ金に全てを毟り取られそうになりながらも、元教え子を
疑う事が出来ずにいる老夫婦の姿や、経営に行き詰った工場経営者が従業員の賃金を支払う為に自宅まで売り払って全てを失いながら、妻の前から
何も言わずに去った真相なのだけど、純粋なハギトの目を通して描かれる善良なる人々が我が身を襲った不幸を「仕方の無い事」と受け入れ様とする
姿は「庶民の哀感」という物をこれでもか、と言うぐらいに感じさせてくれる。善人が善人であるが故に不幸にならざるを得ず、その運命を受け入れつつも
大切な人だけは守ろうとする姿は何とも物悲しく、それでいて愛らしい物を感じさせてくれる
そして後半で描かれるのはそんな庶民の哀感とは対照的な「純粋悪」である。作中の言葉を借りれば「毒の息を吐くかのように害を為す」様な吐き気の
する様な「悪」である。本作でも序盤から少しずつ描かれてきた「火」を弄び、自らの想いに従わない者は老若男女を問わず傷付けて、一片の負い目も
感じない、そんな「悪」を前に純粋さの塊の様なハギトがどう立ち向かうのか?まさに純粋な「善」と純粋な「悪」の対決が描かれるのである
それまでは地方都市・金沢を舞台にした人情物と思わされてきた物語が、ヒロインであるハル子の父親、文吾の姿が見えなくなった、という辺りから
真っ白な紙に墨汁が一滴落ちたかのように不穏な雰囲気を持ち始め、まだ特に何も始まっていないのに読者に「怖い」という感情を植え付ける辺りは
牧野修の文章力の見事さを感じさせてくれる。そして次第に鎌首を持ちあげ始めた「純粋悪」が牙を剥き善良な人々に襲いかかってくる辺りでは
読んでいて「怖い怖い怖い怖い怖い怖い」と恐怖一色に染め上げられる展開となり実にスリリングであった。それまで何気なしに読んでいた登場人物の
描写が一気に裏返って「あの部分にはこんな意味があったのか…」とゾッとさせられる事間違い無し。そしてこの純然たる犯罪者がその活動の舞台に
金沢を選んだ理由にもしっかりと北陸地方独特の気候が絡めてある辺り、何ともお見事
ただ、惜しいのは作中で重要な人物として扱われてきた防犯・防災の専門家・白雪が終盤で意外とあっさりと扱われていた事か。物語の後半でその
素性が明らかにされ、「いったいどういう動きを見せるのか?」と期待を膨らませていただけに、ちょっと肩透かしの様な印象が残ったのはちょっと残念
ラスト近くも尺が短く、若干流し気味で余韻を感じさせる部分が少なかった点もまた惜しまれる
作者が後書きで触れた様に、金沢という地方都市を舞台にして、確かにこの町を舞台に選ぶ必要があった、と思わせるだけのストーリーの構成や、
住人を含めた町の姿の描写が印象的だった。その上で、純粋な善と悪の対決の物語としてもしっかりと成立している辺りはベテラン作家の実力の
高さを感じさせてくれる物があった。人情物としても読める一方でスリラー的な要素も強く、多彩な色が一冊で楽しめるお得な一冊。表紙絵の印象だけで
「ああ、最近のメディアワークスっぽい作品なのか?」と敬遠すると損をするので強く推させて頂く
犬は書店で謎を解く ご主人様はワンコなのです (メディアワークス文庫) (日本語) 文庫 – 2016/5/25
牧野修
(著)
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本の長さ370ページ
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言語日本語
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出版社KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
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発売日2016/5/25
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ISBN-104048921134
-
ISBN-13978-4048921138
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
「俺とおまえは中身が入れ替わった。魂が入れ替わったと言えばわかるか」「うんうん」「必ず俺が元通りにしてやるから、それまでその身体を大事に使え。わかるな」「はい!」頭はキレるが、ヒネくれた性格の青年。そして彼が飼っている人懐っこくて素直な紫犬。ある日、この主従の魂が入れ替わってしまう!様々な謎に挑む二人(?)を描く、笑いあり涙ありの、異色入り替わりストーリー!!
著者について
『王の眠る丘』でデビュー。以降、ホラーやSF小説を中心に幻想的で奇想に満ちた作品を発表。『傀儡后』で第23回日本SF大賞受賞。最新刊は『月世界小説』。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
牧野/修
『土の眠る丘』でデビュー。以降、ホラーやSF小説を中心に幻想的で奇想に満ちた作品を発表。『傀儡后』で第23回日本SF大賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『土の眠る丘』でデビュー。以降、ホラーやSF小説を中心に幻想的で奇想に満ちた作品を発表。『傀儡后』で第23回日本SF大賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
- 出版社 : KADOKAWA/アスキー・メディアワークス (2016/5/25)
- 発売日 : 2016/5/25
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 370ページ
- ISBN-10 : 4048921134
- ISBN-13 : 978-4048921138
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Amazon 売れ筋ランキング:
- 267,025位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
- - 344位メディアワークス文庫
- - 13,653位ライトノベル (本)
- カスタマーレビュー:
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.6
星5つ中の4.6
4 件のグローバル評価
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年6月11日に日本でレビュー済み
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11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2019年3月12日に日本でレビュー済み
俺様で性格に難があり、他者を見下している萩兎さんが、犬になった時の可愛さといったら…!!
散歩も嫌々だったのに、途中から好きになっているようですし…。
尻尾が気になって、グルグル回りながらも「おい、早く止めろ」とハギトに言ってるところが最高に可愛かったです。
ラストの犯人は、ん?って感じでしたが…感動あり、笑いありでとても楽しめました!
性格に難があるため、萩兎さんの成長ストーリーかな?と思って読んでましたが、いい方面に向かいつつも、そのままの萩兎さんだったので、そこもよかったです!
散歩も嫌々だったのに、途中から好きになっているようですし…。
尻尾が気になって、グルグル回りながらも「おい、早く止めろ」とハギトに言ってるところが最高に可愛かったです。
ラストの犯人は、ん?って感じでしたが…感動あり、笑いありでとても楽しめました!
性格に難があるため、萩兎さんの成長ストーリーかな?と思って読んでましたが、いい方面に向かいつつも、そのままの萩兎さんだったので、そこもよかったです!