犬の伊勢参り (平凡社新書) (日本語) 新書 – 2013/3/18
仁科 邦男
(著)
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本の長さ256ページ
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言語日本語
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出版社平凡社
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発売日2013/3/18
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ISBN-104582856756
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ISBN-13978-4582856750
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商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
明和八年四月、犬が突如、単独で伊勢参りを始めた。以来、約百年にわたって、伊勢参りする犬の目撃談が数多く残されている。犬はなぜ伊勢参りを始めたのか。どのようにしてお参りし、国元へ帰ったのか?そしてなぜ明治になって、伊勢にむかうことをやめたのか?事実は小説より奇なり。ヒトとイヌの不思議な物語の謎を探る。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
仁科/邦男
1948年東京生まれ。70年、早稲田大学政治経済学部卒業後、毎日新聞社入社。下関支局、西部本社報道部、『サンデー毎日』編集部、社会部、生活家庭部、運動部、地方部などを経て2001年、出版局長。05年から11年まで毎日映画社社長を務める。名もない犬たちが日本人の生活とどのように関わり、その生態がどのように変化してきたか、文献資料をもとに研究を続ける。07年より会員誌『動物文学』(動物文学会発行)に「犬の日本史」を連載中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1948年東京生まれ。70年、早稲田大学政治経済学部卒業後、毎日新聞社入社。下関支局、西部本社報道部、『サンデー毎日』編集部、社会部、生活家庭部、運動部、地方部などを経て2001年、出版局長。05年から11年まで毎日映画社社長を務める。名もない犬たちが日本人の生活とどのように関わり、その生態がどのように変化してきたか、文献資料をもとに研究を続ける。07年より会員誌『動物文学』(動物文学会発行)に「犬の日本史」を連載中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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本書購入のきっかけは、作家の百田尚樹氏が自著の最新作『日本国紀』の内容の一部について、ネットTVで紹介したことに端を発する。日本の様々な歴史を調べ直していく過程において、“犬がお伊勢参りをした”という記録が数々あるというのだ。本書の内容は、単に犬が自発的に神様にお参りに行ったということではなく、自分の代わりに犬に参拝を託す人とその犬をまるで人間の子供のように道中に支障が無いように世話を焼き、またある種の敬意をはらい、不自由を取り除いてあげる人々のやさしさの物語でもある。当時のお伊勢参りでは、現在の旅行代理店と宿泊業者の関係のような構築された顧客システムが存在していたことも大きく起因し、参拝犬も無事参拝・帰郷できたわけだが、お参りの趣意書と名札それに少々の旅費を携えた犬を丁重に扱い、餌代を頂戴する代わりにお賽銭がわりの幾ばくかの小銭をその犬に持たせ、次宿までの便宜をはかり、さらにその小銭がさぞ重たかろうと両替して犬の負担を減らしてあげていたこと、病気の犬はかごに乗せて運んであげていたこと、さらには無事帰郷した犬を尊び記念碑まで建立してしまう日本人のやさしさと犬との関係性は、誇るべき日本の歴史の一部であると知らされた。またこのエピソードの数々は、各時代各地の様々な記録に裏打ちされたものであるが、その記述の詳細さにも驚くものがある。昨年あたりだったか?、その期間や真贋は定かではないが、世界中のSNSで一番多く使用されたのが日本語であったという報道があったと記憶している。日本人の噂好きや詳細な記録に見える几帳面さは、古来からの性向でもあったと気付かされた一冊であった。
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「現代」人は、犬の「お伊勢参り」を信じないだろう。
江戸時代の日本は、西欧流で云えば「近世」である。
現代人は、近世を経た「近代」つまり、「法治主義」に育ち論理を重んずる人である。
従って、前時代の里(共同体)が先ず、理解出来ないし、その里に人と共存していた「里犬」の存在も理解出来ない。
近代のレンズを通せばそれは、見えないのである。
だが、犬好きで犬と生活を共にした経験があれば容易に理解出来るのである。
江戸(近世)は、日本全体が里人と里犬の共同体の場であった。
現代でも、人間と犬とが一体のケースがある。猟師は、それなしに存在出来ない。
犬と生活を共にするとその感覚、感情、智慧、その驚くべき能力を知る。
否定的見解は、「近代」が奇形的人間を生み出し、人と社会がそれぞれ独立しているとする幻想を持つからである。
それは、近代を経た現代人の限界に過ぎない。
司馬遼太郎は、犬の「お伊勢参り」に否定的であった。
彼は、世渡りがが巧くGHQの覚え愛でたい人物であった。それは、「反日=自虐」がベースであり、何でも朝鮮半島から渡来してきたと云う「親韓」の人であった。
それは、当時の歴史学者・考古学者についても似たようなものであった。
それは、GHQの功名な東亜の分割統治政策でもあった。
ところが月日は過ぎ、「ファクト」と明白な食い違いが生じて来た。なので、今日に於いては廃れて誰も振り向きもしない代物となった。
犬の「お伊勢参り」は、明治に終わった。それは、ご一新により「近代」となったためである。
現代人の眼で過去を見る際は、注意を要する。
江戸時代の日本は、西欧流で云えば「近世」である。
現代人は、近世を経た「近代」つまり、「法治主義」に育ち論理を重んずる人である。
従って、前時代の里(共同体)が先ず、理解出来ないし、その里に人と共存していた「里犬」の存在も理解出来ない。
近代のレンズを通せばそれは、見えないのである。
だが、犬好きで犬と生活を共にした経験があれば容易に理解出来るのである。
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犬と生活を共にするとその感覚、感情、智慧、その驚くべき能力を知る。
否定的見解は、「近代」が奇形的人間を生み出し、人と社会がそれぞれ独立しているとする幻想を持つからである。
それは、近代を経た現代人の限界に過ぎない。
司馬遼太郎は、犬の「お伊勢参り」に否定的であった。
彼は、世渡りがが巧くGHQの覚え愛でたい人物であった。それは、「反日=自虐」がベースであり、何でも朝鮮半島から渡来してきたと云う「親韓」の人であった。
それは、当時の歴史学者・考古学者についても似たようなものであった。
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ところが月日は過ぎ、「ファクト」と明白な食い違いが生じて来た。なので、今日に於いては廃れて誰も振り向きもしない代物となった。
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現代人の眼で過去を見る際は、注意を要する。